3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2009年08月

『G.I.ジョー』

 世界制服をもくろむ悪の組織コブラは、NATOからウイルス兵器ナノマイトを奪う。それに対抗するのは国際機密部隊G.I.ジョー。監督は『ハムナプトラ』のスティーヴン・ソマーズ。
 G.I.ジョーってミリタリー玩具だったけ?くらいの知識しかないのだが、予告編ではミリタリーの片鱗も見えなかった。普通のアクション映画である。『トランスフォーマー』の技術チームが参加しているそうで、やたらと回転しつつすっ飛ぶスローモーション映像には「トランスフォーマー」と似通った雰囲気がある。
 「トランスフォーマー」が変身ロボットものをハリウッドが本気で実写化!だとすると、本作はヒーロー戦隊ものを本気で実写化か。しかし映画としての面白さはトランスフォーマーに大きく水をあけられた感じ。衣装にしろ武器にしろ、デザインの練りこみがいまひとつ。なんとなく野暮ったくてぱっとしない。それが余計にヒーロー戦隊ぽさを増している。特撮ぽいチープさに徹すれば、それはそれで面白いと思うのだが、本作はそういう方向性じゃないっぽいんだよな・・・。リアル路線を狙うなら、監督はソマーズじゃないほうがよかったかもしれない。ソマーズの持ち味は「マンガっぽい」ところだと思う(「ハムナプトラ」の楽しさはマンガ映画の楽しさだったと思う)。結構な大作なのに、なんだかなー感が前編に漂う。
 さて、ヒーロー戦隊ものぽいと前述したが、本作は戦隊ものとしても失敗している。各キャラクターが立っておらず、魅力に乏しいのだ。一応それぞれの得意分野とか必殺技的なものは持っているのだが、どういう人柄、どういう好みなのかもっと見せて欲しかった。演じる俳優もいまひとつぱっとせず、わりと地味。特にヒロイン2人が妙に渋い(笑)。唯一、それなりに華があったのが韓国から出張中のイ・ビョンホン。白ニンジャ装束でがんばっていた。また、機密「部隊」だからチーム行動なはずなのに、隊員それぞれが勝手に動いているように見える。作戦らしい作戦てないんじゃ・・・。
 何が辛いって、予告編に全ての見所が出尽くしているところだ。あれは映画中盤の映像なのだが、終盤になってもあれ以上にビジュアル的に盛り上がるものがない。久しぶりに目にした「なんちゃってジャパン」の映像はちょっと面白い(というか最早懐かしい)けど。とくに前半と終盤がすごく眠かったわ・・・。続編作る気満々の終わり方なのだが、果たして作れるのか?作っても集客できるのか?少なくとも日本では厳しそうだ。







『人の死に行く道』

ロス・マクドナルド著、中田耕治訳
消えた娘の捜索を母親から依頼された探偵のアーチャー。美しい娘ギャリィは、ギャングの手下と付き合っていたらしい。2人の行方を追うアーチャーだが、彼以外にもギャリィたちを追っている男たちがいた。そしてアーチャーは1人の男の死体を発見する。著者の作品としてはわりと初期のもので、家族の抱えるゆがみや心理学的なアプローチなどの、ロスマク色的なものはまだ薄い。普通のハードボイルド小説だなという印象。ただ、ギャリィの母親の造形には後のロスマク作品の雰囲気が窺える。このころから親子の関係(特に親の造形)には興味があったのだろうか。娘を信じている、と自分では信じているものの無意識に不信が浮かび上がるように見える、母親の姿が印象深い。ラストの描写がよかった。母と娘だからこそ浮かび上がる心の澱ではないだろうか。父親と息子とは、やはりちょっとニュアンスが違う。





『三銃士 (上、下)』

アレクサンドル・デュマ著、生島遼一訳
皆様ご存知、新米騎士ダルタニャンとアトス・ポルトス・アラミスの三銃士の冒険譚。デュマの『モンテ・クリスト伯』が面白かったし三谷幸喜脚本の人形劇も始まるしで、思い立って岩波文庫版で読んだ。『モンテ・クリスト伯』と比べるとかなり少年マンガ的なノリに近い。勇気!友情!努力・・・はちょっと微妙だけど(笑)。ただ、少年マンガ的というにはこの人たち飲みすぎ!賭けすぎ!殺しすぎ!すごいあっさり殺しちゃうんでちょっとびっくりしました。あと、思っていたほど大儀の為に活躍するって感じでもない(政治思想的な目的の為に戦うというわけでもない。ダルタニャン本人が国王派ないしは枢機卿派というわけでもない)。むしろ己の欲望の方が先に立っていて、案外個人主義的だ。仲間に対する仁義も、あくまで自分個人と相手との関係からくるもので、いわゆる「騎士」のイメージとはちょっと違うか。なお、登場する女性キャラクターがかなりアイコン的に「女性」なのも少年マンガ的だと思った。あまり陰影はないが、これはこれで面白い。悪女ミレディは当時どういう捉え方をされたんだろうなー。「にくにくしいわこいつ!」と思われたのか「いいぞもっとやれ!」と思われたのか。言うほど悪女じゃない気もするが、当時の価値観だと相当悪い女ってことになってたんでしょうね。







