3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2010年06月

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

 ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は施設で育った幼馴染で、今は建物解体の工事現場で働いている。仕事はきつく低賃金で、先輩の裕也(新井浩文)は陰湿ないじめをしてくる。ある日2人はカヨ(安藤サクラ)をナンパし、ジュンはカヨの部屋へ居候するようになった。一方ケンタは職場に耐え切れなくなりある行動に出る。
 監督は『ゲルマニウムの夜』の大森立嗣。表現したいこと、主張したいことはわかるのだが、主張したいことが先に立ってしまって「映画」としての側面が弱くなっているように思った。監督の一生懸命さはわかるのだが、気が急いているのか、言いたいことを全部セリフにしてしまっているように思った。また、田部美華子演じた女の子が、ある類型として作りたかったのはわかるが類型としてもあまりに時代遅れだったりと、もうちょっと粘ればもっとよくなったのになぁという部分が多く、もどかしい。貧しさを描いても、映画が貧しくなってしまってはいけないだろう。
 絵の力もいまひとつ印象に残らなかった。役者の魅力に頼るところがかなり大きく、顔のアップが多いのだが、これは(私個人の好みとしては)よっぽど上手い役者じゃないと退屈な絵になりがちだと思う。松田も高良もいい若手だと思うが、映画の魅力を全部背負わせるのはまだ荷が重いのではないだろうか。また、安藤サクラは女優としては出オチぎりぎりのパワーがあると思うが、本作での露出時間は実はそれほど長くない。
 見ていてとても息苦しい作品だったのだが、それが監督の意図した息苦しさであるのか(現状に息苦しさを感じている若者達の話なので)、それとも映画として窮屈だから感じる息苦しさなのか、よくわからなかった。ケンタはここから抜け出してどこかへ行きたいと切望し、しかし「どこか」などどこにもないと突きつけられるのだが、せっかく映画という形をとっているのだから、もっと絵の部分でその過程を見たかった。
 ロードムービーではあるが、「どこか」へ辿り着けるという気がしない。一応網走を目指しているのだが、そもそもケンタもジュンも網走がどこなのかいまいちわかってないし、行ってどうなるというものでもない。ただ、カヨが出ているシーンはいきいきとして、ロードムービーとしての色合いが濃くなる。カヨがいなくなりケンタとジュンの2人になると、とたんに道行の色合いが濃くなる。カヨはケンタやジュンよりも今を生きることに積極的なのだ。
 




『告白』

 教師の森口(松たか子)の一人娘、愛美が学校のプールで遺体となって発見されるという事件が起きた。終業式の日のホームルームで、森口はこれは殺人であり、犯人は彼女が担任である1年B組の中の2人だと断定し、ある方法で彼らに復讐する。森口は教職を辞し、1年B組はそのまま2年B組になった。そして犯人Aはいじめの対象となり、犯人Bはひきこもりになっていた。
 原作は湊かなえの同題名作品。今やベストセラーとなっているが、私は残念ながら未読だ。しかしおそらく、本作は原作をとても的確に解釈・再構築しているのではないかと思う。原作ものの映画が面白いと、じゃあ原作も読んでみようかなと思うことはあるが、本作の場合は映画が面白すぎて原作を読む必要を感じなかった。監督は中島哲也。
 映画にしろ小説にしろ、読者・観客が共感しやすい作品の方が一般的に間口が広くウケが良いように思う。しかし本作は中学生の犯罪、それに対する教師の復讐という、ショッキングだと言われそうな内容だ。登場人物の言動に不快感を感じる人もいるだろう。登場人物の誰にもあまり感情移入したくない話だと思う。そういう話を娯楽作としてヒットさせるのは至難の業だが、共感しなくていいという方向に持っていっており呻った。
 本作の登場人物は(原作はどうだか分からないが)、意図的にステレオタイプの薄っぺらい造形にしてある。いわゆる「リアル」な人間味のある造形ではない。リアルさは森口が雨の中うめくシーンのように、ごく短い、共感しても差し支えないような部分でのみ発揮される。人物造形だけではなく、映像も極端に人工的なものだ。元々過剰に加工したきらびやかな(時に毒々しい)映像が中島監督の特徴ではあったが、今回は色彩は押さえ、冷たい人工的な雰囲気になっている。「作り物」感を強化することで、観客にとっての他人事度を上げ、「復讐エンターテイメント」として仕上げられていると思う。正直なところ、本作を見ても命の尊厳がどうこうとかいう方向にはあまり考えが向かわない。原作自体がおそらく極端なところのある作品なのだと思うが、その極端さをより強めたのが映画版なのでは。
 森口はウェルテル(岡田将生)のような熱血教師ではなく、生徒に対しても敬語だ。彼女は復讐相手が中学生であるということを利用してはいるが(彼女のやり方は不確定要素が多いが、相手の無知さや浅はかさを利用して、転がり始めればどうとでも応用がきくというタイプのもの)、中学生だからといって舐めてはいない。最後まで一個人として復讐を敢行する。少年犯罪がどうとか教育がどうとかいうことは、本作の本筋ではないのだろう。あくまで女の復讐譚。もっとも、教職を捨てた彼女が奇しくも彼らに「教える」ことになってしまう構図が皮肉だ。




