3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2009年09月

『ウルヴァリン X-MEN ZERO』

 アメコミ原作の映画『X-MEN』『X-MEN2』のスピンアウト作品。人気キャラクターであるウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)を主役に起用し、彼の過去を描いたものになる。幼い頃にミュータントとして目覚めたローガンは、同じくミュータントである兄と共に自らの能力を活かして傭兵として生きてきた。彼らのようなミュータントを集めて作られた特殊部隊、チームXにスカウトされたものの、任務の非道さについていけずに、兄とも縁を切りチームを去ったローガン。カナダの山奥で女性教師ケイラとひっそりと暮らしていた。しかしチームXの責任者だったストライカーがローガンと再び接触を図り、ケイラは暴走した兄に殺されてしまう。
 ローガンがミュータントとして覚醒してから現代に至るまでの長い期間(おそらく100数十年)を冒頭で一気に見せる潔さ。監督はなぜか『ツォッツィ』のギャビン・ウッド。なぜいきなり起用されたのか謎なのだが、ヒーローものとして結構手堅くまとめているなという印象だった。ただ、X-MENシリーズの根底に流れていたマイノリティの悲しみが、今回はあまりない。シリーズのファンにとっては若干マイナスポイントになるだろうが、シリーズにさほど思い入れのない人、もしくは今回初めてシリーズを見る人にとっては問題ないだろう。
 しかし本作に悲しみがないかというとそんなことはなく、どちらかというとてんこもり。ローガンは心ならずも父親を殺し、兄と決別し、恋人も失う。更に関係者がどんどん殺されていく。結構な不幸体質である。しかしその不幸はミュータントであるという属性とはあまり関係ない。正確にはないわけではないが、迫害されたからではない。また、ローガン本人がわりと堂々とヒーローらしくしていて(バイクでズシャーっと横滑りしたり斬鉄剣よろしくヘリコプターぶったぎったり)悲壮感が薄い。おきている事件は結構悲惨なのだが、映画のノリはあっけらかんとしている。内容と作風とが、なんだか不思議な乖離をしているような・・・。
 ただ、ローガン最大の悲劇は、自分に起こった悲しい出来事を全て「なかったこと」にされるということだろう。映画を見ている観客にしかわからない悲しさで、本人が悲しいと思っているわけではない。この点も、ちょっと変わった構造の作品だった。ウッド監督ならもっとストレートにエモーショナルな雰囲気にしても大丈夫だったと思うのだが。
 もちろん直球のエンターテイメント作品だし、「ヒーローもの」という枠を重視している。特殊能力を持ったチームが戦う、戦隊ものっぽさもあるし、それぞれの特殊能力も楽しい。ガン・カタの亜流みたいな技を使うやつがいて気になってしまった。ただ、今作ではまだミュータントぽさが薄いのが特徴か(時代が進むにつれミュータントも進化してくるという設定なのか?)。






『山の絵本』

尾崎喜八著
著者は詩人・翻訳家。表紙の絵(私は岩波文庫版で読んだが、初版原著本の口絵がそのまま使われている)はヘルマン・ヘッセから寄贈されたものだそうだ。題名の通り、山・登山に関する随筆を集めたもの。登山といっても、何々峰制覇!とか記録達成!というような趣旨ではなく、山歩きと言うにふさわしいもので、長閑だ。個人的になじみのある高原なども出てきてうれしい。著者の資質に加えて時代背景も色濃く反映されていると思うのだが、文章がとかくロマンティック(もうほんとにロマン派全開な感じで・・・)で、今読むと少々気恥ずかしい。また、これはどちらかというと著者の資質によるところが大きいと思うのだが、非常にナイーブ。特に人間関係での相手に対する視線は、潔癖さと細やかさが見られてはっとするところもあった。こういうタイプの人は、現代では生き難いかもしれない。






