3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2009年05月

『バンコック・デンジャラス』

 腕利き殺し屋のジョー(ニコラス・ケイジ)は引退を決意し、最後の仕事の為にバンコクへ訪れた。捨て駒のつもりでチンピラの青年コンを雇い、さっそく仕事に取り掛かる。1件目の仕事で腕にケガをしたジョーは薬を買いに行き、薬局の女性店員に心惹かれる。一方、コンは仕事中に警察の取り締まりに遭遇し、ジョーとの約束を破ってしまう。コンの始末を考えたジョーだが。監督はオキサイド&ダニー・パン。双子の兄弟監督ということで話題になった人たちだ。本作は、自監督作品のリメイクとなる。
 リメイク元となった監督の初期作品『レイン』は、以前何かの映画祭で見たことがあるのだが、正直あまり印象に残る作品ではなかった。リメイクといっても本作は、『レイン』を大きく改変している。殺し屋が主人公というところは同じだが、共通点はそのくらい。また、『レイン』以来パン兄弟の作品は見ていなかったのだが、本作はちゃんとハリウッドのアクション映画仕様になっているので感心した。見せ方が上手くなったなぁ(比較の問題ですが・・・)。
 もっとも、アクション映画としては見せ場が終盤に集中しており、中盤まではいくぶん地味目。ジョーが職業としての殺し屋だということもあり、派手な見せ場はない。舞台であるバンコクの雰囲気がいいので、ストーリーよりもその雰囲気の方が見所になっている印象だった。パン兄弟はそもそもタイ出身なので、彼らの撮るバンコクがエキゾチックに見えるというのも妙な話なのだが。映像のトーンがかなり暗め・青めなのも、エキゾチックさを強調するためだろう。好みの問題だが、ちょっと青みが強すぎる。ただ、こういう色合いにすると、風景がより遠く感じるというか、実感が薄くなる。これはジョーが見る世界ということなんじゃないかなとも思った。彼は職業上、個人的な人付き合いや特定の土地との縁が全くない、根無し草の人間だ。もちろん職業は公表できないし名前も本名なのかわからない。そんな人間にとって、この世は「遠い」ものなのではないだろうか。
 殺し屋が足抜けしようとして~というストーリーはさほど珍しくもないものだろう。本作もストーリー含め、さほど突出した作品というわけではない。しかしなんとなく本作を悪くないなと思わせるのは、ジョーの持つ悲哀が妙に(個人的に)しみじみと染みるからかもしれない。彼は腕利きの殺し屋ではあるのだが、自分の限界を感じている。それは肉体的なものではなく、主に精神的なものだろう。自分の中のキャパがいっぱいになってしまい、あとは零れ落ちるのみというぎりぎりな感じ。ジョーがコンの弟子入りを許してしまうのも、薬局の女性をデートに誘ってしまうのも、彼の中で何かがこぼれだしてしまったからと考えると、プロの殺し屋としては失格であろう行動の数々も納得できる。
 ジョーを演じるのがニコラス・ケイジというのもポイントで、この人にはなんとなく悲哀を感じる。出演作がB級ド真ん中な作品ばかりでも、「まあケイジなら・・・」と許せてしまうのも、その悲哀のせいかもしれない。





