3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2008年12月

『冷蔵庫のうえの人生』

アリス・カイパース著、八木明子訳
 産婦人科医の母親と15歳の娘とがやりとりしたメモのみで構成された小説。買い物リストや学校のテスト、おこづかい、ちょっとした諍いのやりとりに混じって、母親が病に冒されたことがわかってくる。メモのみという縛りがあるので、出せる情報量が限られているのだが、よく工夫してあるなと思った。メモに残されていない部分で何がおこり、どういうやりとりがされたのかという流れが想像できる。しかし、やはりものたりない(読み足りない)。とにかく文章量が少ないので、あっという間に読み終わっちゃうんだもんなー。もっとも、母親と娘の間のイライラ感や、ちょっとした食い違いでケンカに発展する危うさは上手くとらえられていてニヤリ(いやヒヤリかも)とした。母親が発病してからの流れが急展開すぎるのがちょっと気になる。





『やがて目覚めない朝がくる』

大島真寿美著
 女優だった祖母、祖母にとっては嫁にあたるが妙にうまがあっていた母、そして失踪した父の思い出を回想する有加。一風かわった家族だったが、祖母の魅力的な友人達に囲まれて彼女は育った。一歩間違うと昔の少女マンガかメロドラマかという雰囲気になりそうだが、有加が冷静なキャラクターであり文章の客観性が保たれているため、踏みとどまっている感じだった。有加の祖母も母親も、そして有加自身もはたから見ると波乱万丈な人生なのかもしれないが、当人達はさほど人生に振り回されてはいない(もしくは振り回されたとしても、それで人生が終わったようには思っていない)。波乱万丈な運命は、それに耐えうる人のところに訪れるものなのかもしれない。しかしこんな人達に囲まれていたら、耐えられない人もいるだろう。有加の父親の気持ち、わからなくもない。






『未来を写した子供たち』

 インド、カルカッタの売春窟を訪れた写真家のザナ・ブリスキは、そこに子供たちが多く暮らしていることに驚く。やがて子供たち相手に写真教室を開くようになったブリスキは、子供たちをこの環境から助け出したいと手を尽くすが、多くの困難が立ちはだかる。第77回アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞作品。
 写真は、とりあえずカメラのシャッターをおせば誰にでもとれる。記録方法、表現方法としてはお手軽だし、だからこそ「いい写真」の基準は難しいなと前々から思っていた。しかし本作に出演している子供たちの写真は、下手に撮影慣れしていなくて、初々しくていい。対象をよく見ているなという感じがする。子供たちがカメラを手にしたときのはしゃぎ方がほほえましい。ただ、時にびっくりするほど大人びた発言をする子もいて、アンバランスでもある。このままの環境だと数年後には体を売ることになるだろう女の子達もいて、大人にならざるを得ないんだろうとも思う。
 予告編を見た段階では「確かにこの子たちはカメラを手にできたかもしれないけど、それはこの子たちが特別だったからなのか?他にも同じような環境にいる子供たちは山のようにいるのでは?」ともやもやしたものを感じていた。しかし子供たちに対するブリスキの態度は、ボランティア活動やNPO活動というわけではなく、友人ないしは遠縁のお姉さん的なもので、自分の活動はあくまでプライヴェートなもの、と定義しているように思えた。もし彼女が、正義感や使命感に駆られて行動していたのだったら、本作は上から目線で鼻持ちならないドキュメンタリーになっただろう。かかわりあってしまった子だけはなんとかならないか、という彼女の多少乱暴ともいえる行動が、本作を誠実なものに留めているように思った。
 その誠実さは、本作の最後に最も窺えると思う。本作が示したかったのは、「カメラを手にしたことで隠された才能が!」ということでも「どこの世界にいても子供たちは純真!」ということでもないだろう。エンドロール前に、子供たちのその後を説明した短いテロップと映像が流れる。そこから発せられているのはブリスキと映画スタッフの無念さだ。確かに、カメラとの出会いで世界が変わった子もいる。しかし、「ここまでやっても・・・」という無念さがそれを上回るのだ。





