3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2010年08月

『口福無限』

草野新平著
詩人である著者による、様々な食べ物に関する随筆。といっても、いわゆるグルメエッセイではない。酒好きの著者なので自家製のお酒のつまみ、しかもかなり独自色(笑)が強く、こんなものまで食べたの!?というものも。花を食べるなんてさすが詩人・・・ということもできるが、決して美味しそうではないぞそれは!無理してないか?!しかし、この人本当に食べることが好きなんだなー。食いしん坊としては読んでいて実に楽しい。自己流の食べ方だが押しつけがましくなく、のびのびとしているのがいい。詩情は、正直あんまりないと思いますが(笑)。




『ヒックとドラゴン』

 2D字幕版で鑑賞。監督・脚本は『リロ&スティッチ』のディーン・デュボアとクリス・サンダース。主題歌はSigurRosのJONSI。これが映画の雰囲気と相まってすごくよかった。デュボアはSiguaRosのライブドキュメンタリー映画(「Heina」)を手がけたそうなので、そのご縁での主題歌起用なのだろうか。
 バイキングとドラゴンが長年戦い続けているバーク島。発明好きの少年ヒックは、バイキングの英雄である父親を持つものの、自分は何をやってもへまばかり。ある日ヒックは、傷ついて飛べなくなったドラゴンを見つけ、トゥースと名付ける。
 自分が所属するはずの「群れ」からはぐれてしまった(トゥースの場合はやむなくだけど)もの同士が、徐々に心を通わせていくというパターンは王道ではあるが、個人的にツボ。特に、ヒックのバイキング一族の中での所在無さがよく描かれていた。戦うことが第一の民族なので、ヒックのように運動苦手で気の弱い男の子はおミソ扱いだ。彼には好奇心が旺盛で観察眼に優れている、なにより優しいという美点があるのだが、環境によっては美点が美点にされないという、よくあるパターンだが切なくなってしまう。
 ヒックがトゥースに近付こうとする時、まずドラゴンの体、行動、習性を観察するところから始める。相手に対する恐怖を克服する為の手段は、相手について知識を得ることだというのが現代的。それは同時にトゥースにとっても人間であるヒックを知るということになる。2人が落書きによってわずかに意思の疎通を始めるシーンにはちょっと目頭熱くなった。
 さてこれが、同じ言語を話しているヒックと父親の間では、上手く意思疎通が行われていないというところが面白い。父親はヒックのことを(ドラゴンに対してと同じように)「こういうもの」と思い込んでいて、ヒックが本当は何を望んでいるのか、何を言おうとしているのかについては考えが及ばない。ヒックは父親が自分の全部は見てくれていないという思いを常に抱いている。2人は親子ではあるがタイプが違いすぎるのだ。父親にとっては、ヒック本人の存在より先に「こうあってほしい・こうあるべきバイキングの息子」像があるのだ。といっても、ヒックに対する愛情はあるので、よけいに困惑するのだろう(ちゃんとした父親ではあるというところが造形が上手い)。ヒックとの会話との後に見せる戸惑った表情が印象に残る。
 息子であるヒックにとっても、父親の期待に添えないということは苦しい。しかし自分を父親の理想にはめることもできない。友人をつくること、親との関係をつくりなおすことが同時に描かれていて、正しい子供の成長物語だと思う。ある種の親子の関係がきちんと描かれているところがよかった。
 最後、ヒックに起こる変化には驚いた。これ、(いろんな人が既に言及していそうだが)仮にディズニー映画だったらありえない展開なのでは。この変化によってヒックとトゥースの相互関係はより強くなるのだが、何かと引き換えにしているみたいでほろ苦い。また、ラストはハッピーエンドではあるが、本当にこれでいいの?という気もした。それは本当に共生するということなのだろうか。アメリカ映画がこういう回答を出してきたというところが興味深い。
 ビジュアル面の目玉であろう飛行シーンは予想以上に気持ちいい。2Dでも充分迫力あり堪能できた。山・海・空のコントラストが素晴らしい。森や岩山など、風景にとても魅力があった。なによりヒックとトゥースがすごくかわいい。トゥースの動きは犬猫(特に猫)を参考にしているのかな。





