3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2010年09月

『ベスト・キッド』

 12歳の少年ドレ(ジェイデン・スミス)は母親と2人暮らし。母親の転勤でデトロイトから北京へ引っ越してきたが、言葉はわからずいじめっ子には目を付けられ、不満たらたらだ。ある日、いじめっ子グループに反撃したものの逆にボコボコにされていたドレは、アパートの管理人ハン(ジャッキー・チュン)に助けられる。成り行きで武術大会に出ることになったドレは、ハンからカンフーを学び始める。監督はハラルド・ツワート。1984年の同名ヒット作(ジョン・G・アヴィルドセン監督)のリメイクだ。
 封切後そこそこ経ってから見たのだが、平日の夜でも結構な集客力で驚いた。そんなに大々的に宣伝していたイメージはないのだが、ジャッキー人気か?リメイク元作品は今の若者は知らないだろうしなぁ(私も見たことない)。しかしヒットも頷ける面白さ。老若男女にお勧めできます。若いカップルなどが結構見に来ていたな。小中学生にもお勧め。挿入歌のセレクトなどいかにもアメリカのティーンが聞いていそうなラインナップなので、本国でも基本ティーン向け映画なのだろう。
 リメイク元作品ではいじめられっこの下克上みたいなお話だったようだが、本作の主人公ドレは、いじめられっことはちょっと雰囲気が違う。ドレはどちらかというと口が達者でお調子者。自分のホームグラウンドだったら、むしろ(悪気はなくても)いじめっ子側にまわりかねないタイプではないかと思う。元々気弱な性格ではなく、生意気なのだ。彼がいじめのターゲットとなったのは、もちろん同級生のお嬢様と仲良くなったからというのが最大の要因だが、弱いからというより生意気だからだろう。
 ドレの生意気さは見ていてかわいい以上にムカっ腹が立つ(笑)。そんな彼の鼻をへしおり鍛えなおしてくれるのが、我らがジャッキー・チェン先生演じるハン。ここ最近のジャッキーは、本当にいい年のとり方をしていると思う。ショボくれたおじさんがやたらと強いという、盛り上がらずには入られないシチュエーションだ。彼自身のカンフーシーンはそんなに長くないのだが、悪ガキをぶん投げる姿はかっこいい。この部分だけで妙に満足感があった。
 ちょっと尺が長すぎるとか(七夕祭りのエピソードとかいらないよな~)、ハンと道場師範の因縁ありげなやりとりは結局なんだったんだとか、車絡みのハンの行動が唐突とか、突っ込みどころも色々ある。しかし、スポ根ものとして押さえるポイントをしっかり押さえている(カンフー映画としてどうなのかは、私カンフー映画に詳しくないのでわからないのです・・・)ので楽しく見ることができた。ドレの成長を、カンフーの強さだけでなく、相手(と相手が属する文化圏)へ敬意を払うことを身に付けるという形で見せるところは、なかなか教育的だ。その国の言葉を学ぶという要素が、重要な役割を果たしている。




『ネコを探して』

 姿を消した飼い猫クロを追って鏡の中に飛び込むと、そこは19世紀パリのサロン。当時、ネコは自由な個人の象徴としてもてはやされていた。さらに日本やイギリス、アメリカへとネコと人間の関わりを追う。監督はミリアム・トネレット。実写とアニメーションを合わせたオキュメンタリー。
 ネコと人間の関わり、各時代や国でのネコの位置づけを追った作品ではあるが、1本のドキュメンタリーとしての軸がブレていて、結局どこへ着地したかったのか、何を主張したかったのかがわからない。19世紀パリでは、文学や絵画の中でネコが象徴していたものを提示し、20世紀日本のパートでは水俣病の被害者としてのネコを提示していきすぎた企業の利潤追求に警鐘を鳴らす。かつて活躍したイギリスの鉄道ネコや現代の「タマ駅長」のような、ネコと経済活動の関わりをとりあげたり、また日本での「かわいい」に特化したネコのイメージを取り上げたり。ネコという共通項はあるが素材が散漫としており、一つの映画としてうまく寄り合わされていないように思う。
 最近のドキュメンタリーは、マイケル・ムーアを筆頭に、自分の主張を面白く見せる為に素材を選んで組み合わせていく、という手法が目立っているように思うが、本作はそういった手法を取るには組み合わせ方のテクニックがまだ不足している。ネコのイメージの変遷をとりあげたいのか、社会問題としてネコを入り口にしたいのか、もっと絞り込んだ方がよかったのではないだろうか。ネコが好き!という一心で本作を見た人は肩透かしをくらってしまうと思う。
 また、ドキュメンタリーとしてはデータの使い方がおおざっぱなんじゃないかなと、ちょっとひっかかった。現代のネコの持病疾患の増加の原因など、本当かなぁと気になった(獣医学が向上したから寿命が延び、長寿の為疾患が見つかりやすくなっているんじゃないかと思ったのだが・・・)。造り手にとって解釈が都合よすぎるかなと思う。




