3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2011年07月

『奇跡』

 両親が別居し、兄・航一(前田航基)は母親と一緒に鹿児島で、弟・龍之介(前田旺志郎)は父親と一緒に福岡で暮らすことになった。航一はまた大阪で家族4人で暮らしたいと願っている。ある日、新たに開通する九州新幹線の「つばめ」と「さくら」の一番列車がすれ違う瞬間を見ると奇跡が起きるという噂を聞き、奇跡を起こすべく友人達と計画を立てる。監督は是枝裕和。
『だれも知らない』以来、子供を撮るのが上手い監督というイメージだが、本作でもやっぱり上手いなと思った。私は子供があまり好きではないので、子供の素に近い状態で撮っていると思われる部分(将来なりたいものを話すところとか)は、見ていてムズ痒くなってしまうのだが、ちゃんとセリフを言わせている部分は、子供の素と演技の兼ね合いがすごくうまくいっているんじゃないかと思う。特に主役の前田兄弟は演技が達者でびっくりした。演技が達者というより、役柄をよく理解していると言った方がいいのかもしれない(セリフ回し自体はおぼつかないところもあるので)。漫才師である彼らは元々人前に立つことには慣れているのだろうが、「こういう子」というキャラクターがちゃんと立ち上がってきている。他の子供達も、それぞれ個性・立ち居地がはっきりとしている。龍之介の友人でみそっかす的な男の子は、セリフはそう多くないのに妙にひっかかってくるものがあった。
兄弟の、一見した雰囲気とは裏腹なキャラクターの差異の付け方が上手い。兄・航一はしっかり者でおおらかそうなルックスだが、実は神経質。冒頭、この子はなんで朝からぞうきんがけしているのかなーきれい好きで偉いわーと思っていたのだが、これは火山灰を気にしているんだなとわかってくる。家族4人で暮らすことにも、航一の方が拘っている。対して弟・龍之介は、適応能力が高く社交的で、あっけらかんとしている。しかし、彼は家族が元に戻れるかということには懐疑的。彼のほうがリアリストで、両親の仲は修復できないと悟っている。庭の野菜の出来を気にするくだりはほほえましくもあるのだが、せめて今を楽しく、という彼の処世術が垣間見えて切なくもある。航一の神経質さが、新しい環境への不安からきているものらしいことも、毎日それなりに楽しげに過ごす龍之介との対比で浮かび上がってくる。
 本作に真の主人公がいるとすれば、龍之介ではなく航一だろう。彼が「今」と折り合いをつけるまでの物語なのだ。龍之介は、早々に折り合いをつけてしまっているので、若干背景寄りに見える。
 子供達が現状に対してもやもや、あれこれしている姿が描かれるが、大人達も形は違えどもやもや、あれこれしている。航一兄弟の両親はもちろん、祖父やその商店街仲間たちも、「今」と向き合うことに悩んでいるのだ。そのへんはごくさりげなく触れ、あくまで子供主体の映画になっている。夏休みに見たい作品だった。




『SUPER8/スーパーエイト』

 アメリカの田舎町に住む14歳の少年ジョーは、友人との8ミリ映画撮影に夢中。ある夜、駅でこっそりと撮影をしていた彼らは、貨物列車が脱線・炎上する大事故を目撃する。脱線させたのは1台のトラック。そのトラックにはなぜか彼らの学校の先生が乗っており、大怪我を負いつつもこのことは誰にも言うなと忠告する。監督はJ・・J・エイブラムス。
 公開前のネタバレ厳禁な本作だったが、正直、あそこまで厳禁するほどのものでは・・・。事前情報ない方が楽しく見られるだろうが、そんなに意外性がある・サプライズ系のストーリーというわけではない。むしろ過去の有名作品をサンプリングしたような既視感があるような作品。監督は多分あの映画やこの映画が好きなんだろうなー、スピルバーグリスペクト(まあ本作のプロデューサーだし)なんだなーということが一目瞭然。ただ、かなり軽いノリで過去作の要素を使っている気がするので、それらの作品・ジャンルに思い入れのある人には却って癇に障るかもしれない。私が本作を楽しめたのは、それらの作品に殆ど思いいれがないしジャンル的にも詳しくないからだと思う。
 また、鬼才と呼ばれるJ・J・エイブラムス監督だが、少なくとも本作に限ってはあまり才気走っているとは思えない。むしろ、肝心なところの見せ方が上手くない。列車転覆シーンでは、音と火薬量は大盤振る舞いだが肝心のショットにあまり魅力がない。私は映画の技術的な部分には明るくないので上手く説明できないのだが、カメラが近すぎるのかなー。派手なわりにのっぺりした変な映像だなと思った。また、「何か」の見え方やデザインも、正直あまりセンスがあるとは思えなかった。絵の感覚は意外と凡庸な人なんじゃないかという気もする。はっとするショットがあまりないのだ。ただ、冒頭、主人公の母親がどういう事情で亡くなり、父親との関係がどんなものなのか観客に分からせるまでの流れはすごくスマート。
 登場人物の造形はあまり掘り込まず、ドラマもあっさり風味だし、後半の展開にはかなり疑問がある。しかし、それなりに楽しい。子供達が映画撮影している様子が楽しそうなので、それだけでもいいかなーと思った。




