3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2009年04月

『レッドクリフpart2 未来への最終決戦』

 ジョン・ウー監督渾身の大作である『レッドクリフ』後編。日本公開版では、本編が始まる前に、にこれまでの流れを解説する映像が追加されている。巷の映画ファンの間では不評だったようだが、個人的には非常に助かった。前編の内容もう忘れてたもんねー。登場人物に名前とポジション説明のテロップが出るのも助かる。これも映画ファンには不評だったみたいだが、三国志ファンでもなんでもない身からすると、このくらいやってくれないとついていけないのよ。みんながみんな三国志読んでると思ったら大間違いである。
 赤壁への侵攻を進める曹操軍に対して、孫権・劉備の連合軍は物資も人員も限られ苦戦を強いられる。劉備軍はとうとう撤退し、孔明(金城武)だけが呉に残った。周瑜(トニー・レオン)は曹操軍の水軍を率いる2人の武将の謀殺、孔明は10万本の矢の確保を図る。
 男たちが絆を深める過程が描かれる(そして曹操の孤独が見え隠れする)part1に対して、本作では2人の女性が活躍する。が、正直言って女性の造形に魅力がない。元気な妹系、貞淑な妻系という定型からまったく出ておらず、女優としての魅力もあまり発揮できていないように思った。周瑜の妻ほしさに曹操が戦をけしかけたといわれても、なんでこんな貧乏くさい女にご執心ですか?と国を率いる人間としての器を疑ってしまう。また、兵士に変装して敵軍に潜入した孫尚香の姿がどう見ても女の子で、作中でありえないアクションを多々見ているにも関わらず、いやーそれはないわ・・・と思ってしまう。彼女の行動が、スパイの自覚があるとは思えない甘っちょろいものなので、よけいにそう思うのかもしれない。
 対して男たちだが、残念ながらこちらも、part1ほどの魅力は感じなかった。周瑜と孔明の出番が前半ほど多くないし、曹操は器の小さいおっさん、劉備は小心なお父さん(これはちゃんと事情があるのですが)にしか見えない。特に曹操の造形が俗っぽいので、ファンには悲しいのではないだろうか。なんにせよ周瑜と孔明以外の人物の頭が悪すぎ、ヒーローを立てる目的とはいえちょっと不公平だなーと思った。
 ところで、ジョン・ウーはユーモアセンスが微妙(なんとなく古臭いなーと)ではなかろうか。ここ笑うの?笑わないの?というシチュエーションが多々あった。本人軽妙な演出のつもりなのかもれいないけど、野暮ったいんだよなぁ・・・。
 なお、肝心な大決戦も、残念ながら見ていてあまり盛り上がらなかった。特にクライマックスになるとメインキャラクター間のみのガチンコ勝負になってしまい、合戦としての面白さはなくなってしまう。集団戦を演出するのって難しいんだなとつくづく実感。





