3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2008年11月

『縞模様の霊柩車』

ロス・マクドナルド著、小笠原豊樹訳
探偵リュウ・アーチャーのもとに持ち込まれた相談は、依頼者の娘の交際相手の調査。その娘・ハリエットは自称画家の男・デイミスと結婚すると言って家を飛び出したのだ。彼女は25歳になると多額の財産を相続するという。デイミスは財産目当てなのか?心理学的な解釈にはさすがに古臭さがあるが、家族だからこそ生じる愛憎は時代に左右されにくい題材だと思う。特に、ハリエットが父親に似て不美人であるという設定は、意地が悪いといえば悪いが妙に説得力がある。ちょっと身につまされるわ・・・。また、アーチャーは典型的なハードボイルド小説の探偵であり、あくまで事件を観察する目という側面が強く、実はタフなヒーローというわけではない。自分が当事者になることはできないのだ。「わたしは今でも好感を抱いていますよ。しかしそれはわたしの問題です」というセリフに彼の存在のあり方が象徴されていると思う。





『電化製品列伝』

長嶋有著
ちょっと懐かしさ漂う壮丁にひかれてつい買ってしまった(壮丁にひかれて本を買うことは、私はめったにない)。近年の小説のうち、電化製品が印象的に描かれている作品をピックアップした書評(一部映画もある)。ほとんどが日本の作品だが、国内の慣れ親しんだ電気製品(商品名までわかるくらいの)の方が読んでいて親しみがわくしピンとくるからでしょうね。マテリアルに対する著者の愛がうかがえる。軽い書評集としてはもちろん楽しめるし、特に最近の日本小説を扱った書評集としては貴重だと思うのだが、それ以上に著者が小説を書く時に何を重視しているのか、どう書こうとしているのかということが垣間見える。著者の小説論としての側面が興味深かった。





『壁抜け男の謎』

有栖川有栖著
 王道謎解き小説である表題作をはじめ、本格ミステリあり、ホラーあり、幻想小説あり、SFありのごった煮的な短編集。以前出た短編集「ジュリエットの悲鳴」の姉妹本みたいな感じか(装丁も同じコンセプト)。とりとめもないといえばとりとめもないのだが、こんな一面もあるのねという著者の作風のバラエティを楽しめる。また、幻想風味の強いものには著者のロマンチストな部分が如実に表れていて少々気恥ずかしくもあるのだが、それもあなたのいいところ。





『火村英生に捧げる犯罪』

有栖川有栖著
 表題作を含む短編集。雑誌から携帯サイトまで掲載された媒体が幅広いためか、バラエティに富んでおり、軽めの作品が多い。ガチな本格度を期待した人には物足りないかもしれないが、箸休め的に楽しめる。作風が軽めの作品が多いせいか、火村、アリスをはじめレギュラーキャラクターの言動にいつになくかわいげがある。本格ミステリ以外の部分が強化されているというか、いい意味で隙があるというか・・・。ともあれ、小技もそこそこ堪能でき、ファンとしては楽しめた。ちなみに本シリーズ内最弱の犯人が登場する。そのしょーもなさも見どころ。そして、収録作品中2編でネタが被っていることに、わざわざあとがきで言及してしまうところに著者の人柄を見た。いや別にそこを糾弾したりはしませんよ先生・・・(笑)。しらばっくれちゃってもいいのになぁ。





『オリンダのリストランテ』

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで食堂を営むオリンダ(リタ・コルテセ)。彼女は商売をやめ、食堂を売りに出そうとしていた。そんな時、ドイツからの旅行者ペーター(アドリアン・ウィッケ)が転がり込んでくる。彼はかつての恋人が忘れられずブエノスアイレスまで追ってきたのだが、泥棒にあって一文無しだった。見かねたオリンダは彼を店に寝泊りさせる。監督はパウラ・エルナンデス。日本では期間限定上映のようだが、なかなかじんわりとくる佳作だった。
 食堂が舞台なのだが、料理があまり出てこないし、また出てきてもあんまりおいしそうではない(笑)。このへんはちょっと残念だった。そこそこお客は入っているのだが、オリンダは妙にけんか腰だし、ウェイターの態度もつっけんどんだし、大丈夫なのか?という気分になってくるのはご愛嬌。店の雰囲気はいいので、そういうところも含めて地元になじんでいる店なんだろうなと思える。
 オリンダは食堂を手放すかどうか、正直なところ迷っている。しかしペーターが現れたことで、一つの区切りをつけるのだ。またペーターも、店の常連客らと接することで、やはり一つの区切りをつける。それはほろ苦いことでもあるが、人間いくつになっても一歩を踏み出せるぞという希望を感じさせた。思ったようにいかなくても、それはそれで悪い結果だとは限らないのだ。オリンダと男性常連客との微妙な関係の顛末も、初々しくてなんだかほほえましい。
 ペーターはある人を追って異国にやってきたが、オリンダもかつてある人を追ってブエノスアイレスにやってきた。彼女はイタリアからの移民なのだ。そうえばブエノスアイレスは、移民が多い町だったんですね。オリンダはすっかりブエノスアイレスになじんでいるが、故郷を忘れたわけではない。またペーターも親とのしがらみがあり母国には複雑な思いがあるようだが、それでも自分の故郷を「美しい町」と言い切る。人間、故郷を忘れるのはなかなか難しい。しかし同時に、人間どこででも生きてはいけるというたくましさも感じる。
 ところで「あまりおいしそうではない」と前述した料理だが、唯一おいしそうに見えたのが、オリンダとペーターが一緒に料理をして次々に食べていくというシークエンス。料理は誰かと一緒に作って食べるのが一番おいしく感じられるかもしれない。





