3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2009年12月

『正弦曲線』

堀江敏幸著
目次がなく、章ごとのページ変えはしていないので、読んでいて連続性が高い。各エッセイに常に共通する要素があるわけではないのだが、時に連鎖をおこしており、そのリズムが気持ちいい。練って書いたのかなというものと慌てて書いたのかなというものが混じっているが、不思議と一体感がある。連続して読む、というところに意味がある1冊だと思う。連想が続いていく流れにひきこまれる。題名は「正弦曲線」だが、螺旋にも似ているかも。著者の随筆を読んでいるとなんとなしに幸せな気持ちになるのだが、とりあげているトピックがどうこうというより(というかそんなに特別なことを書いているわけではない)、文章の端正さに癒される(笑)。なお装丁も大変美しいです。そんなにこらなくていいから価格下げて・・・という気もしなくもないですが。





『彼女のいる背表紙』

堀江敏幸著
「彼女」とは小説の中の「彼女」たち。女性登場人物ないしは女性作家をキーワードとした書評エッセイ集。好きな作家が書いた書評集に、自分が好きな作品が取り上げられていると無性にうれしいねぇ・・・。著者の他のエッセイよりも、本を紹介する、という部分を強めにしているように思う(掲載紙が文芸誌ではなくクロワッサンだったからかも)。著者が比較的若いころに読んだ作品が主だそうだ。青少年時代に読んだ小説は、作品の質とは別物で、心に切り込んでくる度合いが違うのかなと思った。青少年のころ読んだ小説を読み返すことはあっても、ある程度年齢を重ねてから読んだ小説を何度も読み返すということは、あまりない(人によってはあるのかな。私はないです)。とすると、年齢重ねてから小説読む意味は、とも思ってしまうが、それはそれで若い頃には出来なかった読み方を一度でできるのだろうから、いいのか。ともあれ、取り上げられているどの作品も読んでみたくなる。実際、本著がきっかけになって手に取った作品もある。著者の筆力おそるべし。







『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー(2)』

綾辻行人・有栖川有栖編・著
 綾辻先生がにこにこ!有栖川先生がにこにこ!私もにこにこ!みんな幸せ!なミステリアンソロジー&対談集。短編プラスその短編に関する対談なので、ライブ感が味わえるしネタバレの危険がないのがうれしい。最近、ミステリ、特に本格ミステリとは縁遠く、もう読まなくてもいいかなくらいの気持ちになっていたのだが、そうだ本格って楽しかったんだ!と思い出させてくれるいい本だった。今回は綾辻・有栖川両氏の作品も収録されている。どちらも面白いです(特に有栖川作品は、ファンの間でも人気の高い作品)。あと連城三紀彦の作品は今後読んでいこうと思う。別役実の作品が収録されているのも、珍しいしうれしい(いわゆるミステリという感じではないが。どっちかというと小話的)。





『アサルト・ガールズ』

 仮想現実ゲーム内の砂漠で、獲物を奪い合う3人の女ハンターと1人の男。巨大なモンスター“マダラスナクジラ”をしとめるため、手をくむことにするが。押井守監督、久々の実写映画となる。主演は黒木メイサ、佐伯日菜子、菊地凛子。
 今年の日本映画界は珍作迷作が大豊作だったが、今年もっとも「これはひどい」発言したくなったのが本作。既出の珍作迷作は、とりあえず何がしかのやる気は感じられた。しかし本作にはやる気がまったく感じられない。私の目が節穴なのかもしらんが、なぜ作られてしまったのか謎な作品だと思う。映画製作の上でやってはいけないことを全部やっているかのような、えらいことになっている。
 冒頭のやたらと長いモノローグ(しかもモノローグ内容そんなにわかってなくても本編見るうえで支障がない)でいきなり見る側のやる気をそぐ。そしてベテラン監督とは思えないカメラワークのゆるさ。なぜびしっときまっているショットがひとつもないんだ!CGは(多分に意図的なのだろうが)ショボく、絵的にも構成的にもメリハリにかけるので、さほど長い映画ではないのだが見ていて苦痛だった。章立てされているが、わざわざ章を分けるほど長い話ではない。
 監督の実写映画である『アヴァロン』と同じ世界観の作品なのだが、今となっては仮想現実での戦闘ゲームという素材は古臭い。世界観にしろデザイン面にしろ、一昔前のそれという印象が否めなかった。そもそも今回は物語がゲームの中だけにとどまっていて、現実の世界とのリンクは描かれないので、ゲーム世界である必要はないんだよなー。野営・自炊する男に、黒木メイサが(仮想現実だからお腹は空かないので)やる必要ないでしょって突っ込むところがちょっと面白かったくらいで。
 押井監督は、アニメーションつくればいい作品もあるのに、実写作るとほんとしょうがない・・・。なんでこうなるのか謎。予告編の時点でこれは地雷映画に違いないとふんでいたが、ここまで大規模な地雷だとは(笑)。製作費がそれほど高額ではなさそうなのがせめてもの救いか。出演してしまった女優3人は気の毒としかいいようがない。押井監督の女性の顔の好みがはっきりとわかる作品ではあったが。