『ブライト・スター 一番美しい恋の詩』

 1818年、ロンドン郊外の町ハムステッドに住むファニー(アニー・コーニッシュ)は、隣に下宿しているブラウンとは犬猿の仲。しかしブラウンの友人である詩人のキーツ(ベン・ウィショー)に惹かれる。キーツもまたファニーに思いを寄せるが、貧乏で地位もないキーツにファニーと結婚できる望みはなかった。監督・脚本はジェーン・カンピオン。6年ぶりの新作になる。
 キーツは明らかに貧乏なのだが、ファニーの家もそれほど裕福というわけではない様子が見て取れる。パーティーとファッションに入れ込んではいるものの、生活はむしろ質素で家もそんなに大きくはない(ファニーは妹と同じ部屋)。父親の姿は見えず、下宿人からの賃料も生活費にあてているようだ。ごくごく中流の家庭なのだろう。当時の中流階級の家庭の暮らしぶりが垣間見えて面白い。また、ファニーが外出する時には必ず弟(時には妹も)が付き添っていたり、母親がファニーとキーツの仲を認めてはいるものの、いい縁談がなくなると心配したりという、当時の男女交際ルールが窺える点も興味深かった。
 ストーリーにはさほど起伏がないのだが、情景のひとつひとつがとても魅力的。監督の過去作品では『ピアノ・レッスン』が顕著なのだが、林とか草原とか、草木のある屋外での絵の作り方がとてもいい。本作だと、ポスターにも使われているラベンダー(多分)畑の中のファニーとか、キーツとファニーが散歩しているところとか、一家がピクニックしているところとか、田舎にしろ街中の公園にしろ、野外の空気感が感じられる。そこはかとなくユーモアもあり、幼い妹の目を盗んで手を繋ぐうち、「だるまさんが転んだ」状態になるところはすごくかわいいし美しい。見ていて目にやさしい映画だった。
 キーツとファニーは将来の具体的な見込みがない、2人の思いだけで成立しているような関係だが、それゆえ密度が高い。2人でただ歩くシーンがどれもチャーミングだった。ファニーの手製のドレスがどれも、この人本当に服が好きなんだなーと思わせるもので目を引かれた(部屋着がまたかわいい)。ブラウンに「ドレスと舞踏会にしか興味ないアホ女」扱いされても「お裁縫はお金になるわよ」と切り返す気の強さなど、好感が持てる(男性ウケは悪いタイプの女性かな~という気はしますが)。彼女は特別に頭が良いとか教養豊かというわけではないが、好きなものは好き、それで何が悪いと開き直れる強さがあって、キーツはそこに惹かれたのかもなと思う。