『ヤング@ハート』

 アメリカ、マサチューセッツ州の町ノーサンプトンで結成された、平均年齢80歳の男女混声合唱団「ヤング@ハート」を追ったドキュメンタリー。監督はスティーブン・ウォーカー。クラシックやカントリーを歌う高齢者合唱団は多々あるだろうが、彼らが歌うのはロックやR&B。なんとクラッシュ、ラモーンズ、ジェームス・ブラウンやビージーズ、トーキングヘッズにソニックユース、最新のものではコールドプレイまでレパートリーには含まれている。
 ロックは怒れる若者のものと相場が決まっていたわけだが、同じ曲でも歌う人の年齢が違うと、その意味合いや味わいが大分変わってくる。90歳こえた女性が「Should I Stay Or Should I Go」などと歌うと、えっ逝っちゃうの?!と思わずドキリとするし「FOREVERYOUNG」や「GOLDEN YEARS」に至ってはその重みに涙してしまう。また、メンバーを亡くした(何せ平均年齢が高いので、メンバーが他界することも珍しくない)後で歌われる「FIX YOU」にはとてつもなく優しさを感じるのだ。
 もっとも、メンバーは最初からこれらの曲を「いい曲!」と思っているわけではない。むしろ、歌詞はともかく音楽的には全然わからんと思っている。曲をチョイスするのは合唱団のコンダクターでありリーダーであるボブ・シルマン(メンバーより大分若い)。彼の選曲には、名曲だからというのはもちろんだが、「この曲をじいさんばあさんが歌ったらウケるぜ!」という意図が絶対にあると思う。歌詞の意味合いによっては結構意地の悪い(聞いている人をどきりとさせるような)選曲もある。しかし、だからこそスリリングであり面白いのだ。メンバーもそれに気を悪くするというよりも、それを面白がり「これはショービジネスだからね」と歌手に徹するプロ意識の方を強く感じさせるのだ。みな結構タフ。彼らが歌詞を手がかりに曲をねじ伏せる様は痛快でもある。もっとも、なかなか覚えられなくてボブが四苦八苦するのだが、それも面白いのだ。
 ところで、アメリカの老人は平気で車を運転するし相当スピード出しますね。大丈夫なのか?!とハラハラするが、車社会だから普通のことなんだろうなー。





