3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2010年07月

『踊る大走査線TheMovieⅢ ヤツらを解放せよ!』

 新築ビルへの引越しを控えた湾岸所。係長に昇進した青島(織田裕二)は、引越し部長に任命され張り切るが、管内で妙な事件が相次ぐ。てんやわんやとなる湾岸所だが、その騒ぎに乗じて署から3丁の拳銃が盗まれた。犯人の要求は、青島が過去に逮捕した犯罪者を解放すること。でなければ盗んだ銃で無差別殺人を起こすというのだ。更に、新湾岸署のセキュリティシステムが乗っ取られ、すみれ(深津絵里)をはじめ、屋内にいた署員たちが閉じ込められてしまう。監督は本広克行。
 私は「踊る~」のTVシリーズと劇場版1作目(ちゃんと劇場に行った)は楽しく見たが、以降のスピンアウト作品は見ていない(先日TVで劇場版2作目を見たがあんまり・・・)。踊る~に関しては、TVシリーズはそこそこ好きだったがコアなファンではないというレベル。で、劇場版3ですが、世間の評判ほどひどいとは思わないし、2時間以上をとりあえず飽きずには見ることができた。が、この映画を今見たいと思っているのは誰なんだろう、どのへんに向けて作っているんだろうと不思議にも思った。今「踊る~」でないとならない理由が思い浮かばない。
 興行成績は良好でヒットしているようなので、人気があるシリーズなのは確かなのだが、プロジェクトとしてあまりにも広がりすぎていて、この作品本来の良さがなくなってきているような気がする。私が「踊る~」で好きだった部分は、所轄の警察の日常的な業務の部分、それまでの刑事ドラマではあまりなかった、生活感溢れる部分だったのだが、劇場版、スペシャル版とリリースされるにつれ、事件の規模は大きくなり、犯罪者はクレイジーになっていく。更に、新キャラが毎回増えて、次の作品では旧キャラに加えて前作のキャラも出演して、どんどんレギュラーが増えていく。そして毎回お約束の小ネタを随所にちりばめる。作り手のサービス精神旺盛なのはわかるが、映画としてはもう飽和状態。これを毎回やらなくてはならないというのは、監督筆頭、スタッフにとっても出演者にとっても過酷ではないだろうか。もういいよそこまでやらなくても・・・。
 今回一番面白いと思ったのは、実は冒頭の引越しシーン。どうせなら引越しネタメインで2時間見てみたかった。ウキウキ引越しの指揮をとっている方が青島らしいと思うんだけど(笑)。彼は別に、スーパー刑事でもヒーローでもなくていいと思う。だんだん超人みたいになってきちゃってちょっと切ないです。




