3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2010年10月

『乱暴と待機』

 本谷有希子の原作を、冨永昌敬監督が映画化。郊外に引っ越してきた番上(山田孝之)とあずさ(小池栄子)夫婦。あずさは近所に高校の同級生で宿敵の奈々瀬(美波)が住んでいることを知る。奈々瀬は実の兄ではない英則(浅野忠信)を「お兄ちゃん」と呼んで同居していた。奈々瀬か番上にちょっかいを出すのではないかと危惧したあずさは彼女らを見張り始める。
 本谷原作の映画としては『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督)があるが、本作の方が本谷の本領である舞台演劇のテイストが強く現れていると思う。メインキャストはほぼ4人のみ、画面内への人の出入りの整理され方や移動の少なさなど。室内を舞台として、ほぼ正面から固定カメラで撮影しているシーンが多い(カメラがあまり動かない)のも、舞台演劇を見ている感じになる一因か。
 一見エキセントリックな人たちばかりが出てくるようでいて、描かれる心理、人間関係は実は馴染み深いものだというところが意地が悪い。奈々瀬にしろ英則にしろ、また割とまともそうなあずさや番上にしろ、相手を自分の元に留めておこうとする熱意が、時にとんちんかんで大変みっともない。が、そこが面白い。一歩間違うと(いや間違わなくても)相当下品な話になりそうなところを、きっちりと纏めてきた監督の手腕に感心した。『パンドラの函』といい、急激にテクニック向上している気がする。
 奈々瀬の「嫌われたくない」という気持ちはかなり極端なのだが、こういうタイプの人は確かにいるし、大体において、自分も他人も面倒ごとに巻き込んでしまう。自意識過剰というより、選べないから全部をカバーしてしまおうとする人なんじゃないかなと思った。そして奈々瀬の始末の悪いところは、本人に悪気はない(計算してやってるんだったらまだ対応が楽なんだけど、そうじゃないからなー。見ていてよけいにイライラする)ところ。あずさがキレるのも頷ける。でも結局奈々瀬みたいなタイプがモテるんだよ!と断言してしまうところに本谷の怨念みたいなものが垣間見える。多分、心底こういうタイプが嫌い、でも否定しきれないんだろうなと。
 俳優4人は好演。主演の美波はモデル出身だそうだが、かなりカリカチュアされたキャラクターの役柄ことが却ってよかったのか、かなり上手く見える。女のわざとらしさ演技が抜群。一方、色々なものをぶん投げる小池栄子には貫禄すら漂う。そしてタチの悪いダメ男役の山田のいやらしさがすばらしい。モゴモゴした、相手を絡めとるしゃべりに妙なリアリティが。この3人に比べると浅野はややかすんで見える(彼である必要があまりない)が、安定感はある。




『ナイト&デイ』

 ビンテージカーの修理工場をやっているジューン(キャメロン・ディアス)は、空港でハンサムな男・ロイ(トム・クルーズ)と知り合う。これは運命の出会いかもと張り切るジューンだが、彼は自称スパイで、重要任務を帯びているが仲間に裏切られたと言うのだ。監督はジェームズ・マンゴールド。
 『3時10分、決断の時』という大傑作西部劇を撮ったマンゴールド先生の新作は、なぜかユルッユルなアクションエンンターテイメント。キャスティングからすると大作なのだが、妙にこじんまりとした印象。舞台は南の無人島だったりスイスだったりスペインだったりと華やかなのだが、全部セットで撮っているような雰囲気なんだよなー。舞台がそれぞれあまりに観光名所として完成されすぎているからかもしれないし、各舞台内での移動距離が案外少ないのも原因か。
 本作はMISにしろ007にしろ、おそらく過去のスパイアクションのパロディとして作られている部分が大きいのだろう。私はこのジャンルにあまり詳しくないのでよくわからないのだが、世間での好評さを見ると、自分にとって基礎知識がなくて読み取れない部分が多分いろいろとあるのだと思う。この手の映画のお約束事がわかっていると、多分もっと面白いのだろう。
 主演の2人についても、セルフパロディと言っていいと思う。トム・クルーズは正にナイト、白馬の騎士だが、今回は延々と「自称」であり、本当は妄想にとりつかれた人なんじゃないの?という疑念がつきまとう。ヒーローすぎて胡散臭いのだ。クルーズは自分の二名目故の胡散臭さに、多分に自覚的だ。それが彼をオンリーワンのスターにしていると思う。自虐ネタが痛々しくならないのはえらい。対するキャメロン・ディアスは、ラブコメの十八番であった元気できゃいきゃい言っている女性。しかし、今のディアスにこの役は痛々しかった。最近だと『わたしの中のあなた』でのような好演もあったので、なぜ今わざわざこういう役をやったんだろうなと不思議。演じ納めにする気か?あくまでヒーローキャラを貫く、そしてそれが様になってしまうクルーズとの対比が面白い。
 全面的な面白さというより、局地的に妙に面白い作品だった。ツボだったのは予告編でも使われていた、トムによる「高い!低い!」。また、移動経緯を冗談みたいな方法でほとんど省略してしまう思い切りの良さ、普通ここで盛り上げるだろうというところをばっさり割愛してしまう容赦のないジャッジには笑った。




