3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2008年09月

『ウエスト・ゲートNo6』

 台湾シネマコレクションで鑑賞。西門町で気ままに暮らすファンとヴァンス。町では女の子が失踪する事件が相次いでおり、彼らの友人・ヴィヴィアンも姿を消す。彼女を探し始める2人だが。
 西門町は日本で言うと渋谷みたいな町だそうだ。映画自体の雰囲気は、「これどこの『池袋ウエストゲートパーク』?」みたいな感じなのだが・・・。スタイリッシュを目指しているのはわかるし、若者ウケはしたんだろうなぁという印象は受けた。実際、2007年の興行成績3位だったそうだ。しかし、映画としてはツラい!久しぶりに上映中に席を立ちたくなった。雰囲気はIWGPでも脚本は雲泥の差。クドカンが神に思えてきました。
 イケメン2人が主役だったり、衣装もセットもほのかに気恥ずかしくオサレだったり(中学生ががんばった感じのオシャレと思ってくれ)、ヴァンスが「天才ハッカーでスケボーの達人」というそこはかとなく中二ぽいキャラ設定だったり、途中で脈絡なくバンドが登場して曲を披露したりと、どうもアイドル映画的なものなんだなという察しはつく。でもいくらビジュアルに気合が入っていても、ストーリーの脈絡がなさすぎる。田と場、最初にこれはブログ(かなー。字幕ではブログだったけど見ていると小規模なSNSのような気がする)がキーになっているのねと思ったし、実際なっているのだが、なりかたがおかしいよ!いやーその目的だったらもっと他に手っ取り早い手段が!アイディアを詰め込んだのはいいが、アイディア同士の整合性が付けられておらず、ご都合主義もいいところである。ブログにしろ、誘拐犯にしろ、ビジュアルのアイディアのみが先行しすぎて変になっている所が多い。ラストの水槽も、あれじゃあ蓋を閉めた人が他にいることになっちゃうよー。
 ところで、メインヒロインとなる女の子が2人出てくるのだが、ヴィヴィアンはゴスっ子で、もう一人は清楚なお嬢様なんですね。で、ヴィヴィアンは前からファンのことが好きなんだけど、あっさりお嬢様とファンがデキてしまう。男子のコンサバ好きは万国共通なのか・・・と暗鬱たる思いに駆られました。ルックス的には2人とも微妙だと思うんだけどなー。あと、刑事のあだ名が「竹之内豊」で吹いた。当然ビーチボーイズがネタになっている。日本のTVドラマが時差ついて浸透しているのか・・・(今の日本の10代はビーチボーイズとか見たことないよね多分)。



『DNAがアイ・ラブ・ユー』

 台湾シネマコレクションで鑑賞。遺伝子制御が可能になった近未来。遺伝子制御薬を作る製薬会社に勤めるマリーンとスージーはルームシェアをしている。マリーンはひそかに肥満DNA抑制剤を飲んでいた。一方スージーは潔癖症が過剰すぎて恋人と別れたばかり。初恋相手と再会した彼女は、今度こそ彼との仲を長続きさせようと、副作用が大きく商品化中止となった潔癖DNA抑制剤に手を出すが。
 顔立ちも性格も地味で服装はパンツ派のマリーンと、キュートで奔放、露出度の高いワンピースやスカートを着まわすスージーという対照的な2人の女性が主人公のラブコメ。しかし、わがままだが憎めないスージーのキャラが立ちすぎて、マリーンが霞んでしまった。エピソード自体も、彼と彼女と双方に動きがある(スージーが潔癖症を治そうと勤めて不精にする一方で、彼氏の方は掃除洗濯入浴をせっせとするように)スージー側の方が面白い。マリーンは典型的な「待つ女」で、相手の男性がどういう人なのか全くわからないし、そもそも露出も少ない。マリーン側のエピソードはDNAともあまり関係ないし、ヒロインを2人にする必要はなかったのではないだろうか。スージーは女性の反感買いそう、もしくは男性にとってちょっと怖いタイプの女性だからか?しかしマリーンも女性の共感はあまり得られなさそうだが・・・。ただ、2人の女性が言動だけでなく、服装やメイクできちんとキャラ分けされているのはよかった。
 コメディとしては、台湾人の笑いのツボが日本人とズレているのか、単に映画としてこなれていないのかわからないが、少々不発気味。ヒロインの部屋やオフィスがばしっときまりすぎなところは、ちょっと昔のトレンディドラマのようで面映く、別の意味で笑えたが。本作の一番の笑いどころは、おそらく「粘菌」だろう。多分世界一粘菌がいっぱい出てくる映画。しかしそれなりに手間隙かかっているわりに、出す必要性が全くないのだ。監督の趣味なのか?
 ところで、台湾の男性はそんなにお風呂に入らないのか?靴下とかシャツとか平気で2,3日連投させるの?日本の男性だと、いくら部屋が汚くてもそこまでってのは考えにくいと思うのだが(私の周囲だけか?)。少なくともスージーの彼は営業職なんだから、臭うのはまずいよな(笑)



