3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2011年01月

『ヤコブへの手紙』

 1970年代のフィンランド。恩赦により出所したレイラ(カーリナ・ハザード)は、就職先として紹介されたヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)の牧師館を訪ねる。頼まれた仕事は、盲目のヤコブに代わって手紙を読み、返事を代筆すること。行く場所もなく、渋々引き受けるレイラだが。
 牧師館のある林といい、湖を背にした古い教会といい、風景が素晴らしかった。ロケ地探しは大変だったろうと思う(今のフィンランドは都市化が進み、このような風景も少なくなったそうだ)。郵便配達夫がやってくる道など、見ているだけで向こうから何かがやってきそうでわくわくする。登場人物ほぼ3人、セリフもさして多くないミニマムな映画なのだが、人間の周りに様々な気配が感じられて、閉塞した感じがしないのが良かった。
 ヤコブは手紙に綴られた苦しみを読み、差出人のために祈ることを使命としている。レイラはそれが気に食わない。彼女は神を信じない人なのだ。ヤコブが「わたしたち」というところを、レイラがいちいち「わたしは違う」と訂正していくところはおかしいのだが、彼女の頑なさが垣間見える。面倒くさい人だなーと思うと同時に、彼女には頑なになるような理由、神も祈りも役に立たないと思う理由があるのだなと窺える。レイラは神はもちろん、他人も信用していないように見えるし、人と打ち解けようという意思もない。常に仏頂面で、人と生きていくことを諦めているようにも見える。しかしヤコブは常に彼女へ丁寧に接する。お茶のカップを置く位置に、2人の相手に対する距離のとり方、その変化が象徴されている。律義にすぐそばに席をセッティングするヤコブも、律義に距離を離すレイラも、どちらもどことなくユーモラス。
 ヤコブは自分でも、自分のやったことは本当は自分の為だったのではないか、本当は人助けなどできないのではないかと悩む。しかし、彼は自分で知らないうちにレイラの命を助ける。この助けるタイミングの際どさと、ヤコブ自身はそれに気づかないままなところになんだか心うたれた。ものすごく決定的な行為というのは、案外自分では気づかないものではないかと。それは、最後に読まれるある手紙にしてもそうだ。手紙の主は、その手紙がどういう結果をもたらしたのか、まだ知らない。ヤコブの行為は、確かに自己満足といえば自己満足だ。ただ、彼の言葉、行為に助けられた人がいないとはいえない。そのわずかな可能性の為に行為を続ける(ないしは可能性など考えない)ことが、信仰に近いようにも思った。
 レイラ役のカーリナ・ハザードの演技が素晴らしい。彼女がタクシーに乗って行き先を聞かれた時の表情にはっとする。ずっと他人を拒むようないかつい顔をしていたのが、この時はいかつさが剥がれ落ちているのだ。




『アニメクリエイターズ・インタビューズ この人に話を聞きたい2001-2002』

小黒祐一郎著
「アニメージュ」の人気連載インタビューの書籍化、第二弾。アニメーション製作に携わる10名へのインタビュー(内、庵野秀明との対談はボーナストラックとして)。著者はアニメーション界で活躍する編集者・ライター。前作を読んだ時も思ったのだが、アニメーションに対する愛、インタビュー対象に対する敬意と相手の仕事に対する知識が半端ない。インタビューのなかで的確なパスを出せるのは、知識に裏付けされてのことだろう。どの人もかなりしゃべってくれているなぁという印象だったのだが、これは著者相手なら安心して話せる、分かってもらえるという信頼関係が出来ているからではないかと思う。専門ジャンルのこととは言え、インタビュアーの鑑。そしてインタビューの鑑。まえがきで、「僕にとってインタビューの多くはラブレターのようなものだ」とあるが、納得。愛にあふれるインタビュー集で、読んでいてとてもうれしくなる。アニメーションに興味のある人はもちろん、たまに見るよ、という程度の人でも、ある人の仕事のやり方、なぜこの仕事に就いた、続けているのかというところで面白く読めると思う。特に、アニメーションが大好きでこの道に入ったというのではないという、本橋秀之の話は興味深い。また、昨年急逝した今敏へのインタビューでの、「映画を10本撮りたい」という言葉には胸が詰まった。




