3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2008年10月

『子午線を求めて』

堀江敏幸著
 グリニッジ以前から存在していた、フランス独自の子午線であるパリ子午線。その痕跡を探す散策を綴った表題作をはじめとする随筆集。ジャック・レダの著作を念頭において散策し、宿に戻ったらレダからの留守電が入っていたというエピソードは出来すぎだがしびれる。縁があるとはこういうことか。核心をいきなりは掴むことなく、迂回しつつ徐々に近づいていく著者の文章は、パリ子午線の探索にもどこか似ている。優柔不断気味だけど明晰というのは不思議な感じもするが。しかしこの人の文章は美しいねー。読むとほっとする。とりあげられている文学作品のなかで、邦訳されているものがあまりないのが残念。





『宮廷画家ゴヤは見た』

 スペインを代表する画家フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス。宮廷画家として王家の庇護を受け、肖像画家としての地位を獲得する一方、庇護者である権力者・聖職者達をも題材とした数々の諷刺画を残したことでも知られる。彼を正に「目」として(そういう意味では邦題はしごく正しい)『アマデウス』のミロス・フォアマン監督が時代に翻弄される男女を描く。
 18世紀末、異端審問が厳しくなってきた頃のスペイン。その異端審問強化を唱えた張本人である神父・ロレンソー(ハビエル・バルデム)は自らの肖像画をゴヤ(ステラン・スカルスガルド)に依頼する。彼はゴヤのアトリエで美しい少女の肖像がを目にした。そのモデルである少女、裕福な商人の娘・イネス(ナタリー・ポートマン)は、異端審問にかけられていた。彼女を救ってほしいとゴヤに頼まれたロレンソーは牢に繋がれたイネスに面会するが。
 18世紀末から19世紀初頭にかけてのスペインはイベント満載である。本作でも描かれている苛烈な異端審問、ナポレオンのスペイン侵略と新王ホセ1世(ナポレオンの兄)即位、更にそれに反発して内戦勃発、ホセ1世退位とフェルナンド7世の即位(本作ではフェルナンド7世の即位(1814年)までが描かれる)。ゴヤにとっては絵の題材は尽きることがなかったし、実際、彼は内戦時期に自身の代表作となる『マドリード、1808年5月3日』『巨人』等を残している。ゴヤは自身のキャリアの前半では王家を始めとする上流階級の人々、後半では主に市井の人々を主に描いたことになる。本作内の時制は、ゴヤの生涯の後半となる。もっとも、題名にはゴヤの名が付くが、ゴヤを主人公としたゴヤ自身のドラマかというと、ちょっと違う。登場人物としてはむしろロレンソーとイネスにスポットが当たる。
 イネスに関しては運が悪かったとしか言いようがなくやりきれない気持ちになるが、ロレンソーの辿る運命は、なかなか面白い。極端から極端へ走るのだ。時代に敏感と言えば敏感だったのだろうが、その時々の思想に振り回されるなんとも皮肉な展開を見せ、滑稽でもある。極端すぎてコメディのようなのだ。実際フォアマン監督は、結構笑いが好きなのではないだろうか。これはコントだよな・・・という間の取り方をしているところがある。また、どちらの極にいる時にしろ、やっていること自体は、上から目線で自分の正しさを押し付けることであり、時にそれは暴力でもあるというところが、人間の怖さを感じさせもする。
 さて、ゴヤも時代と寝た人間であり、同じく時代に翻弄される(ホセ1世が退位し、宮廷画家としての地位を失くす)のだが、生き残り絵を描き続ける。(もちろん史実だからというのもあるだろうが)ゴヤが王家に近い存在だったにもかかわらず難を逃れたのは、彼があくまで「見る人」だったからではないだろうか。彼にはロレンソーのように国を変えようという野望はない。彼の野望はその時代の人々を描きとめることにあった。彼はロレンソーから「金が一番大事なんだろう」となじられるが、そして確かにゴヤは商売上手であったとは思うのだが、「自分が見たものを描く」という点では筋が通っている。彼が描いた女王の顔が大変醜かったというのは有名な話だ。本作の邦題(原題は『GHOYA'S GHOST』)はなんだか「家政婦は見た!」みたいだが、実は的を得ているのだ。彼の作品を見ると、正にあの時代を見る為に生まれてきたような人だと思えるし、フォアマン監督も「見る人」としてのゴヤだからこそ、その時代のうごめきを描くための狂言回しとして起用したのではないか。
 ただ、そのゴヤの見る力が本作最大の難点でもある。ゴヤの絵が強力すぎるのだ。エンドロールではゴヤの作品の数々が映し出されるが、スクリーンサイズに引き伸ばされても全く力が削がれない。映画本体が絵に負けている。