『誰がため』

 ナチス・ドイツの占領下であった1944年のデンマーク。地下抵抗組織の一員であるフラメン(トゥーレ・リンハート )とシトロン(マッツ・ミケルセン)は、ゲシュタポとデンマークのナチス協力者の暗殺が任務だった。フラメンには、やがてゲシュタポから高額の懸賞金がかけられるようになる。一方、妻子がいるシトロンは、人殺しが任務であることに苦しんでいた。しかし2人は、ある任務がきっかけで、自分たちに与えられる指令に疑問を持ち始める。
 実在したパルチザンであるフラメンとシトロンを主人公とした歴史映画だが、デンマークでは長らくタブー視されていた話だそうだ。監督はオーレ・クリスチャン・マセン。若干長いが、緊張感の続くいい作品だった。ただ、時代背景や当時のデンマークの政情など、もうちょっと予習してから見るべきだった。
 警察官や消防署が地下抵抗組織に協力しているなど、同じナチス・ドイツ占領下であっても、フランス等、他のヨーロッパ諸国とはちょっと雰囲気が違うのが意外だった(自治は許されていたみたいだし、物資も結構ありそう)。また、小国ならではの外交のしぶとさというか、軍にしろ政府にしろ老獪だ。これが話を複雑にしており、ナチス=悪というよくある戦争映画の図式に当てはまらない。白黒はっきリした世界などありえない、という意識が根底にあるように思う。しかしフラメンやシトロンのような末端の兵隊にまではその駆け引きの意図が伝わっておらず、これが彼らの悲劇だった。
 フラメンとシトロンはナチス協力者の暗殺を指示されるわけだが、それはあくまで彼らの上司が「敵だ」と指示しているのであって、実際のところはどうなのかわからない。彼らの上層部は清濁併せたグレーな世界なのだが、彼ら自身はわりと額面通りに事態を受け止め、白黒はっきりした世界で動いている。そうでもしないと人殺しなんてできない、というのもあるだろう。葛藤の末、逆ギレしたシトロンの「おれたちが殺したのはナチだ」という言葉が痛ましい。各方面に対して運び屋・スパイとして働くケティや、ゲシュタポの幹部が、敵であっても死者に対して敬意を払うという描写にも、善悪でわりきれないという作品の意図を感じた(ゲシュタポ幹部に関してはちょっと出来すぎかなーとは思ったが)。フラメンとシトロンは、デンマークでは英雄的な存在らしいのだが(本作の原題も「フラメンとシトロン」なので、名前を出せば誰だかわかるというレベルなのだと思う)、本作を見ると、彼らが「英雄」だったのかどうか曖昧になってくるというのが皮肉だ。ただ、いゆわる英雄としては描かないことが、彼らに対しての誠実さなのだと思う。少なくとも彼ら自身は、自分たちが英雄であるとは思っていなかったのではという気がしてくる。
 フラメン役のリンハートと、シトロン役のミケルセンがどちらも好演。日本ではあんまりなじみがないが、いい役者だなーと思った。2人とも、かっこいいと言いきれないちょっと面白い顔をしているところがいい。






