3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2009年01月

『人魚は空に還る』

三木笙子著
時は明治。心優しき編集者と美形の売れっ子画家が、不可思議な事件に挑む。なぜなら画家はシャーロック・ホームズの大ファンだったのだ。・・・といってもホームズ役は編集者の方で、画家が勝手に編集者を名探偵と思い込んでいるのだが。お仕着せホームズと妙に積極的なワトソンという変わった組み合わせのミステリなのだが、2人の役割・属性の割り振りのバランスが悪く、どちらか一方だけでもストーリーが成立してしまいそうなところが残念。シリーズものの宿命ではあるが、キャラクターの数がストーリーの規模からすると多すぎるのではないだろうか。さらっと読めるがさらっとしすぎで物足りない。ホームズやミステリ小説への愛は感じられるだけに惜しい。実在の人物がちらちら登場するのは楽しかったが。





『ジェイン・エア』

シャーロット・ブロンテ著、小尾芙佐訳
光文社古典新訳文庫版で読んだ。身寄りのない少女ジェインが寄宿舎で育ち、家庭教師として働くうち雇い主であるロチェスターに惹かれていく、というあらすじは知っていたのだが、初めて読んだ。なんとなく、最初は双方反感を持っていたのに段々惹かれていく2人、みたいな流れかと思っていたのだが(ジェーン・オースティン作品のイメージか?)、最初っからラブラブやんけ!とスクリーン(いや書籍ですが)にポップコーンを投げつけたい気持ちでいっぱいになりました。でも、こういう怒涛の少女マンガ的展開な小説はほとんど読んだことがなかったので、ある意味新鮮でとても面白かった。ベタはベタなのだが、物語としての強さがあるから時代を超えて面白く読めるのだろう。あと、ブロンテが育った環境の影響なのだろうが、自然描写がすごくよかった。ありありとそこにある感じがする。さて、ジェインとロチェスターとの恋には身分の差という障害(ほかにもいろいろあるんだけど)があるのだが、それを乗り越えさせるために、著者はあらゆる飛び道具を投入してくる。こ、ここまでやらんとダメなんか・・・!ハッピーエンドとはいえ、当時の女性が置かれた社会的立場を考えると暗鬱とした気持ちになってきます。





『チェ 28歳の革命』

 革命家エルネスト・ゲバラの伝記映画。監督はスティーヴン・ソダーバーグ。ゲバラがカストロと出会い、サンタ・クララを制圧してキューバ革命を成し遂げるまでと、後年、国連総会に出席した日々を平行して描く。ゲバラ役はベニチオ・デル・トロ。この役でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞している。それも納得のなりきり方だった。
 ゲバラといえば革命の英雄というイメージがあるが、本作は「英雄」としては極力描かないようにしている。普通の人、というと語弊があるのだが、全能ではない人としてのゲバラをクローズアップしていた。彼が喘息もちだったのは有名な話だが、映画の中でも度々発作を起こすし、部下の統制が常にパーフェクトなわけでもない。また、政治的な手腕はむしろカストロの方が優れていたのではとも窺える。そういう人が、自分の能力をMAXまで発揮して革命を起こし、その頂点がキューバ革命だったのかなと思える。そしてMAXな状態が延々と続くことなどありえないので、この先はぱっとしないんじゃないかとも。前述したとおり、本作は2つの時代を同時に描くが、古い時代の方がカラーで、新しい時代の方がモノクロというのもそれを反映しているように思える。また、映画を見る側にとっては、古い時代はもはや「お話」と化しているが、新しい時代は未だ「歴史」だともいえるかもしれない。
 ゲバラの言動でもうひとつ面白いなと思ったのは、他人にかなり厳しいところ。政府と戦争しているわけなので、兵士としての部下の教育はもちろん厳しい。軍規に反すると厳しく処罰される。そもそも兵士といっても元は農民とか一般市民とかなので、かなり強引に統制しておかないと収拾がつかないという面もあったのだろう。しかし何より、ゲバラが倫理的に厳しく、他人にも高いレベルを求めるというところがあったのではと思った。上司だったら結構面倒くさいタイプだったんじゃないかしら。部下の若者に「読み書きの勉強をしろ!」と再三言って、なんとなく煙たがられている雰囲気があるのには、ちょっと笑ってしまった。
 ゲバラ像はなかなか興味深いのだが、如何せん地味だし余計な説明はしない映画なので、ゲバラに興味があり、ある程度当時の時代背景をわかっていないと、少々厳しいかもしれない。実際私はゲバラにあまり興味がなかったし、当時の南米の状況も詳しくなかったので、面白ことは面白いけど結構がんばらないとついていけないところがあった。もっとも、私程度でもそれなりに面白く見られるし時制が混乱することもなかったのは、ソダーバーグ監督の腕がいいということか。 