『RED/レッド』

 年金生活をしている50代の男、フランク・モーゼス(ブルース・ウィリス)。独身生活はどことなくさびしく、唯一の楽しみは保険会社の年金担当員サラ(メアリ=ルイーズ・パーカー)と電話で話すことだ。ある夜、フランクは何者かに襲撃される。実は彼は元CIAの工作員。そして襲ってきたのもCIAだった。フランクは行きがかり上巻き込まれたサラを伴い、かつての仲間達を訪ねるが。監督はロベルト・シュヴェンケ。
 冒頭、フランクの一人暮らしを映すシークエンスが続く。いたって地味な中年男性の一人暮らし。季節は12月で周囲の家はクリスマスディスプレで華やかだ。周囲に気兼ねして自分も(やっつけ仕事的に)クリスマスの電飾を出したり、何かと理由を作ってサラに電話したりするフランクのうら寂しさがおかしいやら切ないやらなのだが、これが一転して派手なドンパチに。この導入部は、作品に対する事前情報がなければかなりフックがあって、なかなかいいと思う。残念ながら予告編で彼(ら)の正体は割れてしまっているので、まあこうなるんだろうなと思ってしまい残念。「えっこのおじさん何なの!?」とびっくりできる何も知らない状態で見てみたかった!でもこれ以外に予告編の作りようがないし宣伝のしようもないよなぁ・・・。うーんジレンマです。
 フランクが昔の工作員仲間を集めてチーム再結成!なのかと思ったら、案外フランクの独り舞台。そもそも「チーム」というわけでもなく、過去にも敵同士のことがあったり(ヴィクトリアは元MI6だしイワンはロシア大使館員)、“同業者”という程度なのだが。怪演していたジョン・マルコヴィッチはともかく、モーガン・フリーマンとヘレン・ミレンは勿体無い使い方だったなぁと思う。
 同時に、ブルース・ウィリスの現役スター感はすごいなーと感心。予告編でも使われている、パトカーから降りつつ銃を構えるショットとかかっこよすぎるのだ。お腹が若干ぽっこりしているのも、今に始まったことではないがつるっと禿げ上がっているのも(サラにはがっかりされていたけど)、全然問題ありません。この人はベースにキュートさがあるのが強みだよなぁとつくづく思った。本作でも、サラに事態を説明しようとしても全然納得されなかったり(そりゃそうだ)、サラが愛読していると知って自分もハーレクイン読んでみたり(しかもまんざらでもなさそう)と、スゴ腕のはずなのに妙に弱気だったりロマンチストだったりと、どこかかわいい。
 登場人物がスゴ腕エージェントばかりのわりには、作戦は敵味方共に大雑把だが、そこはまあご愛嬌。俳優たち(というか主にウィリスとマルコヴィッチ)の魅力で見られてしまう。これもスター映画の醍醐味といえば醍醐味か。