『トイ・ストーリー3』

 2D・日本語吹き替え版で鑑賞。2のストーリーの流れをそのまま引き継いでいるので、2を未見の方はぜひご覧になってからどうぞ。ウッディやバズと遊んでいたアンディは17歳となり、おもちゃたちはおもちゃ箱にしまわれっぱなしだった。更にアンディが大学進学の為家を出ることに。ウッディたちは屋根裏部屋にしまわれるはずだったが、手違いから保育園に寄付されてしまう。アンディの元に帰ろうとするウッディをよそに、また子供と遊べると喜ぶおもちゃたちだったが・・・
 西部劇、アクション、SFなど各ジャンルのおいしいところを総取りしてぶっこんだ冒頭10数分が、映画の喜びに溢れていてとても楽しい。これはぜひ大画面で見ることをお勧めする。ジャンル縦横無尽な展開には、映画ファンも小さい子供も心捉まれるのでは。まさかトイストーリーであんな大規模な爆発シーンを見られるとは。
 しかし以降は、ぐっと大人なドラマが展開される。2でも示唆されていた、いつまでも持ち主と一緒にはいられないというおもちゃの運命が、いよいよ現実のものになるのだ。本シリーズのうっすら怖いところは、おもちゃを主人公にしながら、おもちゃは大量生産品であり消耗品であるということを前提にしているところだ。いくらでも代わりはいるし、壊れたり流行おくれになったりすると捨てられる。彼らにとって「ただ一人の私」というものは、作られた当初は存在しないわけだ。
 彼らを「ただ一人の私」とするのは、持ち主であるアンディの存在だ。アンディのおもちゃであるということが彼らのアイデンティティとなっており、だからこそウッディは必死でアンディの元に帰ろうとする。アンディのおもちゃであるということは、少なくともウッディにとっては、子供と遊ぶ為に存在するというおもちゃの目的を超えたものになっている。しかしもう一つ、彼らを「ただ一人の私」とするものがある。それはおもちゃ仲間との関係だ。だからバズは「一緒にいなきゃダメだ」と主張し、クライマックスで手を握り合うおもちゃたちの姿が胸を打つ。彼らの逃避行は、全て「ただ一人の私」であろうとする為とも思える。
 ところで、ウッディたちが寄付されてしまった保育園がまさかの管理格差社会(笑)なのだが、おもちゃにとっての「良い遊び」「いやな遊び」に言及されている。もちろん、乱暴に扱われ壊されてしまうのだが悪い遊びであり、乱暴な子、おもちゃの認識がよくできていない幼児は遊び手として不人気だ。しかしそうだとすると、世に溢れている幼児向けのおもちゃは全て不幸になる為に生まれてきたということか?それはちょっとおかしくないか?
 さて本作はもちろんおもちゃたちの物語なのだが、最後、この物語は人間であるアンディの物語としても収束する。映画冒頭が、大きくなったアンディによって反復されるところで一番感動してしまった。おもちゃたちは、アンディの一部を付与された存在なのだ。アンディが置いていくのは子供時代の自分でもあるのだが、それは決して失われたということではないと思える。