『蘇りの血』

 奴隷を使役する横暴な大王(渋川清彦)が支配する世界。按摩のオグリ(中村達也)は大王にその腕をかわれるが、彼に仕えることを拒む。怒った大王はオグリを切り捨てるが、彼はあの世から蘇った。ただし体も心も動かない姿で。大王の元から逃げ出した女・テルテ(草刈麻有)は、オグリを人間として完全に蘇らせる為、彼を連れて「蘇生の湯」を目指す。しかし大王の追っ手がかかるのだった。豊田利晃監督、4年ぶりの新作。何はともあれ復帰できてよかった・・・。
 予告編を見た段階では、疑似古代日本が舞台で若干ファンタジーぽくてと、地雷臭(ほら今年はGOEMONにしろTAJOUMARUにしろカムイ外伝にしろ、疑似日本ものはスベりにスベってるから・・・)がぷんぷんしていて、戦々恐々としていた。で、実際に見てみたら危惧したほどではなかった。ただ、あくまで予想ほどスベってはいなかったという程度で、見ごたえがあったとはいえない。最初、妙にPVぽいなと思ったのだが、最後までPVぽかった。というよりも、最初からPVとして使われることを想定して作られたみたいだ。映画としてはえらく薄いのだ。
 中村達也が主演し、音楽も彼のユニットが手掛けている時点で、音楽が占める部分が大きいのだろうとは思っていたが、予想以上だった。普通、映画では映像>音楽だと思うのだが、本作では音楽>映像。相互補完ではなく、映像が音楽を補完しているといったほうがいい。豊田は本作の音楽を手掛けているTWIN TAILのライブにPJとして参加しているらしいのだが、本作全体がライブの為の映像素材という感じなのだ。トークイベントでの中村の話によると、映像は見ずにレコーディングしたそうなので(主演しているから雰囲気的なところはわかるのだろうが、どういう映像に出来上がってきているのかは確認してなかったみたい)、音楽が編集された映像と直結はしていない。音楽の方が自立性が高いのだ。こういう作品を映画としてどうかと言われると、正直困る・・・。悪くはないんですが。
 とはいえ、主演の中村、草刈は魅力的。豊田は男性が主演の場合、すごくその人に対する思い入れ強く撮る傾向があると思うのだが、本作でもその傾向は強い。いやー監督本当に中村さんが好きなんですね!としみじみしてしまった。確かにドラマーなだけあって、按摩するときのリズミカルな腕の動きとか、体の使い方に無理がない(慣れてる)感じがして見ていてうれしい(私ファンなんで)。撮りたくもなるだろう。しかし撮りすぎだ!そこもっと尺短く!と思う部分が何か所もあった。これまでの作品でもそうだったんだけど、俳優に思い入れありすぎて切るべきところを切れなくなっているんじゃないだろうか。






『東のエデン 劇場版Ⅰ The King of Eden』

 TVアニメ「東のエデン」の完結編。ではあるが、映画は前後篇なのでまだ完結していない・・・。1本の作品として評価するのは難しいが、とりあえず感想。日本をミサイルから救ったのが滝沢朗(木村良平)だということを知っているのは、森美咲(早見沙織)とその友人たちだけだった。姿を消した滝沢を咲は気にかけていたが、事件から1年後、彼がニューヨークにいるという情報を手に入れた。咲は単身渡米すとる。監督はTVシリーズと同じく神山健治。
 TVシリーズはそう好きというわけではないものの、それなりに面白く見ていた。しかし、映画という形で完結させる意義はあまり感じない。TVアニメとしては頭一つ抜けた作画クオリティでも、スクリーンサイズで見ると予想以上にきついものがあると実感することになってしまった。決して作画的にクオリティが低いわけではないのだが、映画作るのとTVアニメ作るのとはやっぱり違うんだなーと再認識した。
 ストーリー的にも、2時間弱を一気に見るという形に向いているとは思えない。30~40分程度を週1で小刻みに見る方が、本作の内容には向いていたのではないか。謎は小出しにしているしキャラクターは多いしで、2時間弱におさめるとぱんぱんになってしまう。思い切ってキャラクターを減らすとかエピソードを減らすとかすればよかったのかもしれないが、TVシリーズと直結している話だけに、そうもいかない。なんとかかんとか、TV放送枠をあと1クール確保してTVシリーズとして放送してほしかった。
 神山監督は以前より、その時々の時勢や社会問題(というか、時代の空気みたいなものか)を作品に濃く反映させようとする意図が強いと思うのだが、今回はいまいちツボを外してしまっている感がある。監督がとらえている「社会」が、地上10センチ上を浮いているような、ふわふわしている感じがする。地に足が付いているのか微妙というか・・・。それが上手くはまる作品(「精霊の守人」とか)もあるけど、本作の場合は現代ものなだけに違和感がある。とりあえずニートの捉え方がちょっとずれているような(早々に退社しちゃう元ニート職員の描写はうっすら悪意を感じるが。たしかに元ニートに限らずこういう若者いそうという意味で)。社会派アニメとして見ると拍子抜け、むしろ王道ラブコメ寄り少女漫画に近い(文字を使ったギャグが総じてすべっていたが)。






『ビッチマグネット』

舞城王太郎著
香緒里と友徳の姉弟は、なんとなく仲がいい。しかし父親は恋人の元へ家出、母親は煮詰まっている。そんな一家の数年間を香緒里の視線で追う。今までの舞城作品と比べると圧倒的に普通のご家庭が描かれており、拍子抜けするかもしれない。まっとうな少女と家族の成長小説という感じ。正直、この内容だったら舞城が書かなくても、という気がしなくもないが、ポップで読みやすいことは読みやすい。困った女の子を引き寄せてしまう「ビッチマグネット」友徳の生真面目さや、香緒里の(ちょっとできすぎな)かしこさは舞城ならではの造形。あと、臆面もなく「家族愛!」なところも。これを真正面からうたうのは結構躊躇しちゃうところだと思うので。なお、ラスト近くで香緒里が母親のある言動を「キモ!」と言うのだが、対息子だと、母親ってほんとこんな感じだよねー!と苦笑いした。