『悪人』

 福岡県の三瀬峠で、博多に住む石橋佳乃(満島ひかり)の遺体が発見された。容疑者として彼女を車に乗せた大学生・増尾(岡田将生)が捜査線上に浮かぶが、真犯人は彼女と会う約束をしていた、長崎に住む清水祐一(妻夫木聡)だった。佳乃を殺した後、祐一は出会い系サイトで以前にメール交換をしていた、馬込光代(深津絵里)と会う。
 監督は李相日。原作は吉田修一の同名小説。吉田は脚本にも参加している。李監督の作品としては、現時点ではベストだろう。最近の邦画の中でもかなり頑張っているという印象を受けた。原作を映像向けにきちんと整理していると思う。
 悪人、というタイトルだが、いわゆる悪人・悪漢を描いた話とはちょっと違う。祐一は悪人というわけではないが善人でもない。祐一に結構な仕打ちをする佳乃も同様だし、本作の中ではトップクラスの嫌な奴であろう大学生や、祐一の祖母を騙す悪徳商法家にしても、純粋な「悪」というわけではなく、もっとしょぼくこすっからい。本作は悪そのものというよりも、悪人というポジションに転がり込んでしまう話だと思う。
 佳乃は愚かではあるが殺されていいわけはないし、祐一は善人ではないが人を殺すほどのワルというわけではない。彼らが殺した/殺されたのは、ちょっとのタイミングの差、運・不運の差によるものだ。佳乃がよけいなことを言わなければ、祐一が車を追わなければ、事件は起きなかっただろう。また、増尾が殺人を犯さず祐一が犯した、佳乃が殺されて光代が殺されなかったのはなぜかと考えると、個々のパーソナリティや来歴によるものというより、やはり運不運だったんだろうと思う。
 運・不運のようなどうにもならないことで「悪人」と呼ばれる事態になってしまうことが、いつ自分の身にも起こるかわからない。そこがとにかく怖かったし、救いのなさを感じさせる。
 映画の導入部分、ヘッドライトの中に浮かび上がった車線が流れていく映像が、不穏かつさびしくて、映画全体の雰囲気を象徴していたように思う。その後映される妻夫木の顔が、彼の今までのイメージとは異なり、ちゃんと荒んだ感じになっていて感心した。俳優が頑張っている映画だと思う。深津絵里は本作で、モントリオール国際映画祭主演女優賞を受賞しているが、今回初めて深津をいい女優だと思った。また、満島、岡田はイメージ戦略的には損な役どころなのだろうが熱演している。特に満島は同世代女優の中でも、汚れ役を一身に引き受けている感じがして、今後どういう作品に出演していくのか楽しみ。ベテラン勢は安定しすぎるほど安定しているが、樹木希林の名演というよりもはや怪演と、出番は少ないながら刑事役の塩見省三の立ち姿が印象に残った。
 なお、美術は種田陽平。祐一と祖母の自宅、光代と妹の部屋など生活感の出し方がきめ細かい。彼の仕事の中でもかなりリアル寄りだと思う。ただ、灯台の中はちょっとファンタジー度が高すぎて残念。