『ジェニファーズ・ボディ』

 高校生のジェニファー(ミーガン・フォックス)とニーディ(アマンダ・セイフライド)は幼馴染の友人同士。派手好きなジェニファーに対してニーディは地味目という対照的な2人ではあったが。ある夜、2人はジェニファーごひいきのバンドのライブを見に行くが、ライブハウスで火災が発生。ジェニファーはバンドのメンバーに連れて行かれてしまう。後日姿を見せたジェニファーは、以前とどこか変わっていた。監督はカリン・クサマ。脚本は『JUNO』のディアブロ・コディ。
 予告編からは、肉食系女子が男子を文字通り食いまくる!というホラー映画なのかと思ったが、ホラー映画といえるほど怖いかというとそうでもない。私はホラー映画をあまり見ないのでなんともいえないが、普通、怖がらせようとするところが、殆ど肩透かしになっていたように思った。多分ここで溜めがあるだろ、というところで溜めずにさっさと次へ行ってしまうというような。ミーガン・フォックスがやる気満々で、男子に迫っていても怖いというよりも笑ってしまうというところもある。怖いはずなのに同時に笑わせられるというシーンが多かった。
 では2人のヒロインの対比から、非モテ女子がモテ女子に下克上!スクールカーストをひっくり返すぜ!という話かというと、それもちょっと違う。ジェニファーのように奔放に遊んでいるわけではないが、ニーディには特定のボーイフレンド(結構かわいい)がいてセックスもしており、非モテではない。スクールカースト内でも、そう下位にいる雰囲気ではない。学園の花形的なジェニファーの前だからかすむが、それなりに可愛いはず。一方ジェニファーは確かに学園の花形だが、あくまで田舎の高校での話だ。変貌前のジェニファーは、それほどお肌つやつや髪の毛キューティクルという感じではない。憧れのバンドのメンバーにも「俺の町にもあんな子いたぜ」的な、わりと軽い見方をされてしまう。2人の女の子の関係は、全く対照的と言い切れるものでもないのだ。
 女子同士の関係をなかなか面白く描いているなと思った。ジェニファーはニーディを自分の引き立て役にしており、子供の頃から何かあるとイーディに損な役回りを振る。が、非常に身勝手な形ではあるものの、ジェニファーはイーディのことを本気で親友だと思っているふしがある。イーディがジェニファーのことを親友だと思っているかどうかは微妙だが、単純に嫌っている・憎んでいるというわけでもない。彼女の「復讐」は、ちょっとはジェニファーのためでもあるだろう。嫉妬やずるさ、持ちつもたれつをひっくるめてとりあえず「友人」と称する関係が女子ぽいなぁと思う。ガールズムービーの変化球として面白かった。カリン・クサマ監督は、「ガールファイト」が戦う女子を主人公にしていて結構面白かったけど、己の欲望に忠実な女子が好きなのかな。




『アルゼンチン・タンゴ 伝説のマエストロたち』

 ブエノスアイレスで最も古いレコーディングスタジオで、アルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」の収録の為、1940~50年代に活躍した、アルゼンチンタンゴ黄金期を築いたスターたちが一同に会した。レコーディング風景や彼らの回想から、アルバムリリース記念のコロン劇場でのコンサートまで追う、音楽ドキュメンタリー。監督はミゲル・コアン。
 アルゼンチン版「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」とでも言おうか。私はアルゼンチンタンゴに詳しくはない(聞くのは好きだけど)ので、登場するマエストロたちのことは殆ど知らない。でも皆さんいい顔をしており、自分の演奏やアルゼンチンタンゴについて語る時には、本当に音楽が好きなんだなぁ!と実感できる。特に、子供の頃にバンドネオンに魅せられ、父親が無理して買ってくれたという話をしたマエストロが、そのバンドネオンを抱えて微笑む姿は素敵だった。
 タンゴの知識がないと、インタビュー主体の前半はちょっと入り辛いかもしれない。私はうっかり眠くなってしまった。少しでも予習してから見に行けばよかったなと少し後悔した。逆に、アルゼンチンタンゴについて造形が深い人にとっては、かなり興味深く、貴重な作品なのでは。おそらく記録映画としても撮られた作品だと思う(カットになっただろう部分が多々あることが予想されるので、完全版だとどんな感じになるのか気になる)。出演している方の中には、既に亡くなっている(本作は2006年に撮影された)方もいらっしゃる。
 後半のコンサートの映像は圧巻で、一気に目がさめた。ピアニストを、手元が見えるように後ろから撮っているところなど、わかっている感がある。オーケストラ編成なのだが指揮者がおらず、ピアノの人が時々指示出している程度なのが面白い。あれで演奏あわせられるのか・・・。コンサート部分をもうちょっと堪能したかったが、それはアルバムを聞いてねということだろう。アルゼンチンタンゴは、体の芯の部分がぶるっと震えるような、何と言うか、肉体に訴えかけてくるものがありますね(笑)。基本踊るための音楽だからか。


 

