3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2010年01月

『Dr.パルナサスの鏡』

 1000歳以上だというパルナサス博士(クリスタオファー・プラマー)が率いる旅芸人の一座がロンドンにやってきた。博士は悪魔(トム・ウェイツ)と取引し不死を得たが、娘が16歳になったら悪魔に差し出すのが取引の条件だった。16歳の誕生日を間近に控えた博士の娘ヴァレンティナ(リリー・コール)は、橋から吊るされていた男トニー(ヒース・レジャー)を助ける。男は記憶喪失だったが妙に口が上手く、閑古鳥がないていた一座にもお客を呼び込んでくるのだが。予告編では少女を救う為に鏡の中へ!というような雰囲気だったが、実際には私欲渦巻いており、ちゃんとした大人が一人もいないという、ギリアムらいしといえばらしいお話。
 テリー・ギリアム監督の新作。主演にヒース・レジャーを起用したものの、撮影途中でレジャーが死亡し、残りの部分を彼の代役としてジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが演じている。このニュースを聞いたときはなんという荒業と思ったのだが、実際に映画を見ると荒業感はない。俳優が代わるべくして代わっているように見える。むしろ、申し訳ないがヒース・レジャーがミスキャストなようにも・・・。彼は軽妙・軽薄な役はあまり得意じゃなかったのかなと思う。
 対して、ジョニー・デップやジュード・ロウは緊急の代役とは思えないほど作品世界に馴染んでいる。それが役者としての力、というとそれまでなのだが、2人とも胡散臭い役が似合う。デップは一連のティム・バートン作品やパイレーツオブカリビアンシリーズで、変キャラが定着している(というか本人好きなんだろうな・・・)し、ロウは美形は美形だがかなりアクの強いタイプの美形なので、普通の人の役よりちょっと奇矯な人の役の方が違和感ないんだよな(笑)。となると浮いているのがコリン・ファレルだが、彼はヴァランティナの「こんな人と家庭を築きたいワー」という想像の中の男性なので、普通っぽい感じでいいのだろう。しかしこれ、ファレルに対して「インテリア雑誌に出てくるモデルぽい」と言っているみたい(笑)
 おそらく突貫工事的に脚本や構成を変えているだろうから、しょうがないといえばしょうがないのだが、話の運びの段取りが悪く、なかなか肝心のDr.パルナサスの鏡の中の世界に入っていかない。導入部の長いこと長いこと。そこにそんなに注力しなくても、というところに力が入っている。ギリアム監督の作品を見るたび思うのだが、組み立てがあまり上手くない。
 鏡の中の世界の描写はギリアムのイマジネーションが存分に発揮されるのではと思ったが、これが案外肩透かしだった。CGで描けるから何でもできるはずなのだが、制限のある実写によるファンタジー世界よりも、却って薄味になってしまった。なんでもできると絵に賭ける怨念(笑)が薄まるのか?時間にしろコストにしろ、ギリアムはある程度周囲からの制限を受けたほうがいい作品をつくるんじゃないかなと思った。なお、エンドロール後に一オチあるので最後までどうぞ(映像ではないです)。悪夢感が強まります。




 

