12歳の少年ドレ(ジェイデン・スミス)は母親と2人暮らし。母親の転勤でデトロイトから北京へ引っ越してきたが、言葉はわからずいじめっ子には目を付けられ、不満たらたらだ。ある日、いじめっ子グループに反撃したものの逆にボコボコにされていたドレは、アパートの管理人ハン(ジャッキー・チュン)に助けられる。成り行きで武術大会に出ることになったドレは、ハンからカンフーを学び始める。監督はハラルド・ツワート。1984年の同名ヒット作(ジョン・G・アヴィルドセン監督)のリメイクだ。
封切後そこそこ経ってから見たのだが、平日の夜でも結構な集客力で驚いた。そんなに大々的に宣伝していたイメージはないのだが、ジャッキー人気か?リメイク元作品は今の若者は知らないだろうしなぁ(私も見たことない)。しかしヒットも頷ける面白さ。老若男女にお勧めできます。若いカップルなどが結構見に来ていたな。小中学生にもお勧め。挿入歌のセレクトなどいかにもアメリカのティーンが聞いていそうなラインナップなので、本国でも基本ティーン向け映画なのだろう。
リメイク元作品ではいじめられっこの下克上みたいなお話だったようだが、本作の主人公ドレは、いじめられっことはちょっと雰囲気が違う。ドレはどちらかというと口が達者でお調子者。自分のホームグラウンドだったら、むしろ(悪気はなくても)いじめっ子側にまわりかねないタイプではないかと思う。元々気弱な性格ではなく、生意気なのだ。彼がいじめのターゲットとなったのは、もちろん同級生のお嬢様と仲良くなったからというのが最大の要因だが、弱いからというより生意気だからだろう。
ドレの生意気さは見ていてかわいい以上にムカっ腹が立つ(笑)。そんな彼の鼻をへしおり鍛えなおしてくれるのが、我らがジャッキー・チェン先生演じるハン。ここ最近のジャッキーは、本当にいい年のとり方をしていると思う。ショボくれたおじさんがやたらと強いという、盛り上がらずには入られないシチュエーションだ。彼自身のカンフーシーンはそんなに長くないのだが、悪ガキをぶん投げる姿はかっこいい。この部分だけで妙に満足感があった。
ちょっと尺が長すぎるとか(七夕祭りのエピソードとかいらないよな~)、ハンと道場師範の因縁ありげなやりとりは結局なんだったんだとか、車絡みのハンの行動が唐突とか、突っ込みどころも色々ある。しかし、スポ根ものとして押さえるポイントをしっかり押さえている(カンフー映画としてどうなのかは、私カンフー映画に詳しくないのでわからないのです・・・)ので楽しく見ることができた。ドレの成長を、カンフーの強さだけでなく、相手(と相手が属する文化圏)へ敬意を払うことを身に付けるという形で見せるところは、なかなか教育的だ。その国の言葉を学ぶという要素が、重要な役割を果たしている。
封切後そこそこ経ってから見たのだが、平日の夜でも結構な集客力で驚いた。そんなに大々的に宣伝していたイメージはないのだが、ジャッキー人気か?リメイク元作品は今の若者は知らないだろうしなぁ(私も見たことない)。しかしヒットも頷ける面白さ。老若男女にお勧めできます。若いカップルなどが結構見に来ていたな。小中学生にもお勧め。挿入歌のセレクトなどいかにもアメリカのティーンが聞いていそうなラインナップなので、本国でも基本ティーン向け映画なのだろう。
リメイク元作品ではいじめられっこの下克上みたいなお話だったようだが、本作の主人公ドレは、いじめられっことはちょっと雰囲気が違う。ドレはどちらかというと口が達者でお調子者。自分のホームグラウンドだったら、むしろ(悪気はなくても)いじめっ子側にまわりかねないタイプではないかと思う。元々気弱な性格ではなく、生意気なのだ。彼がいじめのターゲットとなったのは、もちろん同級生のお嬢様と仲良くなったからというのが最大の要因だが、弱いからというより生意気だからだろう。
ドレの生意気さは見ていてかわいい以上にムカっ腹が立つ(笑)。そんな彼の鼻をへしおり鍛えなおしてくれるのが、我らがジャッキー・チェン先生演じるハン。ここ最近のジャッキーは、本当にいい年のとり方をしていると思う。ショボくれたおじさんがやたらと強いという、盛り上がらずには入られないシチュエーションだ。彼自身のカンフーシーンはそんなに長くないのだが、悪ガキをぶん投げる姿はかっこいい。この部分だけで妙に満足感があった。
ちょっと尺が長すぎるとか(七夕祭りのエピソードとかいらないよな~)、ハンと道場師範の因縁ありげなやりとりは結局なんだったんだとか、車絡みのハンの行動が唐突とか、突っ込みどころも色々ある。しかし、スポ根ものとして押さえるポイントをしっかり押さえている(カンフー映画としてどうなのかは、私カンフー映画に詳しくないのでわからないのです・・・)ので楽しく見ることができた。ドレの成長を、カンフーの強さだけでなく、相手(と相手が属する文化圏)へ敬意を払うことを身に付けるという形で見せるところは、なかなか教育的だ。その国の言葉を学ぶという要素が、重要な役割を果たしている。