『センコロール』

 アフターヌーン四季賞を受賞した宇木敦哉による自主制作アニメーション。製作途中のものを一部の劇場で映像を流したところ反響が大きく、めでたく劇場公開となった。不思議な生物「センコ」を操り、エサとなるモンスターを追う少年テツ。テツと同じ高校に通う少女ユキは、たまたまテツとセンコを目にし、彼らに興味を持つ。
 公開が待ち望まれていた(というか私が超待ち望んでいた)本作だが、いざ本編が公開されると、パイロット版や予告編の方がクオリティ高かった!と非難轟々。たしかに、パイロット版の方が作画のクオリティがいいし、編集もタイト。ただ、映画本編も、個人的にはクオリティは予想の範疇内だったしそうがっかりすることもなかった。ストーリーも、単発30分にしてはよくまとまっている方だと思う。尻切れトンボではないと思うのだが・・・。最近、ネットでアニメーション評を目にすると、自分の中での評価と全然違うことが多いので、いよいよ時代についていけなくなったかとショックを受けることがある。今のアニメーションの主流は、私がアニメーションに求めるものとは違ってきているのだろう。わくわくするポイントが世間と乖離していく・・・。特に「どういう世界設定なのかわからない」という感想を目にした時はちょっとカルチャーショック受けた。逐一説明しなくてもいいと思うのだが。すとんと作品世界に飛び込むような見方はあまりされていないのかな。
 本作の作画は、手書きの絵をトレースして繋げたものだそうで、基本的にご家庭のPCでできる範囲のもの。手書き絵がベースなので、監督のデッサンの手癖や線の入り抜きのクセが動画にしたときもろに反映されてしまう。スクリーンサイズにすると特に粗が目立つ(ネット配信とかだとそうでもなかったかも)。カット割りも、映画としてはちょっと・・・という部分が目についた。元漫画家だからなのか、マンガのコマをまんまコンテにおこした感じになってしまっている。映画にするなら、このショットとあのショットの間にもう1ショットほしい等、もどかしくなった。
 ただ、こういう動きをイメージして作画しているんだなというのはよくわかる。多分作画の才能よりも、「動く絵」を使って何をどう表現したいのかというイマジネーション力の方に優れている作家なのだろう。ということは必ずしもアニメーターとしての作業をしなくてもいいとも言えるのだが・・・。スタジオを使うスキルを身に付けて(今回も使ったらどうかと言う話はあったそうだが、使い方がわからないので個人作業にしたとか)、動画はスタッフに丸投げして監督業に徹してみてほしい。次の仕事につなげるという意味では、今回劇場公開に踏み切って正解だったのでは。
 ともあれ、センコ(自転車になったセンコいいね~)も人間キャラクターも、デザイン面は魅力がある。背景がのっぺりしているという声もあったが、あののっぺりさが、夏の午後っぽくて個人的には好きだ。省略できるところはがんがん省略しちゃっていいと思うんだけどな・・・。なお、声優陣は結構よかった。特に男子。盲点でした。あとエンドロール曲は大幅マイナスポイントだと思う。音はともかく歌詞のダサさに眩暈が。あれを上映開始待ち時間中延々と聞かされて、発狂するかと思った。