『鴨川ホルモー』

 二浪して京都大学に入学した安部(山田孝之)は、青竜会なる「普通の」サークルの勧誘を受けコンパに参加する。同じくコンパに参加していた早良京子(芦名星)に一目ぼれした安部は、彼女目当てで入会。しかし青竜会とは、他大学と対抗でホルモーなる謎の競技を行うサークルだった。
 万城目学の原作小説は未読なのだが、本作を見た限りでは、映画よりも連続ドラマに向いている作品なんじゃないかなという印象(『鹿男あをによし』がドラマ化だったのは正解だったのか。しかしそのせいで他作品の連ドラ化がやりにくくなっちゃった?)を受けた。毎週ちょっとづつ見るのが楽しいタイプの作品なんじゃないかと。映画としては、そこそこ楽しいけれどちんまりまとまっていて少々物足りない。
 一番物足りなかったのは、最大の見せ所であろう「ホルモー」合戦が、見ていていまひとつ面白くないところ。ホルモーとは、各人が子鬼(式神)の軍団を操作して戦わせる競技なのだが、鬼使いの動きの奇妙さで面白さのレベルが止まってしまい、おそらくより面白さがあったのだろう、鬼の布陣や軍隊としての動かし方の妙までは配慮されていなかったように思う。原作でこの戦い方がどの程度描かれているのかはわからないが、ビジュアルとしては「変なポーズをしている人の足元でちっこいのがわらわらしている」だけなので、試合している感じがしない。なので、敵の鬼に攻められて鬼使いがしどろもどろになる、というシーンでも、自分の体が攻撃されているわけでもないのに何でそんなにテンパるの?と思ってしまう。鬼使いの当事者性がいまひとつ伝わってこないのだ。CGアニメーションの子鬼たちはもうちょっとリアル寄りでもよかったと思う(きもちわるいかな?)が、コミカルで楽しい。ただ、個々の表情というより、全体的に布陣がどう動くかというところで見たかった。子鬼がどつき合ってるのを見せられてもあんまり・・・。
 キャスティングは無難。主演の山田はイケメン役の時はそれなりにイケメンに見え、本作のようなダサ男の時はそれなりにダサく見えるところがえらい。『クローズZEROⅡ』の感想でも書いたが、声が良く、セリフが聞き取りやすいところは美点だと思う。部長役の荒川良々、安部の友人役の濱田岳は有る意味飛び道具的起用なのでクレームのつけようがない。荒川なんて出オチだよなこれ・・・。安部のあこがれの女性である芦名が、マドンナかつ小悪魔娘にしては微妙なルックスではないか?という声を聞いたが、これは監督の計算のうちだろう。安部のように女性慣れしていない男子には、このくらいの女子がわかりやすく魅力的に見えるであろうという。フェミニン寄りだが若干微妙なファッションセンスも含め。そもそも真性美女だったら、こすっからい計略練る必要なんかないわけです。「ぼんちゃん」ヅラとメガネとダサい服着用にも関わらず明らかに美人な栗山千明も、山田の男子力が低くて彼女の魅力に気づかない、というわけなのだろう。






『レイチェルの結婚』

 更生施設から9ヶ月ぶりに出てきたキム(アン・ハサウェイ)は、実家へ向かった。姉レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式があるのだ。しかしレイチェルは式の準備でいっぱいいっぱいでキムを構えず、父親は薬物中毒だったキムに腫れ物を触るように接する。家族とも来客ともなじめないキムはイラつきを隠せない。監督はジョナサン・デミ。こんな作風にも出来る人だったのかと意外だった。なお、音楽映画としてもいいです。
 ホームパーティ型の結婚式は、アメリカでは比較的ポピュラーみたい(なぜインド風なのかは謎だが・・・流行ってるの?)だが、結婚式は無難にすばやくつつがなくが一番だと思っている身からすると、こんな式だと出席する方もげんなりしそうだと思いながら見た。最近には日本でも手作りウェディングが流行っているが、式を挙げる当人たちほど出席する側は盛り上がっていないと思う。むしろ手作り感がイタイタしい・・・。
 なんてことはさておき、映画の中でも言及されるが、家族とあまり上手くいっていない人にとって、久しぶりに家族と顔を合わせる場が身内の結婚式だというのはかなりのプレッシャーだと思う。問答無用でめでたい場であり場をしらけさせることは許されず、しかも個人的にはあまり親しくない多数の客。正直、どうしていいかわからないだろう。特にキムは薬物依存症の治療中、しかもそのことを親戚や友人にも知られているというプレッシャーがある。更に、実は一家には過去に大きな事件が起きており、キムは何よりもその事件に負い目を感じている。
 一方、父や姉にしてみれば、キムは少々面倒くさい存在である。更生施設から出てきたばかりというだけではなく、おそらく以前から彼女と他の家族とはソリが会わなかったのだろう。趣味も考え方も多分合わない、家族じゃなかったらさして仲良くもならなかったタイプなのではないだろうか。過去に起きた「事件」についても、家族は多分キムを許していない。父親と離婚した実母が「事件」に関してキムに見せた態度や、結婚式後のあっさりとした引き際はちょっとショックだった(式の感想をくどくど聞きたくないという気持ちはすごくわかるんだけど)。
 しかしそんなかみ合わない相手であっても、理解されること、愛されることを求めてしまう。キムは絡んだりしつつも、自分の話を聞いてくれ!と全身でアピールしてくる。それは甘ったれているようにもうざったくも見えるが、彼女なりの真摯さだ。対してレイチェルや父親は、キムのことがかわいくないわけではないが、彼女に振り回されて疲れきっている。もういいかげんにして、というのが正直なところだろう。
 家族は、実のところレイチェルと真っ向から向きあうことを避けている。キムは何度も家族との対話を(誤解されやすいやり方だが)試みるが、肝心なところでスルーされる。レイチェルとの言い合い中で、いきなり反論のしようのない「重大発表」された時のキムの表情のなんともいえなさが素晴らしい。演じるハサウェイの口パクパクしつつ「んがーっ!」といった感じの顔芸は見ものだ。結婚式の翌朝、キムが立ち去った後のレイチェルのちょっとした行動にもがっくりとくる。結局家族にとって、キムは不在でくれた方が円満に暮らせる存在なのだ。キムにとっても、家族に愛されたい・理解されたいという欲求はあるが、実際に同居したらやはり上手くいかないだろう。
 この家族はこれまでもかみ合うことがなかったし(キムが薬物依存になったのは家族との関係も大きな原因なのだろう)、この先も本当に理解しあうことはないと思う。愛情がある=相互理解があるとは限らないのが家族の難しさだ。それでも、なんとなくつながりが保たれているというところが、家族の面白さでもあるのだろうが。







