3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2011年04月

『エンジェルウォーズ』

 母親の死後、遺産を狙う義父の企みによって精神病院に入れられてしまったベイビードール(エミリー・ブラウニング)は空想の世界で自由を得る為戦う。その世界の中で彼女がいるのは古びた娼館。自由を得るには地図、火、ナイフ、鍵、そしてもう一つ、彼女にしかわからないものを手に入れる必要があるというのだが。監督はザック・スナイダー。
 スナイダー監督の前作『ウォッチメン』に大興奮したのだが、本作に対しては予告編の時点であれ?と思っていた。ミニスカセーラー服美少女が日本刀を振り回してドラゴンや鎧武者と戦うなんて、ずいぶんと陳腐だなーと。いやでもこれはわかりやすくフックのありそうなところを予告編用に抜粋したのかも・・・と、とりあえず本編見てみた。ちなみに吹き替え版で見たのだが、違和感は感じなかった。アイドル的に人気のある声優を起用しているとかでとやかく言う映画ファンもいるようだが、上手な吹き替えだったと思う。
 本作、ベイビードールが入れられた精神病院と彼女の想像世界という2層から成っているのかと思ったら、想像内でダンスを披露する時、さらに彼女の精神世界に入る(ダンスをする=想像内ではバトル)という3重構造なのだ。ただこの構造が、あらかじめ見せたいシーンを組み込むことを優先して作られた設定に見えた。2層目と3層目のつながりにあまり必然性がないのだ(ダンスを披露するなら、例えばエンドロールのように圧倒的にゴージャスなショーを想像、みたいな方が映えたんじゃないかと)。監督の好きなものを全部詰め込む為に無理やりこういうたてつけにしたんじゃないかという気がしてしまう。
 なにより、2層目(娼館)から3層目(戦闘少女的ファンタジー)への移行は、おそらく男性から向けられる欲望に対抗する為のものなのだろうが、3層目での彼女達の姿は、まんま男性が欲望するコスプレ女性の姿のようだ。まあ、それを言ったら2層目の娼館ももろに男性の欲望の投影ともいえるのだが・・・。例えば『パンズ・ラビリンス』のような、過酷な現実と対抗する為のファンタジーとしての力をベイビードールの想像からは感じられない。現実に対するカウンターとしてはあまりに陳腐。ベイビードールが想像したもの、ではなく監督が妄想したものであるようにしか見えない。
 タランティーノのように自分が好きなものだけ詰め込んで傑作を作ってしまう監督もいるが、スナイダー監督にはそこまでの力はないように思った。止め絵としてはかっこいい部分もあるが、あまり映画的な素養のある人じゃないんじゃないか・・・という気がしてならない。『ウォッチメン』は原作がすごかったってことか。
 なお本作、日本では既に定番な「戦闘美少女」とはちょっと違うように思う。どちらかというとイメクラ感覚。若い女の子にコスプレさせて遊んでいる感じ。




『電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神4』

電気グルーヴ他談
雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」で長年連載されている電気グルーヴの対談集をまとめたもので、なんと4巻目。よくまあこんなアホアホしい連載が続いてるなぁと感心する。毎回買って読んでいる私も私ですが・・・。アホアホしくて妙な気負いがないからこそ長年続いているんだろうなとも思う。それにしても、電気の2人ももう40代。40代男性がこんな話ばっかりしていていいのかと慄然とするところも。特に、今までもそうかなーという気はしていたが、瀧よりも卓球がやばい。逸脱感が時々笑えないレベルになってきている。この人才能あって本当によかったなぁ・・・。あ、シモ(スカトロ的に)の話が今回大変華やかですので、苦手な方はお気をつけください。