『色即ぜねれいしょん』

 原作はみうらじゅんの小説、監督は田口トモロヲという『アイデン&ティティ』のコンビ再び。仏教系男子高校に通う純(渡辺大和)は、優等生にもヤンキーにもなれない中途半端な文科系男子。ボブ・ディランに憧れているがロックとは言いがたいぱっとしない日々を送っている。そして夏休み、純は友人に隠岐島への旅行に誘われた。その島のユースホステルではフリーセックスできるというのだ。
 10代男子のアホさが全開に!勉強がそれほどできるわけでもない文系男子の、学校生活における悲哀をすくいあげたところにリアルさがある。サブカルがもっと浸透したり、渋谷系が出てきたり、オタクが市民権を得たりしたらまた話が違うのだろうが、この時代はまだ文科系の立ち位置が中途半端だったのかなと思った。不良文化全盛期だったろうしなぁ・・・。ジャンル:音楽の文科系というのもつらいか。音楽の好みは、案外、人との共通の話題になりにくい。そんな鬱屈を晴らすかのような文化祭およびその後の展開は、この映画の中で最も「文系男子の夢」的だといえる。白ビキニの美少女よりよっぽどドリーム展開だと思う。
 先日見た台湾映画『九月に降る風』も男子高校生の青春映画だったが、本作は同年代のつながりよりも、ちょっと年長の人との交流がメイン。この年齢の頃、ちょっと年上の人に遊んでもらうのが楽しいというのは、すごくよくわかる。この映画に出てくる大人(というには若いかもしれないが)たちは、いわゆる立派な大人、出来た人というわけではなく、どちらかというと世間的にはぱっとしない人、ドロップアウトしてしまった人たちだ。しかし純にとってはまぶしく見える、むしろ社会的に成功した大人ではないからこそ、純に声が届く・純の声が届くのだろう。お兄さん・お姉さん的な人たちが大人の遊びに連れ出してくれるのってほんと楽しかったよなーと懐かしくなった。
 『アイデン&ティティ』のヒロインは、文系男子の理想のような存在でちょっとひいたが、本作のマドンナ・オリーブ(臼田あさ美)はもうちょっとリアル女子っぽい。一見いかにも男子の妄想が具現化!な感じなのだが、行動が高校生男子のキャパを越えていて純が辟易するさまに笑った。う、うれしいけれどその先どうすれば・・・!みたいな展開で、これは10代男子のスキルではおいしい展開と判断しにくいんだろうなと。臼田はルックスはキュートなのだが声が案外野太くて、そこも「実は理想的ではない女子」ぽかった。また、純の両親が理解ありすぎではという感想も目にしたが、こういうご家庭は案外珍しくないと思う。老けない母親(演じるのは堀ちえみ。かわいいです。こんな母親だったら確かにグレようがない)が珍しくなくなってきたのはこの頃からでは。
 主演の渡辺、ひげゴジラ役の峯田和伸、家庭教師役の岸田繁は全員実際のバンドマン。渡辺は全く演技経験なかったそうだが、顔が昭和っぽいことも相まって結構いい味出している。本当にモテなくて悶々としてそうな雰囲気がある。





『九月に降る風』

 1996年、台湾の地方都市。付き合っている彼女がいるのにナンパばかりしているイケメンのイェンと、真面目で成績も悪くないタンは、対照的だがなぜか馬があう親友同士。2人と中心に、いつもつるんでいる高校生7人の青春模様。
 風が降るってどんな気取り方した邦題ですかと思っていたら、原題が「九降風」だった。気取るどころかむしろストレートでした。すいません。台湾の映画はなんとなく日本と似た空気感があって好きなのだが、本作もなかなかの秀作。加えて、舞台が1996年という設定も(映画内の高校生たちとほぼ同世代として)よかった。携帯ではなくポケベル、サッカーではなく野球というところが懐かしい。当時の日本の高校生の生活と結構似ているし、日本のサブカルチャーがかなり進出しているらしいところも面白かった。レンタルビデオ店のシーンで、名探偵コナンやスラムダンクらしいジャケットが見えるし、高校生の机の上にSD桜木フィギュアぽいものがあった。また、男の子たちの会話の中に飯島愛の名前が出てきたのには驚いた。そこらの高校生が見知ってるくらいメジャーになってたのか。当時を知らない、また当時の若者の文化になじみのない人にとってはあまりぴんとこない話だろうが、まさにこの時代に青春を送った人にとっては感慨深いと思う。
 7人の高校生は、不良寄りのイケメン、優等生、熱血漢というようにある種の類型ではある。ちゃんと「委員長女子」も出てくるし、メガネのぽっちゃり男子は万国共通でいじられ役らしい。しかしフォーマットを守ることでキャラクターの書き分けがわかりやすくなっており、ドラマには安定感があった。ストーリーもそんなに起伏が激しいわけではないし「お約束」順守で、各種のフラグもわかりやすいのだが、みずみずしさとノスタルジーとか相まって雰囲気がいい。台湾映画の秀作は、この「雰囲気がいい」というところに特化した作品が多いように思う。
 高校生たちの青春模様と、当時の台湾野球界の動向を重ねているところが興味深かった。野球は当時の一般的な男子にとってそれだけ大きなファクターだったのだろう。当時の台湾野球界では八百長疑惑をめぐるスキャンダルが発覚しており、有名選手が取調べを受けるなど、球界に対するイメージが大きく失墜した。その失墜が、少年たちのイノセントの喪失と同時進行で重ねられている。わかりやすすぎるくらいわかりやすい構造だが、これがラストまできれいにまとめられていている。
 もっとも、青春の痛切さというよりも、高校生男子のあさはかさ(もちろん全ての高校生男子があさはかなわけではないが、本作の7人はあまり頭よさそうではない)の方が目立つ。そこも含めてかわいいとは思えるのだが、浮気はバレると思え!とりあえず病院に行け!とは言いたくなった。全体的に雰囲気が長閑なのも一因か。都心部の学校や進学校だと、もっとピリピリした感じになるのかもしれない。






