3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2009年06月

『ぼくがカンガルーに出会ったころ』

浅倉久志著
著者は主にアメリカのSF小説の翻訳を手がけている翻訳家。自身が読んだ・約したSF小説と作家についてのエッセイ集。てっきりアメリカ留学経験でもある方なのかと思っていたのだが、本著の中でアメリカはおろか海外に行ったことがないと書かれていて(10数年前の原稿も含まれているので、今は違うのかもしれないが)おどろいた。その国での体験がなくてもいい翻訳はできるということですね。あ、でもSFだと「その国での体験」とも限らないか・・・。私はSFには疎く、本著で取り上げられている作品のほとんどを未読(たまに読んだことがある作品が出てきても、残念ながらあまりいい印象のない作品だったりする)なのだが、楽しく読むことが出来た。本を好きな人がする作家や本の話は、(話し手の技量も大分あるにしろ)読むときのワクワク感がリアルに伝わってきて、その本自体を知らなくてもやっぱり楽しいのだ。なお、巻末の著者翻訳作リストが大変充実している。







『日本百低山 標高1500メートル以下の名山プラス1』

小林泰彦著
イラストレーター・ルポライターである著者による、低山登山体験エッセイ。もちろんイラスト(しかもカラー盛りだくさん!)つき。登山といっても、初心者も楽しめるハイキングコースのようなものがほとんどなので、これなら私も行ってみたい!と思える。登山コースや交通網まで案内してくれるので、実用性も結構高い(かなり以前に書かれた原稿もあるので、現在は廃線になっているバス路線などはあるかもしれない)。著者は決して文章が美文というわけではないと思うのだが、実体感があるというか、具体的になにがどうなって、という部分が感じ取りやすい文章だと思う。これはルポライターとしての手癖なのだろうか。基本シンプルな表現なのがいいのかもしれない。これはイラストも同じで、一見ヘタウマ風なのだが、省略の仕方とビビッドな色合いはさすがにセンスがいい。あー山に行きたくなった(と思わせた時点で本作は大成功ということなのだが)!






『アメリカの61の風景』

長田弘著
著者が20年余りかけて、北米大陸を自動車旅行した体験をもとに書かれた、アメリカの土地と文学、また映画や音楽をからめたエッセイ。アメリカってとにかく土地(特に平地)が広い国だったんだなぁと再認識した。アメリカの文学者の詩や小説が引用されているが、こういう土地だとこういう文学が生まれてくるのかもしれないなと思うところも。少なくとも、どこまで行ってもなにもないという風景は日本にはあまりないしなぁ。また、アメリカは大きな田舎がいっぱいくっついている感じの国という印象。そこがアメリカの本来の良さなのだろう。ロードノベルのようなエッセイで風通しがいい。文章がきれいな人が文学のことを書くと、取り上げられている文学までつい読みたくなってしまって困る(笑)。なお、著者は本好き、本屋好きでアメリカでも本屋にしばしば立ち寄っているのだが、「猫のいる本屋はいい本屋」というのがジンクスだそうです。猫を飼っている本屋が案外多いみたい。なごみそう。