『機械探偵クリフ・ロボット』

カミ著、高野優訳
ジュール・アルキメデス博士が発明した、ロボット探偵キリク・ロボット。右往左往する警察をしり目に、正確な方程式と計算を駆使し真相解明していく。中編2本を収録した。1940年代にフランスで書かれたユーモアミステリ。ダジャレの数々は翻訳するのが大変だったんじゃないかなー。暗号文が出てくるのだが、これも日本語で解読できるバージョンと原語を直訳したバージョンと2種類ちゃんと収録してあるサービス精神。翻訳は力作だと思う。ロボットがものすごく旧式のロボットなのがほほえましい。ロボットが探偵をやるというよりも、アルキメデス博士が自分のパフォーマンスの道具としてロボットを使っている感じなので、ロボットの自主性を求める者としてはちょっとさびしいのですが。妙に素人くさい挿絵の数々にも和む。






『127時間』

 休日には1人でアウトドアを満喫している青年アーロン(ジェームス・フランコ)は、ある土曜日の朝、ブルー・ジョン・キャニオンへ向かった。万事快調に思えたが、思わぬ事故が起きる。監督はダニー・ボイル。
 広大な屋外が舞台だが、ある意味極限の密室劇。ある事情で動けなくなってしまったアーロンを演じるジェームス・フランコの、ほぼ1人芝居だ。このシチュエーションでよく97分もたせたなと感心した。しかも本作は実話が元になっており、アーロンがどういう目にあい、どういう選択をするのか大体わかっている。そういうネタを面白くテンポよく料理できる、ダニー・ボイルの脚本・構成の力を実感した。
 ヘビーな話ではあるのだが、あえて最初っから軽くしている。アーロン自身がかなり軽快な、有体に言えばチャラい人なので、事件が起きるまではとてもノリが良くテンポがいい。しかし、事件が起きてからも、深刻にならないよう配慮している。深刻な中でも、追いつめられての妄想が妙笑えるものだったり、音楽が軽快だったりする。何より、アーロン自身にユーモアが失われないのだ。アーロンはビデオカメラを持っていて、それが自分を客観視する為の道具となっている。もしビデオがなかったら、彼が最後まで踏ん張れたかどうか怪しいと思う。
 アーロンの動けない現状と、彼の過去の回想とを行ったり来たりする構成だ。これが良くできている。アーロンは基本、一人で何でもできるし、それ故深く他人と関わるのは億劫なタイプだったのだろう。しかし、家族や元恋人のことを思い出すうちに、自分はあの人たちのことを本当に好きだった、自分から突き放すのではなかったと後悔し始める。で、ここまでならよくある話ではあるのだが、彼はここからあるビジョンを幻視し、ある決断をする。この、何を見て決断するかというところに予想外に感動してしまった。やはり人間は未来を信じずにはいられないのだろうと。