『デス・レース』

 冒頭の「経済破綻して失業者増大。あちこちで暴動が!」とかというテロップがここ数ヶ月の社会情勢と相まって、必要以上に生々しくなってしまった・・・。これ、いつ頃撮影していたんだろう(笑)。手堅いB級映画を着実に撮り続けているポール・W・S・アンダーソン監督作品。なお本作は「デスレース2000」のリメイクだそうだ(私は見たことはないです)。
 政府の財政難により、民間が刑務所運営するようになった2012年のアメリカ。製鉄所をクビになった元レーサーのエイムズ(ジェイソン・ステイサム)は妻殺しの汚名を着せられ、凶悪犯罪者を収容する刑務所、ターミナル・アイランドに収監される。そこでは囚人同士を命がけで競わせる「デス・レース」なるカーレースが催され、全世界へ中継されていた。エイムズは所長ヘネシーに、レースで死んだ人気レーサー・フランケンの身代わりとして、レースに衆生しないかと話を持ちかけられる。そういえばステイサムは、近作『バンクジョブ』でも金に困っている・愛妻家・車好き(「バンクジョブ」では中古車ディーラー)な役だったな・・・。
 よくもわるくもぬるい娯楽作品で、正直途中眠くてたまらなくなった(というか10分ほど意識が途切れた)。が、途中で多少寝たとしても全く問題なさそうだ。とりあえずレースして生き残れ!というわかりやすい設定。レーシングカーにはマシンガンやらミサイルやらが搭載され、レースのコース上には「攻撃」「防御」の各ポイントが設置してあり、最初にポイント上を通過した車に攻撃ないしは防御が許可されるという、ゲーム的な要素が強い。ただ、ゲーム性が強いわりには自動車は地味だし、レース展開はメリハリにかける。デスレースは4ステージから成るのだが、2時間弱の映画の中で4レースやるのはちょっと厳しかった。車のデザインも、中途半端にリアル路線にするよりは、思い切ってハデなものにしてしまってもよかったのではないかと思う。レースシーンのカットが細かすぎて、迫力やスピード感が却ってなくなってしまったのも残念。
 しかし何よりレースシーンの面白さをスポイルしているのは、所長が簡単にレースのルールを変更してしまうところだろう。視聴率の為に小細工してレースに盛り上がりを!というのならともかく、後半はすっかり私怨の為にルール変更してしまっている。太刀打ちできないくらい強い敵が出てきちゃったら、見世物としては全然面白くないでしょ。この所長、レーサーが死ぬたびに大変いい表情をする、なかなか味のあるキャラクターなだけに惜しい。ライバルのレーサーたちも、もっとキャラたててあげてほしかった。
 