『グリーン・ホーネット』

 新聞会社の2代目社長ブリット(セス・ローゲン)と超有能な運転手カトー(ジェイ・チョウ)。ヒーローに憧れるブリットは、悪者のふりをして悪党に近付き、彼らををこらしめることを思いつく。2人はマスクとスーツで正体を隠し、“グリーン・ホーネット”を名乗って犯罪組織に近づいていく。一方、町を牛耳るギャングのボス・ゴドンフスキー(クリストフ・ヴァルツ)はグリーン・ホーネットに商売の邪魔をされ苛立っていた。監督はミシェル・ゴンドリー。
 原作はアメリカのテレビドラマだそうだ。私は原作を見たことはないのだが、おそらく、主人公の人となりの部分が、かなり違った味わいになっているのではないかと思う。一応ヒーローものになるのだろうが、ブリットにはヒーローらしいところが全くない。ヒーローは、例えばスパイダーマンのように普段はヘタレ男子であっても、特殊能力があったり、いざとなれば勇気を発揮したりするのが一般的だろう。少なくともヒーローである以上、どこかしら人に愛される要素を盛り込んであるものだ。しかし、ブリットにはこの愛される要素が皆無とまでは言わないけど大分不足なんですよ!
 ブリットは悪人ではないし、基本気のいい奴ではある。しかし、その気のよさを相殺する勢いのボンクラさなのだ。「ダメ男だけど可愛い」という域を軽々と超えており、あまりにデリカシーがないので彼がしゃべるたびにイラついた。単に私と相性が悪い主人公だということなのだろうが、ここまでウザいヒーローは珍しいと思う。秘書のケイス(キャメロン・ディアス)がキレるのにも、あの無神経さの前では頷くしかない。
 一方、発明マニアでケンカの腕のたつデキる男なはずのカトーも、相当ボンクラだ。色々際立った才能があるのに、何なんだろうこの残念さは・・・。2人が友情を深めていく過程もどこかいびつで、奇妙な味わいの男の子映画だった。やたらとケンカするが、その一方で自分を構ってほしくてしょうがない。友達になりたい気持ちが空回っている。お前ら、人としてどれだけコミュニケーションスキルが低いんだよ!途中から、ブリットとカトーがなんでお互いに腹立ててるのかわからなくなってきました。
 頭良くても金持ちでもボンクラはボンクラである、という今まで自作にボンクラ男主人公しか登用しなかったミシェル・ゴンドリーならではの境地だと思う。ゴンドリーは、好男子の具体的なイメージを持てないんじゃないかな~。しかしヒーローものでこれはありなのか微妙。そもそもこの人たち、正義の味方らしきこと結局やらないし、新聞社として正しいことも結局やらないよね。




『兄の殺人者』

D・M・ディヴァイン著、中野千恵子訳
弁護士事務所の共同経営者である兄・オリバーから、夜遅くに電話がかかってきた。濃い霧の中、不承不承事務所へ出向いたサイモンは、そこでオリバーの死体を発見する。警察の捜査に納得できないサイモンは、独自に事件を調べ始める。アガサ・クリスティにも高く評価されたという本作だが、その評価にも納得。フェアな本格推理小説としてとても面白い。物語はサイモンの一人称。サイモンは真相を探る際、警察に比べて自分が有利なのは、事件関係者の人となりをよく知っていることだと考えている。が、それはサイモンが考えるその人の人となりに過ぎない。サイモン視点であることが、上手にミスリードに使われている。たまに、当然著者の設計のうちだろうが「サイモンそれ騙されてるから!」「サイモン今自分に微妙にウソついたな!」とつっこみたくなるところがあるのが面白い。読者への手がかりの提示がさりげなくて上手いなと思った。直接的な手がかりは、解説でも言及されていたがほんとにさりげなすぎてスルーしてしまう。