『ラブリー・ボーン』

 14歳の少女スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、近所に住む男に殺されてしまう。警察の捜査は進まず、残された家族にはスージーの生死もわからない。現世と天国の境に留まったスージーは家族を見守るが、両親の仲はぎくしゃくしていった。原作はアリス・シーボルトの同名小説。監督は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソン。
 主演のローナンは『つぐない』で「美少女」と呼ぶには若干躊躇する、妙な魅力を発揮していたが、本作では正統派なかわいらしさを見せている。演技も達者でやたらと安定感がある。さすが13歳でアカデミー助演女優賞にノミネートされただけのことはある。また、スージーの父親役が『サンキュー・スモーキング』『ダークナイト』のマーク・ウォールバーグ、母親役が『ナイロビの蜂』『コンフィデンス』のレイチェル・ワイズ、祖母役がなんとスーザン・サランドンという豪華かつ安定感が非常に高い面子。全員好きな役者なのでこれはうれしかった。特にサランドン演じる祖母は、いわゆる模範的な「おばあちゃん」ではなく、むしろ母親としては問題の多い人だったんだろうという部分が垣間見えるのだが、そこがまた面白かった。
 さて、主人公は殺された女の子で犯人は野放しで、となると、これは犯人探し(探偵=被害者バージョン)ないしは復讐ものとなるのか?と思いきや、そういう方向には行かない。本作では、基本的に死者は生者に対して何も出来ない。スージーは家族や犯人をただ見ているだけだ。父親や弟がかすかに彼女の存在を感じることはあるが、コミュニケーションがとれるわけではない。また、終盤に一つだけ例外があるが、それも現実に対して具体的な影響を及ぼすものではない。
 つまり、幽霊となったスージーの存在、彼女があの世で体験していることは、両親ら遺族の想像の中のことだと考えてもいい。本作はむしろ、スージーを失った人たちがどうやって立ち直っていくかがポイントになっているのだろう。そう考えると、なぜこういうラストになったのかも合点がいく。いわゆるお話の「お約束」を逸脱しているので、不満に思う人もいるかもしれないし、正直私もちょっとすっきりしないところはあるのだが(それが出来るなら再犯防げよ!と突っ込みたくなるし、ジャンル違いとわかっていてもやっぱり大復讐劇を期待しちゃうんですよね・・・)。
 ピーター・ジャクソン監督作品ということで、死後の世界をどんな映像で表現するのか楽しみだったのだが、ちょっと拍子抜け。労力がかかっているのはわかるが(エンドロールの長さがはんぱない。『アバター』より長いんじゃなかろうか)、割と凡庸。そんなに心ひかれるものもなかった。むしろ、俳優の演技の方がしっかりとしていて、映画を支えている思う。






『板尾創路の脱獄王』

 昭和初期の日本。脱獄の天才・鈴木雅之(板尾創路)は脱獄を重ねるが、その度に鉄道の線路の近くで捉えられていた。看守長の金林(國村隼)は、鈴木の行動に興味を持ち始める。
 お笑い芸人であり、俳優としても活躍している板尾創路の初監督長編映画。タイトル文字が出たところで思わず笑った。いや大真面目なシーンなんですけど何か・・・あまりにも堂々としすぎていて・・・。脱獄王というからにはクライムサスペンスか?!と思いきや、肝心の監獄・脱獄自体は結構ファンタジックで、サスペンスとは程遠い。では芸人・板尾の面目躍如なコメディか?というと、おかしみはあるもののいわゆるコメディとはまた違う。またなぜ鈴木は脱獄し続けるのかというミステリ的な要素もあるが、そこもちょっと弱い。監督である板尾本人と同様、とらえどころがない映画だった。ジャンル付け自体を否定しているようでもあるのだが、肩肘張ってアンチジャンル分け!というのではなく、思うように作ったらこうなった、といわんばかりの自然体。
 お笑い芸人が監督した映画というと、昨年は『しんぼる』、『ドロップ』、『ニセ札』を見たのだが、これらと比べると本作は大分のんびりとした雰囲気。間の取り方など、なんとなく昔の映画ぽいなと思った。監督自身はオーソドックスな娯楽映画を撮るつもりだったんじゃないかという気もする。意図して奇をてらったという感じではない。どこまで計算してやったのかよくわからないんだよな・・・。
 最後は吹き出すと同時に唖然とさせられた。こう落とすか・・・。でも嫌いじゃないです。最後にテーマ曲が流れ出すあたりが何かに似ていると思っていたのだが、『ルパン三世』スペシャル版だと思い当たった。そうかールパンかーと思うと、映画自体あまり不自然じゃないです(笑)。なお、吉本の芸人が多数出演している。吉本製作である以上しょうがないが、ちょっとうるさかった。あとエンドロール見ていたら出演者の仲に冨永みーながいてびっくり。どこにいたの?!