『レッドクリフ Part1』

 西暦208年の中国大陸。策略に長けた曹操は年若い皇帝を操り、劉備の軍勢を追っていた。劉備は隣国の孫権と同盟を結んで曹操に対抗しようと、軍師・孔明(金城武)を送る。しかし孫権に使える老臣たちは曹操におびえ、降伏を進言していた。孔明は孫権軍の司令官・周瑜(トニー・レオン)の統括力に感心する。周瑜も孔明の機知を人柄を知り、徐々に信頼を寄せるようになる。一方曹操は孫権に降伏を迫っていた。
 「三国志」内の「赤壁の戦い」エピソードを抜粋し映画化した作品だそうだ。ジョン・ウー監督はどうしてもこの企画を実現したかったらしく、制作費には自腹も切ったとか。気合満点なだけあって、多少大味ではあるが、迫力あって楽しい活劇になっている。難点は2部作なので一番盛り上がったところで終わるというところか(笑)。見に行く人は必ずPart2も見るつもりで行かないと、フラストレーションが溜まるだろう。
 私は三国志について殆ど知らないので、(日本公開版だけなのかもしれないが)冒頭に三国志のストーリー上の「これまでの流れ」が解説されるのが大変ありがたかった。三国志既読の人には余計なお世話なのだろうが、初心者にはこれがないと何がなにやらわからない。同じ理由で、劇中、何度も登場人物の名前をポジションが字幕表示されるのもありがたかった。三国志ファンよりは三国志ビギナー向けを意図したのだろうか。
 三国志といえば劉備なのかと良く知らないなりに思っていたのだが、本作では劉備にはあまりスポットは当たらない。むしろちょっとかわいそうな扱い(人徳はあるがぱっとしない)である。曹操にしても女の為に隣国に攻め入るような暴君(頭はいいが)として描かれているので、2人のファンには不満かもしれない。本作の主人公はあくまで孔明と周瑜である。2人がどういうキャラクターであるか、なぜ互いに信頼を寄せるようになったかというエピソードは、かなり時間を割いて描かれている。少々くどいくらいである。馬の出産はともかく、琴の合奏をするシーンは双方妙に色っぽくて、えっこれは何の罠(・・・)かな!と思った。金城とレオンがお互いになんとかしてこいつをたらしこもうとしている様には、妙に鬼気迫るものがある。
 特に孔明を「人たらし」として造形しているところが興味深い。正直、本作中ではあまり頭よさそうに見えない。しかし非常にチャーミングである。真面目な話、人と集める、統括していくには人をひきつける魅力が不可欠なんでしょうね。これは劉備に関しても同じなのだが、「自然と周囲に人が集まる」というのが強者の条件なのかもしれない。
 なんといっても合戦ものなのでアクションも盛りだくさんだが、「軍と軍が戦う」という感じではなく、結局ガチンコ勝負に帰結してしまったあたりが残念。それ、軍師いらないわ!・・・ではあるが、アクション映画としてはガチンコの方が面白いんだよなー見た目派手で。ともかく楽しげな映画ではある。後半も楽しみ。





『天国はまだ遠く』

 京都の里山にある「絶景の宿 民宿たむら」にとまった千鶴(加藤ローサ)は、大量の睡眠薬を飲んで自殺を図る。が、気づくと日が昇っており、階下では宿の主・田村(徳井義実@チュートリアル)が朝食の準備をしていた。
 瀬尾まいこの同名小説を、長澤雅彦監督が映画化。原作を読んだ時は、ちょっと甘めすぎるんじゃないかなぁと思ったが、映画でも同様の印象を受けた。特に映画の方では、千鶴が自殺するほどの何かを持っているようには見えないのだ。演じる加藤ローサは基本的に「しあわせオーラ」を発揮しているタイプの女優(顔立ちもキュートで薄幸とは縁遠そうだし・・・)であるように思えるし、千鶴が抱えている問題についても、あまり具体的に触れられない。軽いパニック障害があるのかな?くらいのものだ。もちろん、人が抱える苦しさは比較できないものなのだが、そこまで話が深くならず切実感が薄いので、なんとなく「田舎で自分探し」みたいな長閑な感じになってしまう。
 しかしそれでも、田舎暮らしをユートピア化することなく、誠実に描こうとはしていると思う。村田が周囲の農家からはちょっと浮いている様子、この土地にはある事情の為に留まっている様子、また隣家の老夫婦の生活感など、あくまで地に足の着いた演出だ。特に隣家の夫婦のキャラクター造形はなかなかよく、この人達も紆余曲折してここまで来たんだろうなと(夫の意外すぎる過去の職業含め)思わせる説得力があった。
 加藤も徳井も決して演技が達者というわけではないのだが、ロケ地の魅力に大分救われている。ロケ地は天橋立で知られる京都府宮津市。秋の山の風景が実に美しい。天橋立もしつこく出てきて、観光映画としての側面も強い。というか正にロケ地アピール映画。たしかにいい場所だが・・・。この「観光」ぽさが地に足の着いた演出とミスマッチだったかなとも思う。





