3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2010年06月

『アイアンマン2』

 自らの発明品であるパワード・スーツで敵と戦う、天才科学者にして大手企業CEOのトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)は、自らの正体をマスコミに明かし、アメリカを守るヒーローとしてもてはやされるようになった。しかし、アメリカ政府はパワードスーツを武器とみなし、スタークに引渡しを要求してくる。ある日カーレースに出場したスタークは、自分と同じような装置を身に付けた男・ウィップラッシュ(ミッキー・ローク)に襲われる。ウィップラッシュはスタークと彼の父親に恨みを抱いていた。監督は前作に引き続きジョン・ファブロー。
 前作は非常に楽しく見たので、2にも期待していたのだが、前評はいまひとつ。で、期待値を若干下げて見てみたものの、うーんやっぱりいまひとつ。1作目より豪華になっているのはわかるが、素材の詰め込みすぎで話は間延び気味、「燃える!」感も薄く、「そこそこ面白い」止まりになってしまった。ストーリーとしては、他作品との連携上の都合なのだろうが、アベンジャーズ絡みの部分は不要だと思う。アメコミを知らない人(まあ、そんな人客として想定していないということなんでしょうが)には何のことやらわからないだろう。
 主人公であるスタークは、超お金持ち、超モテモテ、超ワガママ、しかも天才という嫌味(笑)なキャラクターなのだが、前作では嫌味さをぎりぎり回避するかわいらしさがあった。しかし今回は、そのかわいらしさがあまり発揮されていなかったように思う。今回、スタークは自分がアイアンマンであることをカミングアウトしてしまう。自他共に認めるヒーロー・・・なのだが、「オレ正義!」加減があまりに無邪気で隙だらけなので、そんなんで国防できるの?!と思ってしまう。しかも基本会社経営者だから、もっと魅力的な条件を提示されたら海外へ行ってしまうこともありえるんじゃないの?といらぬ心配までしてしまった。これはなまじ軍とかライバル企業とか出してしまった設定上のミスかもしれないが。1人でアメリカを守るというファンタジー方向に突き抜ければよかったのかも。
 最近のアメコミヒーローは、『ダークナイト』筆頭に自身のヒーローとしてアイデンティティ、正義のあやふやさに悩み葛藤するという傾向が強かったので、その反動としてスタークのようなヒーローが出てきたというのは頷ける。確かにうじうじ悩むばかりのヒーローや、『ウォッチメン』のようなメタ構造ヒーローばかりでは見ていて疲れてしまう。が、スタークは根がただの煩悩おやじなんだよなー。別に正義感にかられているわけではないし倫理観もあやしい。こういう人がヒーローとして祭り上げられている国はちょっと嫌だ(笑)。敵役であるウィップラッシュの方が人として厚みがありそうだし(笑)、なんかかわいそうなので肩入れしたくなっちゃう。金持ちに対するひがみとかじゃないですよ、ええ。