『ハロルドとモード 少年は虹を渡る ニュープリント版』

 資産家の母親と2人で暮らしている19歳のハロルド(バッド・コート)の趣味は、自殺ごっこと葬式への参列。ある日、もぐりこんだ赤の他人の葬式で、ハロルドは79歳の女性モード(ルース・ゴードン)に出会う。自由奔放なモードにハロルドは徐々に惹かれていく。監督はハル・アシュビー。1971年の作品だ。この監督の作品は見たことないよなと思っていたが、調べたら『800万の死にざま』見てました。『800万~』はお世辞にも名作とはいえなかったが、本作はキュートな佳作。
 ハロルドの母親の衣装がどれも印象に残った。当然70年代テイストなのだが、あーこの人育ちがいいんだろうな、というエレガントなもの。時々妙なアクセサリーつけているのもかっこよかった。元ヒッピーだったのかなという雰囲気のモードのファッション(結構ガーリー)や、ハロルドのお見合い相手の女の子たちの、ちょっと野暮ったいファッションもかわいい。
 老人が子供との交流でもういちど生きなおすという映画はちょいちょいあるが(最近だと『カールじいさんの空飛ぶ家』とか『グラン・トリノ』とか)、本作は逆。死に取り付かれていたハロルドは、この世を全力で楽しむモードのエネルギーに、だんだんひぱられていく。しかも彼女に恋してしまう。ハロルドが「死」にハマっているのは、自殺願望というよりも面白いことがない、生きていても退屈であるという側面が強いのだと思うが、モードは生きている限りつまらないなんてことなどない!と全力で訴えているのだ。だからこそ、2人の関係の顛末にはちょっともやもやが残る。
 ハロルドと母親の関係、母親のキャラクターはある種の類型ではあるのだが強烈。こんな母親だったら、そりゃあ息子は萎縮してしまうだろう。アメリカというと父の国、というイメージだが、ハロルド家は母の国。母親が勝手にお見合いセッティングするのはともかく、お見合い用アンケートに勝手に回答する、しかもだんだんハロルドではなく自分のことを回答するのにはおかしいと同時に怖い。息子と自分の境目がちゃんとしてないというか、ものすごく侮っているというか、意思を持った個人としては扱っていない。確かにハロルドは頼りない息子なんだろうとは思うが・・・。
 ハロルドの自殺ごっこに見合い相手が乗っかって、「ロミオとジュリエット」のクライマックスを演じている最中に母親がやってきたシーンが、母親のハロルドに対する見方を端的に表していた。ハロルドが自殺のフリをしていたときは全く無反応だったのに。




『必死剣 鳥刺し』

 海坂藩の近習物頭・兼見三佐ェ門(豊川悦司)は、藩主・右京太夫(村上淳)の愛妾・連子(関めぐみ)を城中で刺殺した。打ち首と思われたものの、中老・津田民部(岸辺一徳)のとりなしで、1年の閉門という軽い処分に留まり、再び近習物頭として藩主に仕えることとなる。ある日、津田より、藩主家と対立しているご別家の帯屋隼人正(吉川晃司)から藩主を守れという命を受けた兼見。津田は、天心独名流の使い手である兼見なら、剣豪と評判の帯屋を討ち取れるとふんだのだ。原作は藤沢周平、監督は平山秀幸。
 予告編は煽りすぎだったけど、ラストの殺陣は確かに見ごたえがある。豊川はこの時代の人の役としては大きすぎなんだけど(日本家屋サイズではないのでちょっと妙なことに・・・吉川もそうだけどね)、血まみれ泥まみれで殺陣をする姿はフランケンシュタインのようだ。「鳥刺し」はちょっと反則ではという気もするが、「必死」だから許されるかな。このあたりはエンターテイメントとしての時代劇という割り切りがあるように思った。
 私が見に行った時は中高年の男性客がやたらと多かったのだが、どこの劇場でも同じだったみたいだ。上司には逆らえず、思い切って謀反を起こしても結局使い捨てにされる侍の姿に、サラリーマンは己の姿を重ねるのでしょうか。それにしてもびっくりするくらい救いがない話ではある。サラリーマンはその先はともかく退職することはできるが、武士はやめられないのが辛い。兼見は真面目な男で、ごくまっとうに人生を送り仕事をこなそうとしているだけなのだが、めぐり合わせが悪かったとしか言いようがない。
 めぐり合わせが悪かったといえば、兼見と対決することになる帯屋もそうだろう。彼はボンクラの右京太夫よりも才覚があるし農民に対しても良心的だ。が、藩の実権を握る津田にとっては優秀なリーダー候補は速やかにつぶしておかなくてはならない。帯屋の元で兼見が働くことがあればあるいは・・・と思わせるところが切ないのだ。また藩からみたら「悪女」な連子も、腰元らには慕われていた様子で本気の悪女ではなかったんじゃ、と思わせる。
 役者は皆安定していてよかった。津田役の岸辺一徳は笑ってしまうくらいいつもの岸辺一徳だったが、この人はこれでいいんだろうな。また、吉川が案外いい。殺陣が様になっているし、長身の豊川と張り合える体格のよさがスクリーン映えしている。体のキレがよくてちょっとびっくり。