『BIUTIFUL ビューティフル』

 バルセロナで2人の子供と暮らすウスバル(ハビエル・バルデム)。彼の仕事は不法移民への仕事の斡旋で、警察に賄賂を渡したりもする。ある日、彼は自分が末期ガンで余命2ヶ月と宣告される。彼は病気のことは誰にも告げず、死への準備を始める。監督はアレハンドロ・ゴンザレル・イニャリトゥ。
 ウスバルの仕事は法に触れるものだ。不法滞在者から搾取しているとなじられもするし実際その通りだ。しかし、彼は悪人というわけではない。むしろ、こういう稼業をやるには中途半端に人情家なきらいがある。彼はセネガル人の青年や中国人の若い女性の世話を焼いたりする。自分の子供の子守を頼むくらい信用してもいる。しかし、彼が皆の面倒を見切れるわけではない。ウスバルは中途半端に思いやりを発揮し、却って面倒くさいことになっているように見えた。もっと割り切って接すればいいのだろうが、そうはできない程度に彼は倫理的だし善人なのだ。
 ウスバルは基本、普通の人だし「いい人」だ。子供にとってもわりといい父親なのだろう。冒頭、ウスバルと子供の食事のシーンで、彼の性格や子供との関係がよくわかり面白い。子供を結構きつく叱るが、信頼関係があるし、遊ばせ上手だ。同時に、食事の時の礼儀作法に結構うるさいんだなということもわかる(これは後に妻が同席した食事シーンでも如実に現れる)。そんな「基本いい人」がヤクザな商売をしなくてはならず、いまいち要領も悪いというところがやるせない。彼の兄がまた、ヤクザな商売で結構いい目を見ているらしいだけに、その対比が際立つ。この人はこういう人、という見せ方がいい。ウスバルの元妻の造形も、その「悪い人ではないし魅力もあるが困った人」感の出し方が上手い。かみ合っているときは幸せな家庭、しかし一度ずれだすと悲劇的であるという危なっかしさにハラハラした。
 本作に登場する人の多くは「どうしてかこんな状況に陥ってしまった」というような人たちだ。そんなの自己責任だろ、と突き放すには彼らが抱える問題や希望のなさはヘビーすぎる。そういったどうしようもなさ(その最たるものがウスバルのガンだが)が全編に満ち満ちていている。しかしそれでも最後まで人生を全うしなければならない、という苦しさを突きつけられるように思う。




『見えないほどの遠くの空を』

 大学の映画サークルで卒業制作作品の監督・脚本を担当する高橋(森岡龍)。しかし主演女優の杉崎莉沙(岡本奈月)は彼の脚本に納得しなかった。セリフに納得しないまま最後のワンシーンを残し、莉沙は事故死してしまう。そして1年後。社会人となった高橋は、莉沙そっくりな女性を見かける。彼女は莉沙の双子の妹・洋子だった。高橋は洋子を代役として取り残したシーンを撮影したいと思う。監督は榎本憲男。
 それこそ学生の自主制作映画のような初々しさ、こそばゆさがある作品だった。部室にペドロ・コスタ作品や、ぴあフィルムフェスティバルのポスターが貼ってあったり、早稲田松竹へ「渇き」を見に行くというセリフがあったり、いかにもいかにもだなーとニヤニヤしてしまう。
 ただ、リアルタイムの学生というより、かつて映研で映画撮っていたという人たちを思わせるといった方がいいかもしれない。むしろ今の学生の方がもっと捻った作品撮っていそうなくらいだ。私は映画製作の経験などないしサークル活動自体やっていなかったが、映画サークルの自主映画というと、なぜかノスタルジックなものを感じる。高橋が抱える、失われてしまったものへの良く言えば憧憬、悪く言えば執着が懐かしさをあおるのかもしれない。
 本作にはある仕掛けがしてあるが、仕掛けが始まった時点からなんとなく分かるし、中盤でその真相はあっさり明らかになる。見せ方上、これ以上ひっぱるのはムリという判断だったのかもしれないが、見せ方自体は丁寧だったと思う。ここに限らず、実直な見せ方だなと思うところが多かった。
 役者の演技やセリフ(セリフ回しではなくおそらく脚本上のセリフ)は硬くてぎこちないのだが、時間経過の処理の仕方や、場面転換・省略の仕方の手際はいい。こういうところがこなれていると、他が学生の自主映画ぽくてもぐっとプロの作品という雰囲気が出るんだなーと感心した。