『ノン子36歳(家事手伝い)』

 田舎町の神社の娘・ノン子(坂井真紀)は、離婚して東京からで戻ってきた36歳。同級生がやっているバーでくだをまく毎日をおくっていた。ある日、神社のお祭に店を出したいという青年マサル(星野源)の面倒を見ることに。同時に、離婚した夫であり、売れないタレントだったノン子の元・マネージャー(鶴見辰吾)が押しかけてくる。監督は熊切和嘉。
 予告編では「恋せよ乙女」的に、女性に向けた面を強調していたが、女性が見て元気になる映画かというと、ちょっと微妙だと思う。むしろ、タイトルを含め、ノン子が抱いている鬱屈や年齢ゆえの焦りみたいなものがじんわり滲み出していて、見ていてそうそうかわいらしい気分にはならない。冒頭、同級生のバーでくだをまく様子は、一目でこいつ嫌な女だししょうもない奴だなと一目でわかるもので、しかも「あーいるいるこういいう女」と実感できる造形なので、何かいたたまれない気分になる。
 また、ノン子の実家に転がり込んでくるマサルも、夢がある、大きな世界を見たいと口では言うものの、その手段はあまりに的外れで、やっていることは妙に子供っぽい。無駄なポジティブさとそれが否定された時の反動の黒いオーラ(でもショボい)は、あーこのひとちょっとヤバい近寄りたくない・・・と思わせるものだ。かわいいといえばかわいいのだが、色々なことを処理しきれない感じが実にイタい。イタいが直視できるキャラクターになっているのは、演じる星野源の飄々とした雰囲気に助けられているのだろう。
 ノン子もマサルも、わりと(というかかなり)ダメな人間だ。そのダメさが生々しい。熊切監督はこういうところが上手いなぁと思う。大きな欠陥があるダメさではなく、小さな欠陥が積もり積もったダメさといえばいいのか、ダメさに手ごたえがあって、見ていて困るのだ(笑)。また、他人に対する嫉妬とか悪意とかも、その対象が「ちょっと上」程度なのがまた生臭い。リアルに想像できる範疇で自分より恵まれていると、すごく恵まれている人に対してよりもより腹立たしいというショボさが・・・。
 もっとも、ノン子は自分のダメさ、ショボさに対してある程度自覚している。もっとも自覚したからどうなるわけでもなく、だからこそ現状がいやでたまらない。彼女は全部壊れちゃえばいいのに、とうそぶく。どうしようもない日常を突破するには非日常をよびこむしかない。そしてついにその契機が訪れるのだが、彼女は別の道を選ぶ。この映画、さほど面白いとは思わなかったのだが、ここの鮮やかさで挽回したかなという感じがした。最後、ノン子の表情が冒頭とは全く異なっている。
 主演の坂井はヌードも披露して頑張っている。監督の以前の作品『青春金属バット』でもいい味を出していたが、今回も結構いい。すれた感じの女の役がはまっている。若い頃よりも今の方が魅力的なのでは。