『俺たちに明日はないっス』

 さそうあきらの同名マンガをタナダユキ監督が映像化した。脚本は『リンダリンダリンダ』の向井康介。向井は同じくさそうあきら原作の『神童』の脚本も手がけている。なお、さそうあきら本人も本作にカメオ出演しているそうだ。
 同級生の友野(三輪子)とヤりたくてしょうがない比留間(柄本時生)は、友野と担任教師の不倫をネタに、半ば脅して友野を海へさそう。一方、比留間の友人・峯(遠藤雄弥)は初潮を迎えて困っていたちづ(安藤サクラ)を助けるが、予想外に彼女との仲が進展しそうでしどろもどろになる。ぽっちゃり体型の安パイ(草野イニ)は、豊かなバストをからかわれていた秋恵(水崎綾女)とイイ感じになるが。
 17歳の高校生6人の恋愛(なのか?)模様を描く。比留間パートの一部から始まり、峯パート、安パイパート、そして比留間パートという、長編1本なのだがちょっとオムニバス映画のような雰囲気もある作品。なお原作は実際に短編集だったそうだ。性欲は旺盛だが女子にどうアプローチしていいのかわからずグルグルする男子の青春映画というと、最近の作品では『グミ・チョコレート・パイン』が連想されるが、高校生達の雰囲気は大分違う。『グミ~』の主人公は片思いの相手に何もいえない・何もできないのだが、本作に出てくる男子たちは、結構直接的にセックスへ話を持っていくし、実際やってしまう子もいる。なのだが、欲望のあり方は『グミ~』よりも衝動的かつ希薄で、湿度が低い感じだ。これは監督の作風もあるだろうが、何より時代背景の違い(『グミ~』は80年代、本作はおそらく90年代)があるのではないだろうか。
 題名に「明日はないっス」とある通り、少年少女が主人公ではあるが、将来への展望・希望みたいなものはあまり感じられない。比留間が卒業式で担任のある言葉にキれるように、若いがだからといって何もできない、という境遇なのだ。決定を先送りして漂うか、もしくは峯のように早々と将来を決めてしまうかどちらかなのだろう。遠くが見えない息苦しさを感じる。爽快な青春映画というわけにはいかなかった。
 予告編から下半身ネタが多発することが予想されたので、もっとえげつないと思っていたら、そうでもなかった。男性監督が撮ったら、男子たちの生態はもっと生々しくていたたまれなくなったかもしれないが、女性視線が入るというところで、「ホント男子ってバカなんだから」程度に留まったかもしれない。男性が撮ったら(監督のパーソナリティにもよるが)自己嫌悪みたいなものがより濃く入ってきたんじゃないかなと思う。一方、女子たちの造形は少々ギャルゲっぽくて、生の女子という感じではなかった。女性監督だから女性の造形が生々しいかといったらそうでもないのね・・・。むしろ女性が考えた、男性が考えそうな女子、という感じの造形だったと思う。





『ザ・フー アメイジング・ジャーニー』

 いわずと知れたイギリスの大ベテランバンド、The Whoの軌跡を追ったドキュメンタリー映画。1964年のデビューから既に40年以上が経過し、解散、再結成を経てオリジナルメンバーのうち2人は既に亡くなっている。残った2人もいいおじいちゃんである。なぜ今さらドキュメンタリーなのだ?と思わなくも無かったが、本作を見ると、今だからこそ撮れたドキュメンタリーだということがわかってホロリとした。
 私はザ・フーの大ファンというわけではないのだが、かなり面白かった。メンバーのプロフィールを紹介し、過去のライブ映像と、本人らとマネージャーや後輩であるミュージシャン(セックスピストルズ、スティング、パールジャム、オアシス等々関係者へのインタビューから構成されたスタンダードな作品(章立てされた構成が少々うっとうしくもあるが)だが、最も興味深かったのは、ボーカルであるロジャー・ダルトリーと、バンドの軸でありメインソングライターであるピート・タウンゼントのお互いの認識のありかたの変化だ。というよりも、ロジャーとザ・フーというバンドの関係と言った方がいいかもしれない。ピートはインタビューの中で、デビュー数年後(「トミー」発表以前)にロジャーがメンバーをボコボコにしバンドを追放されたことについて、「あいつの苦悩を理解していなかった。ジョン(ベース)もキース(ドラム)も俺も天才だ。しかしあいつはただのシンガーだ」と言い放つ。ちょwwwピート自重www。
 しかし確かに、ロジャーは華のあるボーカリストというタイプではないし、個性が突出しているわけでもない。そんな「普通のシンガー」だったロジャーが、追放解除(笑)されてから「トミー」で一発逆転する。ザ・フーの曲を表現する為の「声」に徹することで、ついにバンド内での自分の立ち居地を確かなものにし、メンバーの信頼を勝ち得たのだ。バンド迷走期や再結成にまつわるロジャーのメンバーに対する友情と男気にはホロリとさせられる。
 さて、そのロジャーとピートだが、おそらくこの2人は性格的には重なる部分はあまりないし、相性は悪そうだ。実際、インタビュー内でも言っていたが、一旦解散するまではずっと仲が悪かったらしい(今もあまり仲良しな感じはしない)。しかし音楽という「仕事」の場になると、ピートはロジャーのことを自分の曲にとっては最高の表現者と評するようになった(「ただのシンガー」がここまで!)し、ロジャーはピートを「あいつは天才だ」と言い切る。人間的に相容れない同士が、30年かけて信頼関係を築き今また一緒にツアーをやっているというところに、人間関係の不思議さを感じた。あと、彼らのヒストリーが第二次大戦直後から始まるのが軽くショックだった。確かにそういう年齢だが目の当たりにすると衝撃度が違うわ。