『ミルク』

 ゲイとして初めて公職に就いた政治家、ハーヴェイ・ミルクの生涯を映画化した作品。監督はガス・ヴァン・サント。長年映画化を望んでいた題材だそうで、かなり力が入った、また間口が広い作品になっている。本作でアカデミー賞脚本賞と、主演男優賞を受賞している。
 1972年、ニューヨークで金融会社社員として、ゲイであることを隠して働いていたハーヴェイ・ミルク(ショーン・ペン)。彼は20歳年下のスコット(ジェームズ・フランコ)と知り合い、新天地を求めてサンフランシスコへ移住、写真店を始める。店は同性愛者やヒッピーたちのたまり場となり、保守派の商工会に対する対抗勢力となっていく。
 ハーヴェイ・ミルクは、元々はそう政治的な意識の高い人ではなかった(そもそも最初は共和党支持者だった)。新しく商工会を作ったのも、保守的な商店に商売の邪魔をされない為だった。そこから、だんだん政治的な場に出るようになり、自ら「広告塔」として振舞うようになっていく。映画の中でミルクが言及するように、「まず自分たちのような存在がいることを知ってもらわなければならない」のだ。ミルクが始めた運動は、ゲイだけでなくアジア系やヒスパニック等のマイノリティ全体を対象とするようになる。
 どんどん公的な存在になっていくミルクは、有権者ウケがいいように身なりを良くし、「いいゲイ」としてユーモアあふれる振る舞いをし、「犬の糞一掃プラン」のようなわかりやすい政策を打ち出す。時に強権的にも振舞う(仲間に家族へのカミングアウトを迫るところとか)姿は自分を切り売りしているようにも見えて、痛々しくもある。ミルク自身、「人気者な自分」に対してはシニカルな見方をしている。また、「みんなのミルク」になることで、パートナーであったスコットは彼を理解しつつも離れていってしまった。そこも切ない。
 ヴァン・サント監督は本作に非常に思い入れがあるのだと思う。ミルクという人物を映し出そうとするのに一生懸命で、彼の周囲や時代背景の描き方はやや物足りなかった。特に気になったのが、ミルクの政敵となるホワイトの描き方だ。彼は保守派かつキリスト右派の人間なので、同性愛者やリベラルな政策に抵抗があるのはわかる。しかし、政敵だとしても彼が最後に選択する行動をとる政治家はそういないだろう。何が彼をそこまで追い詰めてしまったのか、非常に気になるのだ。ミルクは「彼にも(自分たちと)共通するものがあるように思う」と漏らすが、そのへんをもっと深く見てみたかった。もっとも、そうすると別の映画になっちゃうんだけど。
 主演のショーン・ペンは大変な熱演。どちらかというと硬派で演技が少々重苦しいイメージがあったのだが、本作では非常に珍しい、キャピキャピした振る舞いが見られる。最初はちょっと演技がくどいかなーと思っていたが、見慣れると、仕草の軽さ、柔かさの出し方がやっぱり上手い。他のキャストもとてもよかった。特にミルク陣営のブレーンを演じたエミール・ハーシュは、どこか弱弱しい少年から、リーダー各へと成長していく姿をあらわしていたと思う。最後に登場人物本人の写真とその後の人生が字幕で示されるのだが、演じた俳優はほんとに似ていた!
 登場人物に実際のモデルがいるので、ヴァン・サント好みの美少年(笑)の出演頻度は低い。しかしモブでちょこちょこかわいい男の子が散見されるのでチェックしてみてください。なお、劇中でひとつのポイントとなる、車椅子の少年はフォトジェニックでいい顔をしていた。彼が電話をしてくるシーンは痛切だ。町全体が顔見知りみたいな田舎でマイノリティであるということの苦しさを想像すると、ちょっと耐え難い。しかしこの話、ほんのちょっと前のことなんだよなぁ・・・。何かがっくりくるわ。







『入門・現代ハリウッド映画講義』

藤井仁子他編・著
巻末に索引はもちろん、丁寧な用語解説が載っていて大変助かった。収録されている各論はそこそこ読み応えあるが、題名どおり、入門書として読める。ハリウッド映画を個々の作品解釈はもちろん、産業、テクノロジーの面も含めて考察した1冊。『マイノリティ・リポート』『ブロークバック・マウンテン』等見たことのある作品ばかりを取り上げていたので(ガス・ヴァン・サント版『サイコ』は未見だが)、とっつきやすかったし勉強になった。特に『ファイト・クラブ』のDVDで、監督や出演者による副音声解説によって、観客の映画解釈がある方向へリードされており、これからはソフト化されたものも含めて批評の題材としていく(副音声やインタビューから、製作側がどういう見方を「正当」としているか看破する)必要があるという指摘が興味深い。なお『ファイト・クラブ』におけるホモエロティシズムのイメージ考察に関しては何を今更・・・(どう見てもあの映画はホモくさいだろう)と思ったが、DVD副音声では監督・キャスト総出でホモエロティシズムをにおわせる要素を茶化し、「冗談でーす!そういう映画じゃないよ!」アピールをしているとのこと。つまり、そうしないと売れないわけですね。アメリカでも同性愛(特に男性間は)てそんなに拒否反応があるのかと逆にカルチャーショックだった。