『ワンダーラスト』

 あのマドンナさんの初監督作品。女優だったりプロデューサーだったりしたことはあるが、果たして自分が監督となるとどうなんだろう、そもそもミュージシャンが映画を撮るとろくなことにならない場合が多いんだよな・・・などとぶつぶつ言いながらも、一応見てみた。意外によかったのでびっくり。マドンナごめんよ。
 ルームシェアしているAK(ユージン・ハッツ)、ホリー(ホリー・ウェストン)、ジュリエット(ヴィッキー・マクルア)。AKはミュージシャン志望だが生活の為SM調教師をしている。パレエ学校に通うホリーもストリッパーのバイトを始めた。薬剤師のジュリエットはアフリカ難民救済に燃える一方、薬を盗む癖を止められない。
 見て好印象を持ったが、いわゆる完成度の高い映画というわけではない。むしろゆるゆるである。冒頭、AKが観客に向かって語りかけ、「善と悪、コインの表と裏」というテーマを提示するものの、テーマは途中でうやむやになり、ラストでまたおもむろに言及される。またAKが観客に話しかけるというスタイルも、中盤ではほとんど出てこず導入された意図がよくわからない。そもそも、「善と悪」というほどには、主人公3人が悪いことをしているようには見えないのだ。風俗バイトの情景など出てくるものの、大変お行儀がよくセクシーさは極力抑えられている。この点が一番意外だった。マドンナって結構モラリストだったのかしらと。
 ゆるゆるな映画ではあるが、ところどころですごくきらきらしてかわいらしいシークエンスがあった。特にAKらと同じアパートに住む、視力を失った作家のエピソードがいい。彼はもう本を読むことができないのだが、本の手触りを楽しみ香りを吸い込む。しかし同時に、見えないことへの苛立ち、文字への渇望を隠せない。捨て鉢になった彼に、普段はいいかげんなAKが「あんたの詩が好きだ」と本気で話すシーンにははっとするし、この流れがあるからこそ、クライマックッスのライブシーンではつい目頭が熱くなりそうになる。マドンナにこういうものを撮る素質があったとは・・・。どの登場人物に対しても視線が優しい。マドンナ本人は、どちらかというとマッチョな人というイメージがあったのでとても意外だった。
 主演の女優2人がものすごくかわいくて、それもこの映画の大きな魅力となっている。フェミニンなブロンド美女のホリーと、ショートカットでファニーな雰囲気のジュリエットが対照的。2人がAKのアシスタントでスクールガールコスプレするところとか、キュートだった。その後、ホリーがスクールガールスタイルでストリップするのには、ハマりすぎていて笑いましたが(ブリトニー・スピアーズの曲って、やっぱり風俗くさいよな)。