『死刑台のエレベーター』

 ルイ・マル監督、25歳の時のデビュー作。デビューでこのクオリティか・・・。撮影のアンリ・ドカエも新人だったというから恐ろしい。原作はノエル・カレフの小説。音楽がマイルス・デイビスというのも有名。
 元軍人で今は技師として勤めているジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)は、勤務先の社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)と不倫中。2人で共謀して社長を会社で殺害しようとするが、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められてしまったことで思わぬ展開に。
 モノクロの画面が美しい。ジャンヌ・モローは決してスタンダードな美人顔ではないのだが、モノクロには映える。ルイ・マルがこの人は美人なんだぞーっと念じて撮っている感じがするからかもしれないけど(笑)。彼女が夜の町をさまよう様は危なっかしく見える。ホテルに入ろうとして断れているらしいシーンがあるのだが、当時のパリでは女性1人ではホテルに泊まれなかったのか?それとも何か特殊な事情があるの?他の客よりも妙に身なりがいい(社長夫人だからね)というのもあるのだろうが、酒場に入ると奇異の目で見られたりして、女性が一人で夜遊び、というのがあまり一般的な時代ではなかった様子が窺える。
 完全犯罪を巡るサスペンスなのだが、思っていたよりも本格ミステリ的。犯人が主人公なので、観客にはどのように犯行が行われたか、どのへんで計画が狂ってきておそらくこれが伏線になるんだな、という設計は大体わかるのだが、その設計が案外かっちりしていた。特に若いカップルのエピソードとの繋ぎ方はきれい。カメラの伏線、途中まではこうくるんだろうなと思ったけど、最後にそうくるかと。浮気するならこういうところに気をつけろ!というお手本のようだな・・・。
 エレベーターの中に閉じ込められるというシチュエーションも怖いのだが、ジュリアンとフロランスが双方連絡がとれず、お互いの本意を取り違えてしまうというところがすごく怖かった。彼らの把握していないところで事がどんどん(色々な誤解に基づき)動いていってしまう過程には、いやーな焦りを感じる。
 ところで本作、若いカップルの描き方にどうも悪意があるように思った。いくらなんでも頭が悪すぎるだろうそれは・・・、と言いたくなる様な言動が続き、辟易とする。




『鬼火』

 1963年作品。監督はルイ・マル。’63年度ヴェネチア映画祭審査員特別賞、イタリア批評家選定最優秀外国語映画賞受賞作品となる。NYに妻を置き、アルコール中毒でフランスの病院に入院していたアラン(モーリス・ロネ)は、退院を控えて友人達を訪問する。
 アランは元軍人。かつて共に戦い奔放に遊んだ友人達は、今では穏やかな家庭を築いたり、社交界の名士だったりと、すっかり落ち着いている。アランはその安定を嫌い、軽蔑する。しかし、友人達にしてみれば、過去の夢を見続けているアランの方が大人になれない困った人なのだ。日本の学生運動末期を彷彿とさせる構図だが、熱気に満ちたムーブメントが去った後、引き際に上手く乗っかった人と乗れなかった人に分かれるというのは国を問わずよくあることだろう。
 アランは妻とは別居しているが、よりを戻す当てがないわけではない。また、彼には金持ちの愛人もいる。愛人は彼を「金のかかる男」と言うのだが、妻にしろ愛人にしろ、彼を養う気はある。彼女達はそれなりに彼を愛しているのだ。また、友人達も彼を疎んじているわけではなく、彼の今後を心配し、力になろうとしている。アランは周囲の気遣いを無下にする甘えた奴、現実を見ていない奴とも言える。が、それを甘えと切り捨てる気にもなれない。 彼が抱えている苦しさと、周囲の配慮とはかみ合っていない。じゃあかみ合うように出来るのかというと、多分出来ないだろう。「その程度大したことない」と言われても、彼にとってはどうしたって苦しいのだ。彼に限らず、個人の苦しさは相対化できないんじゃないかと思う。アランの最後の選択はあてつけに見える(というか当てつけなのだろう)が、本人にとってはそうするしかなかったのだろう。それが苦しい。