『マイ・ブラザー』

 海兵隊員のサム(トビー・マグワイア)は刑務所から出所した弟トミー(ジェイク・ギレンホール)と入れ替わるようにアフガニスタンへ出征するが、やがて妻グレース(ナタリー・ポートマン)の元には彼の訃報が届く。悲しみにくれるグレースと2人の幼い娘を支えようとするトミー。娘達はトミーに懐き、グレースも心を開いていくが、突然サムが生きていたという知らせが入った。監督はジム・シェリダン。スサンネ・ビア監督作品『ある愛の風景』(2004)のリメイク作品となる。
 リメイク元であるビア監督作品では、ある人の不在(あるいはこれから不在となる)により周囲に変化が生じるというパターンが多様されているように思う。私は『ある愛の風景』は未見なのだが、本作を見る限りでは同じパターンだろう。そして本作の場合、一旦不在となった人が再び戻ってくる、しかも別人のようになっているから厄介だ。
 サムは戦地で過酷な体験をし、心に深い傷を負っている。しかし彼の体験は家族には想像も共感も難しく、家族には彼がなぜ苛立ちおびえるのかがわからない(わずかに共感を見せるのは軍の上官だ)。特に、グレースや娘達とトミーの関係が上手くいきかけていた時に戻ってきたサムは、最早闖入者。反対にサムにとっては、自分のポジションをトミーが奪ったようにも見える。愛していた者が戻ってきたのに、彼らの関係はむしろ悪化していく。人、また人と人との関係を厳密には元に戻すことは出来ない、適応していくしかないという、見ようによっては冷たくも見える視線がある。ただ、変化できるということに対しては肯定感があり、そこに希望がある。トミーと銀行員とのエピソードは(きれいすぎではあっても)その象徴だと思う。
 さて、戦争映画で被害者として設定される立場には色々あるだろうが、本作ではアメリカから戦争の現場に出向いた兵士が、いわば被害者として扱われている。戦場は一貫して彼らの視点なので、アフガニスタンの兵士たちにも彼らの正義や主義主張があり、彼らの中からも幾多の死傷者が出ている、といった側面は一切描かれない。アフガニスタンの兵士は敵であり、冷酷、残酷で意思疎通のできない存在とされている。つまり、客観的に戦争を描くものでは全くない。そもそも、特定の戦争を描くという意図は薄いのではないかと思った。
 出演者に恵まれた作品だが、特にトビー・マグワイアがすばらしい。あざといくらいの熱演で体格のコントロールも万全だ。やつれ方に説得力がある。また、ジェイク・ギレンホールは個人的にはさほど好きな俳優ではないが、今回はつまづきがちな次男という役がハマっていた。あと、子役2人がすばらしい。どういう演技の付け方をしたのか気になる。子供をからめたシーンはどれもよかった。特に、美少女な妹にコンプレックスを抱く長女を、やはり出来の良くない弟であったトミーが気に掛けるシーンはとてもよかったし胸を突かれた(この長女の思わぬ発言が大きな波紋を生んでしまうのだが)。帰ってきた父親との距離感といい、子供の心の機微がさりげなくも細やかに描かれている。




『ボックス!』

(そこはかとなくネタバレかもしれない)
 真面目で気弱な高校生ユウキ(高良健吾)は電車内でヤンキーに絡まれたところを、数年ぶりに再会した幼馴染のカブ(市原隼人)に助けられる。ボクサーを目指すカブは、高校のボクシング部にユウキを誘い、ユウキもボクシングの練習に打ち込むようになっていた。一方、練習嫌いだが才能があり、負け知らずだったカブは、超高校級とうたわれる稲村との試合で大敗し、ショックから部を去ってしまう。監督は李闘士男、原作は百田直樹の同名小説。
 王道中の王道な青春映画。だいたいこんな話だろうと見当つけたら、それがそのまま再現されるというお約束厳守ぶりだ。しかしそれがいい。型にははまっているが、その中できちんとドラマを作っているので安い感じはしない。若干話の進みがスムーズすぎるとは思うが、さほどの瑕ではないと思う。李監督は『てぃだかんかん』といい、ベタをベタとして堂々とやる能力が上がってきているのではないだろうか(前作今作と脚本が安定しているのも大きいだろうが)。商業監督としては貴重な資質なので、ぜひこの路線で撮り続けて欲しい。
 天才肌の強気少年と努力家の弱気少年がボクシングに打ち込みはたまた挫折し・・・というと、映画好きならほぼ全員が『キッズ・リターン』(北野武監督作品)を連想するだろう。確かに構造としては似ている。しかし、目指す方向性は全く逆だと思う。『キッズ・リターン』は青春の挫折、影の部分を主に描いたが、本作は挫折はあっても基本的に陽性だ。また、本作は主人公2人の関係がブレない。ユウキは地道な努力によってカブの才能に肉薄するが、最後までカブはユウキにとってのヒーローであり、ユウキはカブにとって守るべき存在だ。2人で前へ進んでいく姿が清々しい。
 彼らの「その後」も、『キッズ・リターン』のような苦いものではなく、それぞれの「その先」を示唆するものだ。たとえある道でうまくいかなくても、人生がそれで終わるわけではない。本作の場合、主人公達と同年代の少年少女(キャスティング的には特に少女)を主な客層に設定しているだろうから、明日に希望を持てるようなお話にした方がそりゃあいいだろうなとは思う。私のように暗い青春を送った若者にはまぶしすぎるかもしれないが、若いうちはこういう作品見た方がいいよなと今になって思う。こういうまっすぐな映画を私も受け止められるようになったかと思うと何か感慨深いものが・・・。
 主演2人がとてもよかった。市原は役にハマる時とハマらない時の差が激しいように思うが、本作は「いいヤンキー」度が存分に発揮されていている。体もしっかり作っているのボクシングシーンも見劣りがない。対する高良も動きがいい。彼は主役というより2番手で光るタイプのように思う。一歩引いた演技が出来る俳優だと思う。なお、ヒロインのはずなのにいまひとつ華がない谷村美月は、難病の少女役。こういう設定は近年の「泣ける」映画であまりに量産されていて、いざ出てきてもネタにしか見えないのが辛い。