『トワノクオン 第一章 泡沫の花弁』

 ベスティアと呼ばれる特殊能力に目覚める子供達が密かに発見されるようになった近未来。サイボーグを使ってベスティアを捕獲する組織・オールドーが暗躍する一方で、それを阻止しベスティアたちを保護しようとする組織があった。ある晩、オールドーに襲撃された少年ユーマは、インサニアと呼ばれるベスティアに助けられる。全6話のシリーズ作品。監督は飯田馬之介・もりたけし。飯田監督にとっては遺作となった。
 超能力者と一般の人間との戦い、あるいは異端者同士での戦いというと、古くは009や超人ロック、地球へ、そしてまさにリアルタイムでX-MEN等、このジャンルの作品は多い。本作も(少なくとも1話の段階では)その系統に連なる作品なのだろう。キャラクターデザイン、特に主人公であるクオンのデザインがどことなく懐かしいのは過去作へのオマージュか?というより、このデザインのキャラは異能力者、という伝統か?私にとってはこのkyラクターデザイン見ただけで本編見に行ってしまったくらい何かのツボを刺激されるものではあったのだが。斬新ではないが、安心してみていられるデザインだと思う。
 1話の段階では作品としてどうこうとは言えないが、前述の通り、見ていて安心感のある作品だった。設定や美術面、名詞の使い方や諸々のギミックが私のノスタルジーを刺激するというのもあるが、作品としてあまり危なげがない。すごくオーソドックスなSFだなという印象。キャラクターのいわゆるキャラ付けがむしろ浮いて見えるくらいだ。無個性なヒロインが一番この作品にしっくりして見える(ツインテールの子やメガネの子はキャラ付けしようとしてスベっている感が・・・)。むしろ萌えキャラとは無縁の作品にしてみてほしくなった。たまにはそういうのを見たくなる。
 ベスティアたちの能力や、クオンの年齢不詳さなど、直接説明せずにちょっとずつ出していく見せ方が、あからさまでなくて上手い。また、前半のアクションシーンはかなり見応えがあった(後半は、むしろオーソドックスなサスペンスものの展開ぽい)。特にワイヤーの使い方は新鮮。




『アリス・クリードの失踪』

 刑務所で知り合ったヴィック(エディ・マーサン)とダニー(マーティン・コムストン)は金持ちの娘アリス・クリード(ジェマ・アータートン)を身代金目的で誘拐する。音が漏れないように加工したアパートの1室にアリスを監禁し、計画は順調に見えたが。監督はJ・ブレイクソン。
 予告編からは、トリッキーさを前面に出した作品のような印象を受けた。しかし実際は、特に奇をてらったことはしていないと思う。きちんとした脚本でつじつまがあっているので、総合的に見るとパズルのピースがきちんと嵌ったような快感がある。脚本の勝利と言っていいんじゃないだろうか。
 脚本・演出がしっかりしていると、言葉が少なくても何がどうなっているのかよくわかるんだなと実感した作品だった。冒頭の、男2人がホームセンターで色々買い込み、アパートの1室を改造していくシーン。セリフは殆どないのだが、この2人、少なくともどちらかは犯罪に手馴れたプロだろうということがわかる。そして、少しずつ重なっていく2人のやりとりから、2人の力関係が見えてくる。的確に見えてくるからこそ、中盤以降の展開でそうだったのか!という驚きがあるのだ。
 伏線とその回収を丁寧にやっており(銃弾の処理だけ、ネタとしての面白さのみに終始しちゃった感はあるが)、実はサプライズ的な要素はあまりない。サプライズなしでも見せ方によってはこれだけのサスペンスが作れるんだぞ!と脚本家が主張したいかのような作品だった。登場人物は3人だけでほぼ密室劇なのだが、この3人の間でのパワーバランスの変化の緩急の付け方に工夫があって抜群に面白い。支配・被支配関係のすり替わりはスリリングであると同時に、大分えげつない。相手との心理的な関係が勝ち負けに反映してくるというのは、見ていてあんまりいい気持ちではない(面白いのだが)。
 人質のトイレ問題をはじめ、生活感のある犯罪というか(笑)、地に足の着いたサスペンスだなと思った。犯人グループの睡眠や食事、排泄もちゃんと出てくる。これくらいのことならできる、これ以上はムリ、という具体性に説得力があった。