『八日目の蝉』

不倫相手の子供を妊娠したものの中絶し、出産できない体になった野々宮希和子(永作博美)は、恋人の妻が出産したと知り、赤ん坊を一目見れば諦めが付くのではと考える。しかし、こっそり男の家に入って赤ん坊を見た彼女は、思わず抱き上げて逃走した。4年の逃亡生活の後、希和子は逮捕され子供は実の両親の元へ。そして大学生となったその子供・秋山恵理菜(井上真央)は、両親との関係はぎこちなく、妻子ある男性と恋人関係にあった。原作は角田光代の同名小説、監督は成島出。原作未読のまま見た。
冒頭、女たちの顔のアップとモノローグで始まる。舞台劇のようだと思ったが、シチュエーションとしてはある意味劇場だった。モノローグにやたらと力があるのは、原作の文章の力もあるだろうし、永作と、恵理菜の実の母役である森口瑤子の役者としての力もあるだろう。永作の上手さはもう定評あるが、今作は森口が予想外によかった。何事もなければきれいな奥さん・お母さんだったろうになという、何か損なわれてしまった感が出ていてぞくりとする(しっかりメイクしている顔の方が不細工に見えるところとか痛々しい)。
 本作、徹底して女性たちの物語だった。主要な男性は恵理菜の恋人と父親の2人のみ。そしてこの2人は、同じタイプの人間で、ほぼ同一キャラと言ってもいい。「そのうちちゃんとするから」というセリフの実のなさには、どうしてこういう男にひっかかっちゃうのかなーというもどかしさも込みで、思わず笑ってしまった。2人の男性は、意図的に顔がよくわからないように撮られている。それまではぼんやりと「男性」なのだ。恵理菜との関係が大きく変わるであろう場面になって初めて、彼らの姿顔立ちがはっきりとわかり、一人の人として立ち上がってくる。
 母親という存在、属性が憑き物のようにまとわりついてきてとても息苦しい。母親になれないことがなぜそんなに苦しいのか、なぜそんなに母親になりたいのか、母親になれなかった女性は本当に「がらんどう」なのか。そういった疑問は解消されることはない。母親、というよくわからないものに翻弄されてしまう。
 キャスティングがなかなかいい。ちょっと演技力が心配だった井上が、終始仏頂面で案外悪くなかった。何より、永作と妙に似て見える時があって、どきりとする。恵理菜と希和子はまったく血がつながっていない。にもかかわらず親子の刻印が捺されているように見えるのだ。また、小池栄子が怪演。ぎこちない言動と似合っていない服装が印象に残る。彼女演じる千草と恵理菜の関係が明らかになるところは、ひとつのクライマックスだったと思う。
 前半は密度が濃いが、後半、舞台が小豆島に移ってから、致し方ないのだろうが小豆島観光映画のようになってしまってちょっと弛緩した。もうちょっと短く出来たのではと思う。最後も無理やり落とした感じはする(原作どおりなのかもしれないけど)。なお、恵理菜の部屋の情緒のなさが、実に角田光代の小説の主人公ぽくて唸った。




『移動動物園』

佐藤泰治著
『海炭市叙景』が映画化、復刊された著者のデビュー作。『海炭~』の予想外のヒットを受けて文庫での復刊となった。70~80年代を舞台に、働く若者の姿を描く。表題作では題名の通り、移動動物園で働く20歳の青年、「空の青み」ではマンション管理人の青年、「水晶の腕」では機械梱包工場で働く青年が主人公。鬱屈を抱えつつも仕事は結構こなしていく。汗とか草の青臭さとかが匂いたちそうな生々しさ、肉体感があり、温度・湿度感が強い文章だと思った。同じ「労働」小説にしても、先日読んだ『ポトスライムの舟』とは大分様子が違う。主人公の性別の違いというよりも時代の違いが大きいのだろう。本作の主人公たちのような、エネルギーを持て余している感じは現代の小説ではあまり見なくなったように思う。しかし本作が現代に通じないかというとそんなことはない。日々の仕事への鬱屈、しかしたまに達成感がある感じは、特に仕事好きというわけでもなく嫌いというわけでもない、ごく普通の感覚として普遍的なものだろう。将来の見込みもよくわからない不安と同時に、根拠のない楽観もある、ごちゃっとした心象が若者らしい。