『結婚失格』

枡野浩一著
名前や職業はかえてあるけれど離婚の経緯をかなり赤裸々に綴った、著者の自伝的小説。小説であると同時に、各章で1冊の本が登場する書評でもある。小説の内容とリンクしているようでしていないところが、却って記憶にひっかかる。読書は、実生活とは往々にして無関係に進められるからか。夫である速水の一人称である為、当然妻に去られた辛さや怒り、子供に会えない悲しみが綴られ、速水の妻の行動は理不尽なものに見える。が、読んでいるうちに、妻が去った理由もなんとなくわかってくるのだ。妻には妻の言い分があるはずなのだが、速水はそれをあまり考慮していないんじゃないか、むしろ速水の方が妻を追い詰めていったんじゃないかという部分がぽろぽろ出てくる。そもそも、別居を強いられるほど関係がこじれるまで妻の変化に気づかないというのもなぁ・・・。別居後も、それやらない方がいいんじゃないかなぁと思うことをぽんぽんやっていたりして、自分で事態を悪化させている向きもある。速水はある種潔癖というか、正しさに拘る傾向があるのだが、清濁飲み込めない人が結婚生活(というか他人との生活)維持するのはなかなか難しいと思う。徐々に速水の結婚生活の姿が立ち上がってくる構造はスリリングなのだが、著者がこれを計算して書いているのか天然で書いているのかよくわからない。計算だったらすごいけど、天然だったら、まあ離婚もやむなしでしょうね・・・・。文庫版で読んだのだが、巻末に町山智浩による真摯な説教、もとい解説がついているのでこちらも必読。




『プレデターズ』

 意識を失っていたロイス(エイドリアン・ブロディ)が気づくと空から落下している真っ最中だった。なんとかパラシュートで着地した見知らぬ土地には、同じように拉致され送り込まれてきた人たちがいた。彼らは傭兵やゲリラ、ギャング、凶悪犯という戦闘能力の高い者ばかり。ここはどこなのか?そして彼らを拉致してきたのは誰で目的は何なのか?
 若き日のシュワルツネガーが主演していたことでも有名な『プレデター』(1987)シリーズがなぜか21世紀になって復活。『エイリアンVSプレデター』というスピンアウト作品はあったものの、本作は正式なシリーズ続編となる。監督はニムロット・アーントル。主演が文芸映画のイメージが強い(ブレイク作が『戦場のピアニスト』だし)エイドリアン・ブロディなのが意外だったが、彼はSF映画好きなのだそうだ。そういえば『キングコング』にも出てたもんな(笑)。今回はすごく体も鍛えていて、傭兵役が予想外にハマっている。
 「敵」の姿は1作目を踏まえてなかなか出てこない。拉致られてきた人たちはとりあえずチームで行動するが、それぞれ曲者かつ清い心とは言い難いので、不協和音は絶えない。プレデターとの対決そのものというよりも、お互い信用していない人たちが、なりゆきで共に行動し、それぞれの得意分野や特質が発揮されていくネタの小出し感が面白かった。死亡フラグがわかりすぎないところにも好感。協力的ではなかった奴は最後に起死回生をかけるところや、「ここは俺に任せて先に行け」的王道展開には燃えた。「何が襲ってくるんだ」という怖さは若干薄いが、人間同士のあれこれがクローズアップされているところで楽しめた。彼らもまた「プレデターズ」なのだ。
 プレデターがあまりにも装備条件よくてゲームとしては面白みに欠けるんじゃないの?とか、なぜわざわざ別の惑星を?とか、プレデターさん地球人の個人情報持ちすぎです!とか色々と突っ込み所はあるのだが、タイトに纏めてあるのでダレずに見ることが出来る。ジャパニーズヤクザが登場することが話題になっているが、彼とプレデターとのガチンコは確かにいい。いわゆる殺陣としてはちょっと妙なのかもしれないが、がんばっている。