『トランスフォーマー/リベンジ』

 「ごめんよバンブルビー、君を大学には連れて行けないんだ」「!!!(えーっ!)」という予告編でも使われたサム(シャイア・ラブーフ)とバンブルビーとのやりとりがかわいすぎて悶えた。せっかく♪I'm so excited~♪ってウキウキしていたのに!涙目(あれ冷却水とかなんですかね・・・)になってうったえるビーが大変いじらしい。そんな人類とロボットとのほのぼ日常映画・・・ではもちろんない。前作『トランスフォーマー」で海の底に沈められたメガトロンを復活させようと、ディセプティコンたちが宇宙からやってきた。オプティマス・プライム率いるオートボットたちは、米軍内の極秘チームと協力してディセプティコンに立ち向かう。
 監督は前作に引き続きマイケル・ベイ。相変わらず手ブレ風カメラ大好きだし、寄り過ぎで何撮っているのかわからなくなったりするのだが、前作よりはロングショットも増えて見やすくなっている。ロボットの動きをじっくりみたいという要望がよっぽどあったのか、ここぞというところではスローモーションになる。見易さを考えた結果がそれか!と突っ込みたくはなるが、確かに前作よりはロボットそのものの造形を楽しめる。ロボット数もバリエーションもぐっと増えたので、ロボ好きは必見。ちょうたのしい!個人的にはバイク型オートボット・アーシー(3体で1体分の女性人格らしい)が気に入りました!
 合体ロボットものプラス、トレジャーハンター的な冒険もの、さらに軍事兵器てんこ盛りという、いかにも男子が好みそうな組み合わせ。下ネタギャグ(さかる犬もひどいがさかるちっこいディウェプティコンもひどい(笑))が妙に多いところや、女の子のサービスショットがちゃんとある、しかし絡みを見せてくれるのはキスまでというあたりからも、客層を若年男性に絞り込んでいるのがよくわかる。音楽面でもLINKINPARKが全面協力(曲使いすぎだよ!)、GREENDAYの新譜も速攻で使うなど、男子(しかもあんまりイケてない男子)色濃厚。サム(だったか?それともルームメイトだったか?)の部屋に「バッドボーイズ」のポスターが貼られているところがボンクラ感をかもし出しているのもいい。
 また、前作よりもコメディ部分が増えている。前述した下ネタはもちろん、デストロンの部下スタースクリームがすっかり腰巾着化しているとか、オートボット側にもボケとツッコミの応酬をする双子ロボットのザ・ツインズが出てくるとか、下っ端臭むんむんの小型ディセプティコン・ウィーリー(ウォーリーじゃないよ!)とか、キャラクターを立てたギャグが増えてきている。しかし何より強力なのはサムのママだろう。前作では「ハッピータイム」という名言をのこしてくれたが、今回もフルスロットル状態だ。自分の母親だったら困っちゃうが無敵すぎる・・・!パパとさりげなくラブラブだしなぁ。本作の、大味ではあるし実は結構人が死んでいるのにあまり嫌な感じがしないのは、サムの両親のキャラクターによるところも大きいんじゃないかと思った。なお、サムが「一族で初めて大学進学する」というところには、想定されている客層が垣間見えて興味深かった。
 変身はもとよりとうとう合体、そして最後は勇気と気合で勝利!という展開はどう見ても日本のロボットアニメ。スタッフは日本のロボットアニメをよくよく研究したのに違いない(笑)。そこでこの際、ベイ監督に提案があります。次回(3作目作る気満々ですよ・・・)はぜひ日本に来てください!そして東京タワーをぶったぎりフジテレビ社屋の球体を東京湾に投げ込んで下さい!TOYOTAやSUZUKIが変形するのを見たいんだよ(これに関しては無理だろうなぁ・・・あくまでアメ車オンリーの世界みたいだから)!最後には日本で発見された強大な力にオートボットとディセプティコンが協力して立ち向う、それが少年漫画の王道ってもんです!本気で見たいけど日本じゃ絶対作れないからお願いベイ先生(涙目)。