『007 慰めの報酬』

 前作『カジノ・ロワイヤル』の数時間後という設定の007新作。前作のストーリーおよびキャラクターに対する説明は全く行われないので、前作を見ておかないと何が何だかということになるだろう。未見の方は合わせてどうぞ。今回の監督は『チョコレート』『ネバーランド』等のマーク・フォスター。脚本には前作から引き続き、ポール・ハギスが参加している。安定した手腕を発揮する2人が手がけているためか、手堅い娯楽作となっている。個人的には主題歌がジャック・ホワイト&アリシア・キーズなのがうれしい。タイトルロールもあいかわらずいいです。
 愛した女ヴェスパーを失ったボンド(ダニエル・クレイグ)は、彼女を裏で操っていたミスター・ホワイトを尋問する。しかしホワイトが所属する組織は、MI6内にも手を伸ばしていた。捜査の為ハイチへ飛んだボンドは、組織の幹部グリーン(マチュー・アマルリック)に、同じく彼の組織を探っていた女カミーユ(オルガ・チュリレンコ)の手を借りて接近する。
 ダニエル・クレイグ演じる地味(笑)だがアクションのキレがいいボンドが、今回もかっこいい。クレイグは、顔つきにしろ体型にしろスマートではないのだが、そんな彼だからこそ生身のアクションの面白さが出てくる。今回、アクション比率が他のシリーズ作品よりも高いらしい(そして9割スタントなしとか)が、確かにアクションをさせたくなる俳優なのかもしれない(前作でアクションがかなりできるということを証明してしまったからかもしれないが)。不死身じゃなさそうだからこそドキドキするし、ボンドを応援したくなるという面もあるのでは。フォスター監督がアクション映画を撮るというのは正直意外だったが、やや性急すぎて緩急に欠けるきらいがあったものの、タイトにまとまっている。アクションシーンと、全く関係ないシーン(お祭とかオペラとか)とを交互に切り替えつつ並行して描くという編集が反復され、最後のボンドとカミーユそれぞれの戦いの描き方につながっていくのが面白い。
 クレイグ版ボンドはストイックなのが特徴だが、今回はそれがカミーユとの関係にも及んでいる。ボンドガールとベッドインしないボンドというのはシリーズ内でも非常に珍しいのでは(前作ではヴェスパーが恋人だったが)。ボンドとカミーユとの関係は、男女というよりもむしろ保護者と被保護者のようにも見える。敵の本拠地に突撃する前に、カミーユにボンドが「人を殺したことは?」と尋ねるシーンは、先輩と後輩のようでもあった。こういう、黒とも白とも言い切れない淡い人間関係をすっと挿入してくるところは、フォスター監督らしいなと思った。ボンドと旧友マティスの奇妙な友情にしろ、CIAのフェリックスとの仁義にしろ、提示されるものはわずかだが、奥行を感じさせる見せ方だった。
 またボンドの周囲の人間関係で言うと、今回はM(ジュディ・デンチ)の占める部分がいつになく大きい。この2人の上司と部下としての関係を結構見せているのだ。ボンドがMのことを「ちょっと母親のような存在」と言及するというのも、今までのシリーズ作品では考えられなかったのでは。それにしても今回は、ジョディ・デンチがデンチ史上最高といってもいいくらいのかっこよさを見せていて痺れた。こんな上司のためならがんばるよな。 
 さて、前作から旧来のシリーズとは路線が大きく変わった007。ボンドカーから秘密兵器が出てくることはないし(そもそもボンドカーという概念がないよな)、カクテルの名前も出てこない。今までのファンを失うリスクがあるの方向転換したのは、これまでの007のお約束を厳守すると、新規のファンは入ってきにくいからではないだろうか。また、だんだんファンタジックなギミックとシリアスなドラマとのすり合わせが難しくなってきたからだろう。観客が映画に対する「ツッコミ」を覚えてしまったのも、お約束にそった設定を難しくしているように思う。もし、旧来のようなノリで派手なボンドカーを投入したら「おバカ映画」と見られかねないし、そういう設定を成立させるには、アメコミ原作映画のような世界設定を作らないと、一見さんの観客は納得してくれないのではないだろうか。今、笑いを誘わずに堂々とスパイアクションをやるには、リアル路線に徹するしかないのかもしれない。今回、敵となる組織が営利を目的とする企業(それこそ「世界征服より金だ!」という方向性)なのも、その反映では。グリーンが妙に小物じみているのも頷ける。彼は組織の中では取り換えのきく駒にすぎない。フィクションの中でも絶対的な「悪の組織」は今や成立しにくいのか。





『愚者(あほ)が出てくる、城塞(おしろ)が見える』

ジャン=パトリック・マンシェット著、中条省平訳
精神病院に入院していたジュリーは、大会社の社長アルトグに、甥っ子であるペテールの子守として雇われる。しかしペテールと共にギャングに誘拐され、誘拐犯の汚名まで着せられそうになる。こういう、いわゆる「古典の名作」には相当しないであろう作品も出してくれるのが、光文社古典新訳文庫のいいところですね。冷めた文体が魅力的な悪漢小説とでも言えばいいのか。文章が非常に映像的で、このまま絵コンテに書き下ろせそうだなと思ったのだが、実際に映画化されたそうだ(日本未公開。訳者によれば褒められた出来ではなかったようだが)。スピード感があり、アクション映画のよう。キャラクターの扱いが非情といってもいいくらいで、人物の内面はさほど見せず、読者に共感させることもないという距離感がいい。描かれるのはあくまで事象の流れだ。「泣かせる」ミステリの対極にあるような小説。