『レポゼッション・メン』

 人工臓器が発達した近未来。人工臓器メーカーのユニオン社は、ローン支払いが滞った場合、臓器を回収係の社員、通称「レポ・メン」を差し向け強制的に回収していた。その中でもトップクラスのレポメンであるレミー(ジュード・ロウ)は親友ジェイク(フォレスト・ウィテカー)と腕を競い合っていた。しかし、仕事中に事故にあい、自分が高額な人工心臓を付ける破目になってしまう。監督はミゲル・サポチニク。原作はエリック・ガルシアの小説「レポメン」。ガルシアは脚本にも参加している。
 最初からB級SFテイストを目指して作られているように思う。未来都市の造形がそこはかとなくチープなのも、CGがいまひとつぺらっとしているのも、あえての選択だと思いたい(笑)。単に制作費上の事情かもしれないが、だとしてもマイナスになっていない。ハイテク名部分とローテクな部分がちぐはぐに交じり合った世界に味がある。多分アメリカが舞台なのだが中国資本が台頭しているらしいところとか、人工臓器を売る際「ローンで売らないと旨みがない」と言っているところなど、ディティールが細かいところに面白みがあり、単なる安っぽさにはなっていない。人工臓器自体はハイテクなのに、摘出方法は昔ながらのメスとナイフ、しかも工具袋をじゃらーっと広げてビニールカバー装着の作業に臨むというのが、なんとなくユーモラスだ。やりたいところ、方向性がしっかり固まっているので、その他の部分がふわーっとしていても作品がブレない。押さえ所を絞ったことが良かったと思う。
 これだけ医療技術が進んでいるなら刃物類以外で切開できるんじゃないかという気もする。SF的な論考による選択というよりも、監督の好みによって刃物が採用されているんじゃないかなぁ。刃物愛に溢れた作品なのは確かだろう。ジュード・ロウのアクションも、飛び道具はもちろん使うのだが、ナイフによる肉弾戦が見もの。回収屋であるレミーには使い慣れた道具という設定はあるものの、「ジュード・ロウにナイフアクションやらせたいんだよ俺は!」という強い思いを感じました私は(笑)。ジュード・ロウもそのへんを汲んでか自分も好きなのか、ノリノリで演じているように見えた。正直、アクションをやる俳優というイメージが全くなかったので、本作への起用は不思議だったのだが、こういう路線も結構イケる。演技力はあるのに使いにくくて勿体無い(ごめん。でもこの人、スタンダードな二枚目俳優としては過剰な顔の造形なので、一般人役だと胡散臭く見えてしまうのよね)俳優だと思っていたので、こういう作品で好演しているとうれしい。ナイフ使いが大変さまになっております。俳優は概ね好演で、フォレスト・ウィテカー演じるジェイクもいいキャラクター。彼がバーベキューパーティーの途中、車の中で「お仕事」するシーンには音楽のセレクトと相まって、怖いのに笑ってしまう。彼が形はどうあれ最後までレミーに対して友情を保っているところは泣ける。
 ある種のディストピア社会SFではあるのだが、主人公の意識は、社会をどうこうしようという方向にはあまり向けられていない。そもそも彼は自分が人工臓器を使うようになるまで、回収される側の事情は全く考慮していなかった。そんなにセンシティブでもないし頭のよさも普通程度で、わりと底の浅い人というところが面白い。当事者になってようやく物事の他の側面に気づくというボンクラさなのだが、そこに人としての実体感がある。だからこそ最後が切ない。