『左近の桜』

長野まゆみ著
ちいさな旅館(というか連れ込み宿)の息子・桜蔵は、しばしば変なモノを拾ってきてしまう体質だった。和風怪奇譚をちょっと色っぽくしたような小説。主人公をかまってくる異界のものたちに、いちいち色気がある。ぶっちゃけていうとうっすらとしたBLですが、そこは著者の筆力で上品に仕上がっております。一般誌に掲載されても大丈夫!しかし主人公セクハラされほうだいなので、そこはお母さん気づいてやってよ!と突っ込んでしまいましたが。あと「女」という言葉をそういう意味合いで使うのはやめてほしいなぁと思った。




『ワーキング・ホリデー』

坂木司著
おおキモくない!普通に読める!引きこもり探偵シリーズではその甘ったるさに辟易したが、本作はわりとからっとした、人間関係がねちこくない(笑)作品。元ヤンキーのホスト・大和の前に、かつて付き合っていた女と自分との間に生まれた息子だという小学生・進が現れる。夏休みの間、進を預かることになった大和は、ホストをやめて宅配会社でバイトをすることに。宅配の作業の流れが意外に具体的に書かれていて面白い。また、こちらが本筋なのだろうが、大和と進が親子として双方成長していく姿もほほえましかった。2人ともある程度理想的な青年・少年として書かれてはいるが、至らないところもちゃんと示されている。基本善人しか出てこない作品なので、箸休め的に読める。





『エヴァ・トラウト』

エリザベス・ボウエン著、太田良子訳
両親を亡くし、巨額の遺産を相続した娘・エヴァの数奇な生涯。もっとも、本人は別に「数奇な人生」とは思っておらず、ちゃんとやろうとしているつもりなのだろう。ただ、言葉の面(エヴァは幼い頃父親に連れられて諸国を回っており、正しい英語が身につかなかった)でも社会的な立ち居振る舞いの面でも、周囲とのコミュニケーションがことごとく食い違っていて、それが誤解を生み、結果的に周囲を振り回してしまう。エヴァのとんちんかんな言動と、それに対してあたふたする周囲の人間の姿はコメディッチックでもあるのだが、ここで上手くかみ合っていればこんなことには!という皮肉さもあり、痛々しくもある。発表当時はあまり評価されなかったそうだが、物語のテーマや緩急を極力取り除き、典型的な感動やカタルシスとは無縁だからかもしれない。物語に意味などない!という主張か。ちょっと面白い言い回しの多い訳文だった。特にエヴァの後見人であるコンスタンティンの話し方にはクセがある。原文はどんな感じなんだろうか。





『墓標なき墓場 高城高全集(1)』

高城高著
この文庫版全集が出るまで、不勉強でお恥ずかしいが著者のことはまったく知らなかった。日本製ハードボイルドの始祖と呼ばれるのもわかる、情を排した作風。登場人物に感情移入して読む読者にはあまり向いていないかもしれない。さほど作品を出さずに筆を折ってしまった作家だそうだが、自分が実際に体験した世界のことしか書かないというポリシーの方だったそうなので、致し方ないか。確かにネタが限られていて量産はできなさそうだもんなぁ・・・。文章もあくまで「観察する人」としてのもので、客観性が強く感情移入は拒むところがある(個人的にはそこが読んでいて楽なので好き)。そういう意味では本当にハードボイルドな作風。ともするとぶつ切りと感じられそうだが、ラストの余韻を振り切る感じもよかった。