『サラマンダーは炎の中に(上、下)』

ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳
 インドで育ったイギリス人・マンディは、学生運動が盛んだった60年代の西ベルリンで、急進派学生セクトのリーダー、サーシャと出会う。冷戦時代からイラク戦争まで、30余年にわたる2人のスパイの友情とその末路を描く。しかしなんと皮肉な末路なのか。マンディは自分が信じていた(と彼が思い込んでいた)ものすべてに裏切られる。思想にも国家にも(本人に自覚はないのかもしれないが)人間にも。特に大国が個人や集団をのみこんでいくことに対する著者の怒りが感じられる。しかしマンディがある信念・思想を持っていたのかというとそれも怪しい。彼はその場その場に順応し、すぐに感化される。根っからのスパイともいえるが、それは何のための、何に対するスパイだったのか?彼にとっては国や思想というよりも、サーシャという友人についていくことが重要だったかもしれない。しかしサーシャは、彼が信じるほど大した人物だったのだろうか。彼は国家にも思想にも親友にも、自分が見たいと思う幻影を見ていたように思えてならない。だからこそ彼らの友情がかなしいのかもしれない。





『びっくり館の殺人』

綾辻行人著
 「びっくり屋敷」と呼ばれる妙な噂のある家。その家に祖父、そして奇妙な人形リリカと住む少年トシオと仲良くなった三知也。しかしある日、密室殺人の第一発見者となってしまう。館シリーズとしては異例の短さ。しかし、本格ミステリとしてのタイトさ、枝葉の少なさはシリーズ内随一かもしれない。なるほどそっちがフェイクか!しかしラストのひとオチは、個人的には不要だったなぁ・・・。しかしこの部分が著者の持ち味なだけに、むげに否定できないのだが。これを許容できるかどうかが綾辻作品との相性一致不一致の分かれ目かも。





『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』

 ベトナム戦争映画の撮影の為、ベトナムのロケ地へやってきた、落ち目のアクションスター・スピードマン(ベン・スティラー)、下ネタギャグで人気だったが芸風を広げたいコメディアン・ポートノイ(ジャック・ブラック)、根っからの役者バカで黒人兵役の為に肌を黒くした演技派俳優・ラザラス(ロバート・ダウニー・Jr)。しかし全員わがままばかりで撮影は進まず、監督はプロデューサーから首切りをちらつかされる。追い詰められた監督は、リアリティを追求する為3人をジャングルに放り込み、隠しカメラで撮影すると宣言。しかしそこは、麻薬製造所がある本当の無法地帯だった。
 悪ノリおバカコメディかと思っていたら、予想外にガチなハリウッド批判に演技論、俳優であることのアイデンティティーに真正面から取り組んだ力作。ベン・スティラーが監督としての手札を全部出したような気迫に満ちている。もちろん、普通に下ネタ寄りのコメディとしても見られるし、血肉が踊るスプラッタ(予想以上にバイオレンス)としても楽しめる。しかしそれ以上に、映画好き、特にハリウッドの映画製作事情に詳しい人、ベトナム戦争映画を網羅している人なら笑わずにはいられない部分が多々ある(はず)。私はハリウッドはともかく、ベトナム戦争映画にはいまひとつ疎いので、「あれは多分あの映画・・・」くらいのことしかわからなかったのだが。ともあれ、ベン・スティラーのハリウッドに対する愛憎と恨みつらみが炸裂していることはよくわかった。
 そして予想外だったのだが、笑い以上に心に残るのが、スピードマンとラザラズの俳優としての業の深さ、そしてそれを演じるスティラーとダウニーJrの業の深さへの自覚だ。ラザラスたちとスピードマンとがそれぞれ違った形で「俳優」として戦いを挑むクライマックスには思わずぐっときてしまうし、ひどいめにあいつつも、それでもやっぱり俳優業が好き!映画が好き!という思いが詰まった終盤のやりとり(冒頭の反復になっているのもきれいにまとまっていていい)には目頭が熱くなりそうである。案外真面目に、演技論を語っているところは意外だったが。そして俳優の業といえば、悪辣プロデューサー役の「あの人」など最たるものである。わりとウキウキ感漂う演技であるところがまたすごい。この映画は、「あの人」のようなスターやその出演作にも矛先を向けているのに。本物のスターは心も広いのか・・・。
 しかし最後のオチは、ちょっと微妙なところもあると思う。彼らが受賞したのが、当初撮影予定だった「リアルな戦争映画」なのか、私達映画の観客が見てきたような「戦争映画の撮影だと思い込んだ俳優達が本物の戦場に放り出される実録映画」なのか、判断しかねるからだ。後者だとすると、よりブラックなオチであると思うのだが・・・。
 なお、本編前に、スピードマン、ポートノイ、ラザラスが主演する映画のフェイク予告編があるので必見だ。とくにゲスト出演しているトビー・マグワイアはMVP級。エロい!
 





