1955年のアメリカ。若い夫婦、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は、NYのベッドタウンであるコネチカットの新興住宅地・レボリューショナリーロードに、幼い娘・息子と暮らしていた。しかし理想的に見えた夫婦だが、心の中は満たされずにいた。監督は『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデス。
タイトルも予告編もキャストも宣伝は全てトラップ!ロマンチシズムのかけらもない恐ろしい話!ぜひ既婚者の感想をお聞きしたい。冒頭から顕著なのだが、夫婦双方が、言わなくていいことに限って口にし、言わないとならないことは口にしない。夫の「1つ、~、2つ~」、「じゃあ質問だ」という言い回しは妻にとって癇に障るし、妻の「やっぱりいいわ」という言い方は夫にとってはイラつくものだろう。どこの家庭でもこんなやりとりがありそうだ。
本当は大して際立ったところがないのに「平凡な幸せ」になじみきれない、平凡な自分を認められない夫婦。特に妻・エイプリルの方に顕著だ(フランクは職場という「家の外」がありそこで評価を得ることが可能だが、エイプリルにはそういうものが一切ないというのも大きいのだろう)。彼女は家族に対する愛がないわけではないが、「こんなはずじゃなかった」という思いを捨てきれない。その思いをフランクが的確にフォローできていれば悲劇は免れたのかもしれないが、彼は彼でまた「こんなはずじゃなかった」と思っているのだ。
しかし、彼らが理想の生活を追い、仮にパリへ行けていたとしても、彼らの関係が好転し、彼らが満たされるとは思えない。どこへ行っても彼らは彼らでありそれ以上にも以下にもなりようがないのだから。一般的に、大人になったらある時点で「こんなもんだよな」と割り切ることができる(というか割り切らざるを得ない)のだろうが、それができない人にとっては、「平凡な幸せ」は確かに苦しいのだろうとは思う。でもなぜ「平凡な幸せ」では満足できないのだろう。始末が悪いことに、フランクもエイプリルも、自分がなぜ満足できないのかわかっていないから、満足のしようもない。彼ら自身も「パリに行けば全て変わる」とは本気では思っていないのだ。でもどうすればいいのかわからない。どこまでいっても出口が見えないのだ。
さらに、現状に満足しているように見える隣人たちも実は満足しておらず、だからこそフランクとエイプリルが「パリへ行く」と言い出すと心おだやかではないし、2人を自分たちの側へ引き戻そうとする。その典型である隣人夫妻の造形には監督の意地悪さを感じるのだが、フランク夫妻よりはむしろ隣人夫妻の方が共感を呼びそうだ。
主人公カップルを、大ヒットロマンス(と受け取られていた)大作『タイタニック』で共演した2人が演じるというところに、監督の意地悪さが窺える。ヒーローとヒロインのカップルも、もし結婚して子供ができていたらこんなものだったんじゃないの?と揶揄されているように見えるのだ。
タイトルも予告編もキャストも宣伝は全てトラップ!ロマンチシズムのかけらもない恐ろしい話!ぜひ既婚者の感想をお聞きしたい。冒頭から顕著なのだが、夫婦双方が、言わなくていいことに限って口にし、言わないとならないことは口にしない。夫の「1つ、~、2つ~」、「じゃあ質問だ」という言い回しは妻にとって癇に障るし、妻の「やっぱりいいわ」という言い方は夫にとってはイラつくものだろう。どこの家庭でもこんなやりとりがありそうだ。
本当は大して際立ったところがないのに「平凡な幸せ」になじみきれない、平凡な自分を認められない夫婦。特に妻・エイプリルの方に顕著だ(フランクは職場という「家の外」がありそこで評価を得ることが可能だが、エイプリルにはそういうものが一切ないというのも大きいのだろう)。彼女は家族に対する愛がないわけではないが、「こんなはずじゃなかった」という思いを捨てきれない。その思いをフランクが的確にフォローできていれば悲劇は免れたのかもしれないが、彼は彼でまた「こんなはずじゃなかった」と思っているのだ。
しかし、彼らが理想の生活を追い、仮にパリへ行けていたとしても、彼らの関係が好転し、彼らが満たされるとは思えない。どこへ行っても彼らは彼らでありそれ以上にも以下にもなりようがないのだから。一般的に、大人になったらある時点で「こんなもんだよな」と割り切ることができる(というか割り切らざるを得ない)のだろうが、それができない人にとっては、「平凡な幸せ」は確かに苦しいのだろうとは思う。でもなぜ「平凡な幸せ」では満足できないのだろう。始末が悪いことに、フランクもエイプリルも、自分がなぜ満足できないのかわかっていないから、満足のしようもない。彼ら自身も「パリに行けば全て変わる」とは本気では思っていないのだ。でもどうすればいいのかわからない。どこまでいっても出口が見えないのだ。
さらに、現状に満足しているように見える隣人たちも実は満足しておらず、だからこそフランクとエイプリルが「パリへ行く」と言い出すと心おだやかではないし、2人を自分たちの側へ引き戻そうとする。その典型である隣人夫妻の造形には監督の意地悪さを感じるのだが、フランク夫妻よりはむしろ隣人夫妻の方が共感を呼びそうだ。
主人公カップルを、大ヒットロマンス(と受け取られていた)大作『タイタニック』で共演した2人が演じるというところに、監督の意地悪さが窺える。ヒーローとヒロインのカップルも、もし結婚して子供ができていたらこんなものだったんじゃないの?と揶揄されているように見えるのだ。