『スプライス』

 クライヴ(エイドリアン・ブロディ)とエルサ(サラ・ポーリー)は遺伝子治療の為の研究をしている科学者カップル。動物の遺伝子組み換えによりクリーチャーのカップルを生み出すことに成功するが、更なる研究欲に駆られた2人は、法と倫理に反し、人間の遺伝子を使ってクリーチャーを生み出してしまう。ドレン(デルフィーヌ・シャネアック)と名付けられたクリーチャーは女性として成長するが、急速に進化し彼らの手にはあまるようになってくる。監督は『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ。
 バルト9で見たのだが、バルト内にはいつからアニメ枠とB級ホラー(とかSFとかアクションとか)枠が常設されるようになったのか。ともあれ他館での上映があまりない作品をかけてくれるのはありがたいことではある。本作も良作秀作とは言いにくいが、妙な持ち味があってちょっと面白かった。クリーチャーものでもフランケンシュタイン的な方向にはいかず、かなり妙というか悪趣味というか、明後日の方向に走っていくところが面白いし唖然とした。
 最初、クライヴとエルサが何か新生児らしきものを保育器に移しているのだが、後にその「らしきもの」の姿が映り、「え?!これにかわいいとか言うの?!」と吹いた。よりによってこういうビジュアルにするなんて意地が悪いというか露悪的というかなんだ監督!一貫して、「クライヴとエルザにとってはかわいい」という設定前提で話が進むので、映画を見ている側とのギャップが怖くもありおかしくもある。実際結構コメディチックなのだ。しかし、時折ドレンのことを素でかわいいかもと思ってしまうところも。この「たまにかわいく見える」ラインを踏まえたビジュアルの作り方が上手い。成長したドレンはかなり成人女性に近く、妙な色っぽさもあるが、だからこそおぞましさもある。
 クリーチャーものでありつつ、母と娘ものであり、後半では父・母・娘の三角関係になってくる。エルサは出産は望んでいないが、ドレンをわが子のようにかわいがる。ただし、それはドレンが自分のコントロール下に置いておける存在であるうちだ。エルサが無意識のうちに、自分が母親からされていたのと同じようなことを(おそらく絶対するまいと思っているはずなのに)やってしまうところが悲しい。対してクライヴは当初ドレンを「処分」しようと主張していたが、彼女が知性を発揮しコミュニケーションできるようになると愛着がわいてくる。そして、彼女の生めかしさに理性をグラつかせたりと、節操がない。親のエゴとか男女のドロドロとか、「科学者がクリーチャーを作る」という話からはあんまり予想しないであろう要素がぶん投げられてくるので、かなり戸惑う。
 クライヴとエルサの服装が、そこはかとなくギーグなセンス、聞いている曲もそりゃあヘビメタかテクノだろう。オタクってどこの国でも何となく似た好みになってくるのだろうか・・・。なお、エイドリアン・ブロディのフィルモグラフィーがだんだんニコラス・ケイジ化してきているのは気のせいか。ブレイクしたのは文芸作品で演技力の評価も得ているのに、近年の出演作は怪獣映画とかB級SFとか。多分本人がこのジャンル好きなんだろうなーとは思うが、いいのか?!と問いただしたくはある(笑)




『25時』

 密告により逮捕された麻薬ディーラーのモンティ(エドワード・ノートン)。収監までの25時間を親しい人たちと過ごそうとし、友人が彼らの為にパーティを予定している。しかし、誰が密告したのかという疑念が頭を離れず、恋人ナチュレル(ロザリオ・ドーソン)ともぎこちない。しかし残り時間はどんどん少なくなっていく。監督はスパイク・リー。原作はデイヴィッド・ベニオフの同名小説。ベニオフは本作の脚本も手がけている。
 恵比寿ガーデンシネマ閉館記念上演で鑑賞。公開時、スパイク・リー監督作品ということで気にはなっていたのだが、実はベニオフの原作小説が苦手で(モンティの自業自得だよなーと思ってしまって)見そびれていた。映画も見てみて、ベニオフは脚本書いても上手い人なんだなということがわかった。基本的に原作に忠実な映画。ただ、本作がつくられたのが9.11後であることを強く意識している所が原作との差異。NYという土地とのつながり、そこに多種多様な人が生活している、というところに触れられてるが、正直、こういった部分はあまり上手く機能していたとは思わない。モンティの直面している苦しみとはあまり関係がないので、唐突に見えた。ただ、フランク(バリー・ペッパー)のマンションからグラウンド・ゼロを見下ろすショットはよかった。
 モンティの友人、ジェイコブ(フィリップ・シーモア・ホフマン)とフランクは対照的な人物だ。ジェイコブは冴えない高校教師で真面目な常識人。対してフランクはやり手のトレーダーで女好きで派手。モンティとフランクはモテるがジェイコブはモテない。3人でつるんでいても、フランクがモンティやジェイコブに対して劣等感がある。モンティとフランク側にしても、ジェイコブを厄介事、汚いことには巻き込めないという線引きがある。最後にモンティが友人それぞれに頼むことに、2人の役割分担が現れていた。その対等でなさがちょっと見ていて辛かった。
 モンティが逮捕されたのは全く自分のせいだ。しかしジェイコブもフランクも、そしてナチュレルも、モンティに対して「やめろ」と言わなかったという引け目がある。フランクはジェイコブに対しては、あいつの自業自得だ、出所を待っていることなどできない、と突き放す。しかしいざモンティを前にすると、出所したら一緒に事業をやろう、と言ってしまう。モンティもフランクもその言葉に現実味はないと分かっているのにだ。その割り切れなさが切なかった。モンティも自分のせいでこうなったということは十二分にわかっているだろう。それでも、あの時ああすればよかった、こうすれば良かったと考えずにはいられない。ラストの「もしも」が、物事の取り返しのつかなさを却って際立たせる。