『シルビアのいる街で』

 街のカフェで様々な女性のスケッチをしている旅人の青年(クザヴィエ・ラフィット)。彼はその中から1人の女性を見つけ、彼女を追って街中をさまよう。彼が探しているのはシルビアという女性だが、彼女は呼びかけても振り返らない。監督はホセ・ルイス・ゲリン。青年が女性を追うという、ただそれだけなの話で、シチュエーションに対する説明は極力排されている。そこがいい。言葉数少ない方が却って雄弁になるということか。
 宣伝では恋愛映画と称している。確かに恋愛ではあるが、具体的な個人に対する恋愛模様ではなく、恋愛という状態を描くという意味での恋愛映画だと思う。恋の純度自体はものすごく高い(だから困っちゃうんだけど・・・)。青年が追っているのは、シルビアという1人の女性ではなく、自分の中の理想の女性のイメージだ。シルビアの顔を彼がちゃんと覚えているのかどうか定かではないし、そもそもシルビアなる女性が実在したのかどうかも怪しくなってくる。イメージに対する強烈な憧れが彼を突き動かしており、対象はそのイメージをまとわせることができるものなら何でもいいのでは。人格のある個人としての対象は不要なのだ。だから彼のシルビア探しは延々と続く。その円環を思わせるラストは少し不穏であり怖い。
 一歩間違うと(間違わなくてもか・・・)恐怖のストーカー映画なのだが、主演俳優が少し不思議な風貌の、透明感ある美形。ストーカー的行為をしてもこのへんならギリOK!というラインを狙ってキャスティングしたのではないだろうか。女優共々、目の保養にはなる。また目の保養といえば、スペインの古都を使ったロケが素晴らしい。殆どが屋外の映画なのだが、街の観光映画といってもいい。ロケ地にここを選んだ時点で映画の何割かは成功している。風景だけでなく、音も美しい。音の配置にはとても気を遣っているように思う。聞こえ方に立体感があって、街のざわめきみたいなものを強く感じられる。このざわめきこそが本作の主役と言ってもいいくらいだ。街の風景、音の聞こえ方が青年の気分(というか集中力の状態)とリンクしていて、そこにふっと引き込まれた。非常に美しい作品。






『フェアウェル さらば哀しみのスパイ』

 1981年のモスクワ。フランスの家電メーカー社員フロマン(ギョーム・カネ)は、「フェアウェル」と呼ばれる人物と、会社の上司経由でのフランス国家本局DSTからの要請により接触する。フェアウェルの正体はKGB幹部のセルゲイ・グリゴリエフ大佐(エミール・クストリッツァ)だった。自国の体制に行き詰まりを感じたセルゲイは、内通者となって重要機密を西側に流し、体制崩壊を狙っていたのだ。フロマンは危険な任務に怖気づき、セルゲイは素人のフロマンに失望し、2人の関係は最初険悪だ。しかしフロマンは徐々にセルゲイの情熱に引き込まれていき、セルゲイもフロマンを信頼するようになる。2人の間には友情が芽生えていくが。監督はクリスチャン・カリオン。
 セルゲイを演じるエミール・クストリッツァは言わずと知れた映画監督だが、俳優としても面白い。風貌に強い個性のある(あの巨体だし)人だが、信念に突き動かされている、何かに取り付かれたような趣もあるセルゲイにはぴったりだった。茶目っ気があるのがいい。セルゲイは軍人としては切れ者だが、父親として・夫としてはあまり褒められたものではないという、人間としてのさじ加減の妙がある。妻を愛しているのに職場には愛人がいるし、息子との関係は世間一般の父親と同じくぎこちない。愛人が家に押しかけてきたときのかっこ悪さや、息子の機嫌をとりたいけど不器用すぎるところなど、職場での「できる男」振りとは大分違う。しかし、セルゲイの国を変えたいという情熱の原動力の元は、その上手くいっているのかいっていないのかわからない家族にあったのだろう。国家の為、理想の為という大きな目的よりも、家族の為という個人的な目的の方がより切羽詰ったものとして最後に残るのかもしれない。終盤、息子と対面するシーンの熱量はすごい。セルゲイのやることやその目的は時に妄想めいている(当時の体制の中ではほんと何言ってるんだという感じだったと思う)のだが、息子の未来をなんとかしたい、という願いには強い説得力がある。おそらくフロマンもそこに打たれたのでは。
 当時のソ連で、自由な部分と規制されている部分とが垣間見られて興味深い。思っていたほど窮屈な感じではないが、フロマンが常に盗聴されていたり、外出の規制があったりというシーンも。海外の文化の流入はやはり制限があったのだが、何を根拠にしているのかいまいちわからない(笑)。クイーンの音楽(これがセルゲイの息子にとっては西側文化の象徴になっている。エアステージやるところはほほえましい)もフランスの詩集もNG、しかしあっさり持ち込まれているぽい(セルゲイの立場なら可能ということか?)し、案外長閑?セルゲイとフロマンの接触も次第にのんびりした雰囲気になってきて、大丈夫なの?と心配になってしまった。
 最初と最後の繋がり方に哀愁が漂う。セルゲイがやったことが、実際のところ体制の転換にどれほど影響したのか?彼じゃないとだめだったのか?と思うと更に。スパイもの、サスペンスドラマとしても終盤の盛り上がりには引き込まれた。