『GOEMON』

 天下統一を目指した織田信長が明智光秀に暗殺され、明智を討った豊臣秀吉(奥田瑛二)が世を治めるようになった日本。金持ちから盗み貧乏人に盗んだ富を分け与える義賊として、ヒーロー扱いされていた盗賊の石川五右衛門(江口洋介)。ある商家に盗みに入るが、なぜか石田三成(要潤)もその商家が有する南蛮製の箱を狙っていた。石田の部下であり、かつての修行仲間である雲隠才蔵(大沢たかお)に追われる五右衛門は、陰謀に巻き込まれていく。
 世紀の大(珍)作として日本中の映画愛好家を震撼させた『CASSHERN』の紀里谷和明監督の新作。戦々恐々として見に行ったが、監督も学習したらしく、前作よりも多少まとまりはよくなっている。しかしその結果、底抜けというほどではないが普通に面白くない映画になってしまっているのだ。ダメさも極めればセールスポイントになるというのに、かえって勿体無い。
 一応実在の歴史上の人物が登場するが、決して歴史映画ではない。予告編見れば一目瞭然なのだが、歴史をネタにしたファンタジー映画といったほうがいいだろう。五右衛門や才蔵の戦闘能力も常人のものではない。それどこの無双シリーズですか!戦国BASARAですか!しかし困ったことに、約2時間の本作を見るより、TVアニメ版戦国BASARAを30分見る方が正直面白いんですよ・・・。制作費と時間をかければいいものが出来るとは限らないんだなぁとつくづく実感した。
 ただ、紀里谷監督が手を抜いたということは全くないと思う。監督はおそらくベストを尽くしているのだろう。私は紀里谷監督の映画作品には感心しないが、過去に手がけたPVなどは嫌いではない。フルCGの背景美術のセンスも、品はないが(押井守監督『イノセンス』と同じ路線の、一歩間違うと悪趣味なオリエンタリズムみたいな雰囲気なのだが、自分の中で『イノセンス』はOKで本作はNGというのは、自分のことながら何故だろうかと思う)これはこれでいいだろうし、そもそも最初から多少キッチュな味わいを狙っているんだろうなと思う。しかし、作品世界の雰囲気を作ることは得意でも、2時間ドラマとしてもつように映像を組み立てていくことは不得手な人なのだろう。ストーリーは場当たり的だし(全員うかつすぎる)、キャラクターの言動にも「じゃあさっきのアレはなんだったんだよ!」と突っ込みたくなる点が多い。特に気になったのは、五右衛門の強さレベルがコロコロ変わるということ。あれだけの軍勢なぎ倒しているのになんでそこでそうなる!と。 強さのレベルがちぐはぐなので、アクションシーンの面白さもそがれていたと思う。こういうちぐはぐな部分の総合的なチェックを、脚本の段階で誰かがしていないのかなと気になってしまった。
 あと、CASSHERNと同じく大々的なテーマ「せんそうはんたい!」が掲げられているわけですが、とってつけたみたいで恥ずかしい。テーマ自体に反対する気は全くないのだが、いい年した大人が主張するんだから、もうちょっと他に表現のやりかたがあるだろうと。青々しい(底の浅い)主張を中学生がやるならほほえましいものもあるが、30過ぎた大人がやるのは勘弁してほしい。なんでそう無邪気に表現できるのか大変不思議だ。そもそも五右衛門、最後は他人に丸投げしちゃってるじゃん・・・。「それが運命」とか言うんじゃないだろうな。運命てそんなもんじゃないだろうよと言いたくなってしまう。