『ハリウッド警察25時』

ジョゼフ・ウォンボン著、小林宏明訳
柳沢慎吾がおもむろにネタを始めそうな邦題だなこれ・・・。ハリウッド署の警官たちがおりなす群像劇と、チンピラたちの画策とが交錯する。視点がこっちの警官コンビからあっちの警官コンビ、そしてホームレス、さらにギャングへとあちこち飛び回り、最初は散漫かつ展開がかったるいなーという印象だった。しかし後半、無関係に見えたパーツが徐々に繋がっていくにつれ小説のテンションが上がる。何より、個々の警官の人となりが段々くっきりとしてきて、読んでいるうちに愛着がわいてくる。著者は元警官だそうだが、警察官という職業を(それが抱える難点や悪評も含め)愛しているんだと思う。その愛は、古老の警官「オラクル」に投影されているように思う。「(中略)彼はこの仕事と結婚して、できた子供がきみたちだ。きみたちや、ほかの先輩たちだ」・・・こんなこと言われたら職業冥利につきるのではないだろうか。





『狂犬は眠らない』

ジェイムズ・グレイディ著、三川基好訳
精神病院に収容された5人のスパイ。彼らと真剣に向き合おうとした医者が殺され、犯人を捜し敵を討つべく病院を脱出する。タイトルに「狂犬」とついているが、実際は底抜けには狂っておらず、なまじ優秀なスパイだった為に意外にあっさり脱出してしまうので若干拍子抜け。彼らの珍道中はおかしくも哀しい。それは彼らが克服すべきトラウマが、国家によって正義の名の下に課せられたものだからかもしれない。国の正義に忠実であろうとすることと、人として正しくあろうということの狭間で引き裂かれ、精神病院に担ぎ込まれる羽目になってしまったのだ。コミカルではあるがどこか悲壮感が漂う。しかし、それぞれがちょっとだけ自由になっていくロードノベルとしては意外にすがすがしいし、ホロリとさせられるところも。ラストがいい。あと、メンバーの中に音楽好きな男がいる為、(一部の)音楽の話題が頻繁に出てくるところも楽しい。