『華麗なるアリバイ』

 田舎にある上院議員の屋敷に招かれた精神科医のピエールと妻・クレール。ピエールは浮気が絶えず、現在の愛人である彫刻家のエステル(ミュウ・ミュウ)も屋敷に招かれていた。更に昔の恋人だった女優のレアまで訪れ、気まずい雰囲気に。他の招待客も、エステルに片思いしている作家のフィリップ、フィリップに好意を持つクロエと、いわくつきの人ばかり。翌日、プールサイドで銃声が響いた。かけつけた一同が目にしたのは、プールサイドで血を流して倒れるピエールだった。
 アガサ・クリスティの「ホロー荘の殺人」を、なぜかフランスで映画化。最近、クリスティの小説をフランス映画にする企画が相次いでいるが、何かのブームなのか?フランス人はクリスティ好きなの?「ホロー荘」は名探偵ポワロのシリーズだが、本作にはポワロは登場しない。探偵役のいない話にアレンジしてある。フランスのミステリ小説やミステリ映画は、ストレートな謎解きものからははみ出る、どこか奇妙な味わいのあるもの(パスカル・トマ監督の『ゼロ時間の謎』とか『奥様は名探偵』とか)が多いので本作もそうかと思っていたら、案外直球。どことなく火サスの味わいを思い出したのは私だけでしょうか(笑)。悪くはないけどものたりない。本格ミステリとしては、ちょっと突っ込みどころが多いので、いっそ変な方向に振ってしまってほしかった。
 もっとも、ミステリとしての整合性よりは(一応ちゃんとミステリしているとは思う。濃くないだけで)、男女関係の諸々の方に焦点が当てられているし、だからこそのフランス映画(笑)という気はする。若い男女がきゃっきゃするのではなく、そこそこ年齢重ねた男女があれやこれやするところに、妙に説得力がある。主演女優はミュウミュウということになるのだろうが、いわゆる「いやし系」的ポジションで、見方を変えれば都合のいい女。レアが「甘い声の女」と言ってイラつくのもわかる(笑)。嫌いな女優ではないのだが、今回女ウケが非常に悪そうです。またピエール役の人がセクシーで、これは浮気しまくって痴情のもつれで殺されてもしょうがないなと思った。キャスティングはなかなかいい作品だった。

 


『パリ20区、僕たちのクラス』

 パリ20区の公立中学校で国語教師をしているフランソワ(フランソワ・ベゴドー)。担任している24人の生徒たちは意欲が薄かったり反抗的だったりで問題が耐えない。生徒に翻弄されつつ授業を進めようとするフランソワだが。監督はローラン・カンテ。
 題名にある「僕たちのクラス」という言葉から連想されるほどには、クラスにまとまりがあるわけではない。生徒達の間では、個々に仲がいい子がいても全体的な結束は薄いし、教師との間の信頼関係もあるとは言えない。むしろ学校に対する不信感や反感を隠さない。教師と生徒の絆どころか、教師がいかに生徒と戦っているかという苦労が切々と伝わってくる(笑)。私は中高生のころ、「そりゃーこんなクソガキ数十人相手にしてたら先生だって嫌になるよねー、ちったぁ協力してあげないとねー」と思っている、まあ嫌なお子さんだったのだが(笑)、そんな気持ちを思い出した。
 フランソワは時々ヒートアップしすぎなきらいはあるが、基本的に熱心な、そこそこいい教師ではあると思う。ただ、生じる問題の量は熱意でカバーできる範囲を越えている。学級崩壊加減は日本とどっこいどっこい。反抗的な生徒に対してはまだ対応のしようがあるが、やる気がない、勉強の意義を実感できない生徒に対してはなす術がない(最後の女子生徒の言葉はきつい。返す言葉がみつからない)。そりゃあキレたくもなるよなぁと同情してしまう。また、フランスのお国柄なのか、生徒たちの自己主張が激しく口が達者。やる気はないなりになぜやる気がないのか、教師の言っていることはおかしいんじゃないのかとがんがん突っ込みを入れてくる。これにいちいち対応しなくてはならないなんて気が遠くなりそう。ただ、生徒に対する罰則が結構シビアだったり、教師による生徒の評価会に生徒代表が出席していたりと、子供の扱いについての日本との差異が見られて面白い。
 今のパリの公立校の雰囲気が垣間見えて興味深い。教室の子供たちは出身国、民族が様々で、パリは多民族都市だということを改めて感じた。移民の子供が多いようで、白人生徒の方が少ない。国語の例文に出てくる男性の名前が「なんで白人の名前ばかりなんだ!」と突っ込みを受けたりする。多民族ということは、こういうところまで配慮しなくてはならないということなのか。また、親がフランス語をしゃべれないという生徒もおり、保護者面談で子供が通訳したりもする。やり辛いだろうなぁ。教師は白人が多いというところで、また生徒との間にギャップが生じているようにも思った。
 ドキュメンタリータッチで撮影された作品だが、生徒達のキャスティングは、役柄の背景に近い背景を持った役者を選んだそうだ。生徒間のパワーバランスやそれぞれの立ち居地が自然に演じられていて、かなりの期間指導、ワークショップを重ねたのではないだろうか。