『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』

 刑事クライン(ジョシュ・ハートネット)は連続殺人犯捜査の際に受けた暴行がトラウマとなり警察を退職、探偵になった。2年後、ある男から息子のシタオ(木村拓也)を探してくれと言う依頼を受けたクラインは、香港へ辿り着く。シタオには他人の傷を身代わりとなって引き受ける能力があり、貧しい人々は密かに彼を訪ねていた。同じ頃、香港マフィアのス・ドンボ(イ・ビョンホン)は、取引相手の男に裏切られ、愛人リリ(トラン・ヌー・イェン・ケー)を誘拐された。追撃されて男は死亡、意識を失ったリリを助けたのはシタオだった。
 監督は『青いパパイヤの香り』などのトラン・アン・ユン。これまでの作品では、やや少女マンガ的なしっとりとした雰囲気とある種のナルシズムが悪くない効果をあげていたが、今回は監督のナルシズムが悪い方向へ出ちゃったなぁ・・・。公開当初から方々で悪評しか目にしなかったので、どれだけひどいのかと思って覚悟して見に行ったのだが、予想していたほどはひどくない。しかし魅力がある映画かというとそうでもない。そして個人的にはみじんも面白くなかった。私が見に行った時にはビョンホンやキムタク目当てのお姉様方もいらしていたのだが、皆さん不平たらたらのご様子でした。監督とキャスト(そしてキャストのファンが要求するもの)とが全くミスマッチという不思議な作品。
 十字架、裸、聖傷など、キリストを暗示する要素が頻出するのだが、それがあまりに表層的。「なんとなくキリスト」レベルなので、これキリスト教圏の人はどう見るんだろうと心配になってしまった。これが『ダ・ビンチコード』的なものだったら別に腹もたたないのだが、エンターテイメントにしようという意図も感じられない。かっこいい(と監督が思っている)雰囲気作りのためだけに宗教的なモチーフを引っ張り出すのはちょっと頂けない(私は特に宗教は持っていないが、人が持っている宗教を愚弄する気もないので)。
 また、クラインが殺人犯と直面するエピソードや、シタオの治療(?)行為、ドンボの部下に対するリンチなど、暴力が頻出する。確かにすごく痛そうではある。が、たとえば近年の韓国映画(「オールドボーイ」とか「チェイサー」とか)と比べると凄みに欠ける。本作の暴力は「生々しい暴力というポーズ」という印象で、前述した韓国映画のような、視覚をわしづかみにされるような瞬発力とか荒々しさはなかったように思う。
 あくまでキリスト教「的なもの」、バイオレンス「的なもの」にとどまったという印象の作品だった。なお、人体オブジェのダサさにはため息が出た。見た瞬間にやる気がふしゅーと抜けていく感じ。こういうところのセンスがほんとしょうもない・・・。





『マン・オン・ワイヤー』

 1974年8月7日、綱渡り師のフィリップ・プティは、当時建設途中だったワールドトレードセンターのツインタワー屋上に綱を渡し、45分にわたって綱渡りをした。プティ本人と当時の関係者へのインタビューと、再現ドラマを織り交ぜたドキュメンタリーで、2008年アカデミー賞最優秀長篇ドキュメンタリー賞を受賞した。監督は『キング 罪の王』のジェームズ・マーシュ。なおプティはフランス人、舞台は主にアメリカだが本作の製作国はイギリスだ。
 WTCのてっぺんで綱渡りをした人がいるという話は聞いたことがあった。しかし、プティがこの計画を決意したのが、17歳の時、WTC建設計画が発表された当時だったとは初めて知った。てっきり、タワーが出来上がってから「やってみっか!」と思ったのかと・・・。実際にはWTCで綱渡りしてみたい→綱渡りのエキスパートに、という順番だったらしい。天啓というのはこのことか。17歳当時の夢、しかも一笑に付されそうな夢(だって綱渡りって・・・)をずっと情熱を失わずに持ち続けていたということに、感動するというよりも凄みを感じた。自分がやっていることに対して確信を持ち続けられていたことがすごいと思う。才能の問題はもちろんあるのだが、自分にとって具体的にどういうメリットがあるのかわからない、そもそも実現できるのかどうかもわからないことに対して6年間モチベーションを維持するというのは大変なことなのではないかと。
 プティの情熱は幼馴染の友人や恋人、さらにWTCの関係者をも巻き込み、WTCへ潜入する為のチームが結成される。プティの計画も、プティ本人も実に魅力的だったのだろう。彼らがWTC潜入の為に何度も下見し(当初はいちいちフランスから行くわけです・・・!資金面とかどうなってたのかすごく気になる)プランを練り、ついに侵入する過程は、まるでルパン三世のようでドキドキする。実際問題不法侵入だから犯罪行為ではあるのだが。どうせWTCでやるならこういうエレガントなテロにしてほしい。残念ながらプティがWTCで綱渡りをする動画はなく、写真のみなのだが、それでもすごさはわかる。そして美しい。止めに入った警官が「二度と見られないものを見た」と漏らしてしまうのもわかるし、映画製作サイドがこのドキュメンタリーを作りたいと思ったのもわかる。WTCの前に、オーストラリアでの橋柱の間での綱渡りは動画が使われているのだが、橋の高さでも十分すごいのに高層ビルって・・・!
 WTCでの行為は、プティにとっても仲間たちにとっても、あまりに強烈だったようだ。プティ本人にどの程度自覚があったのかはわからないが、仲間たちは「彼はあの時から変わった」と言う。恋人とも別れてしまう。しかし彼らはその変化について特に否定的ではなく、来るべきものが来たと受け入れているようだった。彼らにとっては、あの事件が青春の終わりだったのかもしれない。そういえば、彼らの活動は大学のサークル活動のようでもあった。
 しかしそれでもなお、得がたい体験だったということは、インタビューの時の彼らの表情を見ているとわかる。プティも、友人たちも、アメリカ人の協力者たちも、幸せそうな顔をする。特にプティの幼馴染、ジャン・ルイの表情が何ともいえない。彼はWTC事件の後、プティとは袂を分かつのだが、これまでの関係を続けるのが困難になるくらい大きな(しんどいが素晴らしい)体験だったのかと思った。








