3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2009年09月

『DV ドメスティック・バイオレンス』

 「ワイズマンを見る/アメリカを観る」特集上映にて。2001年の作品。アメリカ、フロリダ州最大のDV被害者保護施設「スプリング」に入居する人々にカメラを向けたドキュメンタリー作品。スプリングは年間1650人(2001年当時)ものDV被害者と子供を受け入れている。被害者は女性とは限らず、男性が保護を求めるケースもあるそうだ(本作内では男性の入居者は出てこないが)。
 DVというと、「夫が妻を殴る」というイメージがまず浮かぶだろう。本作でも、冒頭に映されるのはまさにその典型のようなカップル。現場にかけつけた警察官の対応が非常に落ち着いていて、こういったケースが珍しくない様子が窺えて却って怖かった。しかしスプリングに来る女性たちの話からは、肉体的な暴力だけでなく、言葉による暴力、経済的な制約も多いことがわかってくる。加害者はパートナーとは限らず、兄弟や親戚、子供の場合も少なくない。ひとくくりにDVといっても、多種多様だ。
 DVを受けていた人の言葉に共通して窺えるのは、自分が置かれていた環境、つまり(肉体面・精神面での)暴力をやパートナーからの過剰な束縛を辛いとは思っても不自然だとは思っていなかったということだ。相手の力の及ばないところで生活して始めて、自分がパートナーに隷属しているわけではない、独立した人間だということに気付けるのだ。相手の磁場内にいるとコントロールされてしまう感じなのか。
 加害者側が、暴力をふるった後やさしくなる、自分が理性的に見える方向へ会話を誘導等、被害者側が加害者側を見限りにくい、反論しにくいような関係にあるというのも共通していた。DV被害者が加害者からなかなか逃げ出さない(高齢になるまでDVを受け続けているケースも)し妙に相手をかばうようなことを言うのが最初もどかしく思えるのだが、なぜ逃げ出さないのかが徐々に見えてくる。また、お金や物品の管理を一切加害者側が行っており、経済的・物理的にも逃げ出せない(日常の買い物すら勝手に出来ないし車を使うこともできない)というケースも少なくない。もちろん子供の有無も大きいだろう。そして最も大きな要因としては、独立した人間となることは支配されていることよりも怖い(経済的な面も含め)という感情がある。
 DVの根底にあるのがセックスの問題ではなく、支配/被支配という力関係の問題であるという言葉に納得した。最後に映し出されるあるカップルと警官のかみあわないやりとりも、DVの一環になりうることがわかるのだ。もちろんワイズマンは観客がこの言葉に納得できるように綿密に編集しているのだろうが、核心をついていると思う。






『高校』

 「ワイズマンを見る/アメリカを観る」特集上映にて。1968年の作品。当時の、おそらくごく一般的な(多分、中の上くらいのレベル)高校における日常を追った作品。『チチカット・フォーリーズ』よりも編集が大分スムーズになっている。スムーズというよりも、観客に対するサービス精神が旺盛になっているというか、見やすい。あるシークエンスで「~がAで~」という言葉が出てくると、場面転換された次のシークエンスは「Aは~」という言葉から始まる、というように、観客の意識をすっとひっぱっていくつなぎ方が多く見られた様に思う。
 ワイズマンの意図が反映されているにしろ、当時の高校教育の一端を垣間見ることが出来る資料としても貴重だと思う。男子が参加する調理実習(多分、必修ではなくクラブ活動的な選択科目なのでは)や、女子の為のファッションショーみたいな授業があったり(ぽっちゃり体型の子が披露するファッションを「体型をカバーするドレスでステキ!」と評するあたりの建前感が非常に「学校」ぽい)、など、かなり意外な授業も。卒業パーティーにミニスカートのドレス着用ではTPOに反するという指導がわざわざされていたり、進路指導がかなり丁寧で、両親の経済力まで含めて進学先プランを練っていたりするところは面白い。この当時からモンスターペアレンツぽい保護者がいたんだなぁとか。また、時代背景も色濃く反映されていて、擬似宇宙船生活みたいなプロジェクトをやっていたり、ベトナムから帰還した卒業生が教師を訪ねてきたりと(もちろん帰還できなかった卒業生もいるわけだ)興味深かった。
 当時の高校生活を見るうち、高校教育そのものというより、その高校教育の背景にある思想、どういう生活が模範的とされていたかというものが見えてくる。特に興味深かったのが、性教育から見えてくる当時の「かくあるべき」男女観。結婚して子供を作ることが大前提、婚前交渉はもってのほかというのがありありと見られる。「女性は大体1回のセックスで妊娠します」と教えていて吹いた。どんな情報操作だそれは・・・。性を抑制する為の性教育(称揚されても困るが)なのだ。男性教師(多分医者が出向しているのでは)が男子生徒の前で下ネタばんばん披露し、どっかんどっかんウケているあたりには時代を超えた何かを感じたが。
 とりあげられている高校は、わりとリベラル(黒人、ヒスパニック系の生徒も特別枠的な扱いなのだろうが入学を許可している)寄りではあるのだろうが、ライフスタイルに対してはまだまだ「古き良きアメリカ」という感じの教育がされている。ここからの道のりは遥か遠い。