『ポトスライムの舟』

津村記久子著
派遣社員としての仕事とアルバイトをかけもちしているナガセ。彼女はある日、世界一周旅行の費用と自分の年収がほぼ同額だと気づき、世界一周を目標に節約生活を開始する。第140回芥川賞受賞作品。同時収録の「十二月の窓辺」とあわせて、現代の労働を描いた小説として面白いし、主人公達の苦しさが突き刺さってくる。特に「十二月~」は主人公がパワハラにあっている話なので結構辛かった。高度成長期の労働と現代の労働とは、意味するところが全然違ってしまったのだと思う。今の若者(私含め)の大半は豊かではないし、今後自分が豊かになるというイメージも持ちにくいんだろうなと。ナガセは世界一周を思い立つが、具体的に行きたいというわけではなく、自分をひっぱっていく為の目印やお守りのように思える。「十二月~」のツガワの退職届も同様(彼女の場合はまたちょっと違う選択になるが)。どちらの小説も、主人公がある地点をクリアした瞬間が、別に劇的ではないのだが清清しい。どちらの主人公も特に秀でた人間ではないのだが、だからといって粗末に扱われていいわけはない、もっと自分を大事にしていいんだということに気づくのだ。




『神々と男たち』

 1990年代、内戦によりテロが続発しているアルジェリア。山間部の小さな村にも、その余波は迫っていた。長年村人を援助してきた修道士たちは、過激派からの攻撃を避ける為フランスへ戻るか、村に残るか苦悩する。監督はグザビエ・ヴォーヴォワ。昨年カンヌでグランプリを受賞したというのも頷ける。映画としてのクオリティはもちろんだが、提示しているものが今、現代の問題として迫ってくるところが、受賞につながったのかなと思った。時々絵画のようにも見える映像が美しい。
 修道士たちが暮らしている村の住民のほとんどはイスラム教徒だ。修道士たちは宗教の分け隔てなく、村人の診療をしたり、事務仕事を手伝ったりする。修道院長のクリスチャン(ランベール・ウェルソン)はコーランも学び、イスラム教徒にとっても理解者であろうとする。村人もキリスト教徒としての修道士たちを尊重し、信頼している。しかし、テロが横行するようになったのはそもそも彼らフランス人のせいだ(アルジェリアはフランスの植民地だったので)と言う声もあり、外国人である彼らをテロリストは狙ってくる。こちらが敬意と持って接しているからといって、相手が常にそうだとは限らない(テロリストの中にも、宗教者としての彼らに敬意を表する者もいる)。彼らが元々は支配者側の国から来たということも問題なのだ。
 信仰は毒にもなる、というような言葉も出てくるが、正しく信仰を全うすることの難しさ、のようなこと(私は特定の信仰は持っていないので、実感できるかというと難しい。ぼんやりと感じる程度だ)を考えた。修道士たちの判断が正しかったのかどうか、私にはわからない。他の場所でもっと多くの人を助けることも、キリスト教徒としての行き方にそむいているわけではないだろう。彼らの決断に大変な意思の力が必要だったと思うのだが、それを生み出すのは良くも悪くも信仰の力だった。かといって、信仰をつらぬけなかった人が人として間違っており無価値というわけでもない。そういったところのジャッジはしていない作品だと思う。
 村人を診察し、蜂蜜を採り、畑を耕し、料理や掃除をするという修道士たちの日々の生活を、丁寧に撮っているところが魅力的だった。山村の風景がまたいい。風光明媚というわけではないが、素朴で美しい。クリスチャンが羊を追うシーンや一人で長い散歩をするシーンなど、とてもよかった。悩み事があるときに延々と散歩をするというところには共感した。また、礼拝の時に詠唱が多用されているのだが、彼らの宗派特有なのかな?それともカソリックはたいていそうなの?美声なので吹き替えかなと思ったら、俳優が実際に歌っているようだ。