『アバター』

 負傷し車椅子生活となった元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は、衛星パンドラで行われるアバター・プログラムへ召集された。アバター・プログラムとは、パンドラの原住民と人間の遺伝子から作られた肉体に、人間の意識を送り込み、パンドラでの生活を体感するというもの。パンドラには豊富な地下資源があり、民間企業はその採掘の為にアバターによるパンドラの体験、原住民との交渉を行っていたのだ。ジェイクの兄はこのアバター・プログラムに参加し、自分の遺伝子を提供していた。兄の遺伝子を使ったアバターを使えるのは、双子のジェイクだけだったのだ。ジェイクは徐々にパンドラの生活にのめりこんでいく。
 ジェイムズ・キャメロン監督による、3D上映が話題のSF。3Dで見る必要があるのか?と半信半疑で見たのだが、これは確かに画期的だ。キャメロンにとっては10数年ぶりの新作となるが、こんなに間が空いたのは、本作のような映像を可能にする技術が開発されるのを待ってたからでは?と思える。3Dといっても、いわゆる飛び出す映画みたいなものではなく、むしろ奥の方に広がる(手前ももちろん間近に見えるが)、遠くがよく見えるといった感じのもので、ロングショットに強みがある。クロースショットだと案外魅力が出ない。クロースのアクションシーンなどは、画面がごちゃごちゃしすぎて何が起きているのかわからないところもあった。ともあれ情景の生々しさに驚いた。対象が近くに感じられるというより、自分の周囲に映像内の世界が広がる感覚に近いと思う。
 この生々しさを体感すると、キャメロンが自身の3D上映作第一弾としてアバターという設定を使った理由がなんとなくわかる。新しい世界を体感するジェイクを、映画の観客も追体験するような形にしたかったのではないかと思う(本来の肉体とは別のところで体感する感じというか)。もちろん、3D上映技術はそこまで生っぽくはないのだが(笑)、単なる「飛び出す映画」にしたくなかったのは確かだろう。
 本作は、ストーリーにしろ舞台設定にしろ、3D上映という特質を生かすことを前提として作られている。深い森も、飛行シーンがあるのも、空に浮き島みたいなものがあるのも、「遠くが見える」感を強調できるからだろう。ストーリーは映像に従属するもので、正直どうでもいい。『ダンス・ウィズ・ウルブス』と『もののけ姫』と『地獄の黙示録』をちゃんぽんにして3で割った感じだ。監督もおそらく、それなりに筋が通り起伏があれば、ストーリーに新鮮味はなくてもいいと思っているのでは。
 本作はキャメロンにとっては3D映画のテストケースみたいなもので、もっと他にやりたいネタはあるんじゃないかと思う。多分、彼には3Dという上映方式が向いているのだろう。他の監督でここまでさばけるかというと微妙。多分、普通に映画撮るのとはもうちょっと違う才能が必要なのではないかと思うので(画面設計とか)。もし今後3D上映が映画のベーシックになっていくとしたら、映画のジャンル、傾向はかなり変わってくるのだろう。しばらくは従来の2D上映と二極化するのかな(全ての映画が3Dである必要性は感じないので)。なお、本作を見るのであれば3Dをお勧めするが、見え方に個人差があるらしいのでご注意を。同行した友人は上映開始1時間くらいで耐えられないレベルに気持ち悪くなったそうだ。また、座席の位置によっては映像がダブって見える。


 

『ねにもつタイプ』

岸本佐知子著
英米文学翻訳家である著者のエッセイ。前作エッセイ『気になる部分』でも奇妙な妄想世界を披露してくれた著者だが、本作ではより磨きがかかっている。なんでこんな方向へ?!という急展開を見せる。しかも劇的な急展開ではなく、はたと気付くと自分の視覚が変容していたというような、スムーズ(笑)な移行というか、しれっとして世界がひん曲がる。特にびっくりしたのが「リスボンの路面電車」。そうくるか。ていうか路面電車関係ないじゃないすか!なんというか、勇気あるなぁ・・・。ただ、こういうネタを読ませることができるのは、著者の文章力が相当に高いからだろう。書かれたものというよりも、書き方のうまさの方に目がいった。どんなにネタがよくてもそれを活かせる文章力がないと意味がない。また一方で、結構「あーそうですよねー」と共感できる話が多い。特に子供のころの遊びの話には深く頷けるものがあった。私も著者と同じタイプの子供だったのか。







