1918年、赤軍と白軍に分かれた内戦が続くフィンランド。赤軍の女兵士ミーナ(ピヒラ・ヴィータラ)は白軍兵士に射殺されそうになったところを逃げ延びるが、白軍の准士官アーロ(サムリ・ヴァウラモ)に再度捕まってしまう。正義感の強いアーロは、ミーナを公正な裁判にかける為にミーナを連れて判事の元を目指すが、2人が乗った船が転覆し、孤島に漂着する。島で助けを待つうちに2人の関係に変化が現れるが。
フィンランドのアク・ロウヒミエス監督作品。日本ではなじみの薄いフィンランド史が背景にあるので、どの程度理解できるか心配だったのだが、詳しく知らなくても面白く見た。むしろ歴史劇としてはどうも象徴的でどこに軸足を置いて見ればいいか迷う。屋外のロケが多い作品で、色彩を抑えた、寒々とした風景が魅力的。特にミーナとアーロが漂着する島の海辺(岩棚がずっと続く)は延々と歩きたくなる。
このように屋外シーンが多い作品ではあるのだが、むしろ密室劇のような密度を感じた。一応、それなりに登場人物はいるのだが、重要なやりとりがミーナ、アーロ、そして検事の3人の間でなされているからだろうか。予告編ではミーナとアーロの立場を超えた恋愛物語ような見せ方をしていたが、ここに検事が絡んで三角関係のようになる。ただ、3人の間でやりとりされるのが恋愛感情なのかというと、ちょっと違うような気もした。それぞれがそれぞれの理論で動いており、結果的に三角関係のように見える、といった方がいいかもしれない。
ミーナは何であるよりも兵士(彼女は部隊のリーダーだった)であろうとする。アーロとの間に情愛が芽生えたように見えるし、実際に絆、信頼感のようなものはあるのだが、彼女は何よりも自分に課された責任を全うしようとする。彼女は基本的に生き残る為には手段は選ばないが、この責任に反する手段は拒絶する。一方、アーロはもっと理想主義的、純粋で(裁判は公正に行われると信じていること自体初心なのだが)ミーナへの思いやりを貫こうとする。彼らは2人とも、自分が正しいと信じることに殉じる。
一方、判事が印象深い奇妙なキャラクターだった。彼は社会的な地位と名声を持ち教養のある人物だ。しかし所属する社会の中ではマイノリティであり、孤独。彼の言動は厭世的でもある。彼は正しさではなく、大儀や国の為でもなく、自分の欲望・自分の為の願いにより行動する。アーロやミーナとはタイプが違い、ある意味もっとも現代人的なようにも思った。
陰鬱な雰囲気の作品だが、最後、子供の存在に救われる。大人と子供との2ショットの後姿が印象に残った。
フィンランドのアク・ロウヒミエス監督作品。日本ではなじみの薄いフィンランド史が背景にあるので、どの程度理解できるか心配だったのだが、詳しく知らなくても面白く見た。むしろ歴史劇としてはどうも象徴的でどこに軸足を置いて見ればいいか迷う。屋外のロケが多い作品で、色彩を抑えた、寒々とした風景が魅力的。特にミーナとアーロが漂着する島の海辺(岩棚がずっと続く)は延々と歩きたくなる。
このように屋外シーンが多い作品ではあるのだが、むしろ密室劇のような密度を感じた。一応、それなりに登場人物はいるのだが、重要なやりとりがミーナ、アーロ、そして検事の3人の間でなされているからだろうか。予告編ではミーナとアーロの立場を超えた恋愛物語ような見せ方をしていたが、ここに検事が絡んで三角関係のようになる。ただ、3人の間でやりとりされるのが恋愛感情なのかというと、ちょっと違うような気もした。それぞれがそれぞれの理論で動いており、結果的に三角関係のように見える、といった方がいいかもしれない。
ミーナは何であるよりも兵士(彼女は部隊のリーダーだった)であろうとする。アーロとの間に情愛が芽生えたように見えるし、実際に絆、信頼感のようなものはあるのだが、彼女は何よりも自分に課された責任を全うしようとする。彼女は基本的に生き残る為には手段は選ばないが、この責任に反する手段は拒絶する。一方、アーロはもっと理想主義的、純粋で(裁判は公正に行われると信じていること自体初心なのだが)ミーナへの思いやりを貫こうとする。彼らは2人とも、自分が正しいと信じることに殉じる。
一方、判事が印象深い奇妙なキャラクターだった。彼は社会的な地位と名声を持ち教養のある人物だ。しかし所属する社会の中ではマイノリティであり、孤独。彼の言動は厭世的でもある。彼は正しさではなく、大儀や国の為でもなく、自分の欲望・自分の為の願いにより行動する。アーロやミーナとはタイプが違い、ある意味もっとも現代人的なようにも思った。
陰鬱な雰囲気の作品だが、最後、子供の存在に救われる。大人と子供との2ショットの後姿が印象に残った。