『ニッポンの書評』

豊崎由美著
読書家からの信頼厚い書評家(という呼び方は著者自身は違和感を持っているそうだ。書評を中心としたライターという位置づけの方がいいのかな)による書評術、著者が考える書評とは何かを語った一冊。書評と批評の違い、日本と主に欧米の書評の位置づけの違い(新聞の書評が別冊仕用というのが羨ましい・・・)や、主要新聞社の書評欄ボリューム比較等、書評を読む人よりは書こうという人に向けているように思った(原稿料と労力の兼ね合いの話など興味深いし、納得)。著者の書評仕事に対する矜持が強く感じられる。自分の仕事にも他人の仕事にも厳しい。本を、書評を敬愛しているからこその、ともすると過激な言葉なのだと思うが、正論なだけに、こんなところで感想書き散らしてすいません・・・とうなだれたくなるところも。一番実感したのは、「プロの書評には背景がある」という指摘。優れた書評はその対象となった本と、その外にある知識をつなげ、広がりを見せる。その広がる部分が書評を豊かなものにする。これは、読書も同様だろう。色々な本を読んでいくうちに、自分の中に点在している知識がつながる瞬間があり、そこに醍醐味があると思う。読書だけにとどまらず、映画や音楽その他諸々へと知識がどんどん波及していくところが面白いのだ。そういう、広がりのある書評を読みたい。しかし新聞にしろ雑誌にしろ、書評ってあんまりニーズないんですかね?私は書評ページが一番楽しみなんだけどなー。




『五番目の女(上、下)』

ヘニング・マンケル著、柳沢由実子訳
父親とのイタリア旅行に満足したヴァランダー。休暇を終えた彼の元に、花屋への無断侵入、老人の失踪という2件の事件が報告された。しかし失踪していた老人が無残な遺体で発見され、事件は予想外の方向へ。現代スウェーデンを代表する警察小説シリーズの第6弾。一見無関係に見える殺人事件や失踪事件の背後に、ある意思が見えてくる。本シリーズの他作品でも見られたが、事件の現場とは時間・空間的に離れたところで振るわれた暴力が、作品の舞台へめぐりめぐってきたという印象を受ける。暴力に対抗する手段としての暴力が、事件のきっかけになっているのだ。同時に、舞台が港町で、海外からの人の出入りが昔から頻繁という土地柄も、世界のほかの場所とつながっているということを意識しやすい環境なのかなと思う。スウェーデンが抱える社会問題が散見されるシリーズでもある。『目くらましの道』でも少し垣間見られたが、スウェーデンの右傾化、自警団の増加、予算削減による警察機構の縮小(勤務超過で結構過酷そう)に触れられている。経済的に傾いてくると不寛容な空気が強まるというのはどこの国も同じなのだろうか。そういった空気に対して対抗する術がない、しかし対抗しなくてはならないヴァランダーらの苛立ちは他人事ではない。ヴァランダーが、人生で人が直面する様々な岐路に直面するところも、中高年の成長物語(?)としてしんみりとした。特に父親とのわだかまりをやっと・・・という無念さは痛切。