『神去なあなあ日常』

三浦しをん著
高校卒業と同時に三重県の山奥、神去村で不本意ながら林業に従事することになった平野勇気。最初は不満たらたらだったが、徐々に林業という仕事や地域の人たちに惹かれていく。これはいいお仕事小説。スギ花粉の時期林業の人はどうしているのか、それとも林業やっていると花粉症にならないのかという私の疑問を解決してくれました(笑)。街育ちの少年が、山に魅せられていく過程が生き生きと描かれている。自然ステキ!というのではなく、田舎のコミュニティの面倒くささ(人によってはこういうのは耐えがたいだろうなぁという所もさりげなく描かれている)や商売としての林業の厳しさ、仕事のきつさなどもきちんと踏まえられているところがいい。山好きの人はぜひ。日記のような一人称なので「これは後で言うよ」的な言及があるのはちょっと野暮なのだが、まあいいか。それにしても著者は男子を描くと筆が生き生きとしているというか、楽しそうね(笑)。女性も登場するが、著者が描く女性は気性が激しくて、そこまでやらなくても・・・という気持ちにちょっとなってしまう。ともあれ、さらっと読めて楽しかった。




『バード★シット ニュープリント版』

 屋内野球場アストロドームの地下にこっそり住んでいる少年ブルースター(バッド・コート)は、自力で空を飛ぶために人工の翼の製作と筋力トレーニングに励んでいた。彼を見守るのはコート姿の不思議な女性ルイーズ(サリー・ケラーマン)。一方、町では被害者が鳥のフンまみれという奇妙な連続殺人事件が発生し、敏腕刑事がサンフランシスコから呼び寄せられた。ロバート・アルトマン監督、1970年の作品。コアなファンがついている作品だそうだが、今回ニュープリント版で上映された。
 アルトマン本人は自作の中でベストと評していたらしいが、なぜ彼にとってベストなのか、またなぜ根強いファンがついているのか、いまひとつピンとこなかった。私の事前知識が殆どなく、少年が空を飛ぶために試行錯誤する話だと思っていたから拍子抜けしてしまったというのもある。実際にはそういう部分はあまり出てこず、連続殺人を追う刑事の方が出番が多いくらい。脇で出てくる人たちが全員アクが強くて、やたらとテンション高く駆け抜けていく。そのテンションの高さ、躁状態に当てられてしまった。
 イノセンスの喪失を描いている部分に惹かれる人が多いんだろうなとは思う。ブルースターの守護天使のような存在であるルイーズ(メーテルみたいだなーと思ってしまった(笑))は、彼にちょっかいをかけてくる少女スザンヌを遠ざけようとするが、ブルースターはスザンヌに恋し、ルイーズは去る。守護天使に見放されたブルースターは当然堕ちていく。ただ、ルイーズはスザンヌを「彼女は死神よ」と言うのだが、ルイーズのせいでブルースターは殺人事件の容疑者にされたようなものだし、そもそも飛ぶことを目指した時点で彼の顛末は予測される。本当に死神だったのはルイーズの方とも思える。むしろ、スザンヌと「この世」に留まった方が世俗的な幸せは得られたんじゃないかなー。
 私が本作をあまり面白いと思わなかったのは、イノセンスの喪失=死という面が強調されていたからかなと。ブルースターにしても刑事にしても、わが道を行き過ぎて墜落してしまう。そんなに一途じゃなくてもいいのになぁ。






『ガールフレンド・エクスペリエンス』

 1時間2000ドルで「ガールフレンド」となる高級エスコート嬢のチェルシー(サーシャ・グレイ)の仕事は順調、スポーツジムのトレーナーである恋人とも上手くいっている。しかしある日、気になる男性客が現れる。監督はスティーブン・ソダーバーグ。人気AV女優が主演という話題ばかり先行していたが、そんなに過激なシーンはない。サーシャ・グレイは当然美人でスタイルはいいが、ど美人というわけではなくモデル並の体型というわけでもない。なるほどこのくらいのラインの方がセクシャルなのねと妙に納得した。
 77分という短い作品だが、えらく長く感じた。見た時にあまり体調がよくなかったせいもあるのだが、途中眠くて眠くて・・・意識何度か途切れた。しかし途切れてもあまり支障がない構成。チェルシーが送る日々、そこに現れては退出する男たちの流れのようなものが捕らえられれば、それでいいのではないか。あえて山場を作らないように意図されていたように思う。
 冒頭、チェルシーと男性がデートしている。映画を見て、ディナーを一緒にし、ホテルへ行く。そしてホテルから出た彼女は封筒に入った現金のチェックを始める。ここで彼女が「仕事」していたのだと分かる。一見恋愛ドラマのようなことをやっているが、実際にはお仕事ドラマなのだ(恋愛ドラマのように見えれば見えるほど「いい仕事した」ということになるのが面白い)。チェルシーの仕事ははたから見れば刺激的かもしれないが、彼女にとっては単に「仕事」であり日常の一部だ。ドラマティックなことも起きず、淡々と日常は過ぎる。
 彼女の「お仕事」の話だが、彼女以外の部分でも仕事とお金に関するエピソードや会話が目立つ。リーマン・ショック後、オバマ大統領就任前(選挙を控えている)の時期が舞台なのだが、この時期のホワイトカラー層(の中でもやや上、もしくは相当上)の空気感が感じられる。これらの会話はすべてアドリブによるものだそうだが、国費で企業への経済援助を行うことにはすごく抵抗があるみたいなのが印象に残った。