『しあわせのかおり』

 小さな中華料理店「小上海飯店」に通うデパート勤務の貴子(中谷美紀)。デパートに出店しないかと店主の王(藤竜也)を説得し続けたが、王は首を縦に振らなかった。そんな折、王は病気で倒れる。リハビリしたものの後遺症が残り、以前のように厨房に立つのは難しかった。貴子はそんな王を見て「弟子にしてほしい」と頼み込む。監督は三原光尋。
 とにかく料理がおいしそうの一言につきる。空腹時に見るのはお勧めしないし、見た後は中華料理が食べたくなる。王の店はいわゆる「町の中華やさん」なので、気取った料理、華やかな料理はあまり出てこない。しかし魚の蒸し物にしろ、ブタの角煮にしろ、そして王の名物料理である卵とトマトの炒め物にしろ、ごくごく自然においしそうなのだ。貴子が言うとおり、毎日食べたくなる料理というのはこんな感じなんだろうなぁと思う。料理と、料理を作るシークエンスはすごく丁寧に撮っている映画。料理を通じて貴子と王の間に絆が生まれる(そういう意味では、最後に2人で卵いためを作るシーンは象徴的)ので、料理をきちんと描くことは必須だったのはわかる。
 しかし、映画全体としてはつじつまが合わず気になったところも。貴子が自転車で王の店にやってくるシーンがあるのだが、後に王が貴子の家を尋ねるエピソードを見ると、電車とバスを乗り継いでいる。自転車でいける距離とは思えない(駅に置き自転車をしていたとも考えられるけど・・・不自然だよなぁ)。また、貴子は一応母親として料理を毎日しているのだが、その割には自宅で卵とトマト炒めを再現しようとしたものが下手すぎる。この腕前から1年で終盤の腕前になるというのは飛躍しすぎではないだろうか。見た目は悪くないけど味は全然違うよなーとか、そんな演出でも十分意図は伝わると思うが。他の部分がきちんとしているだけに気になった。全部がファンタジックだったりコミカルだったりしたら、多分気にならないのだろうが。
 また、王が故郷へ帰るエピソードはいらなかったんじゃないかなと思った。何か観光地アピール的な含みがあったのかもしれないが(笑)、少々冗長に感じた。藤竜也の中国語なまりの日本語が、なんちゃって中国人しゃべりに聞こえてしょうがなかったのも残念。藤竜也は個人的に好きなんだが・・・。







『その土曜日、7時58分』

 原題(Before the devil knows you're dead)の方が内容に即している。『12人の怒れる男』のシドニー・ルメット監督、84歳にしての快心作だ。ニューヨーク郊外の小さな宝石店に強盗が入った。店員の女性が抵抗し、強盗は女性が撃った弾で死亡、女性も強盗に撃たれて瀕死の状態に。店の前から車で逃げ去ったハンク(イーサン・ホーク)は、実は店員女性の次男だった。兄のアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が強盗計画を立て、金に困っていたハンクに声を掛けたのだ。しかしビビリのハンクは自分では実行できず、知り合いを計画に引き入れてしまったのだ。
 いきなり「強盗当日」から始まり、事件を基点にその何日前の誰々、その何時間後の誰々というふうに視点と時間が錯綜する。しかしストーリーの軸はブレず見ていて頭が混乱することもないのは、構成の上手さだろう。意外にすっきりとまとまっているし、終盤は怒涛の展開を見せる。非常に作品内時間の密度が高い作品だと思う。
 主要な登場人物が父・長男・次男の3人のみなのもすっきりとしていると感じられる一因か。しかも演じる俳優が3人とも上手い。シーモア・ホフマンは自尊心と卑屈さの入り混じった屈折したキャラクターを好演している。この人は常にちょっとひねった性格のキャラクターを演じるので、たまにはどストレートな善人姿も見てみたい。その弟役のイーサン・ホークは、久々に出演作に恵まれたなという印象。「かわいいけどアホの子」という役どころが若干もの哀しくもあるが。そして父親役のアルバート・フィニー。正直、最初はこの役はべつに彼でなくてもいいのではと思ったのだが、終盤の鬼気迫る表情には、やはりこの人が演じるべくして演じたのかと納得。キャスティングが全般的にうまくはまっていたと思う。
 一見普通の父息子(仲良くもなく悪くも無く)であるが、3人の間に流れるものは濃い。それぞれがそれぞれに対して抱いている思いがドロドロと出てきて、嫌な緊張感満点である。物事が悪い方に悪い方に転がっていくという緊張感だけではなく、3人の人間としての暗部が徐々に見えてくる不穏さに満ちている。特にアンディがハンクと父親に向ける感情は痛々しくもある。そしてアンディには「できなかった」ことが父親には「できる」。しかしその理由は同じものである。つまり家族であるということなのだ。もし3人が赤の他人だったら、物事はもっとシンプルだったかもしれない。他人だったら「まあしょうがないわな」と諦めがつくことが、なまじ身内なだけに諦めがつかずよけいな感情をどんどん抱え込む破目になるのだ。
 それにしても、ハンクがあまりに使えない奴なので見ていてフラストレーション溜まりまくりだった。なぜそこでそーなる!いくらなんでも失敗しすぎ!犯罪やる時はパートナーは選ばないといかんなぁと実感しました。なお、カーター・バーウェルによる音楽が不穏さをあおっていてよかった。





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