数々の名曲を生んだ作曲家であり、女性とのスキャンダルが絶えなかったセルジュ・ゲンスブール。彼が他界してから20年がたち。彼の人生をファンタジーを交えて映画化した作品。監督はバンドデシネ作家のジョアン・スファール。
1941年、ナチス占領下のパリ。ユダヤ人家庭に生まれたリュシアン・グンズブルグは早熟で口が達者。ピアニストの父親からピアノを仕込まれるが、厳しいレッスンに辟易していた。やがて成長したリュシアン(エリック・エルモスニーノ)はセルジュ・ゲンスブールと名乗るようになり、売れっ子作曲家として有名になる。と同時に、ブリジット・バルドー(レティシア・カスタ)や2度目の妻となるジェーン・バーキン(ルーシー・ゴードン)との恋愛でも有名になるのだった。
実話を元にしたフィクションということになるのだろうが、フィクション度合いがちょっと中途半端かなと思った。亡くなってから20年だと、まだ家族や関係者が健在だし、あまり突っ込んだ描き方は遠慮があってやりにくかったのかもしれない。良くも悪くも薄味である。いっそ、「ゲンスブールの頭の中」的に、もっとファンタジックに作ってしまっても良かったんじゃないかなー。本作、ゲンスブールを知らない人には情報不足(物語内時間が結構頻繁にジャンプするので、こことこことの間にどういう経緯が?とつまづいてしまうかも)だし、ゲンスブールを知っている人にとっては、何を今更という話にとどまっているのではないかと思う。
彼の少年時代の造形は、なかなか面白かった。ここに時間を割きすぎてペース配分が妙なことになっているようにも思ったが。リュシアン少年は自分がユダヤ人である、ということを強く意識しており、ナチスがユダヤ人がつける「ダビデの星」を配り始めた時も真っ先に受け取りにいく。子供にしては諧謔がすぎる。そして口が達者。大人の女性を平気で口説く。美術学校のモデルを口説くやり口には笑ってしまった。「ブラジャー描くの苦手だから取ってもらえるかな?」って。口が達者で押しが強い男は結果的にモテるのだろうか・・・。
ゲンスブールは幼い頃から、ユダヤ人であること、不細工であることにコンプレックスを持っていた。この2つの属性が、「ユダヤ人」「悪い男」とでもいう固有のキャラクターとして実体化し彼につきまとう。このへんはバンドデシネ作家である監督の持ち味だろうか。しかし、自分の中のそういうキャラクターと彼がどうやって折り合いをつけていったのか(あるいはつけられなかったのか)がストーリーからは見えてこない。ユダヤ人の方はゲンスブールが大人になる前にフェイドアウトしてしまうし、悪い男の方も、付き合いは長くなるものの具体的な経緯がないまま姿を消す。なぜコンプレックスだったのか、そのコンプレックスを抱え続けたのかというところを見てみたかった。
1941年、ナチス占領下のパリ。ユダヤ人家庭に生まれたリュシアン・グンズブルグは早熟で口が達者。ピアニストの父親からピアノを仕込まれるが、厳しいレッスンに辟易していた。やがて成長したリュシアン(エリック・エルモスニーノ)はセルジュ・ゲンスブールと名乗るようになり、売れっ子作曲家として有名になる。と同時に、ブリジット・バルドー(レティシア・カスタ)や2度目の妻となるジェーン・バーキン(ルーシー・ゴードン)との恋愛でも有名になるのだった。
実話を元にしたフィクションということになるのだろうが、フィクション度合いがちょっと中途半端かなと思った。亡くなってから20年だと、まだ家族や関係者が健在だし、あまり突っ込んだ描き方は遠慮があってやりにくかったのかもしれない。良くも悪くも薄味である。いっそ、「ゲンスブールの頭の中」的に、もっとファンタジックに作ってしまっても良かったんじゃないかなー。本作、ゲンスブールを知らない人には情報不足(物語内時間が結構頻繁にジャンプするので、こことこことの間にどういう経緯が?とつまづいてしまうかも)だし、ゲンスブールを知っている人にとっては、何を今更という話にとどまっているのではないかと思う。
彼の少年時代の造形は、なかなか面白かった。ここに時間を割きすぎてペース配分が妙なことになっているようにも思ったが。リュシアン少年は自分がユダヤ人である、ということを強く意識しており、ナチスがユダヤ人がつける「ダビデの星」を配り始めた時も真っ先に受け取りにいく。子供にしては諧謔がすぎる。そして口が達者。大人の女性を平気で口説く。美術学校のモデルを口説くやり口には笑ってしまった。「ブラジャー描くの苦手だから取ってもらえるかな?」って。口が達者で押しが強い男は結果的にモテるのだろうか・・・。
ゲンスブールは幼い頃から、ユダヤ人であること、不細工であることにコンプレックスを持っていた。この2つの属性が、「ユダヤ人」「悪い男」とでもいう固有のキャラクターとして実体化し彼につきまとう。このへんはバンドデシネ作家である監督の持ち味だろうか。しかし、自分の中のそういうキャラクターと彼がどうやって折り合いをつけていったのか(あるいはつけられなかったのか)がストーリーからは見えてこない。ユダヤ人の方はゲンスブールが大人になる前にフェイドアウトしてしまうし、悪い男の方も、付き合いは長くなるものの具体的な経緯がないまま姿を消す。なぜコンプレックスだったのか、そのコンプレックスを抱え続けたのかというところを見てみたかった。