『闇の列車、光の旅』

 メキシコ南部の町に暮らすギャングの青年カスペル(エドガー・フロレス)は恋人マルタに夢中だが、仕事をサボって彼女に会っていることをボスに勘付かれる。一方、ホンジュラスに住む少女サイラ(パウリーナ・ガイタン)は、強制送還されてきた父の手引きで、叔父と共に父の家族が住むアメリカを目指し、貨物列車の屋根に乗り込む。しかし同じ列車に、強盗目的でガスペルとギャングのボスが乗ってきた。監督はキャリー・ジョージ・フクナガ。
 メキシコという土地柄のせいなのかカメラマンのセンスなのか、色彩が鮮やかで美しい。きれいなものも汚いものも鮮烈だ。生命力に満ちている。特に列車が駅に入ってくるシーン、不法乗車待ちの人の群れがいっせいにうごめき出すところにぞわりとした。危険を承知でここから抜け出そうとしているという人々のエネルギー量にあてられそうになる。
 人生お先真っ暗になってしまった青年と、無鉄砲とも言える一途さを持った少女のロードムービー。青年にとっては贖罪の旅、少女にとっては明日を掴む為の旅だ。カスペルは自分の身が危険になるとわかっていても、サイラを助けてしまう。それまでの彼ならおそらくやらなかったことだ。彼の行動は衝動的で、何かの臨界点を越えてしまったように見えた。
 人生を変えたいと願い、変化していくのは主にカスペルで、サイラの行動は概ね首尾一貫している。彼女は「(カスペルを)信じる」と言ったら最後まで信じるのだ。彼女が変わったとすれば、父親に勧められたからではなく、自分の意思でアメリカへ渡ろうとするようになったところだろう。もっとも、カスペルの人生は終わりが見えているし、サイラはアメリカへ無事着いたとしてもその後の生活の保証はない。2人とも不確かなものを信じて進むしかないのだが、それでも進むという姿勢が、物語をひっぱっていた。
 カスペルのほかにもう一人、大きく変化していく人物がいる。カスペルの弟分の、まだ幼い少年だ。組織を裏切ったカスペルを追い、ギャングとして後戻りできない道を進んでいく。彼の子供時代が急速に終わっていく様を見ているようで苦しかった。




『ユニバーサルソルジャー:リジェネレーション』

 テロリストグループによってロシア首相の子供たちが誘拐された。彼らは閉鎖されているチェルノブイリ原子力発電所を乗っ取り、取引に応じないと子供たちを殺し原子炉を爆破すると脅してきた。テロリストグループは最新の強化兵士「NGU」を使っており、軍は歯が立たない。軍は凍結された強化兵士「ユニバーサルソルジャー」を再度起動させるが、NGUの性能には及ばない。普通の人間に戻るためのリハビリを受けていた初期型ユニソルのリュック(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は戦場に呼び戻されるが。
 なぜか18年ぶりに続編が公開されたユニソル。監督のジョン・ハイアムズは格闘技ドキュメンタリーの仕事を長くしていた人だそうで、肉弾戦となるアクションシーンは撮りなれている感がある。最近のアクション映画はとにかくスピード命!な傾向があるが、本作のアクションは肉体の重さ、重力を感じさせるものだ。途中コマを抜いているのかなというシーンもあるが、早さを強調した演出ではないと思う。また、臨場感を煽る為に使われがちなカメラの手ブレ風な撮り方もあまりない。手足の動きを見せようという方向へ意識がいっているようにも思った。監督の出自を聞いたからそう思うだけかもしれないが・・・。
 私は1作目は未見なのだが、ユニソルの設定さえ知っていれば問題なく楽しめる。主演がヴァン・ダムなだけに、お気楽なB級アクションかなーと思っていたのだが、これが予想外に陰鬱。単純に秋頃のロシアで寒そう、薄暗いというのもあるのだが(笑)、凍結されていた初期型ユニソル、あるいはリハビリ中に強制的に復帰させられ、中途半端に人間としての感情を残した状態で、自分が長くはもたないとわかっている戦いに赴くリュックの姿は正直泣ける。演じているのは当然ヴァン・ダムなのだが、彼の主演映画『その男ヴァン・ダム』をふまえて本作を見ると更にせつなさ倍増だ。初期型ユニソルと、もう若くはないヴァン・ダムの境遇がダブってしまい、ご本人には不本意&迷惑なのは承知の上だが、悲壮感が漂う。
 ストーリーはユルユル(そもそもチェルノブイリを占拠できた時点で人質の必要ないんじゃ・・・)でメリハリに欠けるところはあるが、本作がジャンル映画であることを考えると異色ともいえる陰鬱さ、哀愁が妙に心に残った。なお、チェルノブイリがあまりにアバウトな廃墟でそんなわけあるかー!と思いました(笑)。いくらなんでももうちょっとちゃんと管理していると思う。