『ピアノチューナー・オブ・アースクウェイク』

 美しい歌手マルヴィーナの歌声に魅せられた科学者ドロスは、彼女が死んだように見せかけて誘拐し、自分の為に歌わせようとする。一方、ピアノ調律師フェリスベルトはドロスの自動演奏機械の調整の為に、彼が所有する島に招かれる。マルヴィーナの存在を知ったフェリスベルトは彼女を救おうとするが。主に人形アニメーションを手がけてきたクエイ兄弟の新作映画。今回は「ベンヤメンタ学院」と同じく生身の俳優を起用した実写映画となる。映画原案は2本の小説、カサーレス『モレルの発明』とルーセルの『ロクス・ソルス』。なおプロデューサーにテリー・ギリアムを迎えている。
 基本、俳優が演じる実写映画ではあるが(ストップモーション・アニメーションも使用されている。クエイ兄弟お得意の人形が登場する)、映画から受ける印象は監督のアニメーション作品とあまり変わらない。人間の俳優が演技をしているのを撮影したというより、人間を人形のように使って映画を撮影したという雰囲気だ。俳優に求められているものが、可能な限り監督の要求に沿った動きが可能であること(身体コントロールに長けていること)であって、内面を表現云々というのは二の次であるように思った。クエイ兄弟にとっては、それが演技というものなのかもしれない。内面が外面ににじみ出るのではなく、外面により内面が表現されるという考えなのかもしれない。人形アニメーションを作ってきた監督ならではか(人形に対して、メンタル面の指導演出はしようがないよな)。人形でやってきたことを等身大の人間サイズでやりたくなったのか、はたまた単に予算が獲得できたのか。
 細部まで作りこまれた美術といい、映画の画面、映画として映される世界を極力コントロールしたいという志向が強いのだろうなぁと思う。本当は人間の俳優も、寸分狂いなく動かしたいのではないだろうか。しかし生身の人間である以上、監督の意図と何らかのズレが生じ、そのズレの部分がかえって面白みを出しているのではないかと思った。
 箱庭的な映像世界は相変わらず美しいが、以前ほど冷ややかな感じはしない。俳優を起用した為ということもあるだろうが、無機質なオブジェクトから土・植物など有機的なものに関心が移行してきているように思った。舞台は森の中、あるいは海辺であり、映画タイトルも「地震の調律師」という自然現象に関わるもの。「どちらが森の匂い?」というセリフ等も象徴的だ。
 しかしそれでも、箱庭的な世界、箱庭の中の自然であることに変わりはない。生身の人間さえ取り込んでしまう作りものの引力が息苦しくもあるが、魅惑的なことは確かだ。





『真木栗ノ穴』

 貧乏小説家の真木栗勉(西島秀俊)は、ひょんなことがきっかけで官能小説の雑誌連載を依頼された。自宅である古いアパートの壁の左右両側に穴が空いていることに気づいた彼は、右隣部屋に住む若い男の情事を覗き見てネタにしていた。ある日、真木栗はアパート前で1人の女を見かける。その女(栗田麗)は空き室だった真木栗の部屋の左隣に引っ越してきた。壁の穴から真木栗は彼女の様子をのぞき見るが。監督は深川栄洋。主演はいまや日本映画に欠かせない存在になりつつある西島秀俊。
 公開前の宣伝や予告編では、江戸川乱歩や夢野久作作品のような雰囲気の映画と聞いていたが、それを期待するとちょっと肩透かしになるかもしれない。映画前半はむしろ喜劇っぽい。喫茶店での編集者との支払い合戦にしろ、穴を覘いている所を編集者に見つかるタイミングにしろ、まんまコントである。なんだその「あわあわ」展開は。主演の西島秀俊は大真面目な顔でやっているが、明らかに「ここ笑うところ」と確信して演じていると思うし、監督も意図的に笑いを誘うように演出していると思う。西島は一度本格的に喜劇をやるべきだなー。彼が主演の昭和っぽいコメディ映画をぜひ見たい。
 しかし、その流れで後半急激に幻想映画風の展開に持っていかれても、いまひとつ乗り切れない。どちらかというとコメディぽい部分の方が印象に残って、おそらくストーリーの中心にあったのだろう、怪奇・幻想・エロティシズムは月並みな印象しか残らなかった。基本、真木栗の妄想から始まる物語なだけに、妄想(主にエロ方面)する人間のおかしみの方が全面に出てしまったのだろうか。
 また、怪奇・幻想ものとしてはもう一つ問題がある。理に勝ちすぎているのだ。女の正体、真木栗の行動、そしてそれが他人からどう見えていたのか、全部伏線がきちんとしいてあり説明がついてしまう。話の構成がきちんとしているだけでなく、画面の構成もきっちりした感じ。どのシーンもそのままポスターに使えそうだ。そしてダメ押しのような入れ子構造。男の妄想が主軸を成す映画ではあるのだが、それにしてはつじつまが合いすぎなように思った。たぶん、監督の気質なのだと思うが、妙にきちんとしているだけに、こぢんまりと纏まってしまった感がある。
 真木栗と関わる女性2人(編集者は除く)がどちらも微妙な顔立ちで、ぱっと見どこが魅力的なのかわからないところが却ってエロい。また、ロケ地は鎌倉なのだが、やはり絵になる土地だ。映画としては風景でだいぶ得をしている。