『本格ミステリ大賞全選評 2001-2010』

本格ミステリ作家クラブ編
本格ミステリ大賞が設立されてから10年間の、全ての候補作品とそれに対する本格ミステリ作家クラブ会員の選評を収録した1冊。賞の選評が1冊に纏められることは珍しいだろうから、このジャンルのファンや研究者にとっては貴重な資料になるのでは。読み物としても(ある程度本格ミステリを読んでいる人にとってはだが)楽しめる。本格ミステリ作家クラブ会員の中でも、何をもって本格ミステリとするか人によってかなり違っている。他の人の本格観に異議のある人、クラブの方針自体に疑問のある人も当然いるので、そこはかとなく不協和音が漂う。人によってはあからさまに、この人はあの人に対して含むところがあるんだろうなーとか、あの人のこういう所が許容しがたいんだろうなーとかいう部分が見えてしまって、ちょっと嫌なもの見たなぁという気もしなくもない(笑)。巻末に付録として、「私の愛する本格ミステリ」ベスト3が挙げられているのだが、これがまた楽しかった。この人にとってはこういうのが本格なのね、とか、こういう視点で選ぶこともできるのね、とか。読書の世界が広がりそう。なお、便乗して私にとっての愛する本格ミステリベスト3を挙げてみると、『九尾の猫』(エラリイ・クイーン)、『樽』(F.W.クロフツ)、『木製の王子』(麻耶雄嵩)だろうか。読み返し度が高いのはクリスティなのだが、1冊に絞れない。




『東京から 現代アメリカ映画談議』

黒沢清、蓮實重彦著
イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノという現代アメリカ映画界を代表する3人の監督に焦点を当てた、黒沢と蓮實の対談集。この人たちの話を読んでいると、私が映画を見ているというのは、眺めているだけなのであって、読み解く域には全然達していない、意図されたことをちゃんと読み込んでいるのかどうかもおぼつかないことを痛感する。映画の見方、わかってないなぁ自分・・・。反省も込めて興味深く読んだ。2人がイーストウッドの何をもって不気味だと感じるのか、トム・クルーズのどこに陰を感じるのかわからないのだが、映画の鬼同士の映画談議が面白くないわけはない。そうなのかなーそうなのかなーと唸りながら読む中、タランティーノ監督の『ジャッキー・ブラウン』は面白いよね、という話にほっとした。世間では失敗作とみられているみたいだけど、私は『キルビル』よりは全然すきなんだよなー。




『ミステリ作家の自分でガイド』

本格ミステリ作家クラブ編
本格ミステリ作家クラブ10周年記念として発行された、70人あまりのミステリ作家、評論家による自作(評論家の場合はお勧め作の場合も)のガイドという、なかなかめずらしい1冊。お祭り気分で楽しめた。作家本人が自分の得意分野と思っている作品と、読者側がこの作家の得意分野はここだろうと思っている作品とは、必ずしも一致していないというところが面白い。歌野晶午が自分では短編作家だと思っているというのは意外だった。てっきり長編に強みがあるつもりなのだとばかり・・・。ガイドの仕方にも、上手い下手はあるものの、筆者それぞれの人柄が垣間見えて本格ミステリファンには嬉しい。個人的には、氷川透に新刊発行予定があるということに安堵した。待ってますから、待ってますからね!創元ミステリ文庫の表紙でおなじみのひらいたかこが参加しているのもうれしい。