『ロストクライム 閃光』

 若手刑事の片桐(渡辺大)は、隅田川で絞殺死体が発見された事件の担当になった。定年間近のベテラン刑事・滝口(奥田瑛二)と組まされるが、滝口は単独行動ばかりで片桐を振り回す。滝口は片桐に、絞殺死体と「三億円事件」との繋がりを示す。監督は「女囚さそり」シリーズの伊藤俊也。
 舞台は2002年、撮影は当然2010年なのだが、スクリーンから漂う昭和臭はただごとではない。昭和の大事件の一つである三億円事件を題材にしており、60年代を舞台とした映像も出てくるとはいえ、今時これか!とびっくりした。美術による時代感がよく出ているというよりも、ショットのひとつひとつ、色合いとか俳優との距離とか、俳優の顔・演技に昭和の映画っぽさがある。映画の技法とか日本映画史に詳しければ、その要因がもっと具体的にわかるのでしょうが。なおかたせ梨乃と宅間伸のベッドシーンは、昭和は昭和でも、ライトなエロはOKだった頃のTVの2時間サスペンスぽさ。決してキャスティングのせいだけではないと思う。他の役者でも同様なのだが、エロの在り方が泥臭いというか、ギトギト感がある。本作の場合、それはプラスにはたらいていると思うが。
 未だ真犯人不明の三億円事件を扱うというと、犯人探しを主体としたミステリを思い浮かべるが、本作は、ミステリとしての精度はそんなに高くない。というか、ミステリ映画は目指していない。三億円事件そのものを追うというよりも、三億円事件があった時代から引きずっている何かと向かい合っているように思った。真犯人はこいつだ!というサプライズよりも、それを覆い隠そうとするものに対して、俺はこいつらが嫌いだ!こいつらには負けねぇ!という執念というか、怨念みたいなものを全力でぶつけてきている。これ、監督のフィルモグラフィーとか60年代~70年代の時代背景、空気感とかわかっていればもっと実感できるんだろうけど・・・。でもわからないなりに、何かえらいもんがにじみ出ているということはわかる。その得体の知れない迫力がおそろしい。映画としてはいびつなのかもしれないが、大変おもしろかった。




『切れない糸』

坂木司著
おお上手くなってる・・・!ひきこもり探偵シリーズでは感情過多すぎて辟易させられたが、ひさしぶりに読んだらそのへんちゃんと抑制できるようになっている。作品の好みとは関係なく、作家の成長を実感できるというのはなんとなくうれしいものです。本作の主人公はクリーニング店の二代目店主の和也。預かった衣類から見えてくる謎を、友人の沢田の助けを借りて解いていく。ミステリとしては小粒だが、働くこと、人と関わることの面白さ、難しさがさわやかに描かれていて、若々しくていい。仕事をするということについて、ささやかながら励まされた感があった。クリーニング業に関するマメ知識が結構多いのも面白くお得感がある。こんなに化学薬品を駆使するものだったとは、不勉強で知らなかった。とりあえず、クリーニングから戻ってきた衣服にかけられているビニールのカバー、かけっぱなしにしがちだったけどすぐ取ります!




『サクリファイス』

近藤史恵著
面白い、完成度高いと評判だった本作。今頃になって(もう続編出てるしな・・・)読んでみたが確かに面白い。ロードレースのことはチームで走るんだよね、くらいのことしか知らなかったのだが、ルールとかそれぞれの役割とか、選手のメンタリティとか、説明文調ではないのにちゃんとわかる、いやわかった気分にさせるといった方が正しいか。ミステリ作家としては定評がある作家だが、基本的に小説が上手いんだなぁと今回やっと理解した。そしてロードレースの世界だからこそ起こった事件であり(特殊ルール下本格とも言える)、だからこそこういう筋道で推理が行われるという、舞台設定とミステリのトリック・解決部分がきちんと噛み合っているところに満足。コンパクトにまとまっているのもいい。




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