『ネオン・レイン』

ジェイムズ・リー・バーク著、大久保寛訳
ニューオリンズ署の警部補デイブ・ロビショーは、湖沼(バイユー)で若い黒人女性の死体を発見する。他殺とふんだロビショーだが、検察結果は溺死だった。納得できないロビショーは独自に捜査を進めるが、事件は予想外の方向へ転がり始める。ロビショーは元アル中かつ結構インテリ。ハードボイルドヒーローのある種の典型みたいなキャラクターだ。セリフがいちいちキザで、当時はスタイリッシュだったのかもしれないが、今読むと文章がキメキメすぎてハードボイルドのパロディみたいだ。おかげでストーリーが全然頭に入ってこなかったわ・・・。ロビショーがベトナム戦争からの帰還兵だったり、プロテスタントだったりすることが結構大きなファクターになっているはずなのだが、そのへんもあまり印象に残らずもったいない。私が求めるハードボイルドはこういうのとは違うんだよなー。ただ、ニューオリンズの風土を感じさせる情景の描写は詩的でよかった。もともと純文学から出てきた作家だからか。





『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』

 '50~60年にかけてブルースの名盤を世に送り出した「チェス・レコード」の創始者・チェス(エイドリアン・ブロディ)と、マディ・ウォータズ(ジェフリー・ライト)、エタ・ジェイムス(ビヨンセ・ノウルズ)、チャック・ベリー(モス・デフ)ら彼を取り巻くミュージシャンたちを実話に基づき描く。話に聞いたところでは、レコード発売年など事実とずれているところもあるそうなのだが、細かいところに拘らなければ当時の音楽の流れが掴めて楽しめそう。私は「この曲聴いたことある」程度の知識しかないのだが、その程度の方がかえって素直に見られるかもしれない。
 予告編ではビヨンセが大きく取り上げられていたが、エタ・ジェイムズが登場するのは映画の後半になってからなので、それほど露出時間は長くないし、あまり印象に残らなかった。演じているビヨンセは頑張っていたと思うが、エタ役には美人すぎるのでは。反対に予想以上に存在感があったのが、ジェフリー・ライト演じるウォーターズ。女好きの伊達男だが、根が実直な感じが出ていて面白い。ジェフリー・ライトっていままであまり印象残らなかったのだが、いい役者だったんだと認識を改めた。なお、作品内で登場人物が歌う歌は、演じる俳優本人が歌っているそうだ。本職のビヨンセやモス・デフ(この人はどの作品でもほんといい!得がたいキャラクター)はともかく、皆上手い。この手の音楽映画を見るたび実感するのだが、ハリウッドの俳優は歌って踊れるのが基本なのね・・・。
 チェスはポーランド移民の貧乏白人の家に生まれ、金持ちになることを目標にしていた。当時としては珍しく、黒人に対する差別意識があまりない人だったらしい。加えて彼にとって白人であるか黒人であるかよりも、金がある奴かない奴(ないしは金になる奴かならない奴か)かどうかの方が重要だった。だから金を稼ぐウォーターズやジェイムズに対しては、「白人」としてではなく「ビジネスパートナー」として接する。ミュージシャンたちからは「白人の父」と呼ばれるくらい慕われていた。
 作品内でも印税絡みでちょっと生臭いところが見えるが、慕われるといっても実際はミュージシャン側にはもっと複雑な思いがあったのかもしれない。実際はもっとあこぎな人だったんだろうなぁ・・・。見た目柔和なエイドリアン・ブロディが演じるとなんとなくいい人な雰囲気になるのでずるい。(強引なやりかたでラジオオンエアさせたりするのだが、ブロディがやるとあくどい感じにならない)
 ただ、チェスが黒人歌手をヒットチャートに乗せて定着させたのは事実なので、功績が大きいのは確かだろう。ウォーターズが不満を持ちつつ最後までチェスについていったのも、彼の功績を理解し恩義を感じていたからだろう。単に腐れ縁という可能性も大ではあるが。ただ、チェスとウォーターズの間に、好き嫌い関係なく、共にのし上がってきた者同士の絆があったのだろう。
 意外と淡々としたストーリーの流れで、黒人歌手に対する差別やお金をめぐるゴタゴタ、酒やドラッグによる転落にかんしてはあっさりとした描写だ。脚本が上手いとはあまりいえないのだが、出演者の演技は安定している。出演者と当時の音楽に大分助けられていると思う。