『ローラーガールズ・ダイアリー』

 田舎町で両親と暮らす高校生のブリス(エレン・ペイジ)は母親(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の意向で地元の美人コンテストに出ているが、気乗りしない。ある日女性だけのローラーゲームを見たブリスはその迫力の心奪われ、年齢を偽って入団テストを受ける。女優ドリュー・バリモアの初監督作品。本人出演もしており、チームノムードメーカーである元気な女性を演じている。
 うだつのあがらない日常をすごす少女が新たな自分を発見していくという、非常にオーソドックスな青春物語であり、堂々たるガールズムービー。初監督作品とは思えない。ストーリー自体には新鮮味はさほどないものの、出演者に魅力があり生き生きとしている。ペイジはいわゆる美人ではないが(いそうでいない顔という気はする)表情や動作がチャーミング。また、チームの先輩であるマギーを演じるクリスティン・ウィグが、ちょっと疲れた感もありつつかっこいい。チームメイトに『デス・プルーフ』で大活躍したゾーイ・ベルがいるのもうれしい。そしてヒールに徹するジュリエット・ルイスがかっこよかった。胸のなさも小じわも全く隠そうとしない潔さ!
 ガールズムービーとして所々盛り上げすぎて、その「ガールさ」にちょっとついていくのがきついなと思わなくも無かった。プールのシーンとかダイナーでの調味料かけあいとか、ノリに振り落とされそうだったし、撮っていて楽しかったんだろうなとは思うが、こういったシーンでちょっと間延びしている。ただ、そんな浮かれたエピソードがあっても、物語のベースに娘と母親との関係があることで、浮ついた感じにはなっていない。
 ブリスの母親は娘に「'50年代みたいな考え方」と言われる通り、「女の子はミスコンで優勝して条件のいい男と結婚するのが幸せ」と信じている。彼女自身もミスコン受賞者だが、ブリスの家の様子を見ると特に裕福という感じではなく、かなり庶民的。母親も仕事をしている(地域の警備員なのか清掃員なのか・・・いまいちわかりませんでした)。両親が愛し合っているのは明瞭なのだが、母親にとって今の生活は望んでいたものとはちょっと違う、少し後悔の残るものなのだろう。だから彼女は、ブリスに自分が逃した人生を獲得してほしいと願う。しかしブリスにとってそれは荷が重く、自分にそぐわないものに感じられるのだ(そもそもどう見てもミスコンで優勝できるタイプのルックスではないのだが・・・親の欲目ってすごいな)。
 ブリスは母親を愛しているし、できることなら母親の意に沿いたい。このニュアンスは、ブリス当人よりもそれを見ている観客(や、彼女の親に対する態度をそれとなくいさめるチームメイト)の方がよくわかると思う。ブリスは自分の親、特に母親に対する思いを上手く言い表すことが出来ずにいたのだろう。あるシーンで、「(母親に対して)罪悪感を感じる」という言葉が彼女の性格や家族との関係をよく表している。愛情があることと理解があることはイコールではない。でも愛情があるから理解はできなくても許容はしようとする親の姿にややほっとするのだった。