『津軽百年食堂』

 弘前から大学進学で上京したものの、大学卒業後の具体的な目標も就職先もなく、バルーン作りのアルバイトで生活している陽一(藤森慎吾)。ある日カメラマンアシスタントで同郷の七海(福田沙紀)の機材を壊してしまい、弁償代の代わりにルームシェアすることに。しかし陽一の父親が事故に遭い、実家の食堂を手伝ってほしいと連絡が入る。迷いながらも帰省する陽一だが。監督は大森一樹。
 題名の通り、ご当地映画としての側面が強く、当然んがらロケには力が入っている。クライマックスが弘前の桜祭りで、青森にはまだ行ったことがないのだが行ってみたくなった。陽一の実家の食堂は、津軽そばで有名な三忠食堂という食堂の建物を実際に使って撮影しているようだ。建物の外見も屋内もすごく使い込まれた感じが出ている(特に厨房)のだが、実際に使われているものだったからか。。ちなみに私、津軽そばが関東圏のいわゆる蕎麦とは違うということを初めて知った。
 若者が諸般の事情で故郷に戻り、人生の岐路に立つというオーソドックスなストーリーと、明治時代に蕎麦やを始めた男のストーリーとが交錯していく。2つのストーリーの交錯させ方がぎこちなく、これ、どちらか一方でもいいんじゃないかなーと思ったが、終盤2つがひとつの時系列の中でぴたっと繋がる。ここはきれいだった。しかし現代エピソードの量が多すぎ、作品の尺が少々長いように思った。あと20分短くしてくれればなぁと。物語が動く契機が、誰かが倒れることというパターンも多用しすぎ。1回ならいいけど毎回それではさすがに不自然だ。
 また、出演者の演技が達者というわけではないので、長時間見ているのは正直きつい。主演のオリエンタルラジオの2人は、本業俳優ではないなりに頑張っているという印象だったが、七海役の福田が冴えない。表情のバリエーションが少なく、かわいさが半減してしまった。七海は師匠であるカメラマン(大杉漣)と不倫しているという設定なのだが、2人の間に「何かある」感が全然感じられない。七海のエピソードは総じてあまり出来がよくなかったと思う。
 かなりぎこちなさのある作品だったが、何者かになるつもりで都会に出てきたが何者にもなれずに何年も過ぎてしまったという鬱屈には、共感できるところがある。また、陽一の父親が積極的に食堂を継がせたがるのではなく、息子はまた別の世界で生きているから、とある程度距離を置いているのは現代的だなと思った。何者にもなれず帰郷した陽一に「7年間良く頑張ったな」と言うところも、今の父子関係ぽい。わかりやすい立身出世がなくなった時代なんだなと。
 なお、過去パートはベタな話ながらわりといい雰囲気。中田くんは明治時代の人っぽい顔なのかーと思った(笑)




『婚前特急』

 24歳の池下チエ(吉高由里子)は5人の彼氏とそれなりに楽しく付き合っていた。しかし親友のトシコ(杏)が突然結婚し、恋人たちを「査定」し一人に絞った方がいいのではと心が揺れ始める。差し当たり、一番メリットが少ないと思われるパン工場勤務の田無タクミ(浜野謙太)に別れを切り出すが、「俺たち付き合ってないじゃん」とまるでチエが振られたような体に。腹を立てたチエは田無への復讐を決意する。監督は前田弘二。
 美女と野獣、というより珍獣な2人を中心に置いた、スクリューボールコメディ。何はともあれ吉高が良い。変顔もヨゴレ役(チエは少なからず性格に難がある)も厭わないところが素晴らしい。コメディエンヌの才能がある人なんじゃないかと思う。チエは決して万人に好かれるタイプの女性ではないし、相手によって態度は変わるし気分屋で我侭、付き合いにくいタイプではある。そんな女性でも、嫌味なくチャーミングに見えてくるのは、吉高の力あってこそだろう。
 対して、もはや存在自体が飛び道具と言ってもいい、田無役の浜野の存在感も負けていない。本業はミュージシャン(インストゥルメントルバンドSAKEROCKのトロンボーン担当)で、決して演技が上手いというわけでもないが、ルックスに出オチレベルの破壊力がある。田無は言うことなすこと全てが見ている側(というか私)の勘に触るキャラクターなのだが、浜野が体現しているとイラつきを通り越してだんだん面白くなってきてしまう。田無とやりとりするうちにチエがだんだん根負けしてくる感じがなんとなくわかる。
 ストーリー展開はコメディとはいえ結構強引で、勢いで押し切っている感じ。チエと田無のかみ合わなさでどんどん転がしていき、田無のアパートでの乱闘にはええっというような落とし方をする。強引だが、笑ってしまう。ただ、チエにせっかく5人の彼氏がいるんだから、どうやって5人をやりくりするのかみたいなところも見てみたかったなーと思った。結構早い段階で、チエと田無の関係に絞られてしまうのでもったいない。




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