『人生万歳!』

 かつてノーベル賞候補にもなった天才物理学者のボリス(ラリー・デヴィッド)は何もかも嫌になり自殺未遂を起こす。結果、妻も家も職業もなくし、今はNYの小さなアパートで一人暮らし。ある日、家出娘のメロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)を渋々助けたことがきっかけで、彼女はアパートに居つき、とうとう結婚してしまう。皮肉屋のボリスにしては上々の結婚生活だったが、メロディの母親が押しかけてきたことで暗雲漂い始める。監督はウディ・アレン。
 ウディ・アレン、NY捨てたんじゃなかったのかよ!とつい突っ込みたくなる本作は再び、監督の古巣NYが舞台。帰郷したのが原因かどうかはわからないが、あっけらかんと楽しく生きる勇気が沸いてくる。本作が監督作通産40本目だそうだが(脚本自体は70年代に書いたものだそうです)、節目にふさわしい作品ではないかと思う。主人公ボリスは、アレンが今まで自分で演じてきたようなシニカルなペシミスト。アレンは監督に徹したほうが、作品のバランスが取れるような気がする(個人的には、本人主演の作品でも大好きなものはいっぱいあるのですが)。
 久しぶりに会話が軽妙なアレン作品で、とても楽しかった。ボリスはいつものウディ・アレン役的なキャラクターで、ちくちく皮肉にしゃべりまくる。それと噛み合っているのかいないのか分からないメロディの受け答えもおかしい。ボリスと比べるとメロディの方が常識人(というか一般人感覚を持っている)な気もするが。この2人のやりとりに、ボリスの友人やメロディの母親が絡んで話はどんどん転がっていく。まさかこの人がこんな風に!という方向に皆が転がっていくのだが、「まさか」なその人の姿の方が、ずっと楽しそう。自分はこういう人だ、という思い込みを一度外してみた方が人生面白くなるかもしれない。メロディの母親のようにものすごい飛躍をされるのはちょっと困るかもしれないけど・・・。またメロディの父親のある「気づき」については劇場内爆笑。この、バーでの一連のシーンは、相手とのやりとりが爆弾投下までのカウントダウン状態で大変盛り上がる。
 ボリスは人生は無意味だ、運命などありえないと考えるし、メロディにも生きることの無情を説く。しかし意味や運命がなくても物事は動いていくしなるようになる。アレン自身がこの結論に実感持てるようになったのかなという気もした。ボリスがメロディの前であることを告白され、それを受け入れるシーンは、ある境地に辿り着いたようなボリスの表情とあいまって、いつになく胸に迫る。これは年齢差カップルだからこそ成立する味わい。近年のアレン作品で、「胸に迫る」ってあまりなかったんでよけいぐっときた(笑)。