『モンテ・クリスト伯(1~7)』

アレクサンドル・デュマ著、山内義雄訳
岩波文庫版で読破。もーうえっらい面白いんですが!全7巻が苦痛にならないってすごいことですね。無実の罪で投獄された男、エドモン・ダンテスの壮大な復讐譚。伝奇的な側面も強い。文学というよりは大いなる大衆娯楽で、当時の人たちにとっては韓流ドラマ+週刊少年ジャンプのようなものだったのでは。それくらい引きが強い。多分、読者はみんな続きを待ちわびていたのだろう。物語の構成としてはちょっといびつだと思ったのだが(やたら長いし)、人気連載マンガが人気ゆえに引き伸ばされちゃうのと同じような感じなのかも。ただ、いきなり長々と語られる挿入エピソードも、ちゃんと本筋に絡んでくるあたり、単なる引き伸ばしとも思えない。単に饒舌すぎるのか?ともあれハラハラドキドキして大変楽しい。登場人物それぞれキャラクターがしっかり立っているのだが、特にのんきなお坊ちゃん・アルベールや、自立した生き方を目指すユージェニー(当時彼女のキャラクターはどういう受け止められ方をされていたのか気になる)は現代的で古さを感じさせない。訳文も生き生きとしていて、若者っぽさが良く出ている。復讐に燃えるダンテスよりも、少年少女たちの方が印象に残った。また、ダンテスは復讐心に燃え冷酷に振舞うが、何かの拍子に本来持っている人間らしさが復讐心を凌駕する。ここになんだか感動した。多分、彼が着々と復讐を完遂していったらここまで読んでいて盛り上がらなかったと思う。ダンテスにしろ他の人たちにしろ、自分の中の矛盾に引き裂かれる感じに魅力があるし共感を呼んだのでは。












『ナイト・ミュージアム2』

 ニューヨーク自然史博物館の夜警だったラリー(ベン・スティラー)は、発明品をヒットさせて一躍新進企業の社長になり、忙しい日々をすごしていた。一方、博物館はリニューアルされることになり、古い展示品はワシントンD.C.のスミソニアン博物館の倉庫に移された。ある夜ラリーの元に、そのスミソニアンからミニュチュアのカウボーイ・ジェデダイアが電話をかけてきた。魔法の石版がスミソニアンに運び込まれたせいで展示物が動き出し、蘇ったファラオ・カームンラーがよからぬことをたくらんでいるというのだ。監督は前作に引き続きショーン・レヴィ。
 「博物館の展示品が動き出す」というアイディアで一点突破している作品なので、前作にしろ今作にしろ、ストーリー展開上の面白さはさほどない。しかし子供の頃の想像が具現化しているような設定なので、懐かしさも漂いそれなりに楽しめた。今回は博物館だけでなく美術館も出てくるのがうれしい(スミソニアンの敷地内にナショナルギャラリーがある。何日も通いたくなる施設だな~)。リキテンシュタインの「泣く少女」の表情の変化は意外にエレガント。また、バルーン・ドッグがぴょこぴょこ跳ねるのはすごくかわいい。写真の中に入ってしまえるのも楽しいし、「落し物」の顛末にもニヤリとさせられる。なおロダン「考える人」は前作のモアイと同じく、キャラ造形が少々ありきたりだった。
 また、前作ではルーズベルトらが登場した歴史上の人物シリーズでは、女性飛行家のアメリア・イアハートにスポットが当たる。恥ずかしながら初めて名前を知った人なのだが、アメリカでは人気者なのか?演じるエイミー・アダムスの演技プランの確かさもあってとってもキュート。あと一歩間違うと単なるイタい勘違い女になりそうなところを、ちょっと強引だけど勝気でかわいい、というキャラに落とし込んでいる。また敵のカームンラー側にはアル・カポネ、ナポレオン、イワン雷帝がつくのだが、全員相当自己主張強そうな人たちなのに、あっさりファラオの門下に下っちゃっていいんだろうか。また、ギャングのアル・カポネや半ば謎の人と化しているイワン雷帝はともかく、ナポレオンの扱いがひどい。アメリカ人はそんなにフランス人が嫌いですか(笑)。どちらかというと偉人イメージの強い人なのかと思っていたのでこの扱いは意外だった。
 ラリーが前作よりも大分「できる人」になっていて、ちょっとできすぎなんじゃないかと思ったが、今回はアメリアとのほのかなロマンスもあって、また違った面が見られたのでは。じゃじゃ馬なアメリアにイラついて「君は本当は、」と石版の魔法のことを言いそうになるが踏みとどまるシーンは、彼のキャラクターがよく現れていたと思う。ファミリー映画の主人公は、やはり根がいい人でないと難しいだろう。
 ただ、前作に比べるとちょっと勢い不足・ボリューム不足かなと思った。出てくるものは多いのに、なんとなく物足りない。おそらく、前作は作品内が数日に渡っていたのに対して、今回はほぼ1晩の出来事だからではないかと思う。もうちょっとじわじわ引っ張れると楽しかったのになー。もったいない。
 ところで、ラリーとアメリアのロマンスを盛り上げようとしゃしゃり出てくる3体のキューピッド、どこかで見た顔だと思ったらジョナスブラザーズなの?道理で歌いまくると思った。ラスト、COLDPLAYのLife in technicolorのイントロが使われているから、おっこれはエンドロールはCOLDPLAYか!と思ったのに、ぶっつり切られてジョナスブラザーズの曲が流れ始めたのにはがっくり。そんなに人気あるんか・・・。