『きみの友だち』

重松清著
 事故で足が不自由になった恵美を中心に、中学生たちの人間関係を描く。中学生の不自由さ、特に女子の「友だち」関係のやっかいさ、微妙さをよく描いていると思う。女子同士のつきあいの細かさって、ちょっともう救いがたいよな・・・。が、なぜ「きみ」に語りかける形式をとったのかピンとこない。あまり必要性はないし、色々と説明しすぎな感もある。多分、読者にたいしてすごく親切なんだと思うのだが、やらなくていいサービスをいっぱいやっているように思える。「きみ」と語りかけるのが誰なのか、なぜこういう形式なのか最後に明らかにはなるが、恵美がやたらとクールで達観しているように書いているのは、語り手の欲目なんじゃないの?と突っ込む材料程度にしかならない。いいこと書いているのに、文章が野暮ったくて読み進めるのが正直苦痛だった。あとがきまで野暮なんだもん・・・。著者の作品を読むのは久しぶりだが、全然洗練されていない。



『われらが歌う時 (上)(下)』

リチャード・パワーズ著、高吉一郎訳
 上下巻というボリュームだが、アメリカ近代史であり、音楽の物語であり、天才の物語であり、ある家族の物語でもある。第2次大戦前後のアメリカ。ユダヤ人男性と黒人女性の間に生まれた兄弟は音楽と共に成長する。兄は天才的な「声」を持ち、弟はその伴奏者となるが。白人と黒人の間に生まれた兄弟は、白人からは黒人扱いされ、黒人からは裏切り者扱いされる(ユダヤ人である父親が他の白人からは差別されるが、黒人からはひっくるめて「白人」と見られているところが興味深い。欧米におけるユダヤ人のポジションていまひとつピンとこないんだよな・・・)。彼らの両親は新しい世界を夢見て、「人種などない」という教育を幼い兄弟に授けるが、それは却って彼らを孤立させることになる。彼らにとって人種がないものだとしても、周囲がそう見ない限り、依然として人種はあるのだ。また、両親の教育は彼らから民族という一種のアイデンティティを奪うことになり、彼らの妹はギャップに苦しみ両親を憎むようになる。さらに、彼らが学ぶ音楽は、やがてR&Bやロックやヒップホップに追いやられていくクラシック(しかも古楽に近い)だ。しかも、当時のクラシック界に黒人歌手は殆どおらず、音楽学校で学ぶことも許されなかった。正論が通らない(正確には、現代では正論であっても当時は正論として扱われない)様は読んでいてすごく苦しい。しかし一方で、兄弟のうち兄は音楽の才能によって、人種問題においても音楽のジャンル問題においても(全て成功するわけではないが)当時の「正論」の壁を突破していく。ただ、その突破の仕方は妹にとっては許せないものでもあるというところが陰影を深めているのだが。自分の出自に長らく無自覚だった兄弟と、自覚せざるをえなかった妹とのズレが悲しい。しかしそのズレが一瞬ではあるが修正され、幾重にも重なった輪が繋がるラストは美しい。