『チチカット・フォーリーズ』

 「ワイズマンを見る/アメリカを観る」特集上映にて。アメリカの現代社会を撮り続けて来たドキュメンタリー作家、フレデリック・ワイズマンによる作品。1967年製作だが、合衆国裁判所で一般上映が禁止され、1991年にようやく許可された。精神異常犯罪者を収容する州立刑務所マサチューセッツ矯正院の内部を撮影した作品となる。
 ワイズマンの作品を見るのは始めてなのだが、撮影対象への視線が非常に冷静だと思う。ドキュメンタリー作家には、対象に近寄っていくタイプと距離をおくタイプがいると思うのだが、ワイズマンは明らかに後者。撮影対象をおもしろがっている(バカにしているという意味ではなく、興味を持っているという意味)が、共感は感じられない。しばしば「現代社会の観察者」と言われるのは、この視線のありかたを指しているというのはよくわかる。
 精神異常犯罪者を収容した刑務所、というと、カメラは主に収容者に向けられると思いがちだが、刑務所に勤務している職員や医師、カウンセラー、ソーシャルワーカーらにもカメラは向けられる。そしてむしろ、収容者以外の人たちの方が面白い。多分、ワイズマンもそう思って撮っている、と言うよりも面白いと思ったから、面白く見えるように恣意的に編集しているのだと思う。特に刑務所所長にかんしてはそのくらいキャラがたっていておかしい。
 冒頭、所内のパーティーで披露されたらしい収容者と職員(多分)によるレビューが映し出されるのだが、見ているうちに、どうも所長がミュージカル、レビュー好きらしい、本人も歌が結構うまくて頻繁に披露しているらしいというのがわかってくる。そしてお前か!お前がやりたかったんかー!という突っ込みをさそわずにはいられないオチ。ワイズマンは絶対、そういうツッコミをさそうように編集しているので、ある意味悪意があるよなと思った。






 

『グッド・バッド・ウィアード』

 1930年代、満州。泥棒のユン・テグ(ソン・ガンホ)は大陸横断鉄道に乗っていた日本人から、謎の地図を奪う。同時にパク・チャンイ(イ・ビョンホン)率いるギャング団がその鉄道を襲撃。実はチャンイも地図を狙っていたのだ。そこへ賞金稼ぎのパク・ドゥォン(チョン・ウソン)もチャンイ捕獲を狙って戦いに加わってきた。更に、地図の奪還すべく日本軍が動き出す。
 監督は『甘い生活』のキム・ジウン。韓国製西部劇、マカロニウエスタンならぬキムチ(いや炭水化物ということでトッポギかチヂミか?)ウエスタンを目指して作ったのだろう。冒頭の鉄道襲撃やクライマックスのジープやらバイクやらも巻き込んでの大騎馬戦は見ごたえがある。落馬して馬に踏みつけられるところまでちゃんとやっている騎馬戦を久しぶりに見た。予告編ではスター俳優3人の顔合わせにスポットがあたっていたが、むしろ集団アクションを売りにした方がよかった(というか映画の趣旨と合っている)んじゃないだろうか。このご時勢に、荒野に鉄道敷いてセット作って乗馬スタントをやる、しかも大勢で、というやる気をかいたい。映画の出来はともかく、日本映画にないものが確かにあるとは思う。
 満州が舞台ではあるが、監督はこの時代に特に思いいれがあるわけではなさそうだ。キナ臭さは漂うものの、日本軍の描き方もあっさりとしていて、これだったら別に満州じゃなくてもいいんじゃないだろうかという程度のもの。時代考証もおそらく厳密ではないだろう。どちらかというと、ウエスタンファンタジーとして見たほうがいい。やりたかったのはあくまで西部劇っぽい何かであって、満州を舞台とした映画ではないのだろう。
 満州という設定に限らず、これはなくてもいいんじゃないかという設定が多く、整理されていない印象を受けた。宝の地図の存在感が薄いのもその一つ。日本軍を物語上に引っ張り出すという目的はあったのだろうが、少なくとも主人公3人の間では、途中から地図が不要になってしまっている(そもそもドゥオンは当初、地図の存在も知らなかった)。また、各キャラクター、チームの立ち位置が不明瞭で、相対関係がわかりにくい。西部劇のように、チンピラ、保安官、ギャング、アパッチ族みたいな感じにしたかったのだろうが、それぞれの方向性がはっきりしないので、「で、この人たち何やってたんだっけ?」ということに。もうちょっと時間的にもコンパクトにまとめて欲しかった。あと30分短かったら好感度がもっと上がっただろうなと思う。
 主演3人の中では、ユン・テグを演じるソン・ガンホが演技力でもキャラクター的にもおいしいところを総取りしている。ただ、ユン・テグというキャラクターを作ってしまったことで映画が冗長になっているのも否めない。これ、素直にイケメン同士のガチンコ勝負にしちゃってよかったんじゃないかなー。・・・別に私がソン・ガンホの顔があまり好きではないとか、小芝居がすぎて鼻につくとかそんなんじゃないですよ、ええ。なお、チョン・ウソンの騎乗ガンアクションはさまになっていて大変かっこよかった。結構なスピードで走っているのに、普通に乗りこなしている感じが出ているところがえらい。