『コーパスへの道 現代短編の名手たち1 デニス・ルヘイン』

デニス・ルヘイン著、加賀山卓朗他訳
ハヤカワ文庫が発行をはじめた、ミステリ分野の作家による短編集。長編のイメージが強いルヘインだが、短編もうまかった。また、決してミステリに対する志向が強い作家というわけではなかったんだなと思った。形式はどうであれ、人の陰の部分を書くと冴えている。そのせいで読後感は決して良くはないのだが(笑)。一番ミステリ度の高い「グウェンに会うまで」も後味は苦く痛切だ(本作の前日談とでもいうべき戯曲「コロナド」と合わせて読むと余計に)。変えようのない悪、というと言いすぎだが、悪意の有無とは別にどうしても人の倫理からずれてしまう人がしばしば登場する。その人たちは変えようがない故に恐ろしいのだが、同時にもの悲しくもある。もの悲しい、というのもこの短編集の基調になっている。特に表題作のラストにそれを感じた。






『トランスポーター3 アンリミテッド』

 凄腕ドライバーの運び屋、フランク・マーティン(ジェイスン・ステイサム)の家に、知人のマルコムが運転する車が突っ込んできた。救急車を呼びマルコムを運び出そうとするフランクを、同乗していた女・ヴァレンティーナは制止しようとする。そして救急車にマルコムが運び出された途端に爆発が。彼とヴァレンティーナは車から20メートル以上離れると爆発する装置のついた腕輪を付けさせられていたのだ。そしてヴァレンティーナを助けようとしたフランクも何者かに襲われ、気がつくと彼女と同じ腕輪をはめられていた。
 このシリーズをちゃんと見るのは初めてなのだが、すごいドライバーが車で何か運ぶ、というところだけ踏まえていればOKらしい。しかし少なくとも今回は、犯人側にとってわざわざこの「品物」を運ぶ必要があるとは思えない、そもそもここまで大がかりな犯罪にするほどのメリットはあるのか?というところが気になった。何もそんな面倒臭いことやらなくても・・・。そして「車から20メートル以上離れられない」というルールも、あまり役に立っているとは思えない。車ごと逃げ切られれば犯人側にとっては意味がないし、アクション映画としての展開上も、このルールによって面白くなっているかというと、残念ながらそれほどでもないからだ(車での湖ダイブ、電車へのダイブ等は見せ場なのだろうが、このルールがなくても成立する)。もうちょっと設定の部分を頑張ってもよかったのになぁ。
 もともと大味なシリーズなんだろうなとは思ったが、ちょっと大味すぎた。何より、肝心のカーチェイスシーンがあまり印象に残らない。前2作でネタが出尽くしたか?今回はカーチェイスというよりも、相手の包囲網から逃げるという側面の方が強かったように思った。また、シーンの転換にしろセリフの間合にしろ、どうもテンポが悪くてもたつく。前半眠くてしょうがなかった。車でぶっとばす映画だからスピード感がないといけないはずなのに、そのへんがいまひとつ。主演のステイサムがだんだんかわいそうになってきた。
 ステイサム自体は生身のアクション(上着を使った格闘技はお約束なの?2でも披露していたような気が)もこなし、ヴァレンティーナに要求されてやけっぱちなストリップもこなしと、結構がんばっている。嫌いな役者ではないので(『バンク・ジョブ』で見直した)、もうちょっと出演作に恵まれてもなぁという気はする。水の中から車ごと引き上げられるシーンなんてかわいいのに・・・。
 脚本がまずいといえば、フランクとヴァレンティーナの間にいきなり愛が芽生えているのには納得いかない。つり橋効果にもほどがある!私がフラグを見落としたのか?!せめてもうちょっと恋愛フラグが立ちそうな伏線をにおわせておいて。