『あの夏の子供たち』

 映画プロデューサーのグレゴワール(ルイ=ドー・ド・ラングザン)は仕事の資金繰りの為に日々奔走していた。妻のシルヴィア(キアラ・カゼッリ)や3人の娘達・クレマンス、ヴァランティーヌ・ビリーと別荘で休暇を過ごしていても携帯電話が手放せない。やがて会社が多額の負債を抱え、撮影中の映画の完成すら危ぶまれるようになった。グレゴワールは突然、自ら命を絶ってしまう。監督はミア・ハンセン=ラブ。
 予告編でグレゴワールが自殺することは既にわかっている。しかし、予想していたよりもグレゴワールが健在だった時間の配分が多い。そしてグレゴワールは忙しそうではあるが妻子を愛しているのが分かるし、それなりに幸せそうに見える。特に幼い娘達とのやりとりは愛情が感じられてとてもほほえましい。いかにもティーンエイジャーな長女は若干不機嫌な様子を見せるものの、両親との関係が悪いわけではなく、むしろ仲は良い様子が窺える。だからこそ、彼が何の前触れもなく死んでしまうことがショックだ。もし仕事一筋で家族はないがしろ、ないしはその逆だったら、自殺するほどには追い込まれなかったかもしれない。全てに一生懸命な人がスポっと穴に落ちてしまったような死に方がもどかしかった。
 家族の自殺という悲劇もそこからの回復も、これ見よがしには描かれない。あくまで日常の中のこととして描かれる。最初から最後まで、諸々のことが起こるにしろ、一つの家族の「日常」を描いているのだ。この日常度合いの高さは、グレゴワールの会社が抱えている負債をどうにかしなくてはならないという、至って世俗的な問題が目の前にぶら下がっていることで、より強まっている。悲しくてもお腹は空くし仕事は処理していかないとならない。しかしこの、至って現実的な問題と向き合っていくことが、シルヴィアにとっては一種のリハビリになっていたように思う。そして娘達は、また別のやり方で悲しみから立ち直っていく。それぞれがそれぞれのやり方で、というところが好ましい。たとえ家族であっても悲しみの全ては共有できないのだと思った。父が関わった映画を見、父に脚本の持ち込みをしていた青年と近しくなる長女の、一人で歩いていく感じが心に残る。
 とはいえ、父親の死という部分よりも、映画プロデューサーという仕事の過酷さの方がインパクト強かった。この人絶対胃炎になっているよなぁと思うくらい。グレゴワールはわりと業界内の評判はいいプロデューサーみたいなんだけど、ヒット作が1本あるくらいじゃ全然黒字にならないのね・・・。映画製作におけるお金の話が結構生生しく、現場を垣間見る感があった。身につまされる同業界の方は多いのでは。
 特に風光明媚な場所でロケをしているわけではないのだが、映像が美しく、はっとするようなショットがいくつもあった。停電のシーンはやりすぎかなと思ったけど、外に出るという展開は非日常感があってすごくいい。確かに子供は大はしゃぎしそう。




『サッカーが勝ち取った自由 アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち』

チャック・コール、マービン・クローズ著、実川元子訳
アパルトヘイト時代の南アフリカで、ネルソン・マンデラを筆頭に数千人の政治囚が収容されていたロベン島刑務所。過酷な労働と虐待の中、囚人達はシャツを丸めて作ったボールでサッカーを始め、徐々に本格的なサッカーチームを作って試合をしたいと望むようになる。現・南アフリカ共和国大統領ジェイコブ・ズマも収監されていた刑務所内で組織されたサッカーリーグと、その影響を追ったルポ。とても面白かった。最初は仲間内のチーム対抗戦だったものが、徐々にチームが増え、リーグ戦となり、運営委員会が結成され、FIFA公式ルールに則ったものとなっていく。サッカーをするために刑務所側と粘り強く交渉し、囚人たちをまとめあげ、政治的な派閥の間を取り持つという地道な作業が、自尊心を育み、アパルトヘイトを克服する歩みになっていく。更に新しい国を組織していく過程にも似ており(発生してくる問題の数々も、組織が大きくなると出やすいもので興味深い)、これがアパルトヘイト後の南アフリカを作っていく練習にもなっていたということがわかる。何より、サッカー等のスポーツに限らず人間には遊びが必要であり、身体の自由とともに精神の自由が必要だということを痛感。また今更だが、アパルトヘイトがついこの間まであった制度で、当時は多くの人が疑問にも思っていなかったということに愕然とした。