『X-MEN ファースト・ジェネレーション』

 人気シリーズの前日譚としての作品。人間との共生を図るプロフェッサーXと、人間を憎むマグニートーはかつては協力する仲間同士だった。彼らはなぜ袂を別ったのか。監督はマシュー・ヴォーン。舞台は1960年代。裕福な家庭に生まれ、大学の研究者としての道を歩んでいたチャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)は、テレパス能力を持つミュータントだった。一方、ナチスのユダヤ人迫害から生き延び、科学者ショウ(ケビン・ベーコン)への復讐心に燃えるエリック(ミヒャエル・ファスベンダー)は、金属を自在に操るミュータント。2人は出会い、仲間となるミュータントたちを探し始める。一方、ショウもまたミュータントを集め、ある計画を進めていた。
 冒頭の少年時代のエリックとチャールズのエピソードから始まり、彼らが決別するまでの物語。シリーズのファンにはそういうことだったのか!と納得するようなエピソードが多々あるだろう。本作内の流れに限っても、この人はどうしてこうなったのか、こういう選択をするようになったのか、という経緯を丁寧に描いている。チャールズとエリック間の共感している部分と相容れない部分のバランス設定も上手い。特に、同じ異能力者の中でも、一般の人間・人間社会に対するスタンスはそれぞれだというところがきちんと踏まえられている。チャールズは人間との共存に対してポジティブなのだが、これは、彼が基本育ちのいい、少なくとも経済的・社会的地位には恵まれた人であるという背景によるところが大きい。それ故エリック、そしてミスティークの人間社会に対する不信や、傷ついている部分についてはおそらく、十分にわかっているとは言えない。このあたりのギャップの見せ方はシビアだと思う。特にミスティークに対してはある意味鈍感というか、無頓着なんだよなぁ・・・。彼が優秀なテレパスであるというのは皮肉な設定だ。
 1960年代という時代設定も、擬史ものとして面白かった。キューバ危機が背景にある。なぜキューバ危機が起こり、これをX-MENたちがいかにこれを阻止するか、実際の歴史との絡ませ方はわくわくする。もう少し、風俗面での時代感が感じられればもっとよかった。ファッションなど、あまり時代感がないのが残念。
 ドラマ面は、シリーズ内では一番丁寧な作品だと思う。しかし、丁寧故にまどろっこしく、グルーヴ感が弱いようにも思った。どのパートもきちんとしているのでメリハリに乏しく、全体的に薄味。何より、ヒーローものとしての側面がかなり弱いなと思った。正確にはヒーロー前夜とでもいうべき作品だから無いものねだりとも思うのだが、もうちょっとドーン!と派手なバトルが見たかった気もする。
 また、プロフェッサーX=チャールズとエリック=マグニートの造形がきちんとしていることで、却ってこの聡明な人たちがなぜ後々あんなはっちゃけたことを・・・と思ってしまう部分はある。シリーズ過去作品(本作の未来にあたるわけだが)とのギャップが最大の難点か。




『鎮火報 Fire's Out』

日明恩著
早く9時5時の部署に移転したいと思いつつ、消防署勤務の業務をこなす20歳の新人消防士・大山雄大。ある日外国人アパートの消化にあたるが、連続放火事件の可能性が出てくる。警官シリーズや本作のスピンアウトである「ロード&ゴー」と同じく、公務員を主人公としている。お仕事小説としての情報の見せ方が毎度上手い。本作では、消防士のお仕事小説に、不法滞在外国人問題が絡んでくる。不法滞在外国人問題については、警官シリーズでも別の側面から取り上げられていたので、取材していくうちにテーマが広がってきたのだろう。そういう部分の、自作間での繋げ方がうまくいっている作家だと思う。取材した内容を余すことなく使っているんだろうな。どの作品でも、なぜ働くのか、なぜこの職業なのかという部分を押さえているのも、お仕事小説として好感度高い。各キャラクターの輪郭がしっかりと立ち上がって魅力があるのもいい。この人はこういう考え方をする、という部分にブレがないよう、すごく気をつけて書いていると思う。






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