『おやじがき 絶滅危惧種中年男性図鑑』

内澤旬子著
題名の通り、著者が町で見かけた「おやじ」を記録した、愛の詰まったイラスト集。特徴とらえすぎていておかしくてしょうがなかった。描かれている、その多くが多分職場や家庭ではうっとおしがられてるんじゃないかしらという「おやじ」たちの生態もおもしろいのだが、それをこっそりスケッチしている著者の姿を思い浮かべるともう・・・。どれだけ中年男性(notダンディ)が好きなんですかあなたは!著者の愛の深さを実感しました。絵につけられているコメントがまたすばらしい。装丁もレトロ風味でいいです。なお1人、自分の職場にいる男性に激似のおやじがいて、これは本人ですか?!と思った。





『かいじゅうたちのいるところ』

 8歳の少年マックス(マックス・レコーズ)。年の離れた姉も仕事で忙しい母親も構ってくれず、母親とケンカをして家を飛び出す。小船にのって辿り着いた島には、かいじゅうたちが暮らしていた。マックスはかいじゅうたちの「王様」になる。モーリス・センダックの傑作絵本『かいじゅうたちのいるところ』をスパイク・ジョーンズ監督がまさかの映画化。かいじゅうたちはマペット技術とCGを駆使して作られているが、質感や動き、表情がすばらしい。
 冒頭、何かに取り付かれたように犬をいじくり倒して暴れるマックスが、あまりに生々しく「子供」なので、これはすごいなと思った。イグルー作りとその顛末、毛布の海や要塞など、男の子のひとり遊びの仕方やテンションの上がり下がり(周囲からはよくわからないスイッチで不機嫌が爆発するみたいな)が実にリアル。正直、かいじゅうの島へ渡ってからよりも、分量は少ないが日常生活の部分の描写の方が細やかなように思う。おそらく母子家庭であることや、母親が生活に疲れ気味であるところなどもさりげなく提示されていて、マックスという少年の背景が浮かび上がってくる。マックス役のレコーズがこれまたいい表情。
 マックスはかいじゅうたちの王様となり、夢のような楽しい時間が流れそうに思えるが、そこは天国ではない。違う人格の存在が一緒にいる以上、上下関係やいざこざが生じぎくしゃくしていく。日常の世界もかいじゅうたちの世界も、思うようにはいかないという点では同じなのだ。つまりマックスの願いが何でも叶う「夢の国」のお話ではない。それも含めて、子供の世界によりそっていると思う。
 かいじゅうたちはマックスの内面の投影でもあり、マックスの周囲の人たちの投影でもあるだろう。特にキャロルは怒りや悲しみが爆発してしまうマックスにもっとも近い存在だろうし、KWは明らかに母性=母親的な存在だ。かいじゅうたちのキャラクター分けが少々理に勝ちすぎている感はあるが、マックスはかいじゅうたちを通して自分自身や家族を見つめなおし、誰かと一緒にいる以上いつも円満というわけにはわけにはいかない、母親も常にパーフェクトでいられるわけではないということに気付くだろう。そして、そういう自分や他人の不完全さとなんとか折りあいを付けていくこともまた、成長することだ。最後にマックスが見せる顔は、冒頭よりも幾分大人びている。そういえばスパイク・ジョーンズ監督は、『マルコヴィッチの穴』でも『アダプテーション』でも、結局パーフェクトに幸せにはなれない、自分は自分以外にはなれないということに触れていたようにも思う。
 予告編を見て涙が出そうになるくらいの多幸感を感じたのだが、いざ見てみると、幸せを感じつつも、むしろ寂寥感に駆られる。かいじゅうたちの島がやはりひとつの社会であるというのも一因だ。しかしなにより、パーフェクトな楽園ではないけれども、自分の中のかいじゅうがあの場所に帰りたがっている、がしかし二度と帰れないということを目の当たりにするからかもしれない。原作ファンにとっては不本意な映画化かもしれないが、個人的にはやはり胸をつかまれるものがあった。監督もおそらく、個人的な体験に根ざした作品として作ったのではないかと思う(センダックからは自分なりにやれと助言されていたみたい)。子供の為の映画というよりも、大人と、その中にいるかつての子供とを繋ぐような作品。