『ポー川のひかり』

 イタリアのボローニャ大学で、図書館の古文書が床に釘で打ち付けられるという妙な事件が起きた。容疑者は将来有望な若い教授(ラズ・デガン)。彼は車を乗り捨てて、ポー川沿いの廃屋に暮らし始めた。村の人々は彼を「キリストさん」と呼び、家の修理を手伝ったり食事を提供したりするようになる。監督はエルマンノ・オルミ。長編作品は『ジョヴァンニ』以来8年ぶりとなるが、これが最後の長編のつもりだとか。私は監督の作品は、オムニバス『明日へのチケット』でしか見たことがないのだが、本作はわりと好きな作品だ。
 撮影がすごくいい。ところどころ、はっとするような美しい情景がある。川の岸部で演奏されていた音楽がふっと途切れると、川の上の船から同じ音楽が流れてくるところなどは、魔法のような瞬間を感じた。また、土手の上から誰かが声をかけていく構図が反復するところもユーモラスで魅力的。ロケーションに助けられている部分も大きいと思うのだが、撮影監督の腕がいいのではないだろうか。
 映像の魅力と比べると、学問としての宗教、教義のみによった宗教に対する懐疑というテーマは、いまひとつ立ち上がってこない。日本人にとって馴染みの薄いテーマだということもあるだろうが、テーマとして今更感があるのも一因かもしれない。川岸の再開発が絡んでくるところも、上手くかみ合っていなかったように思う。さらに、前述したように映像が非常に魅力的なので、その魅力の前にテーマがかすんだというのも。本を釘で打ちつけるという行為も、象徴として云々というより、単純にビジュアルとして面白いからやってみたのでは?と思えてしまう。ただ、どうということない風景や夕暮れのパーティ、バイクでのパンの配達など、ごくごく日常の(意味を持たない)情景が魅力的にとられているので、(過剰に意味を持たされた)文章化されたものへのアンチテーゼという側面から、テーマを支えているとも言えるが。
 主演のデガンはちょっと神秘的な雰囲気もありつつ魅力的で、確かにこの人だったらキリストよろしく周囲に人が集まってくるかもしれないと思わせる、いいキャスティングだった。キリストさんと呼ばれているが、村人にとっては「不思議な人がふらっと来て幸せな時間をもたらしふらっと立ち去る」という展開なので、風の又三郎とかスナフキン的でもある。脇役の人たちもそれぞれハマっていて、魅力がある。特に、すごい美人というわけではないがあっけらかんと色気を振りまくパン屋の娘はキュート。惚れっぽく相手を落とそうとする態度があからさまなのだが、いやらしくならないところがいい。






『ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢』

 自称発明家のウォレスと、その愛犬グルミット。パン屋を始めたウォレスはある日、憧れの人であるCM女優パイエラ・ベークウェルと偶然出合って恋に落ちてしまう。浮かれるウォレスにあきれるグルミット。一方町ではパン屋連続殺人が起きていた。
 ニック・パーク監督によるクレイアニメシリーズの最新作となる。本作は元々、TV放送向け作品として製作され、2008年のクリスマスにイギリスで放送された。視聴率は何と58%という驚異的な数字。しかしそれも頷けるクオリティだ。キャラクターの表情・動きの豊かさはもちろんだが、細部の作りこみが毎度毎度すごい。今回はウォレスがパン屋なので、パンがオーブンの中で焼けるシーンがあるのだが、パンがちゃんと膨らむところには驚いた。どうやって撮ったんだこれ・・・。
 また、なぜかサスペンス映画風なオープニングは毎度おなじみなのだが、、今回は特にホラー・サスペンス映画のパロディ度が高い始まり方だったと思う。毎回見ていて思うのだが、パーク監督は映画の素養がすごくある・映画が大好きな人なのだろう。カメラの動きがクレイアニメと聞いて想像するもの(ピングーとかみたいな)の枠を超えている。多分、監督の中では人間を使った実写映画と同じ感覚でコンテ書いているのではないだろうか。
 今回の上映では、シリーズの過去作品『チーズ・ホリデー』『ペンギンに気をつけろ』『危機一髪!』のリマスター版もあわせて上映された。順を追って見ていくと、最初の『チーズ・ホリデー』では普通にクレイアニメだなと思うのだが、次の『ペンギン~』ではいきなり「映画」になっている。制作費や環境の関係もあるのだろうが、「映画」として撮れるという手ごたえがあったのではないだろうか。アクション映画でよく見られる、走っている電車上での格闘やカーチェイスなどを全部パロディとしてやってしまおう!という心意気にうたれた。しかもちゃんとアクション映画として成立してるんだよなー。
 ウォレスは新作ごとに職業が変わっている。そして惚れっぽく、一目ぼれしては失恋する。仕事も家事もグルミットにたよりがちで、なんだかのび太とドラえもんのようである。しかし、ウォレスとグルミットは良き相棒同士ではあるが、決して親友ではない。宮崎駿も映画に寄せたコメントの中で指摘していたが、彼らはあくまで「飼い主と飼い犬」であり、主従関係は保たれているのだ。当然グルミットは犬だからしゃべらないし、彼の意図がウォレスに通じているのかというと、そうでもない。そのドライというかクールというか、2人の関係のある種の厳しさが、本シリーズを単純に「かわいい!キュート!」と言い切ることに対する抵抗を生んでいると思う。
 それにしても、最初から最後まで見所だらけ。本当に感服します。恐ろしい領域に突入していると思う。







『死が二人を別つまで』

ルース・レンデル著、高田恵子訳
邦題は内容といまいち合っていない気がする。そういう話じゃないような(原題はA New Lease of Death)。ウェクスフォード主席警部のもとへ、彼が解決した16年前の殺人事件の真相に疑問を持つ牧師ヘンリーが現れた。牧師の息子の恋人は、なんとその殺人事件の犯人の娘で、彼女は母親に「お父さんは誰も殺していない」と言われてきたというのだ。探偵役はウェクスフォードではなくヘンリー。過去の殺人事件を探るタイプのミステリだが、出てくる人すべてが怪しくてコージーミステリのパロディのよう。しかし読者が気をそらす要素が多いことで、最後に読者が見ていたものと書かれていたものの姿が現れるシーンのインパクトが際立っている。ただ、ミステリ部分よりも、人の心理の書き方のいやらしさが印象に残る。レンデル作品はほんと人に対する悪意に満ち溢れているな(笑)!ヘンリーの煮え切らなさも彼の息子チャールズの高慢さ(若いっていやなもんですね)も鼻につく。当然鼻につくように作者が造形しているわけだが、一から十までそうしなくても・・・。






ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