『宮本武蔵 双剣に馳せる夢』

 現在世の中に出回っている剣豪・宮本武蔵のイメージは、吉川英治の小説に影響された部分が大きいそうだ。一応実在した歴史上の人物である武蔵だが、その実像は吉川が描いたものとは大分違ったのでは?という主張の元に作られた作品。原案・脚本は押井守、監督は西久保瑞穂。なお西久保監督は武蔵にはさほど興味がなかったらしいので、本作の主張は押井の主張ということだろう。実は武蔵はこうだった!というよりも、押井の私はこんな人が好き・こんな人になりたいです!という思いの強さの方が前に出てしまったように思う。
 で、その主張の内容はともかく、主張を見せる為のフォーマットがちょっと珍しい、少なくともアニメーション映画でこれをやるのは珍しいのではないかと思った。本作はいわばアニメーション製「そのとき歴史が動いた」ないしは「プロジェクトX」。ドキュメンタリー番組形式なのだ。本作は2Dアニメーション(モノクロにザラ目をつけた画面で、昔の日本映画ぽさを出している。キャラクターの動きも若干重め、ゆっくり目にしていたように思う)で武蔵の戦いを描いたドラマ部分、3DCGでTV番組で言ったら解説者やパネラーが出演している部分を作っている。3DCGで描かれた解説者が、本当にNHKの教育番組に出てきそうな(無難なのに微妙な)センスで吹いた。決して洗練されてはいないと思うのだが、この野暮ったさが却って既視感を増している。作った側にその意図があったのかどうかわからないが、NHKの再現ドラマを交えた歴史教養番組のパロディみたいなことになっている。
 映画内の主張がどうこう、アニメーションとしてどうこうというより、このフォーマットをアニメーションでやってしまった、しかもそれなりにまとまっているというところに本作最大の価値があるのでは。監督よくやるわーと感心した。しかし映画でやるメリットは全くないと思うので、なぜ劇場公開作として企画が通ってしまったのか謎なのだが。個人的には昔の邦画っぽく見せているアニメーション部分で2時間見たかった。
 私は宮本武蔵には特に思いいれがないので、「へ~」と気軽に見ることが出来たのだが、本作が描くリアリスト、合理主義者としての武蔵像は、吉川版武蔵や、それに影響を受けた・その武蔵像をベースとしたであろう作品、たとえば『バカボンド』の武蔵が好きな人にはどう映るのだろうか。私は本作の武蔵は結構好感持てますが。なお、主題歌は泉谷しげるが歌っている。