『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』

 怪事件を扱う秘密機関BPRDのエージェントにして地獄生まれの魔物・ヘルボーイ(ロン・パールマン)。彼の存在は世間には秘密なのだが、仕事中にしばしば一般人に目撃され、上司からは大目玉をくらう。プライベートでは、恋人のリズ(セルマ・ブレア)との仲もぎくしゃくしていた。一方、エルフの王子ヌアダは人間を抹殺すべく、「黄金の騎士団」の復活をもくろむ。彼の計画を阻止しようと、エルフの皇女ヌアラは「黄金の騎士団」を復活させるのに必要な王冠のパーツを持ち出す。
 監督は『パンズ・ラビリンス』で高い評価を得たギレルモ・デル・トロ。よかったな『パンズ~』当たって・・・。しかしそこで得た制作費をぶっこんだのが本作というところに、デル・トロの人柄の良さを感じる(笑)。シリーズ2作目となるが、ビジュアル面の面白さは段違いだ。トロルの市場や植物のモンスターなど、これがやりたかったんだろうなぁと実感する、力の入ったシーンだった。その反面、ストーリーの方は後半が若干やっつけ仕事っぽかったが。ビジュアル面にあまり関心のない人、デル・トロ監督のビジュアルセンスが好きではない人にとってはものたりないかもしれない。ぬけぬけとしたENDも、賛否両論(というかむしろ否)がありそう。
 デル・トロ監督は日本のアニメーションを子供の頃から見ていたそうだが、日本のTVアニメの長所と短所が色濃く反映されていたように思う。ヘルボーイが黄金の騎士団と戦うシーンの、戦っているヘル・ボーイと、周囲にいるリズたちとが妙に分断されてしまっているところ(映画の戦闘シーンは、その場全体での動きを見せるのが一般的だと思う。つまり騎士団はリズたちにも襲いかかり、そちらでも戦闘が開始されるはず)などは、個々の戦闘をピックアップしがちな日本のバトルものアニメっぽい。ヌアダ王子の戦闘服は、なんとなく和服っぽいしね(笑)。せっかくの見せ場なのに、映画のダイナミズムが削がれたみたいでちょっと残念だった。『パンズ~』の時も思ったのだが、デル・トロ監督は1シークエンスの中で複数の動きの流れを見せるのがあまり得意ではないのだろうか。
 本シリーズの魅力は、なんといってもヘル・ボーイのキャラクターにあると思う。見た目はいかつくてタフガイ風、葉巻を愛好しているが、中身は中学生男子並み。リズに「CDがあるんだからレコードはいらないでしょ!私の居場所がないわよ!」とキレられる姿や、エイブと「女ってわかんないよな・・・」とビールを飲みつつぼやきあう姿は、ヘタレ男子そのものである。タフな部分とダメな部分が同居しているところが、ヘル・ボーイのかわいさなのだろう。
 かわいいといえば、今回ヘルボーイの同僚である半魚人・エイブがちょうかわいいですよ!この純情派め!普段はクールで理知的なエイブだが、恋をするとやはり中学生男子並みである。ヘルボーイよりは、発想が大分乙女寄りかもしれないが・・・。





『アンダーカヴァー』

 1988年のニューヨーク。ナイトクラブのマネージャー・ボビー(ホアキン・フェニクス)は、警察官である父バード(ロバート・デュヴァル)と兄ジョセフ(マーク・ウォールバーグ)に麻薬捜査への協力を求められる。家族同然であるクラブのオーナーへの気兼ねから、一度は断るボビーだったが。
 特にどこがすごく優れているというわけではない、非常に平凡といえば平凡な作風なのだが、とてもいい映画だった。ここまでひねりがない作りの映画というのは、最近では珍しいのではないだろうか。80年代が舞台なのに、まるで60年代あたりを舞台としているような面持ち。ロケ地も、あえて古い町並みが残っている場所を使っているのか、昔のギャング映画のような雰囲気がある。流れてくる音楽以外に、80年代的な要素がないのだ。あえて時代を感じさせる要素を除いたように思える。監督・脚本は『リトル・オデッサ』のジェームズ・グレイ。
 ボビーはあるファミリーから、別のファミリーへと移行し、また最初のファミリーへと戻ってくる。血縁的には最終的に戻ってきたファミリーが正しいわけだが、それは果たして彼にとって幸せなこと、彼が本当に望んだことだったのか。ボビーが自分の思いとは関係なく、抗いがたい流れによって選択せざるをえなくなる。その為、友人も恋人も失ってしまう。結局は血のつながりから逃れられない、血のつながりによって余計なプレッシャーが(ボビーに限らず)のしかかってくるというところが、一層重苦しさを増す。最後、ジョセフがボビーにある言葉を投げかける。普通だったら感動的なシーンかもしれないが、私はとても恐ろしかった。この言葉によって、ボビーはまたがんじがらめにされてしまうのではないか。さらに言うなら、ジョセフは父親がいなくなり、「息子」として弟と競争する必要がなくなったからこそ、ようやくこの言葉を口に出来るようになったのではないかとも思うのだ。血の重みは彼にもまたのしかかっていた。呪いのように彼らにおしかかるしがらみが、作品全体に満ちた息苦しさとなっている。
 ホアキン・フェニックスがこれまた重苦しくていい演技を見せている。彼は俳優業はもうやめると公言したが、惜しい。しかしこれだけ密度の濃い演技をしてしまったらそれも無理ないかとも思える。後半、警察の捜査に巻き込まれるにつれて、表情がだんだんと疲れた胡乱なものになっていく。その説得力たるや、見ていてげんなりとするくらいだ。また、ボビーの恋人役のエヴァ・メンデスが予想外によかった。ちょっと崩れた感じがするところが、後半の展開に効いてくる。残念なのは邦題のセンスのなさ。内容と微妙にずれている。