『バンク・ジョブ』

 ロンドンで中古車販売業を営むテリー(ジェイソン・ステイサム)は幼馴染の美女マルティーヌ(サフロン・バロウズ)から、銀行強盗をやらないかと話を持ちかけられる。借金を抱えているテリーは悩んだ末に、7人の仲間を集め銀行の貸金庫を狙う。しかしその貸金庫には、政治家や警察官、果ては王室までまきこむスキャンダルのネタが預けられていたのだ。
 実際にあった事件を元にした物語だそうだ。事実は小説より奇なりとはよくいったものだが、この事件について今まであまり耳にした事がないのは、やっぱり王室がらみだからプレッシャーかかってたのかしらなどと勘ぐってしまう。映画には実在の人物をモデルにしたと思しき人達(最後に、プライバシーのために名前は変えてありますということわりが表示された)や、実在の人物の名前もぞろぞろ登場する。
 しかし、その「実話ネタ」な部分はあまり膨らませず、銀行強盗団に焦点を当て、MI5、警察、そしてギャングと左翼黒人活動家の暗躍についてはさほどつっこまない。そこがもったいない感じもする。各々を主人公とするだけで映画1本撮れそうなのだ。しかし、あえてさっくり割愛したところが潔い。また、血沸き肉踊りそうな題材なのに妙に飄々、時に殺伐とした雰囲気なのは、監督の持ち味なんだろうか。それとも舞台であるロンドンの町並みのせいか?映画内で「寒い寒い」と連呼されているからかもしれないが、グレーの空の下のグレーな街は寒々として見える。
 銀行強盗団のメンバーは殆ど前科もちだが、基本小物なので犯行には穴が多く、ちょっとしたミスからほころびがどんどん広がっていく。そもそも、テリー以外にあまり賢いメンバーがいなさそうなので(ジェイソン・ステイサムが賢い人の役をやるのは珍しいような・・・ってごめんステイサム・・・きらいじゃないんですよ・・・)、計画がいつ失敗してもおかしくない、いやなハラハラ感があるのだ。そして案の定、MI5とギャングが容赦なく彼らを追い込んでいく。強盗団が一番人がよさそうで、MI5とギャングは悪辣なのだ。しかしその悪辣さもまた魅力的である。特にギャングの親玉を、日本ではTVドラマ「名探偵ポワロ」でおなじみのデヴィッド・スーシェが演じており、奇妙な味わい深さが。
 そのほかキャスティングでは、主演のステイサムの好演が意外だった。ステイサムといえば派手なB級アクション!というイメージを勝手に持っていたのだが、こういうこじんまりとした佳作でも結構はまっている。イギリスの労働階級という役どころがよかったのかもしれない。肉体派であまりお金持ってなさそうなキャラを演じると妙にはまっていた。また、ヒロインのサフラン・バロウズは、ちょっとスレた感のある美女で良い。ファッションもおしゃれで、見ていて楽しかった。
 なんにせよ、映画内でも言われているけど、ゆすりのネタは銀行に預けない方がいいよ!あと不道徳な行為におよぶ時は重々気をつけような!というお話でした。
 





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