『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』

 突如襲来してきた謎の生物イマージュと人類との戦いが続く地球。独立愚連隊の少年兵として、戦闘機ニルバーシュに乗り戦うレントン。彼は8年前に軍に連れ去られた幼馴染の少女エウレカを探し続けていた。TVアニメ『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版作品となるが、TVシリーズとは全くの別もの、というかパラレルワールドとして、もう一度仕切りなおしたとでも言うべき作品。キャラクター設定やキャラ同士の関係性もかなり変わっている。TVシリーズ視聴は必見というわけではないが、見ていたほうが分かりやすいかとは思う。
 ちゃんと2時間で完結させたところは(風呂敷たたみきれなかったにしろ)よくやったと思うが、TVシリーズでさえ飽和気味だった諸々の設定がぱんぱんに詰まっているので、情報過多で少々疲れた。こんなにきつきつにしなくてもいいのになぁ。また、作品世界が閉じているという印象を受けた。これはTVシリーズの時も感じていたのだが、本作では更に強く感じた。作品の形状(映画)によって左右されたところもあると思うが、自己完結しているというか、作品世界を突破していく何かの勢いみたいなものがなかった気がする。内圧は高いけど外に噴出しないというか。そういう作品は、精度が高ければ美しい箱庭のようでひとつの魅力はあるのだが、(本作は残念ながらさほど精度が高いとは思えないし)個人的には見ていてあまり気持ちが盛り上がらない。ストーリーや設定が多少破綻していても、こちら側へぐわっと訴えかけてくるような何かがほしい・・・ってあまりに抽象的でわけわかんないよな・・・。
 息苦しく感じたもうひとつの要因は、TVシリーズ以上にレントンとエウレカの恋愛に焦点が絞られた、ド直球のボーイミーツガールだということ。もう、お互いにお互いのことばっかり考えているわけです。キラッキラした10代の頃ならともかく、この年齢になると「ぼくはきみがだいすきだ!」的なノリにはもうついていけない・・・。どっと疲れたわ。そして、ボーイミーツガールを取り巻く設定が多すぎる。もっと枝葉は切っちゃってもいいと思うのだが。設定に溺れて本筋を見失いそうになる。作る側が設定を決めただけで満足しちゃった感というか、設定を消化しきれていない感じがした。そして正直なところ、今なぜエウレカのリメイクなのかという意図が良く見えなかった。そんなに人気あったのか?力作だったのはわかるけど。
 なお、ちっこいニルバーシュが非常にウザかったことは特筆しておきたい。「うきゅー」とか鳴くな!ポケモンか貴様!デフォルメの度合いが他と違うから違和感ばりばり。単純に設定ミスだと思う。