『路上のソリスト』

 新聞にコラム連載をしている記者ロペス(ロバート・ダウニー・Jr.)は、弦の足りないバイオリンを弾いているホームレス、ナサニエル・エアーズ(ジェイミー・フォックス)に出会う。コラムのネタになるとふんだロペスはナサニエルについて取材を始め、彼がかつてジュリアード音楽院でチェロを学んでいたと知る。コラムは好評で、読者からナサニエルにと中古のチェロが届けられた。ロペスはナサニエルをチェリストとして復帰させようとするが。
 監督は『つぐない』のジョー・ライト。前作がかなりよかったので期待していたのだが、今回はいまひとつ。饒舌かつエレガントな撮影を好む監督というイメージがあるのだが、今回はその手クセが作品内容とマッチしていないように思った。予告編やタイトルからは音楽映画のような印象を受けるが、実際には音楽が占めるウェイトはそれほど大きくない。もしくは音楽が占めるウェイトの大きさをちゃんと見せることができていない。
 本作はむしろ、ロペスの物語としての側面の方が強いと思う。彼は最初はネタ目的でナサニエルを取材し、なりゆきで面倒を見るようになる。ロペスはナサニエルに対して「親切」であるつもりだ。しかし彼の「親切」は、「自分が親切だと思う行為」であり、上から目線によるものだ。ナサニエルを理解し、彼に何が本当に必要なのか考えることではない。ロペスは徐々にナサニエルに対して友情を感じていくものの、彼のことを理解していくかというと、そうではない。
 ロペスにとってナサニエルとの関係は、元妻や息子(はちょっと微妙だが)と異なり、自分が「~してやる」関係、そして不要になったら切ることができる関係として始まったはずだった。しかし気づいた時には、ロペスはナサニエルの人生に大分立ち入ってしまっていた。他人の人生に関わるということは、その人に対して多かれ少なかれ責任が生じることだろう。その責任をどこまで負えるかというのは、難しいところだと思う。ロペスは他人に深入りするのが苦手という言及があり、元妻(彼の上司)とは離婚し、息子ともしばらく会っていない。(元)家族に対してもそうなのに、赤の他人であるナサニエルに対してどこまで関わればいいのか。彼は決断を迫られることになる。演じるダウニー・Jrは傲慢(しかし憎めない)な人を演じると妙にハマり、ロペスの造形にも手ごたえがあった。
 一方、ナサニエルが抱えるものの描写はいまひとつ。一応、彼の過去に何があったのかは見せるものの、精神を病んでいく過程が唐突かなと思った。フォックスの演技も上滑り気味。いっそ、ナサニエルはロペスにとっての「他人」であって、内面も過去もロペスが取材した内容以外は見えないという構成でもよかったんじゃないかと思う。ロペスとナサニエルという2つの軸を作ることで、かえってストーリーが散漫になってしまったのではないか。
 また、ベートーベンやバッハを多用しているのだが、音楽演奏シーンの見せ方がちょっとなぁと思った。こういったケースでは実際に演奏者が演奏しているシーンとか、なんとなく雰囲気のあうイメージ風景等を見せるケースが多いと思うのだが、本作では1曲、抽象的なイメージ映像で見せている。このイメージ映像が、個人的にはものすごく違和感があった。多分、TVサイズだったりもっと時間が短かったりしたら耐えられたのだろうが、映画としてはきつい。音楽から受けるイメージは個人差が大きいだろうから、ライト監督の持つイメージと私が持つイメージがかみ合わなかったということなのだろうが・・・。