『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』

 ハンニバルことスミス大佐(リーアム・ニーソン)が率いる「Aチーム」は歴戦の精鋭。しかし、イラクでの米ドル札偽造事件に巻き込まれ、逮捕されてしまう。半年後、スミス大佐と元部下のフェイスことペック(ブラッドリー・クーパー)、マードック(シャールト・コプリー)、B.A.ことバラカス(クイントン・ジャクソン)らは脱獄し、自分達の無実を証明しようとする。監督は「NARC」「スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい」のジョー・カーナハン。
 カーナハン監督の作品は「NARC」「スモーキン・エース」と見ているのだが、個人的に好きなのはNARC。「スモーキン・エース」は楽しいことは楽しいのだが、大分大味ユルユルでもったいなかった。で、今回もユルいかユルくないかで言ったらユルいし大味。しかしいい方向に振り切れた大味さではないかと思う。TVCMでも使われていた戦車ごと空からダイブ!が象徴しているような、派手で楽しくバカバカしい、王道娯楽映画。監督がこういう路線にきたことはちょっとさびしくはあるのだが。
 ただ、この王道娯楽作品、私はあまり乗れなかった。楽しいことは楽しいが、大雑把すぎて印象が散漫だった。ネット上では評判いいので自分との相性とか体調の問題が大きかったのだと思う。意外とアクションがかっこよくないとか、ハンニバルは本当に凄腕なのだろうか(彼の計画はものすごい行き当たりばったりな気がした・・・)とか色々気になったのだが、一番ひっかかったのは、多分リアルさの線引きの部分。戦車でスカイダイブしながらミサイルを撃ち落とすというのは当然バカ展開でありこういうのは大好きなのだが、イラクでニセ札造り、テロリストとの戦いという半端に現実を鑑みた設定が、見ている側を現実にひきもどしてしまう。いっそ架空の国の方がよかったなぁ。中途半端にリアルなので、バラカスがモヒカンに復帰する契機も、それで本当にいいの?と思ってしまう。あっけらかんと暴力を振るうには、ちょびっとリアル要素が多すぎて抵抗があった。もっと突き抜け感がないと苦しい。
 何より、私がリメイク元のシリーズを全く見たことがないというのが敗因だとは思う。多分、ファンにはうれしい作品なのでは。一つ収穫があったとすれば、ブラッドリー・クーパーがようやくかっこよく見えたということか。「ハングオーバー!」では安い二枚目とか思っちゃってごめん。




『ヤギと男と男と壁と』

 新聞記者のボブ(ユアン・マクレガー)は離婚の傷から立ち直れず、心機一転する為特ダネを狙って戦時下のイラクへ向かった。クウェートでアメリカ人セールスマンだというリン(ジョージ・クルーニー)と知り合ったボブは、かつて取材相手からリンの名前を聞いたことを思い出す。自称超能力者だったその取材相手は、リンは軍の特殊部隊に所属する、有能な超能力者だと話していたのだ。興味を持ったボルは、イラクへ向かうリンに同行することに。監督はグラント・ヘスロヴ。
 原作はなんとドキュメンタリーだそうだ。アメリカ軍に超能力部隊が実在していたという、ウソのような話だ。映画の中で行われていた特訓がどの程度事実に即しているのかはわからないが、実際にこういうことやっていたんだとすると、まあ長閑な時代があったんだなぁ・・・。もっとも、時代背景(主に70年代)が長閑だったというわけでもないのだろうが。ソ連が超能力を軍事目的に使っていると本気で信じられていたというし、わけのわからないものに対する恐怖や、とにかく新手の軍事力がほしいという欲求があったんだろうなとは思う。
 リンが所属する超能力軍団はマンガそのもので(作戦名「ジュダイ」だしな)、多数派から見たらうさんくさい、アホらしいことに真面目に一生懸命で、見ていておかしいのだがちょっと切ない。もっとも、リンにとっては当時が自分の黄金期。そして黄金期は過ぎ去ってしまった。そのせいか、本作はユルいコメディでありながらどこか悲哀が滲む。リンにしろ彼のかつての上官にしろライバルにしろ、彼らの居場所は現代にはもうないのだ。ファンタジーへと突き抜けるラストは、その居場所のなさを強調していて、妙にやるせないのだ。
 前述の通りコメディとしてはかなりユルく(脚本にメリハリがたりないという印象)、ギャグも爆笑ではなくニタリと口元を緩めてしまうようなもの。ユアン・マクレガーに対して「ジュダイはお前の前にいる」という鉄板ネタには当然笑った。本作、その為だけにユアン・マクレガーを起用したのではないだろうか。キャスティングは作品のユルさにも関わらずかなり豪華かつ、くどい。これは主演のクルーニーの人徳なのだろうか(クルーニー本人もかなりくどい。びっくりするほど長髪が似合ってなくて吹いた)。特にケビン・スペイシーがいつになくノリノリで、変なオーラが漂っている。ジェフ・ブリッジスの大雑把な感じの役柄もばっちりだと思う。『クレイジーハート』の後に公開される出演作がこれか(笑)。




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