『殺人者たちの午後』

トニー・パーカー著、沢木耕太郎訳
かつて殺人を犯した受刑者、元受刑者への聞き取りをまとめたもの。聞き手である著者の言葉は一切書かれていない。多分このあたりでこういう質問をしたんじゃないか、ということが垣間見える程度で、著者自身の自己主張はされない。が、著者が聞き手・書き手として非常に能力が高い人なのだろうということは、本作に登場する(元)受刑者たちの話を読むとすぐにわかる。聞き手として高い能力があり、かつ人柄が誠実な人だからこそ、ここまで話してくれたのだろう。かなり突っ込んだところまで踏み込んでおり、自分が犯した殺人のこともかなり詳しく話している。しかし自分が起こした事件に対する態度はまちまちだ。もちろん全員が「起こってしまったことは残念」と考えており、できることなら事件が起こる前からやりなおしたいとも思っている。しかしその深刻さにはかなり差異がある。訳者あとがきにもある彼らの中の「穴ぼこ」、その穴を自身がどこまでのぞきこめたかによるのではないかと思う。深くのぞき込んだ人の方が、その後の危うさが薄いようにも思った。彼らの多くは、多少問題を抱えているにしろ、すごく変わった人間というわけではない(風変わりな人も中にはいる)。殺人が、計画されたものではなく突発的なものであり、その瞬間が空白になる、そこだけ分断される感じがどの人にも共通していた。殺人を犯すべくして犯したのではなく、「そうなってしまった」としか言いようがない。「なぜ」「どうして」というはっきりとした理由からは乖離しているように思った。この唐突さが心をもやもやさせるのだが、同時に妙に納得した。






2009年ワースト映画

昨年はいい映画も多かったが、それ以上に珍作迷作が多かった。あまりに豊作なので記憶にとどめる為に、今更のようにワースト10をやっておこうと思う。あくまで主観的なランキングです。

10位:『アマルフィ 女神の報酬』
素人目にも上映事故と間違うような編集のまずさ。公開前はワースト1位は本作かと思っていたのだが、蓋を開けたら他の作品に比べると全然まともというところに09年度の凄まじさが窺える。

9位:『鑑識 米沢守の事件簿』この程度だったらTV放送でも・・・。『劇場版 相棒』の時も思ったのだが、通常のTV放送版よりも微妙なのは何故だ。

8位:『レイン・フォール 雨の牙』
謎の行動が多すぎる殺し屋。そしてハセキョーの演技がこんなにきついとは・・・

7位:『カムイ外伝』
監督、脚本、キャストといい人材をそろえているのにこの体たらく。絶望した!

6位:『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』
映画の方向性と劇場に来た客層とが全く噛み合っていなかった。キャストと内容とのギャップか。

5位:『プラスティック・シティ』
かっこよさ目指して大迷走。どこへ行きたいんだ。

4位:『TAJOMARU』
いろいろともったいない点、そして謎のJET起用が目立った。

3位:『GOEMON』あの美的感覚には、嫌悪感をどうしてもぬぐえない。やる気で才能は補えないのね。

2位:『アサルト・ガールズ』
3位とは逆にやる気がない。低予算であったろうことだけが救い。

1位:『MW』このにっちもさっちもいかない感じをどうしてくれよう・・・。主演2人がもったいない!

昨年は、『レイン・フォール』あたりでこれはもう底をついたな!と思ったらどんどん上まるものが出てくるという恐ろしい状態になっていた。しかも10本中8本が日本映画というかなしい事態に。今年はもうちょっとがんばれ日本映画。

『おさがしの本は』

門井慶喜著
図書館が出てくる小説は探すと結構あるが、レファレンス業務が割と具体的に書かれているものはあまり多くはないのでは。本作の主人公は公立図書館の図書館司書。利用者から持ち込まれた難題や公立図書館の行く末に今日も頭を悩ます。ミステリ仕立ての小説なのだが、利用者が求める情報をわずかな手がかりから導き出す(正確には導き出す手伝いをする)司書の仕事は、確かに探偵に似ている。本好き、図書館好き、ミステリ好きにとってはうれしい1作・・・といいたいところだが、どんなに題材が面白くても小説として面白いとは限らないというのが辛いところ。素材の小説への仕立て方に無理がある。素材の為の小説になってしまっているというか・・・。何より、主人公が年齢の割りに老けすぎているのが気になった。文体も無理に硬くしている、書きなれていない感じがした。






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