大学教授のウォルター(リチャード・ジェンキンス)は妻が死んで以来、執筆にも講義にも身が入らず、無気力な日々を送っていた。ある日、嫌々ながら出張でニューヨークを訪れたウォルターは、長らく立ち寄っていなかった自分のアパートで、見知らぬカップルと鉢合わせする。そのカップル、シリアから来たタレク(ハーズ・スレイマン)とセネガル出身のゼイナブ(ダナイ・グリラ)は知り合いに騙されてアパートに入居していたのだ。ウォルターは成り行きで彼らとしばらく同居することになる。監督はトム・マッカーシー。
物語の中で、タレクが演奏するジャンベ(アフリカの太鼓)が大きなファクターとなる。もちろん音楽映画としても非常に良い。ウォルターは実は音楽好きでピアノも習っていたが、演奏の才能はいまいち。しかしタレクが演奏するジャンベに心惹かれ、彼からジャンベの演奏を教わるようになる。そのことでタレクとゼイナブにより関わっていくことになる。妻が死んで以来、あまり人と関わらなかったであろうウォルターが、どんどんアグレッシブになっていくのが面白い。これ、楽器がジャンベじゃなかったらこんなにアグレッシブにはならなかったんじゃないだろうか。公園で合奏に加わるウォルターの姿は本当に楽しそうだ。音楽そのものの楽しさに加え、誰かと一緒に何かする、という楽しさを知ったのではないかと思う。気難しそうだったウォルターが、どんどん心を開いていくのが印象的だった。見知らぬ人が訪問してきた(というか勝手にされたのだが)ことで人生が大きく動く、という意味では邦題はマッチしていると思う。
人生諦めていた年配男が、もう一度生き直すというストーリーと平行して、9.11以降のアメリカの、移民を取り巻く状況が描かれる。恥ずかしながら、管理局がこんなに厳しい(取り締まりはともかく、施設に収監されると家族とは面接できないし移送先も教えてもらえなかったりする)とは知らなかった。タレクのように、長年住んでいても(彼は少年時代からアメリカ在住)送還されてしまうケースもあるのね。収監施設のロビーに「移民はアメリカの礎」みたいなポスターが貼られているのが、あまりに皮肉で笑ってしまう。もちろんアメリカは多民族国家であり移民に対してオープンだったからこそ成立した国家であり、それがアイデンティティーになっているのだろうが、それとは相反するような行為がその国の中で行われている。そしてウォルターが直面するように、この問題に対して個人は無力だ。
ほろ苦く諦念を含んだラストは、前述した「人生諦めていた年配男が、もう一度生き直す」ストーリーとしてはカタルシスに欠けるものかもしれない。しかし監督は、もうひとつの軸である「9.11以降のアメリカの移民を取り巻く状況」の方により忠実であろうとしたのだろう。絵に描いたようなハッピーエンドにしてしまうと、自分が見てきた問題を裏切ることになるという思いがあったのではないだろうか。ただ、ハッピーエンドとは言い難いが、さわやかな終わり方ではあると思う。あくまで個人レベルではあるものの、ウォルターの中では一つの壁が破られた感じがするのだ。
なお、ウォルターとタレクの母親(『シリアの花嫁』で好演していたヒアム・アッバス。知的で美しい)の関係の顛末には、やはりそこに落ち着かせないと、男としては「生き直した」気がしないのかしらねと苦笑してしまった。
物語の中で、タレクが演奏するジャンベ(アフリカの太鼓)が大きなファクターとなる。もちろん音楽映画としても非常に良い。ウォルターは実は音楽好きでピアノも習っていたが、演奏の才能はいまいち。しかしタレクが演奏するジャンベに心惹かれ、彼からジャンベの演奏を教わるようになる。そのことでタレクとゼイナブにより関わっていくことになる。妻が死んで以来、あまり人と関わらなかったであろうウォルターが、どんどんアグレッシブになっていくのが面白い。これ、楽器がジャンベじゃなかったらこんなにアグレッシブにはならなかったんじゃないだろうか。公園で合奏に加わるウォルターの姿は本当に楽しそうだ。音楽そのものの楽しさに加え、誰かと一緒に何かする、という楽しさを知ったのではないかと思う。気難しそうだったウォルターが、どんどん心を開いていくのが印象的だった。見知らぬ人が訪問してきた(というか勝手にされたのだが)ことで人生が大きく動く、という意味では邦題はマッチしていると思う。
人生諦めていた年配男が、もう一度生き直すというストーリーと平行して、9.11以降のアメリカの、移民を取り巻く状況が描かれる。恥ずかしながら、管理局がこんなに厳しい(取り締まりはともかく、施設に収監されると家族とは面接できないし移送先も教えてもらえなかったりする)とは知らなかった。タレクのように、長年住んでいても(彼は少年時代からアメリカ在住)送還されてしまうケースもあるのね。収監施設のロビーに「移民はアメリカの礎」みたいなポスターが貼られているのが、あまりに皮肉で笑ってしまう。もちろんアメリカは多民族国家であり移民に対してオープンだったからこそ成立した国家であり、それがアイデンティティーになっているのだろうが、それとは相反するような行為がその国の中で行われている。そしてウォルターが直面するように、この問題に対して個人は無力だ。
ほろ苦く諦念を含んだラストは、前述した「人生諦めていた年配男が、もう一度生き直す」ストーリーとしてはカタルシスに欠けるものかもしれない。しかし監督は、もうひとつの軸である「9.11以降のアメリカの移民を取り巻く状況」の方により忠実であろうとしたのだろう。絵に描いたようなハッピーエンドにしてしまうと、自分が見てきた問題を裏切ることになるという思いがあったのではないだろうか。ただ、ハッピーエンドとは言い難いが、さわやかな終わり方ではあると思う。あくまで個人レベルではあるものの、ウォルターの中では一つの壁が破られた感じがするのだ。
なお、ウォルターとタレクの母親(『シリアの花嫁』で好演していたヒアム・アッバス。知的で美しい)の関係の顛末には、やはりそこに落ち着かせないと、男としては「生き直した」気がしないのかしらねと苦笑してしまった。