『カサブランカ』

 「午前10時の映画祭」にて鑑賞。言わずと知れたマイケル・カーティス監督の名作。以前TVで見たことはあったが、スクリーンで見るのは初めて。
 第二次大戦の最中。モロッコのフランス領カサブランカは、まだドイツ軍に占領されておらず、リスボン経由でアメリカで亡命する人たちが必ず立ち寄る寄港地だった。アメリカ人リック(ハンフリー・ボガード)が経営するクラブは亡命者達、そして亡命者相手に商売をする人々のたまり場だった。ある日リックはウガルテという男から旅券をかくしてほしいと頼まれる。その旅券は殺されたドイツのスパイから盗まれたものだった。同じ頃、ドイツ軍の将校シュトラッサーは亡命の為にカサブランカを訪れる反ナチス運動のリーダー・ラズロ(ポール・ヘンリード)とその妻イルザ(イングリッド・バーグマン)を待ち構えていた。クラブでイルザを見かけたリックは驚愕する。彼女はパリでリックと愛し合っていた女性だった。
 こんなに面白い作品だったのか!と今回改めて見て目からウロコが落ちるようだった。以前見たのは小学生の頃だったので、時代背景にしろ人心の機微にしろあまりぴんときていなかったのは確かだ(後者に関しては今もあんまりわかっていないが)。映画にしろ小説にしろ、年齢を重ねたことで新たな発見があるというところが醍醐味だ。
 脇役がとても表情豊かな作品。クラブのピアニストにしろバーテンにしろウェイターにしろ、妙にキャラが立っている。見ていて愛着が沸く造形になっているのだ。彼らの存在によって映画がより生き生きしている。特に割と出番が多い警察署長のルノー(クロード・レインズ)は実にいいキャラクター。彼は立場上、ドイツ軍に協力しておりリックともつかず離れずなのだが、言葉の節々にドイツに対するそこはかとない嫌味がちりばめられており、それが最後の展開へ繋がる。本作の裏主人公と言ってもいいかもしれない。
 また、確実に愛国心を煽る為に作られていることもわかる。プロパガンダとしてよくできていることが、当時の時代背景を知ってから見ると実感できる。クラブでドイツ兵に対抗して「ラ・マルセイエーズ」を全員で合唱するシーンなど最たるものだ。ルノーに目もくれずドイツ兵に愛想よくしていた水商売の女が、涙を流して歌い始めるシーンなど、あざといが上手い。ここぞというところで確実に盛り上げる手腕が手堅い。
 基本メロドラマだが、登場人物が結果的にロマンスには殉じないところが面白い。子供の頃に見た時は、リックにしろイルザにしろ行動に納得いかなかったのだが、今見るとほんとにいいラスト。リックとイルザの間には確かに愛があるのだが、イルザがラズロと共有しているものは、彼女の生き方に関わるものだ。イルザ自身はあまり自覚しておらず、リックの方が気づいているというところがまた面白い。




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