 





『ブリット』

 TOHOシネマズ「午前10時の映画祭」で鑑賞。ピーター・イェーツ監督の1968年の作品。ロバート・L・バイクの小説原作。ラロ・シフリンの音楽が60年代ぽさをむんむんかもだしているハードボイルド。
 裁判の証言台に立つチンピラのジョニーの護衛役となった刑事ブリット(スティーブ・マックイーン)。しかしジョニーはかくまわれていたホテルで、ブリットの部下共々襲撃された。ブリットはジョニーの死を伏せ、犯人探しに奔走する。
 タイトルロールが妙に長いと思っていたら、エンドロールがびっくりするくらい短かった。冒頭でスタッフ全員紹介してしまっているみたいだ。このタイトルロールがかっこよくて、わくわく感をあおられた。すごく洗練されているというのではなく、クールを狙いすぎた野暮ったさや古臭さ(60年代の作品なので)はあるものの、そこがまたいい。
 で、本編はキメキメのタイトルロールに比べると大分泥臭かった。ブリットは新聞にもよく名前が出る(小説とかでもよく出てくるけど、アメリカの刑事って新聞に名前が載っちゃうんですね。今もそうなのかしら。変な逆恨みとかされないだろうかといらぬ心配をしてしまう)名刑事なのだが、捜査方法は決してスマートなものではない。無茶なゴリ押しもするし、ダーティな取引に目をつぶることもある。ヒーローというよりも職人的に黙々と仕事をこなす。ただ、彼の捜査は職務である以上に、自分自身の筋を通す、おとしまえをつける為のものに見える。真実の解明には必ずしもつながらない。彼がやったことは短期的には正義の執行かもしれないが、長期的には却って正義がなされるのを妨げるものでもあるのだ。ジョニーを召喚した政治家チャーマスの方が、狡猾ではあるが長期的に見れば正しい選択をしているとも言える。このようにブリットが何かを成し遂げた、とは言いにくい状況なので、ホロ苦さが残った。
 乾いた空気感が魅力だった。これはサンフランシスコという舞台のからっとした雰囲気も大きいのだろう。本作はカーチェイスが有名だが、サンフランシスコは坂が多く、正面からのショットでも後続車両がしっかり見えたりと、カーアクション向きの地形なのかもしれない。ただ、最近の映画の華麗なカーチェイスとはだいぶ趣が異なり、ごつごつした荒っぽいものだ。急カーブも曲がり切れているのかいないのか微妙な感じで横滑り具合がすごい。アクション技術も日々進化してきたんだなーと今更ながら感心した。
 ところで、ブリットの自宅はアパートメントの2階らしいのだが、なぜか階段を上がりきったところ(多分玄関口みたいなところ)に冷蔵庫がある。なぜそんなところに?