『チャイルド44(上、下)』

トム・ロブ・スミス著、田口俊樹訳
 スターリン体制下のソ連。国家保安省の捜査官レオ・デミドフは部下の計略により、スパイ容疑を掛けられた妻共々、田舎町へ左遷される。その田舎町で少女の死体が発見された。その死体には、レオが以前「事故死」として処理した少年の死体と同じ特徴があった。後悔の念と共に捜査に乗り出すレオだが、さまざまな障害が彼を襲う。陰惨な児童殺人事件が題材(実際に80年代ソ連で起きた事件が元になっているとか)ではあるが、殺人も犯人も小説内ではそう恐ろしくは感じない。なぜなら、それ以上に当時のソ連の社会の中での、「万人の万人に対するスパイ」状態が恐ろしく感じられたからだ。ささいなことで反スターリン、反社会主義と見なされ、無実であろうが国が「有罪」とすれば有罪。レオの捜査が難航するのも、国家が「この国に犯罪はない」とし、「少年は事故死」と判断したからだ。国家の判断を覆すことは許されない。レオはずっと体制側の人間だった為にその恐怖を知らずにいたが、降格されたことで、一般の人々、そして彼の妻が感じていた恐怖と直面し、そのギャップに愕然とする。彼が「目覚め」生まれ変わっていくという、ビルドゥクスロマン的な側面もある。しかし国家が変わらない限り彼にも妻にも出口はないのだが・・・。四面楚歌のレオの奮闘に手に汗握った。大変おもしろいサスペンス小説。しかし何が恐ろしいって、空腹ですよ空腹!腹が満たされなければ理性などはたらくはずがない!





『僕らのミライへ逆回転』

 未だに正しく「レンタルビデオショップ」な個人商店で働くマイク(モス・デフ)は悪友ジェリー(ジャック・ブラック)の仕業で、店長の留守中に全てのビデオテープの中身が消去されてしまったことに気づく。しかし常連客はビデオを借りにやってくる。困った2人は、自分たちで映画をリメイクしたテープを貸し出すのだが。
 監督・脚本はミシェル・ゴンドリー。ゴンドリーと言えば手作り感溢れるキュートなセットや小道具と、その可愛さに隠された(いや隠れてないか)内向き文系男子の過剰な自意識が印象深い。しかし今回はアメリカ映画になったからなのか、自意識過剰さは控えめで敷居は低くなっている。また、いわゆる「映画好きの為の映画」の類であることは間違いないが、取り上げられる作品は「ゴーストバスターズ」や「ロボコップ」「ラッシュアワー2」などメジャーど真ん中でマニア色は薄い。そもそも、映画は大衆娯楽であるという地点に立ち返ったようなセレクトだ。
 劇中のリメイク映画が面白くて(「2001年宇宙の旅」の船内とか、「ラッシュアワー2」のタワーからの墜落シーンとか、いやほんとよくやる・・・)、つい「映画を作る」ことの楽しさ、「ハンドメイドっていいね!」的な部分ばかりが注目されそうだが、本作のキモはそこではないだろう。もちろん映画作りは楽しそうだし、監督であるゴンドリーは当然映画を作る楽しさを十分に知っているはずだ。しかし何で映画を作りたくなったのかというと、おそらく映画を見て楽しかったからではないだろうか。本作のラストシーンに私は作中リメイク映画よりも圧倒的に心つかまれたのだが、それは映画を見ることの楽しさの核の部分があるのではないかと思えたからだ。映画を見る一番の楽しさって、皆で(知っている人とも知らない人とも)見るってところにあるのではないだろうか。
 本作を見た観客が、リメイク元となった数々の映画をレンタルショップで手に取ってくれた方が、ゴンドリーとしてもうれしいんじゃないかなという気もする。ただ、あそこまでの幸福感は、実際にはなかなかないかもしれないなーとも思う。ゴンドリーの作品は「あの幸福な一瞬をもう一度」と再現するため必至でボールを投げているような部分があるが、本作もそうなのかもしれない。そのボールがストライク取る可能性がいかに低いかは監督自身わかっているのだとは思うが、投げずにはいられないというか。
 愛すべき(特に映画好きにとっては)作品だが、傑作・秀作という感じではない。伏線だったであろうエピソード(常連女性と店長の関係とか、マイクと女の子の関係とか、そもそも発電所どうなったんだとか)が途中で立ち消えてしまっているのは残念。特にマイクの恋の行方は気になる(笑)。更に、都市開発や著作権問題など色々掘り下げられそうな要素は提示されているが、さわり程度。古いものは去り行くしかないという諦念も感じられるが、ちょっと物足りないかなと思った。ただ、「映画って楽しいよね!」というテーマと平行して、マイクが自分の物語を獲得するまでのストーリーともなっていて、そこにはちょっとぐっときた。あとジャック・ブラックが相変わらずジャック・ブラックで、ちゃんと歌も披露しているところにもぐっときた。