『南極料理人』

 海上保安庁で調理担当として働いていた西村(堺雅人)は、南極ドームふじ基地に派遣されることになった。ペンギンどころかウイルスさえ生存できない極寒地で、8人のメンバーが400日近く生活を共にすることになった。監督はこれが商業長篇作品デビューとなる沖田修一。原作は南極隊員だった西村淳のエッセイ「面白南極料理人」。なお、さすがに南極でロケするわけにはいかないので、ロケ地は網走。もっとも、十分寒そうだ。
 南極という未開の大地が舞台だが、特に大事件が起きるわけではなく、全員もくもくと仕事をこなしていく。「ちょっと変わった場所での日常」ものなのだ。そして日常にはもちろん食事が含まれる。前半、西村が「ご飯食べに南極に来たんじゃないんだから」といなされるシーンがある。確かにご飯食べに南極に来たわけではないだろうが、目的が何であれ、ご飯を食べないと人間は生きていけない。
 そして、ご飯は人間の体を支えるだけでなく、人間の心や人間関係も支える。本作の設定の面白さは、南極が舞台であるということ(それももちろん面白いのだが)よりもむしろ、「それまで見ず知らずだった男たちが400日近く、密閉空間(正確には密閉されてないが、他の場所に行きようがないし基地から出っ放しだったら死ぬという意味では密室)で共同生活する」ということだろう。気心が知れているわけではもちろんなく、相性が必ずしもいいとは限らないメンバーが一緒に寝起きしていたら、遅かれ早かれトラブルは起きる。下手したら本格ミステリばりの密室殺人が起きそうだ。そんな時に剣呑な空気を変えるのは食事だ。
 原作でも言及されていたが、煮詰まりやすい人間関係の中でいかにガス抜きするか、節目のイベントを作って生活にメリハリをつけるか、料理担当者は苦心している。「おいしいご飯を皆で食べる」ことには思っているよりも大きな効能がある。本作では、事件が起きるとき、事件が解決する時、いつも食事が係わってくる。食事の風景がチーム内の人間関係を表しているのだ。冒頭と終盤で朝食風景が反復されるが、それを見比べるだけでも、チームがチームとして成長したんだということが一目瞭然。上手いまとめ方だったと思う。
 キャスティングの妙も味わえた。堺雅人のキュートさが全開になっている(今回はあまり胡散臭くない)。そして飛び道具的に起用されているきたろうがすばらしい。あくまできたろう的にすばらしいんで、演技がどうこうというんじゃないんだけど・・・。