『トラブル・イン・ハリウッド』

 映画プロデューサーのベン(ロバート・デ・ニーロ)はハリウッドではそこそこ成功した、そこそこ有名な存在。ショーン・ペン(ショーン・ペン)主演映画の試写にプロデューサーとして立ち会ったが、犬が無残に殺される展開が大ひんしゅくをかい、配給会社の社長(キャサリン・キーナー)からは結末を変えろと要求される。監督を説得しようとするが頑として受け入れず大弱り。一方、撮影中の映画に主演しているブルース・ウィリス(ブルース・ウィリス)はヒゲを剃らずにエージェント(ジョン・タトゥーロ)を困らせていた。板ばさみになったベンの苦労は耐えない。監督はバリー・レヴィンソン。
 デ・ニーロが普通に俳優業やっているのを久しぶりに見た気がする。最近はそれこそプロデューサーや監督としての仕事の方が目立っていたように思う。本作でのベンのような苦労をデ・ニーロもしてきたのかしら、それともプロデューサーやエージェントを困らせる側だったのかしら・・・。
 映画業界の内幕もの映画はそこそこ数があるが、本作はキャストが妙に豪華で感心した。ゲスト的にペンとウィリスが本人役で出ているのはもちろん(ウィリスはともかくペンは意外だ!これもデ・ニーロの人徳か)、別れた妻がロビン・ライト・ペンだったり、配給会社社長がキーナーだったり、エージェントがタトゥーロだったりと、わりと渋くて芸達者な面子が揃っている。しかし、その割に映画は小粒。キャストだけならハリウッド大作並なのに拍子抜けだ。俳優はそれぞれ役柄にハマってはいるが、特に冴えているというわけでもなく、こんな役柄前にもどこかで見たなと思ってしまった。
 映画プロデューサーという華やかなイメージの職業ではあるが、ベンがやっていることは、やや水もの感が強いにしろごくごく普通に「お仕事」。資金集めに四苦八苦し、わがままなクライアントに振り回され、ばらばらになりそうな現場を統制し、成功した同業者に嫉妬する。そしてプライベートでは別れた妻に未練たらたら、前々妻との間の娘との距離も離れつつある。決してかっこよくはない。まあ普通の初老サラリーマンよりはちょっとモテているかもしれないが(笑)、そううらやましい人生でもないのだ。元妻への未練など、むしろみっともないくらい。
 このあたりの描写にもっとペーソスがあるとか、ひねりがあるとかだったらもっと味わい深いドラマになったのかもしれないが、ちょっと月並みだったかなと思う。映画プロデューサー業を目新しい舞台装置ではなく、あくまで一つのお仕事として描くのなら、ベンという人物の人となりや心情について、もうちょっと細やかな演出が欲しかった。たとえばハリウッド内幕もの映画としては、最近ではウッディ・アレンの『さよなら、さよならハリウッド』があったが、あれはアレンの個性はもちろん、会話の掛け合いやストーリーそのものが面白かったんだと思う。本作はいまひとつ個性に乏しい。
 といっても、クスリと笑えるところはある。ウィリスにヒゲを剃れと言わなくちゃいけないのにあれやこれやの理由をつけて後回しにするエージェントには不本意ながら共感するし、ベンと元妻が受ける「元夫婦の為の」カウンセリングは本当にこんななのかどうかわからないがアホらしい。離婚してからも一緒にカウンセリング受けないとならないなんて面倒くさいなー。あとペンはともかく、本人役ウィリスは要求されているものをよくわかってんなー、と思った。こういう役をやっても何ら他の仕事に影響ないという、いわば上がり状態ではあるのでしょうが。




『大奥』

 男だけがかかる疫病が蔓延し、男性の人口が女性の4分の1まで減ってしまった江戸時代。これまで男性が担っていた職業は、江戸幕府の将軍を始め武家も商家も農家も、全て女性が担うようになっており、子種を欲しがる女性に体を売る男性も少なくなかった。貧しい旗本の息子・水野祐之進(二宮和也)は、困窮する実家を救う為に、3000人の美男が仕えるという大奥に入ることを決意する。大奥の華やかさとその中での熾烈な争いにショックを受ける水野だが。原作はよしながふみの同名漫画、監督は金子文紀。
 映画化の話を聞いた時にはどうなることかと心配だったのだが、割と無難に纏めてきたなという印象。セットや衣装は確かに華やかでお金がかかっていそう、そして同じくらい華やか(多分。個人的にさほど好みの俳優が出ていないので判断がつかない・・・)な出演者で、見た目のにぎやかさ、楽しさはある。ただ、男女逆転の世界という設定だったら、もっと面白くできたのではないかなという惜しさもある。男女逆転という設定が、ビジュアルとしての面白がらせ部分に留まってしまい、この設定により社会の仕組みがどうなるか、ひいては現実の社会を省みて~、という領域まで踏み込めなかったように思う。映画の原作となった吉宗編は、全体の導入部で「こんな世界ですよ」という紹介になっている側面が強いので、しょうがないのかもしれないが、ドラマとして盛り上がらないのは辛い。もうちょっと冒険して脚本を練れば、ドラマとしても面白い好作になったかもしれない。
 本作の目玉はイケメン大集合なキャスティングなのだろうが、主演の二宮は思ったほど冴えない。ちょっと期待していたんだけど・・・。現代劇の方がやはりハマっているし、水野のような気風のいいキャラクターを演じるのはあまり得意ではないのかなと思った。なんとなくちぐはぐ感がぬぐえない。啖呵を切る場面は所々切れがよかったが。 一方、もう一人の主役である将軍・徳川吉宗役の柴崎コウ。彼女はここ数作、主演作に恵まれていなかったが、今回はつんつんした表情が悪くない。無愛想な役の方がハマる気がする。また、案外良かった、というか見ているうちにだんだん私のツボにはまって面白くなってきてしまったのが玉木宏。何なんだこのやってやるぜ感は!好演というか怪演というか、正直目が玉木に釘付け。どこまで計算してやっているのかわからないが、変なオーラがみなぎっていて二宮や柴崎よりもインパクトあった。




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