『患者の眼 シャーロック・ホームズ誕生秘史Ⅰ』

デイヴィッド・ピリー著、日暮雅道訳
まだ医者だった若きコナン・ドイルと、その師匠であるベル博士が怪事件に挑む。ホームズのモデルはベル博士で、ドイルが実際に直面した事件が小説のネタになっている、という設定のホームズパスティーシュ小説。パスティーシュとしてはかなり手が込んでいると思う。元本のホームズシリーズから、これはあの短編、これはあの短編からだなとわかるようなネタがふんだんに盛り込んでいておなかいっぱいになる。また、ホームズは実際に身近にいたら面倒くさいし勘にさわる奴だと思うのだが、ドイルがベル博士のことを当初は「正直いって苦手・・・」と思っているあたり、くすぐりがこまかい。ホームズシリーズを読破していることが読者の条件になってしまうが、未読の人はわざわざ本作を手にとらないだろうから、問題ないか。ただ、構成に難あり。既に作家となり、ある問題に直面したドイルが過去を回想するという構成なのだが、回想内の時間が結構頻繁に飛ぶので混乱する。また、最初からシリーズものにするつもりだったらしく、本作内では回収されない伏線らしきものや思わせぶりな記述が多く、イライラする。だって続きが翻訳されるほど面白い(売れた)とは思えないんだもん・・・。







『武器よさらば(上、下)』

アーネスト・ヘミングウェイ著、谷口陸男訳
岩波文庫版で読んだ。第一次大戦のイタリア戦線に出向中のアメリカ人中尉・ヘンリーは、イギリス人看護師バークレイと恋に落ちる。もっと「戦争小説」的に深刻なのかと思っていたら、そうでもない。戦時下なので戦場の描写はもちろん出てくるのだが、文体が簡潔かつドライだからかさほど陰惨な感じではない。むしろ、青春小説と見たほうがいいのだろう。社会的には深刻な状況なのに、男性も女性も現実を回避するかのようにどこかふわふわしているし、悲壮感も薄い。戦時下だろうが何だろうが若者は若者なのだ。アメリカ人とイギリス人のカップルなので、イタリアの戦況は他人事になってしまうのかもしれないが。もっとも、アメリカの新聞は読むと落ち込むので読みたくないという件も出てくる。状況がきつすぎる反動で軽い振る舞いになっているともとれるか・・・そこはかとなくなげやりな感じも。そのせいか、ラストからすると悲恋のはずなのにあんまり悲恋に見えないんだよなー。ヘミングウェイ作品はどちらかというと短編の方がいいかなと思う。






『おやすみ、こわい夢を見ないように』

角田光代著
日常に潜む、薄暗さ、不穏さを描くとやたらとうまい角田光代。著者が描く人間の負の部分は、強烈に悪!とか暗黒!というのではなく、うっすらと暗いので、ともすると見落としてしまいそうになるようなものだと思う。そこをいちいち拾っていく著者の気力はすごいなとつくづく思う。本作は連作短編集。どの話にも、同じような特徴をもった若い女性が(主人公ではなく背景として)出てくる。この女性が、主人公の澱んだ感情を自覚させるのだ。全編に不吉な雰囲気が漂うが、良くも悪くも日常の強固さみたいなものも感じた。ともあれ日常は続けようと思えば続く、ということか。