『サマーウォーズ』

 今年の夏のアニメーション映画といえば『劇場版ヱヴァンゲリヲン・破』が高い集客力を見せているが、個人的には本作が本命。『時をかける少女』の細田守監督の待望の新作となる。もっとも、まさか『ぼくらのウォーゲーム』のプロットをまんま転用してくるとは思わなんだ。数学オリンピックで日本代表の座を逃してしまった高校生・小礒健二(神木隆之介)は、憧れの先輩・篠原夏希(桜庭ななみ)からアルバイトを頼まれ、彼女の田舎へ同行する。アルバイトの内容は彼女の親戚一同の前で、恋人の振りをすることだったのだ。その夜、メールに添付されていた暗号を解いたことで、健二は仮想空間・OZに大混乱を招いてしまう。
 「ときかけ」ほど夏!な雰囲気ではないのだが(多分に美術の力だと思う。ときかけの夏空の描き方はずば抜けていたので、あれと比較してはかわいそうなのだが)、夏休み!の雰囲気に満ち満ちている。田舎のおばあちゃんちに親戚が大勢集まって、等という体験は、ある年代以下では最早したことがない人の方が多いだろうし、私だって殆どない。しかしそれでも本作の田舎の家を見ると、ああ夏休み!という気分になる。夏休みのイデアでも立ち現れているのか。
 さて本作に出てくる陣内家は「大家族」と見られがちだが、正確には「家族」ではないだろう。仲のいい親戚同士ではあるが、一緒に暮らしているわけではないし、それぞれ別個の家庭を構えている以上、「家族」とは言いにくいと思う。ご近所でも職場仲間でも置き換えられる、ある種の共同体みたいなものとして捉えた方がいいんじゃないかと思った。家族映画というよりもチーム映画ぽい(第一、健二の両親も夏希の両親も事件の現場に立ち会わない)。なお、もちろんとても理想的な親戚の描き方ではあるが、一族の中に妙に公務員が多いとか、必ず一族の武勇伝をしたがるおじさんがいるとか、あまりなじもうとしない子供(カズマ)がいるとか、リアルさのポイントは結構押さえていると思う。
 また、本作をデジタル/アナログという対称的な構図で捉えようとする、アナログ賛歌であると捉える向きもあるだろう。しかしこれも違うと思う。確かに、仮想空間で戦うと同時に仮想空間の混乱がリアル世界にもたらした混乱に対処する話ではあるのだが、この映画のリアル世界と仮想空間世界は、そんなに対照的なありかたに見えない。とても地続き感が強い(リアル世界のインフラやら何やらが仮想空間と連動しているというのもあるけど)。陣内家の人たちが「戦う」やりかたも、リアルでできることをそのまま仮想で行っているような感じで、方法が大きく変わるという感じはしない。たぶん細田監督の中ではリアルではもちろん、仮想であってもアバターの向こうにいるのはリアルな人間というのが前提なんだろう。本作の「敵」が「敵」でありうるのは、その向こうにリアルな人間がいない存在だからだとも言える。リアルであれ仮想であれ、根底にあるのは人と人との繋がり(親族というのはそのわかりやすい象徴であって、親族だから繋がっているというわけではない)であるという点ではブレがない。
 さて本作、作画面にしろストーリーや諸設定面にしろ、労力をかけるところとかけないところの割り切りがかなり思い切っていると思った。田舎の家の中の間取りや小物の配置など、美術面は非常に細やかだが、作画に関してはこれまで手がけた作品と同様、リテイクしやすくするためにキャラクターに陰をつけないあっさりとしたものだ。また群像劇として立ち上がるように、各キャラクターの画面への出入りやそれぞれの役割などはきめ細かに配慮してあるのに、健二が夏希に同行した理由は「恋人のふりをするアルバイト」という、どこの80年代ラブコメだよ!と突っ込みたくなるようなある種のテンプレ(このへんは、後の鼻血描写とあわせてベタなことをやりたかったんでしょうが)。また、OZの設定にしても、非常におおざっぱというか、セキュリティのことを考えたら公の組織にしろ民間企業にしろ、そんな使い方しないんじゃないかという点をはじめ、突っ込み所は満載だ(守護神的マスコットがジョンとヨーコというのはある種の悪意では・・・)。でも、「そういうことになってるんで!」と無理やりねじ伏せてしまう。ここで細かい設定をいろいろ作っても、映画全体としてさほどプラスにはならない、ここまでだったら割愛しても大丈夫、という見切りのラインが興味深かった。






『警視庁から来た男』

佐々木譲著
『笑う警官』に続く道警シリーズ第二弾。北海道警察本部に警察庁から監査官・藤川警視正がやってきた。津久井刑事は彼に協力することになる。一方、佐伯刑事はすすき野の風俗店での転落死事件を探っていた。2つの線が徐々につながっていく過程がスピーディーに描かれている。文章といい展開といいそっけないくらいなのだが、そこが読みやすさのポイントになっていると思う。警察組織の体質が抱える問題が根底にあるので、書き方によってはもっとねっとり重厚になりそうなのだが、あえて起きていることを記述するというスタイルをとっているのではないだろうか。個々のキャラクターの内面に深くは立ち入らないので、とてもドライな味わい。人によっては物足りなく思うかもしれないが、個人的にはこのくらい乾いている方がいい。






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