『白の海へ』

ジェイムズ・ディッキー著、高山恵訳
 第二次大戦末期。B29に乗り込んでいたアメリカ軍機銃兵マルドロウは、東京上空で墜落する。一命を取り留めた彼は、人目をさけつつ北海道へ向かう。アラスカで生活した経験があるマルドロウは、焦がれるように「北の海」を目指す。東京から北海道って相当距離あるぞ!とか真冬の雪山を身一つで横断するのは自殺行為だぞ!とか現実的なことを考えると、いくらアメリカ人が書いたからといっても突っ込みどころ満載。しかしこれは半幻想小説的なものだと思う。マルドロウは実際には墜落時に死んでいて、彼の魂だけがひたすら北へ進んだのではないかと。彼が雪原を目指す姿勢は何かに取りつかれたようであり、生き延びようとするというより、むしろ死に場所を求めているように見えるのだ。決して完成度が高い小説というわけではないと思うが、読んでいるうちにマルドロウの狂気のようなものにひっぱられていく。自分が一番生きていることを実感できた環境で死にたいというのも何か皮肉な気がするが、充実した死に方といえなくもないか。





『ブラザーズ・クエイの幻想博物館 Eプログラム』

 アートアニメーション作家であるクエイ兄弟の回顧展。今回はEプログラム「ダンスマカブル劇場」を見た。サブタイトルの通り、ダンス作品(クエイ兄弟が舞台美術を担当)を中心とした内容。Dプログラムを見られなかったことが悔やまれます・・・。

『デュエット』(1999)
 ロオイヤルバレエ団のダンサーであり振付家であるウイル・タケットの作品をクエイ兄弟が演出したもの。男女デュオによるバレエだが、クエイ兄弟云々というより、ダンサーの上手さと振り付けの面白さで成り立っている作品。ダンスそのものを活かしたシンプルな舞台美術と言えばいいのか。男女で演じているが、あんまり性愛ぽいものを感じさせない振り付け。熟年夫婦ぽいというか。

『サンドマン』(2000)
 イギリスのバレエダンサーといえばこの人だろうというアダム・クーパーとのダンス作品。小説家何かが下敷きになっているのだろうか、お芝居要素の大きいダンス作品。謎の男が一家を破滅へと追いやる。ちょっとゴシックホラーぽい雰囲気で、怪奇ドラマのような味わい。これはセットに存在感があり、効果的に使われていたと思う。遠近感が極端な家を背景にしたセットはクエイ兄弟らしい。

『ソングス・フォー・デッド・チルドレン』(2003)
 テートモダン企画協力作品。タイトルそのまんまのビジュアルイメージで、死んだ子供たちへのレクイエムとでも言えそうな作品。死んだ子供たちがよみがえって仲間に呼びかける(のだかどうだか判らないが私にはそう見える)のである意味ゾンビ映画のようである。棺おけで滑り台状のスロープを滑り降りてくるなど、楽しげなのか不気味なのかわからない。出てくるオブジェ(人形)の中には『ファントム・ミュージアム』に登場したものもある。死の香りが濃厚。音楽(合唱曲)がインパクトあるのだが、曲名わからず。





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