『ハゲタカ』

 日本を代表する自動車メーカー「アカマ自動車」を、中国系新興ファンドが買収に乗り出した。アカマ自動車のMA対策をしていた柴野(柴田恭平)は、かつての盟友であり、日本から去った天才ファンドマネージャー鷲津(大森南朋)を探し出し、アカマ自動車を救う為協力を求めた。帰国した鷲津は早速行動を開始したが、残留日本孤児3世であるという中国系ファンドのファンドマネージャー劉一華(柏原崇)相手に苦戦を強いられる。
 TVドラマの好評を受け映画化された作品。監督は大友啓史。キャスティングはドラマをそのまま引き継いでいる。前半は結構面白いが、後半はかなりあわただしい。本作の撮影が始まった後にリーマンショックが発生し、その煽りを食って脚本の改変につぐ改変をしたそうなので、そのせいかもしれない。現実が虚構を追い抜いてしまった実例といえるが、運が悪いとしかいいようがない。
 それを差し引いても、終盤での劉の扱いは疑問だ。何もこういう落とし方しなくてもいいと思うのだが・・・。せっかくいいキャラクターだったのに、エピソードを生かしきれずにもったいなかったと思う。劉が発する「何者かになれ」という言葉の皮肉さが印象に残る。彼はその言葉で日雇い派遣の青年をたきつける。しかし劉が「何者か」になる為に捨てたものを考えると、彼は本当に何者かになったのか?と思うのだ。ただ、この設定がストーリー上必要かというと、あんまり必要ではない。彼の真意の明かされ方も唐突。
 アカマ自動車をめぐる攻防は、経済に多少興味はあるがあんまり詳しくない(私みたいな)程度の人が一番楽しめるんじゃないかという気はする。よくわかっている人だとこんなのないわーと思ってしまうのかも。ただ、中心にあるのは企業買収劇だが、周辺のエピソードを入れすぎたかなという印象を受けた。それぞれの主張が矛盾していても、作り手側が言いたいことは全部つっこんでいるので、ちぐはぐな感じもする。
 おもしろいことはおもしろいのだが、正直言って映画にする必要は感じない。TVドラマとして5,6回に分けて放送したほうがいろんなエピソードを入れても上手く収まりそう。また、TVシリーズのキャラクターをなるべく出そうという配慮なのだろうが、松田龍平と栗山千明は展開に無理やり絡ませました感がある。
 ただ、人間は金を稼ぐことだけを目的にして働き続けるのは難しい(ので劉は壊れていく)という部分は、終盤での柴野のアカマ自動車に対する思いを含み、共感できる。金プラスアルファがないと働くのは辛くなるものだと思う。しかし、そこで今こそ日本のモノ作りを!的な展開にされると、またそれですか・・・とうんざりするというのも事実だ。自国を鼓舞することで、現在の日本の低迷ぶりがより身にしみてしまうのだ。アカマ自動車社長(遠藤憲一)の、代々の経営者がものづくりとやらに固執してきたから経営合理化が遅れたんだよ!というぼやきの方がむしろ実感こもっている。
 出演者では主演の大森はさすがに安定しているが、柏原が意外にいい。2人とも、金が身についていなさそうな雰囲気があるから起用されたんじゃないかという気がする。元々お金に困っていなかった人は、ファンドマネージャーは目指さなさそうだもんね。font>





『ラスト・ブラッド』

 1970年代の日本。オニと人間のハーフである少女サヤ(チョン・ジヒョン)は、父親を殺したオニゲン(小雪)へ復讐する為、「組織」と協力しオニを狩っていた。「組織」はサヤをアメリカ軍の日本駐屯地内にある高校へ潜入させる。監督はクリス・ナオン。
 原作は日本のアニメーション『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、製作国はフランスと香港、使われている言語は英語、舞台は日本という国籍不明な不思議な作品。冒頭、地下鉄車両内を舞台とした10分程度のシークエンスは予想外に原作アニメの雰囲気に近い(しかし駅名からすると銀座線のはずなのに、車両は丸の内線だったような・・・。ちゃんと昔の車両にしてあるところはえらかったが)。そのほかのセットは「なんちゃって日本(一部香港だったり東南アジアだったり)」なのだが、舞台に対するリアリティはさほど必要ではない作品なので、そんなに気にはならない。
 しかしそのほかの部分で粗が多すぎる。予告編を見た段階ではCGがひどい(精度がというより、動かし方のセンスが)と思ったのだが、それ以上にアクションシーンがまずい。主演のチョン・ジヒョンはそこそこがんばっているが、カメラの動きがごちゃごちゃしているし、カットが細かすぎるしで、動きの流れを楽しめない(アクションそのものの粗隠しなのかもしれないけど)。動きの演出と撮り方と、両方がうまくかみあっていないような気がしてもどかしかった。とにかくアクション映画なのにアクションがぱっとしないのは致命的だろう。
 じゃあシナリオはなんとかなっているのかというと、力及ばずという感じ。原作でそういうことになっているからしょうがないんだけど、この映画の設定だと米軍を絡ます必然性はない。普通に日本の高校でかまわないのだ。あとアリスがなぜサヤは吸血鬼だと知ったのかがわからない。そういうセリフかシーンがあったのを見落としたのか?途中、あまりにも退屈で寝ちゃったもんで・・・。






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