『剣岳 撮影の記 標高3000メートル、激闘の873日』

 明治40年台に、地図測量の為に未だ白紙であった剱岳への登頂を試みた人たちを描いた、木村大作監督『剱岳 点の記』。撮影のあまりのすごさが評判となり、ロングラン上映を果たしたこの映画の、撮影ドキュメンタリー作品だ。監督、撮影は『剱岳 点の記』のディレクターである大澤嘉工 。
 正直なところ、ドキュメンタリーフィルムとしてはさほど出来がいいというわけではないと思う。ナレーションが少々過剰で、TVのドキュメンタリー番組としてはまあ普通かな、という印象だ。ただ、『剱岳』の撮影がどのように行われたかが垣間見えるという点では貴重。映画を見た人はおわかりだろうが、どう見ても無茶なのである。で、実際にドキュメンタリーで見ると、やはり無茶だった。ロケ場所に行く為に数時間登山し、2カット撮影して終了、というようなことはざらで、全く撮影できずに宿に戻ることもある。もちろんトケは全て天気待ちなので、やたらと時間はかかる。さらに山岳ガイドがついていても危険な場所も多々あり、文字通り命をかけた撮影だったという(カメラの設置場所を見ると明らかに足元危険なところが・・・)。実際に重傷者も出ているし、体を痛めてやむなく下山する俳優も。金銭面においてもリスクマネージメントにおいても、よくプロデューサーがOK出したな(ほんと、プロデューサーよくがんばったなと・・・)と思うくらいにリスクが高い。
 映画は順撮り、山頂部にはもちろん徒歩で上るしかない、当然機材も人力で運ぶし、大人数での登頂は無理。映画のロケとしては最小限の人数で動けるように、初期段階から監督が指導していたそうだ(実際に山頂部で撮影したスタッフは20人程度らしい)。監督である木村のキャラがかなり濃いのでつい忘れてしまう(笑)のだが、カメラマンとして様々な現場でのノウハウが蓄積されているからこそできる技なのだと深く納得。
 また、撮影中は山小屋での集団生活を余儀なくされるので、一体感は増す一方で、辛い人には辛いだろうと思った。おそらく、俳優にしろスタッフにしろ、性格の相性も人選の大きな要因になったのではないかと思う。特に俳優の人選は、演技力や風貌以上にメンタル面の安定感が重要だったのではないかなと思った。主演の浅野や香川にも度々カメラが向けられるが、浅野はいつもテンションが一定で安定している(仲村トオルも同タイプだと思う)。また、香川は本来神経質だがそれを自制できるタイプという印象。カメラを向けられるたびに何かおもしろいことを言うというサービス精神が高く、結構気使いの人なのかもしれない。
 スタッフにも俳優にも大変な負担が強いられる現場なのだが、山の風景の美しさには、そうまでしても撮影したくなるよなと納得させられる。木村はプロデューサーと共に登山し、撮影した素材を見せて回って資金を集めたというから、最初にロケ地ありき、山の魅力で説得できるという確信があったのだろう。魅力をがっつり撮影できる木村もやはりすごい。
 






『読むことは旅をすること 私の20世紀読書紀行』

長田弘著
いくつかの旧著を再編したもので、旅とその国・土地に係る作家をとりあげた随筆が収録されている。ポーランドやドイツ、アメリカ、イギリスなど出てくる国は様々だが、背後に戦争や革命が見えるものが目立つ。特にスペインの市民戦争については、作家本人がかかわっていたり、この時代を扱った文学が多かったりするためか、取り上げられている分量が多い。その中で、若くして戦死した作家、また生き延びながらも自ら死を選んだ作家の姿が浮き上がる。彼らの多くは、愛国心の元に死んだというのとも、国家に反逆して死んだというのともちょっと違う。彼らが忠実であったのは、もっと、自分の根っこのところではないか(特にスペインの国民性について、国というよりもそれぞれの郷土に根ざしている、それが市民戦争を困難なものにしていたという部分が印象に残った)。nationとnativeの違いについて著者は考え、本来の意味のパトリオティズムについて考える。それはたぶん、死んだ作家たちも考え続けてきたことだろう。それにしても著者の読書にかかわる随筆を読むと、このくらい教養と知性があってはじめて「読書した」と言えるんじゃないかと、わが身を振り返ってがっくりくる。プロ相手に何言ってるんだという話だが、私程度の読解力だと小説読んでもあんまり意味ないんじゃと思っちゃうんだよねぇ・・・。






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