『無ケーカクの命中男/ノックト・アップ』

 「~男」シリーズにしたいがために、配給会社に大分かわいそうな邦題を付けられてしまった本作。しかしすごく面白いしいい映画ですよ!と声を大にして言っておきます。うっかり目頭が熱くなりそうでしたよ私は。
 10代の頃に遭った交通事故の補償金で、仲間と自堕落な生活をしてえるベン(セス・ローゲン)。ある日クラブで、テレビキャスターに抜擢され、姉とお祝いに来ていたアリソン(キャサリン・ハイグル)と酒の勢いでベッドイン・8週間後、妊娠に気づいたアリソンはベンを呼び出す。悩んだすいえ、2人は出産に向けて協力しあうことを決めるのだが。
 ベンとアリソンは不測の事態により親にならざるをえなくなるのだが、双方不満はある。ベンは仲間とまだバカ騒ぎをしていたいし映画も見まくりたい。アリソンはやっと手に入れたキャリアを中断したくない。しかし親になるということは、これまでの生活・楽しみを別の方向にシフトチェンジしなくてはならないということでもある。これ、ありがちなストーリーだとお気楽人生を送ってきたベンが生活を改めるというだけになりそうだが、アリソンの方も完全無欠な人物ではない描き方にしているところがバランスがいい。彼女の難点は主に終盤で明らかになるのだが、ベンとは違った方向で現実的でないところ(職場で妊娠について秘密にしていたり、出産に対する知識が頭でっかちだったり)があるのだ。そんな2人が大人になるために踏ん切りをつけるまでの物語ともいえる。男女の両方の側からバランスよく描いており、「これだから男/女は」という非難合戦になることを防いでいた。ダメな男/女に対する視線にどこか優しさや共感があるのもほっとできる。
 男女のギャップはベンとアリソンよりも、むしろアリソンの姉夫婦に色濃く現れている。特に姉の夫のボヤキは、全国の既婚・子持ち男性の共感を得そうなものだ。男性は自分ひとり、もしくは同性の仲間と楽しみたいのだが、女性は夫/彼氏と楽しみたいので「なんでさそってくれないの?!」「なんで黙って出かけるの?!」となるというアレです。一人の時間がほしいんだと言うのもごもっとも(もっとも、妻の方も往々にして同じことを思っているんですが)。彼は大人になりきれていないといえばそうなのだが、その気持ちがわかるだけに悲哀が染みてくる。ただ、彼は自分を不幸だと思っているかというと、そうではないだろう。確かに独身時代のような遊びは出来なくなったかもしれないし、妻子に対する不満は山のようにありそうなのだが、家族を持つことにはまた別の幸せがあるんだぜ、ということを言外に示しているように思う。だからこそ、ボヤきつつも家庭に戻ってくるのだろう。
 なんだかアリソンの義兄にばかり肩入れしているみたいだが、アリソンの姉の言葉にも、強烈に共感するものがあった。「私はオバサンになるばかりなのに夫はシブいと言われるなんてずるい!」というもの。全くだ。こと加齢に関しては、女性の方が絶対損してるよなー。





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