『いとしい人』

 39歳の小学校教師エイプリル(ヘレン・ハント)は、出産を熱望していた。しかし夫・ベンは突然家出をしてしまう。更に、エイプリルの養母が死亡。落ち込むエイプリルだったが、生徒の父親フランク(コリン・ファース)に惹かれていく。一方、彼女の前に突然、実母と名乗るバーニス(ベット・ミドラー)が現れる。
 女優ヘレン・ハントの初監督作品であり、主演もこなしている。結構好きな女優なので本作は楽しみにしていたのだが、うーんこれは・・・。面白くないことはないのだが、すごくいいかと問われると口を濁してしまうという微妙な出来。エイプリルの出産したいという願い、フランクとの恋愛、バーニスとの母娘関係のやり直しという大きく分けて3つの軸があるのだが、うまくかみ合っていないんじゃないかと思った。特に、バーニスのキャラクターが結構強烈なので、そこだけ浮いてしまう。出産したいが機会に恵まれないエイプリル、出産したものの育てられず養子に出したバーニスという対比を作りたかったのだろうが、バーニスの突発的な母性の発露が自己満足的すぎて、見ていてうんざりしてしまった(エイプリルも、そんないきなり来られても!という反応はする。母娘というより、年齢の離れた友人的な関係になっていくのは案外現実的)。エイプリルの、はっきりしているようで肝心なところでは相手に流されてしまうキャラクターにも、終始イライラさせられた。
 何より、エイプリルの「出産したい」という願いがどのへんから生じてきたものなのかが、いまいちわからないし共感もできない。もちろん共感できなくても面白い映画にはなるはずなのだが、他の部分での払拭ができなかった。エイプリルは養子で、血のつながった家族への憧れがあるというのはわかったが、本人が愛されて育ったし養父母も兄弟も愛しているということが明らかにされている。それでなお実子がいいというのは、自分や家族を否定することにならないか?と気になってしまった。更に、そんなに実子に拘っていたら、仮にフランクと結婚したとすると、フランクの連れ子への対応はどうするの?とか。出産を体験してみたい!という好奇心ならまだわかるのだが。
 なんにせよ、登場人物全員の感情のアップダウンが激しくて、ちょっと着いていけない感じだった。重い話ではないのに疲れた・・・。





『グラン・トリノ』

 クリント・イーストウッド久々の主演・監督作品。息子が奏でるテーマ曲には、一部ボーカルとしても参加している。渋いです。フォード社の組立工だったウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、長年連れ添った妻を亡くす。頑固で2人の息子との折り合いも悪い彼の楽しみは、秘蔵の愛車、1972年製グラン・トリノの手入れだった。ある日、隣家に越してきたモン族の少年・タオがグラン・トリノを盗もうとする。地元のギャングである従兄弟に強要されたのだ。タオをとっちめたコワルスキーだが、タオの家族は、お詫びとしてタオにコワルスキーの手伝いをさせると言い出す。渋々受け入れたコワスルキーだが。
 コワルスキーの動きはぎこちなく、しゃべりもゼーハーゼーハーしている。イーストウッドももうほんとにいいお年なので、演技じゃなくてほんとにしんどいんじゃないの!?とうっかり心配してしまいそう。グフーと唸る姿は自分が連れている犬以上に犬っぽい。イーストウッドがこの部分でウケを狙ったのかどうかは分からないが、ちょっと笑ってしまった。しかし全般的にとてもユーモアがあってびっくりした。床屋での「男らしい会話」レクチャーや、コワルスキーの友人である工事現場監督とのやりとりには笑ってしまったし、モン族の女性がことあるごとに料理をわんさかもってくる展開など、ちゃんと反復ギャグになっているではないか。どんなコントだよと。私はイーストウッド主演作ないしは監督作品をそれほど見ているわけではないので、最近のイーストウッドのイメージしか知らない。正直、こんなに笑える映画を作る人だとは思わなかった。コワルスキーが、自分の住む町が移民ばかりになったことを苦々しく思う、しかし彼もポーランド系移民の子孫であり、友人はイタリア系やユダヤ系移民、結局移民ばっかりじゃないかい!というところもおかしい(と同時にアイロニーを感じる)。
 人間、年を取ると頭が固くなるし、俳優にしろ映画監督にしろ、芸風が固まってしまい変化しにくくなりがちだと思う。自分が一番輝いていた時代を懐古しがちになるというか。その点、イーストウッドは積極的に変化し続けようとしているように思うし、あくまで今の時代を捉えようとしている。その意欲を持ち続けられるところがすごい。本作でのコワルスキーの選択は個人的には非常に感動的だったのだが、これは、ストーリー云々ということと同時に、アメリカの強い男の象徴のような存在であったイーストウッドが、このような選択をするに至ったのかという感動もあると思う。暴力を描きつつ、暴力といかに対峙していくかということを、イーストウッドは考え続けてきたのではないだろうか。イーストウッドが演じるヒーローというと、「復讐するは我にあり」的な存在というイメージがあったし、実際そういう作品が多かったと思うのだが、強さの質が本作のような方向に変わるとは。
 本作の中では、懺悔が重要な要素のひとつになっている。コワルスキーの亡き妻は、神父に「夫の懺悔を聞いてやって」と頼む。コワルスキーは、自分の息子よりも若い神父を信用できず、懺悔を拒む。神父との関係は徐々に変化していくものの、コワルスキーは一番重要なことは神父には言わない。懺悔(のようなもの)はタオに対してなされる。絶対者からの許しを得るのではなく、親密な関係を持ちえた相手に対して託すもの(タオはコワルスキーの擬似息子でもある)としての懺悔というところに、コワルスキーの「落とし前」の付け方があると思った。イーストウッドの宗教観が垣間見られるようでもあって興味深い。基本的に、罪が許されるとは思っていないんじゃないだろうか。
 