『フィッシュストーリー』

 1975年、パンクパンド“逆鱗”がバンド最後のレコード「FISHSTORY」をリリース。1982年、合コンへ向かう大学生たちは、そのレコードには聞こえる人にしか聞こえない女の声が録音されているという噂を知る。2009年、シージャックされた船に乗っていた女子高生は、「正義の味方」に出会う。そして2012年、彗星があと5時間で地球に衝突しようとしていた。伊坂幸太郎の小説を、『アヒルと鴨のコインロッカー』でもタッグを組んだ中村義洋監督が映画化。劇中で“逆鱗”が歌う曲「FISHSTORY」を斉藤和義が作曲し、エンドロール曲も歌っている。「FISHSTORY」はちょっと昔のパンクバンドっぽい雰囲気が出た曲で嫌いではないが、エンドロールの「Summer days」の方が圧倒的にいいのが辛いといえば辛いか(笑)。
 冒頭、世界が終わろうとしている2012年のレコードショップから始まり、時代をいったりきたりするが、それほど複雑に入り組んでいるわけではない。あの時代のあの人とこの時代のこの人とはつながりがあって・・・というふうに、徐々に全体図が明らかになり、最後に「1枚のレコードが世界を救う」という言葉の意味が明らかになる。ご都合主義もいいところなのだが、そういう物語なのだから突っ込むだけ野暮だろう。そもそもFISHSTORYとはホラ話のこと。ホラ話ならば景気良く盛大な方が楽しいではないか。
 軽く楽しめるエンターテイメント作品だが、根底には原作者と映画スタッフの祈りにも似た思いがあるのではないか。小説も映画も所詮はつくりごと、ウソ話である。そして実際問題として、小説や映画が物理的に生活の役に立つかというと立たないし、人を救えるかというと多分救えないだろう。じゃあ小説や映画は何の為に作られるのか。単なる暇つぶしなのか。暇つぶしは暇つぶしで立派にひとつの役割だが、人の目に触れずに消えていく作品も多々ある。もしかしたら遠い未来にでも、誰かが心にとめてくれれば、役に立てばいい、という音楽や小説を生み出す側の切なる思いを感じた。
 逆鱗の曲「FISHSTORY」が超名曲というわけではない(失礼!)のもポイントだろう。超名曲だったら、そりゃあ後世まで残るわなという話になってしまう。そうではなく、世の中何がどこでどう役に立つかわからないというところが面白いのだ。「風が吹けば桶屋がもうかる」とも言うし(ちょっと違うか)。
 キャスティングは派手ではないが、要所要所にいい配置をしているなと思った。特に目を引かれたのは、「正義の味方」役の森山未来。この人、特に顔が二枚目とかスタイルがいいとかいうわけではないのだが、動くと魅力がある。また、CDショップに居座るイヤミな客役の石丸謙二郎は、本当にいやーな感じがにじみ出ていて、「世界の車窓から」のナレーターをやっているのと同じ人とは思えませんでした!一応主演扱いの伊藤淳史は、さほど存在感出せず残念。ただ、バンド演奏シーンは意外に様になっていた。






『悪人』

吉田修一著
1人の女性が殺され1人の男が犯人と見なされた、という事実が最初に提示される。しかし、殺人事件が絡んでいるがいわゆるミステリ的な「誰がやったか」「どうやってやったか」が焦点なのではなく、彼/彼女はどんな人物だったか、どんな生活をおくっていたのかを描いてく。さらに言うなら、「なんで殺した/殺されたか」もさほど重点は置かれておらず、どういう経緯でそうなったか、というところが複数の視点から描かれる。本人はこう思っているけどAさんはこう見ていて、Bさんからはこう見えた、という差異が面白いのだが、AさんBさんの視線はひややかで残酷でもある。特に貧しさの表現が鋭すぎて、時々いたたまれなくなった。貧しいといっても経済的に逼迫しているというのではなく、金銭的にも精神的にも何か満たされないという貧しさに近い気がする。センチメンタルさが一切ない寂しさというか、殺伐としている。また、本著の題名は「悪人」なのだが、犯行にいたるまでの経緯、そしてその後の経緯を読んでいくと、世間一般で「悪人」扱いされるであろう犯人は、果たして「悪人」という記号にあてはまるのか?と疑問がわいてくる。むしろ、事件にちょっとだけ絡む破目になった学生や、事件とはなんら関係のない悪徳商法業者の方がいかにも「悪人」だ。割り切れないしやりきれない気分になる。それにしても、30代独身女性って田舎ではこういう扱いか・・・とわかっちゃいたけど軽くショックだった。





『タルト・タタンの夢』

近藤史恵著
家庭的なフレンチレストランを舞台としたミステリ短編集。レストランのシェフが客やスタッフの話を聞いて「ちょっと妙なこと」を解決する、いわゆる安楽椅子探偵ものなのだが、実際に謎に対する解が明らかになっているのは2編のみ。あとは「~じゃないかと推測される」というところでお話は終わっており、実際にどうだったのかはわからない。謎を解くというよりも、事態を丸く治めるという側面の方が強い。そういう意味では真実を追究する「名探偵」ものではない。それにしても出てくるお料理がことごとくおいしそうです・・・。料理もミステリも手堅く楽しめる1冊。





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