『ユダヤ警官同盟 (上、下)』

マイケル・シェイボン著、黒原敏行訳
2007年、シトカ特別区は2ヵ月後にアメリカへの返還を控え、居住しているユダヤ人たちは揺れていた。警察も業務引継ぎにおわれる折、安ホテルでヤク中の男の遺体が発見された。同じホテルに住んでいた刑事ランツマンは、現場に残されていたチェス盤上の棋譜に興味を引かれて調査を開始する。本作はヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞を受賞しているが、これは本作が歴史改変ミステリだからだろう。当然、シトカ特別区なるものは実在しない。ユダヤ人が自治権を持った居住区が実在したら、という「もしも」設定の上に作られた作品だ。普通の警察ミステリとして読むとかなり戸惑うだろう。物語のベースにあるのはユダヤ民族文化、ユダヤ民族小説としての姿なのだ。一種の特殊ルール下ミステリと言ってもいい。事件解決の決め手となる推理部分は本格ミステリらしくロジカルなのだが、それがとってつけたように見えてしまう、不思議な雰囲気。文章もかなりクセがあり、饒舌かつまどろっこしい。翻訳には苦労したのでは。ユダヤ民族の悲哀(そして傍から見ると不条理にも見えるルール)と、主人公の悲哀が相まって陰鬱な空気。主人公と元妻の関係が壊れた原因が、ふいに明らかになるところが切ない。




『クレイジー・ハート』

 かつては人気バンドで活躍していたカントリー・シンガーのバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は、ドサ回りの日々を送っていた。かつて同じバンドにいた若手ミュージシャンのトミー(コリン・ファレル)は今やスターで、バッドは複雑な思いを抱いていた。ある日バッドはジーン(マギー・ギレンホール)というシングルマザーと出会う。彼女や彼女の息子と触れ合う内に、創作意欲が沸き仕事の依頼も来るなど、徐々に事態は好転していくかのように見えたが。
 監督・脚本・製作はスコット・クーパー。今までは俳優としての活躍がメインだった人のようだ(写真を見る限りでは若くてイケメン。こんな若い人がこんな地味な映画を・・・)。音楽はTボーン・バーネット。主題歌含め音楽面は充実している。出来れば全ての楽曲の歌詞に字幕をつけて欲しかった。
 ジェフ・ブリッジスは本作でアカデミー賞主演男優賞を受賞しているが、加えて脇役の人たちが光っていた。バッドの昔なじみの友人役のロバート・デュバルは、本作のプロデュースもしているが、出番は少ないものの存在感がある。バッドに対する手の差しのべ方が、率直だけれど押し付けがましくなく、渋い友情を感じさせた。セリフから察するに、彼も多分元アルコール中毒なのだと思うが、だからこそバッドがはまっている状況がよくわかるし、そこから抜け出す為に彼を支えたくなるのだろうと。また、スター歌手であるトミーを演じるコリン・ファレルも、やはり存在感がある。私はあまりファレルは好きではなかったのだが、主演ではなく助演の方が光る、引いた演技の方が得意な役者なのかもしれない。トミーという人物の造形がまたいい。普通、こういうシチュエーションだと先輩を出し抜いた嫌な奴、と扱われがちだが、トミーはバッドへの敬意を持ち続けており、落ちぶれた彼を何とか再起させようとする。わだかまりを持っているのはむしろバッドの方で、彼が変われば事態も変わってくる。
 かつて栄光を手にしたものの今はおちぶれた男が、女性との出会いで人生をやり直そうとする、というストーリーは『レスラー』(ダーレン・アロノフスキー監督作品)を彷彿とさせる。しかしベースに流れる空気はより前向きなものだ。バッドは人生を変えようとするが、彼の思った方向に変わるわけではないし、どうやっても取り返しのつかないことはある。しかし、それでも人生やり直しが出来ないというわけではない。これはバッドにしてもジーンにしても同じだ。自分が最初望んだ道じゃなくても、道自体はあるのだ。バッドにはそもそも才能があったから再起できたと言ってしまえばそれまでなのだが、才能が枯渇したとしても、バッドはおそらく(ミュージシャンとしてではなくても)再起したのではないかと思えるのだ。『レスラー』は夢に殉じる男の物語だったが、本作はそうではない。
 びっくりするくらい直球でありがちなストーリー、そして嫌な人が一人も出てこないという、逆に珍しい作品。しかし若い監督が(おそらく今作がデビューに等しい)こういうオーソドックスなストーリー、オーソドックスな演出を選んで球を投げてくると、何かほっとする。




ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