『今度の日曜日に』

 日本に留学した憧れの先輩を追い、自身も日本の大学で映像の勉強をすることにしたソラ(ユンナ)。しかし会いたかった先輩は、家庭の事情で韓国へ戻っていた。秋になり、映像作品の課題に取り組むソラ(ユンナ)だが、未だに題材が決まらない。そんなある日、キャンパス内でドジな用務員・松元(市川染五郎)を見かけ興味を持つ。監督はけんもち聡。
 松本市が全面協力しているらしく、ソラは信州大の学生という設定だし、実際にキャンパスがロケに使われている。松本市内の町並みも当然頻繁に出てくるし、ラジオ(ソラはなぜかTVは見ない)のローカル番組やローカルCMもくどいくらいに流れる。ご当地映画としての面白さはあると思う。何しろ、景色が美しい。映画内の季節は秋~冬なので少々さびしい風景だが、やっぱり信州地方はいいよなぁと思った。
 ただ、ドラマとしてはいろいろと難が多い。まず、メインキャラクターであるソラと松元の言動が唐突すぎて、単に困った人に見えてしまう。ソラはストーカーまがいの不思議ちゃんみたいだ。松元もガードがきついのかゆるいのかどっちつかずだし、ソラが瓶を割ってしまったあとの行動が奇天烈。ソラにしろ松元にしろ、行動に至るまでの感情の流れの見せ方がすっぽ抜けているという印象を受けた。特にソラの行動は不自然なところが多い。松元とのファーストコンタクトであるトイレでの出会いにしろ、叫ぶなら男性が女子トイレ内に入ってきた時点でだろう。
 染五郎だけが妙に豪華なキャスティングだが、これが却って仇となった感もある。この人はどう見てもさえない用務員に見えない。個人的には特に二枚目だとは思わないが、さすがに存在が華やかでスターのオーラが漂っている。ジャージが似合わないことこの上ない。また、無駄に色気があり、1人だけ映画から浮いていた。ソラ役のユンナ(本業はミュージシャン。作中でも「ピアノひけます」といっているが、実際に弾いて歌えるそうです)がかなり地味な顔立ちなので、その対比が極端で、スクリーン上に妙なひずみが生じそうだった。