『座頭市 THE LAST』

 妻を得、やくざな生活から足を洗おうとしていた市(香取慎吾)だが、追っ手に妻を殺され、ヤクザ一家を追いさまよっていた。辿り着いたのは故郷の村。昔なじみの柳司(反町隆史)の世話になり、市は百姓として生きようとする。しかしその村は非道なヤクザ、天道(仲代達也)一家が牛耳っていた。監督は阪本順治。
 私は勝新太郎の座頭市はちゃんと見たことがないし、リメイクものでも見たことがあるのは北野武版と綾瀬はるか版のみ(武のは面白かったと思う)。なので、香取慎吾が市のイメージに合っているのかどうかということはよくわからない。ただ、わからないなりに、もうちょっと老けた、無骨な感じの人の方がイメージには合っているのではないかと思った。香取は声も外見も若々しく、特に声が子供っぽいところがある(実年齢の若さというより、彼が若々しいキャラクターなのだろう。そこがチャームポイントでもある)。この若々しさが、修羅場をくぐってきた、人生に少々飽いているような男にはあまりそぐわなかったように思う。また、香取は長身で体格もがっしりしているので、本作のような小回りをきかせた殺陣をやると、少々もたついているように見えてしまう。
 その殺陣だが、スピード感はあまりない。役者の技量というよりも、あえてもったりとした間合いにしているのではないかと思った。阪本監督作品でアクションシーンの含まれたは、最近だと『カメレオン』、それより前だと『忘却のイージス』があるが、どちらも最近主流となっている(『ボーン・アイデンティティ』以降というか)スピーディーで流れるようなアクションシーンではない。もっと泥臭く、ドタドタした感じがする。実際に人が動く時のスピードはこのくらいだろう、という目測で設定されているような気がする。スピーディで目に気持ちいいアクションは、阪本監督の中では手ごたえのないものなのかもしれない。血しぶきが全く見られない(流血はするが、想定される傷の深さからすると明らかに少ない)ところも興味深かった。TVの時代劇みたいだ。時代劇では血しぶきはあがらない、というのが監督の中でのルールなのだろうか。
 仲代達也が演じる悪役が一人で妙なオーラを放っていたり、ARATAの冷血演技が結構はまっていたり(彼はすっかり棒読みしても許される、むしろそこがいい!俳優になったな)と、キャスティングでは面白いところはあるのだが、ドラマが緩慢でメリハリに欠けていたように思う。追い詰められた百姓たちを助ける、という流れは自然だが、市も百姓になろうとする、という動機の部分が弱い。復讐なのか助太刀なのか、ドラマの主線をシンプルにした方が、こういう作品は見ていて腑に落ちるんじゃないだろうか。「弱さ」の話とか、文脈が混乱しているように思った。




『ジュ・ゲーム・モワ・ノン・プリュ』

ブルボン小林著
ゲーム好きで、かつて「サクラ大戦」攻略本製作のライター仕事もしたことがあるという著者によるゲームコラム集。いくつかの媒体に連載されており、主に2000~2005年ごろに書かれたものだと思うのだが、妙にテンションが高い(笑)。あーこの仕事楽しかったんだなーというのが伺える。読んでいて若干気恥ずかしくなるものも・・・。しかしゲーム業界の10年間の変化はすさまじいなと思った。4,5年前のゲームでもおっそろしく古く見えちゃうんだもんなー。なお私は全くゲームはやらないのでゲーム評が妥当なのかどうかわからないのだが、それでも読んでいておもしろかった(ゲームのタイトルくらいはわかるものも多いし、本著で取り上げられているゲームはレトロゲームも多いからかもしれないが)。いわゆるゲームオタクではなく、このゲームのここ楽しい!ここ変だよね!というような突っ込みすぎない線のひきかたが、読者に対する間口を広げている。また著者の話法に芸があり、くすぐりが上手い。このくすぐり、一定年齢以下にはまったくかすらない気もするが。読むタイミングが難しいかもしれない。