『ソーシャル・ネットワーク』

 ハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)はガールフレンドに振られた腹いせに、学内の女子生徒の美人番付投票サイトを作る。サイトは大人気で大学のサーバはダウン、マークは大学から処分を受ける。しかし彼の才能に目を付けたエリート学生ウィンクルボス兄弟(アーミー・ハマー)が、学生同士が友好を深めるSNSを作らないかと誘いをかけた。マークは友人のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)と組んで会社を設立、“フェイスブック”を立ち上げる。フェイスブックは学外にも広がり、一大ブームに。ウィンクルボス兄弟はアイディアを盗まれたとマークを訴える。また、ナップスターの創始者ジェシー・アイゼンバーグ(ジャスティン・ティンバーレイク)に心酔するマークと、資金集めに奔走するエドゥアルドの間には溝が生じていた。監督はデヴィッド・フィンチャー。
 冒頭、マークがガールフレンドらしき女性と話しているのだが、このシークエンスが圧巻。10数分で、マークがどういう人であるのかわかるのだ。マーク以外でも、この人はこういう人ですよ、という紹介の仕方が上手い。デヴィッド・フィンチャー監督は前作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』で堂々たる名匠ぶりを発揮していて、いつの間にこんなことに、と驚いた。特に編集、情報の出し入れについては以前からうまいなという印象があったのだが、今作ではそれが際立っている。本作は長さ2時間だが、その間殆どゆるみを感じさせない。よく出来た一曲の音楽を聴くように、淀みなく流れてどんどん引き込まれる。マークが訴えられた裁判を軸にして過去の出来事と調停の席をいったりきたりするのだが、過去と現在の関連付け、同時に起こっている事柄の並列のさせ方など、時間の整理の仕方がすごく上手い。アーロン・ソーキンの脚本が素晴らしいというのはもちろん、フィンチャーの映画監督としての手腕を実感。身体的に気持ちいいレベルの淀みのなさ。本作で一番感銘を受けたのは、ストーリーでも出演者の演技でもなく(もちろん好演でしたが)この点だった。体感レベルで快適な映画というのはあまりないので呻った。
 マークは表情に乏しく饒舌、自分が興味があること以外には気が回らないというキャラクターで、映画を見る側が感情移入するのは少々難しいだろう。冒頭の女性との会話でもわかるように、「イヤな奴(に見える振る舞いをする)」だ。ただ、感情移入を拒むのはマークだけではない。マークを敵視するようになるウィンクルボス兄弟は超エリートで、特権意識が鼻に付くし、ジェシーはこれまた天才肌、しかも軽薄な異能の人。一番一般人の立場に近いエドゥアルドも、マークへのコンプレックスや父親への気後れが垣間見え、その気持ち分かるが辛いからあまりわかりたくない!と思うような立ち居地だ(笑)。あえて登場人物たちや彼らの世界に対して、映画を見ている側が感情移入しにくい、多少距離を持った見方にしてある。ハーバードの大学生達のバカ騒ぎや「クラブ」入会の為のテストも、彼らに対してちょっとひいた目線になるような演出であるようにも思う。過度な感情移入がされないことで、より映画体験がスムーズで、個人的には快適だった。
 実は仲間内で起業したり嫉妬したり裏切ったりという、そんなにスケールのある話ではない。サークル内の内輪もめ的な、閉じた印象だった。フェイスブックが世界中に広まっていくのとは対照的だ。そして、コミュニケーションツールであるフェイスブックを作ったマークが、コミュニケーション下手であり、フェイスブックが発端で唯一の友人まで失うというのは皮肉だ。コミュニケーションが苦手だからこそ、その手助けをするツールのアイディアが膨らんだとも言えるが、アイディアが膨らむのと実際にコミュニケーションをとれるようになるのとは全然別なのだ。




『事件当夜は雨』

ヒラリー・ウォー著、吉田誠一訳
土砂降りの真夜中、コネティカット州の小さな町・ストックフォードで、果樹園主のロベンズが自宅の玄関先で殺された。小柄なヒゲの老人が「50ドルの貸しがある」と言って突然発砲してきたというのだ。フェローズ署長を筆頭に警察は捜査を開始するが。1961年の作品。警察小説の原型のような作品。ヒーローが活躍するハードボイルド小説のような華やかさはないが、目の前の手がかりをひとつひとつ検証していく警官たちの姿は地味にかっこいい。疑わしい人物をリストにして一人ずつ検証するくだりや、クライマックスに至るまでの仮説を立ててつぶし、立ててつぶし、という丁寧さは本格ミステリの醍醐味だと思う。あれが伏線だったのか!という驚きも。精緻なロジックというわけではないのだが、きちんと手順を踏んでいく気持ちの良さがある。警官同士のやりとりが、ちょっとしたところで個々の人柄がうかがえたり、ちょっとかわいかったりするのがいい。時代の違いもあるのかもしれないが、あんまりピリピリしていない雰囲気。なお、ほぼ直訳なのだがこの邦題はいいなぁと思う。




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