『ドラママチ』

角田光代著
マチは「待ち」であり「街」である。つまらない人生を変えてくれる何かを待ち続ける女性たちを描く、短編小説集。舞台がどれも中央線沿線の街で、商店街やお店など、実在のものが名前は伏せてあるもののかなり具体的に出てくる。この店知ってる!と特定できると地元民としてはちょっとうれしい。しかしそれ以上に、何物にもなれない人生を送ることへの焦りと諦めが身にしみすぎる。角田小説は、やっぱり怖いなぁ。共感したくない部分で絶対共感するようにできてるんだよなぁ(笑)。つまらない人生にも美しい瞬間があり、それを糧にして生きる、もしくはこれが自分の人生と受け入れる契機になるのかもしれないという部分も描いてはおり、まったく出口が見えないというわけではない。しかしそういう瞬間を糧にするしかない、ということでもあるので、それはそれで結構きつい。








『新選 山のパンセ 串田孫一自選』

串田孫一著
登山を愛した著者が、山について書いた随筆をまとめたシリーズ「山のパンセ」より、自ら選んだベスト版。著者の随筆は10代のころに好んで読んでいたのだが、今改めて読むと、結構辛辣、気難し気なので意外だった。愛する山のことに触れた作品だからなのか、若かったからなのか。この1冊だけ読むと結構嫌な人なんじゃないかと思ってしまう(笑)。他のジャンルに触れた随筆の方がおおらかな気がした。もっとも、文章の端正さはさすが。読んでいて気持ちいい。





『96時間』

 政府の特殊工作員だったブライアン(リーアム・ニーソン)は、仕事一筋がたたって妻とは離婚。娘の側にいたい一心で仕事をやめ、再婚した妻と娘のそばへ引っ越したものの、なかなか自由に会うことはできない。そんな折、17歳になった娘が友達と2人でパリに旅行に行くことになった。心配でしょうがないブライアンだが、予感的中し、娘は正体不明のグループに誘拐されてしまう。一路パリへ向かったブライアンは、仕事で培った技能をフルに活かして娘を探す。監督はピエール・モレル、脚本・製作はリュック・ベッソン。
 原題は「taken」という至ってシンプルかつ直球なもの。そしてストーリーも非常にシンプル。さらわれた娘を奪還すべく父親が誘拐犯を追うというもの。決してひねりのある展開ではないし、脚本も非常に大味で出来がいいというわけではない(そもそもなんだあの人身売買組織・・・アルバニアの皆さんが激怒しそうな設定だよな)。しかし本作は妙に面白い。この面白さは展開の問答無用さかつ異様な速さ、そして何より主演のリーアム・ニーソンによるところが大きい。今までそんなにインパクトの強い俳優というイメージはなかったのだが、今回のニーソンの押し出しの強さは異常。最初は冴えない中年男という雰囲気で、娘の誕生日パーティーでの姿には悲哀が漂う。また、娘に対する過保護さも大変なもので、かなりイタいパパという感じ。しかしいざ自分の本分を発揮できるとなると、超強い!絶対死なない!というダイ・ハードにおけるマクーレン刑事並の活躍を見せる。
 ただ、マクレーンよりもブライアンの戦いの方が不穏であり、陰惨ですらある。マクレーンが一応警官公職に就いているのに対して、ブライアンは一般市民で何の権限もない。そしてマクレーンが警官として娘だけでなく一般人をも守るという使命を自覚しているのに対し、ブライアンは娘以外はわりとどうでもいい(笑)。娘を彷彿とさせる女の子には思いやりを見せたものの、捜査の為の手段は選ばないし死人を踏み倒して前進していく。かつての同僚だった男から情報を引き出す為に行う行為は、ヒーローとは程遠いし娘には見せられないだろう。このシーン、会場内ちょっとどよめいたもんね(笑)。
 このなりふり構わなさが、本作の展開上の粗を目立たなくしている。娘に対する過剰なまでの、狂気ぎりぎりの愛情が、妙な勢いと密度の高さを生みだしているのだ。そんな展開ありえねー!というこちらの突っ込みを封殺してしまう。ブライアンの愛情が基本的には報われない(危機が去ればまたウザい父親に逆戻り)ものだというところも、妙な悲壮感を呼び起こす。こうでもしないと娘からの愛と尊敬を勝ち得ない父親ってなぁ・・・切ねぇ。近年のリュック・ベッソンがらみの映画としては、異例の面白さ。








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