『マンガホニャララ』

ブルボン小林著
ゲーム関係のエッセイで知られる著者の、初の漫画評論集。表紙と自画像はなんと藤子不二雄A先生ですよ!もう嫉妬のまなざし!表紙と表紙下のハットリ君もかわいすぎるわ!さて中身はさすがというか、非常におもしろい漫画評論。雑誌連載されていたごく短い、コラムのようなものが殆どで、気軽に読める(食いたらないといえばたらない)が、時々対象となる漫画の核の部分をすぱっと突いている。漫画は絵と文字で出来ているが、特にセリフと全体の構成への言及が多いところが、著者の出自を感じさせて興味深かった。絵に対する言及はかなり少なかったように思う。いわゆる「このマンガがすごい!」的な番付に載っているものはあまり出てこない。かといってマニアックというわけでもないスタンスが丁度良い(著者はいわゆるオタク文化圏の人ではない)。本著の最大の功績は、『打姫オバカミーコ』(片山まさゆき)を取り上げたところだろう(本気ですよ)。こういう作品をちゃんと紹介する漫画評論家やマンガランキングはなかなかないので貴重。あと、実在の人物を主人公にした、あるいは実在の人物が脇役として登場する漫画を著者は妙に好んでいるみたいだが、これは正直どこがおもしろいのかわからないなー(笑)。






『聖母の贈り物』

ウィリアム・トレヴァー著、栩木伸明訳
アイルランド生まれの著者による短編小説集。これは素晴らしいですね。名匠と呼ばれるだけのことはあると納得です。人生の皮肉も美しい一瞬もひっくるめて描いている。でも「あるある!」と言いたくなるのは『トリッジ』のような意地悪さのある作品なんだよな(笑)。表題作を含め、何らかの形で孤独を描いた作品が多い。孤独といってもさびしいとか不幸であるとかではなく、自分の人生はそういうものである、という納得と共にある孤独も。『丘を耕す独り身の男たち』『雨上がり』には、主人公が孤独を自分のありかたとして昇華する瞬間が描かれているように思った。ただ、『マティルダのイングランド』のように、あまりに自分にとっての世界のありかたに拘ると、世界と隔絶してしまうことにもなるのだが。著者が育ったアイルランドの風土、人々の気質や宗教的な背景も色濃く反映されているのだろうが、勉強不足で具体的にはわからず。すごく頑固な人が多い気がするけど・・・。






『湖畔』

ジョン・マクガハン著、東川正彦訳
アイルランドの田舎を舞台に、ロンドンから越してきた夫婦を中心に、住民たちの日々の生活を描く。群像劇だが、中心にいるのが元々アイルランドで生まれ育ったわけではない夫婦なので、地域の営みの中にいつつも、すこし距離感のある視点になっている。小説としては、この方が読みやすい。何か大きい事件が起きるわけでもなく、淡々と感情過多になることないが、ささやかでも地に足をつけて生きていく豊かさが感じられる。またその中にも老いや、人生の岐路に立つ迷いなど、陰影があり、ホロ苦くもある。登場する人たちの多くが年配だからか、黄昏た雰囲気が色濃いのだ。といっても、個性的な人が多くおかしみもある。アイルランドのおじいちゃんたちがやたらと頑固だしアクが強いし、ご近所さんとして付き合うのは大変そう。中心となる夫婦が人格者すぎるわ。







『パイは小さな秘密を運ぶ』

アラン・ブラッドリー著、古賀弥生訳
イギリスの片田舎の屋敷に父、2人の姉と暮らしている11歳の少女フレーヴィアは、化学実験が大好き。ある日の早朝、屋敷の畑で瀕死の男を発見したフレーヴィア。男は奇妙な言葉を言い残して死亡し、フレーヴィアの父親は容疑者として逮捕されてしまう。犯人捜索を開始したフレーヴィアだが。1950年代のイギリスを舞台にした少女探偵ミステリ。イギリスの田舎という舞台はコージィーミステリの定番だが、主人公であるフレーヴィアがとても魅力的。化学好きで特に毒薬マニア。頭はいいが、頭でっかちなので時にとんちんかんなことも言う。生意気で「いい子」とは言い難いが、どうも憎めない。この、自分の妹だったら面倒くさいことこの上なさそうだが嫌いになれないという、キャラクター造形の匙加減が丁度いい。父親や姉ら、家族との関係がきちんと描かれているところも、面白さを増している。特に父親との、愛情はあるがお互いどう伝えていいかわからない、距離のある関係の描き方は上手い。ミステリ部分よりも、フレーヴィアという少女を描いたという部分に良さがある。







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