『四川のうた』

 『長江哀歌』が個人的にすばらしかったジャ・ジャンクー監督の新作。もう巨匠扱いされるようになってきちゃったのね・・・。今回はドキュメンタリーがベースになっている。四川省・成都で50年にわたり運営されていた国営工場「420工場」。しかし業績の低迷に伴い民間へ売却、さらに閉鎖されることになり、その跡地には大型マンションや商業施設が建つことになった。かつて420工場に勤めていた人々が語り始める。
 420工場は非常に規模が大きく、敷地内に工員が住む団地や、その子供たちが通う小中学校、新たに工員を育てる専門学校、商店街や映画館、スポーツ施設などもあり、1つの町のようだったそうだ。工員の子供はまた工員となり、420工場以外の町を知らずに生きていく人もいた。しかしいきなり、その生活の地盤がなくなってしまう。工場を辞めてからの苦労を話す人もいるが、工場に対する怒りや悲しみを訴えるものではなく、当時を懐かしみ、良い思い出として420工場を思い起こすという側面の方が強い。ごくありふれた、少年時代の思い出や工場での先輩との思い出を話す人もいるし、工場が移転してくる際の、思いもかけない悲劇を語りだす人もいる。「工場の人」というくくりではなく、大きな組織の中に、それぞれ別の人生をおくる個人がいるというところにスポットを当てようとしているように思った。
 ところで本作、ドキュメンタリーではあるが、カメラを向けられた人の仲には、架空の人生を演じる俳優が混じっている。ドキュメンタリーは製作側の意図が反映される時点で既にノンフィクションではないと思うが、本作はその方向性をさらに推し進めたものなのだろう。たしかに、ちょっとこの人しゃべるのが上手すぎしエピソード出来すぎだなぁという人がいたが(笑)、実際に工場に勤めていた人であっても、カメラに向かった話すという時点で、その人の中ではひとつのストーリーが編集され出来上がっているということだろうから、ある種のフィクションではある。しかし、だったらまるまるフィクションにしてしまってもよかったのにという気もするが。なぜこういう手法でドキュメンタリーを撮ったのかという動機が、いまひとつ見えてこない。





『スラムドッグ$ミリオネア』

 コールセンターで「お茶くみ」をしているジャマールは、人気TV番組「クイズ$ミリオネア」に出演し、あと1問で賞金2000万ルピーを入手するまでに勝ち進んだ。しかしスラム育ちのジャマールが正解を知っていたはずがない、詐欺に違いないと考えた司会者は彼を警察に突き出す。警官の拷問まがいの取調べに対しても、ジャマールは自分に非はないと主張する。彼がクイズに出たのにはある理由があった。
 『トレイン・スポッティング』の(と未だに言われてしまうところが悲しい・・・)ダニー・ボイル監督の新作。アカデミー賞作品賞その他8部門を受賞し、見事返り咲いた。イギリス人監督が撮ったインドが舞台(キャストの多くもインド人)の映画がアメリカのアカデミー賞を総なめするというのも不思議な感じがする。もっとも、インドのスラムが舞台ではあるが、貧困などの問題を提示するものではなく、あくまでファンタジーだと思う。
 大変楽しく、生き生きとした作品。特にジャマールたちが暮らすスラムの情景が、本当に雑多な匂いがしそうな生気あふれるものだった。冒頭、警備員をからかった子供たちが走って逃げていくシーンの疾走感が、その後も映画をひっぱっていく。ジャマールは常に走っている少年というイメージなのだ。
 少年の成長物語とも見れそうだが、実際のところ、ジャマールは年齢以外はほとんど変わらない。彼には初恋の少女であるラティカに会いたいという一本の軸があり、それがぶれることはない。彼はずっと正直であり無垢なままだ。最初から人格としては完成されてしまっている。一方、ジャマールの兄であるサリームやラティカは無垢さを失っていく。ジャマールの「夢」であるラティカはともかく、サリームはジャマールの陰として堕ちていくようで切ない。幸運を掴み夢をかなえるのが無垢なものだとしたら、もはや無垢ではない私たちにはもう掴み取れるはずもないではないか・・・と若干むなしい気持ちにもなるのだった。何にせよ、ジャマールの一途さは少々まぶしすぎる。
 それと同時に、ダニー・ボイルがここまで率直に人間の純真さに対する信頼を打ち出してきたことへに驚いた。『トレイン・スポッティング』は純真さも友人も捨てて成功者を目指す青年の物語だった(以降の『ビーチ』にしろ『28日後』にしろ、どっちかというと人間に対して辛らつな作風)。しかし本作では、ジャマールは子供時代の絆を捨てず、出て行ったムンバイへと戻ってくる。『ミリオンズ』あたりから、作風変わってきたなと思ったのだが、本気でここまで徹底させるとは思わなかった。
 楽しくて気分良く映画館を出られる作品ではあるが、見た後あまり印象が残らなかったので、アカデミー賞作品賞としては個人的には少々意外だった。もちろん評価されるべき作品だとは思うがそれ以上に、アメリカで今、希望と愛に満ちた物語が要求されているということだったんだと思う。





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