『アクロス・ザ・ユニバース』

 60年代。ベトナム戦争に反対する学生運動が盛り上がっていたアメリカを舞台にした、若者達の群像劇。ジュリー・テイモア監督の新作となるが、なんと全編ビートルズの曲を使ったミュージカル仕立。当然、主人公はジュードでヒロインはルーシーだ。
 ビートルズの曲を解釈するというより、ビートルズが活躍していた時代を描く作品。当時を懐かしむのではなく、9.11後の世界と重ね合わせたところもあるだろう。しかし本作を見てまず思うのは、「やっぱりビートルズって名曲ぞろいだなー」ということ。今聞いても古臭くないってのはすごい。映画の印象が曲の印象に負けている。要するに、映画としてはさほどぱっとしないように思う。また、曲とストーリーとがしっかり融合しているかというところも微妙。元々、全然別の文脈上にあったものを無理やりくっつけたようなちぐはぐ感がある。
 既存のポップスを使ったミュージカル映画としては『ムーラン・ルージュ』(バズ・ラーマン監督)という前例がある。私は『ムーラン~』が好きでサントラCDも持っているのだが、この作品が面白かったのは、ストーリーを寓話レベルに単純化し、さらにニコール・キッドマン(ユアン・マクレガーも共演しているが、スターらしいスターはやはりキッドマンだろう)というスターを起用した「ショー」として作りこんだところにある。いわば歌謡ショーみたいなものなので、全然別の文脈にある、時代も作曲者も異なる曲を使っても、「ニコールのショー」ということで統一感があるし、下品すれすれのケレン味で楽曲をねじ伏せ、観客を巻き込んでいたと思う。
 しかし本作の場合、時代設定や舞台がなまじリアルなので、映画を見ている側も見ていて急に正気に返って「えっ、このシチュエーションでこの曲?」と思ってしまう。ストーリーの意味合いがなまじ強いと、音楽とケンカしてしまうのかもしれない。また、監督のせいなのか編集のせいなのかわからないが、リズム感があまりよくないように思った。カメラ、役者の動きと曲のリズムが微妙にずれているところがあって、ちょっと気持ち悪かった。曲のアレンジも概ね原曲に忠実(な方だと思う)なので、ビートルズ楽曲の新たな一面を発見するといった意外性にも乏しい。そもそも、何で今ビートルズを使うのか、あんまりピンとこない。
 楽曲をたくさん入れようとして、蛇足な部分が増えたようにも思う。サーカスのあたりは要らないんじゃないかなー。サイケな曲のイメージの解釈も月並みで、他の部分との落差が目立った。ただ、音楽はやはりすばらしいので、それなりに楽しめる。ビートルズファンにはどうだかわからないけど・・・。自分の好きな曲が使われているとやっぱりうれしいしね。ちなみに私は「come together」がベスト。




『気になる部分』

岸本佐知子著
 英文学翻訳者である著者によるエッセイ。翻訳者が書いたエッセイには上質なものが多いように思うが、本著も期待を裏切らなかった。しかしこの人変わってるなー。妄想族であることは確かなのだが、妄想の方向性がちょっと・・・。なぜそこでその発想?!イメージの飛びっぷりが常人ではない。一人しりとりとか、前向きなイメージを展開する話とか、わが道を行き過ぎている。一人しりとりの脳内協議会とかもうたまりません。ちなみに翻訳を生業にする前は洋酒販売会社に務めていたそうだが(この時期のエピソードも面白い。当時の企業ってまだのんびりしていたのかな)、文章を読む限りはおおよそ会社勤めに向いていなさそう(本著でも向いていないと自覚している)。・・・といいつつ、私まだ著者の翻訳作品一作も読んだことないです。著者のエッセイは面白いけど、翻訳作とは相性悪そうでね・・・。



『たみおのしあわせ』

  神埼民男(オダギリジョー)は父・伸男(原田芳雄)と2人暮らし。奥手で見合いをしても断ってばかりだった民男だが、最近見合いした瞳(麻生久美子)との結婚が決まった。一方伸男は部下の宮地(大竹しのぶ)と交際中だが、民男の目を気にしておおっぴらにできない。さらに伸男の義弟・透(小林薫)がニューヨークから舞い戻ってきた。監督は演出家・劇作家の岩松了。近年はむしろ俳優としての出演の方が多かった。
 岩松了監督作品を見るのは多分初めてなのだが、人間観がある種の境地に達しているような気がする。意地が悪いといえば悪いが辛らつではなく、「まあこんなもんですよ人間は・・・」という諦めにも近いものを感じた。でも、その「こんなもん」な部分に人間のかわいさを見ているのではないかなとも思う。
 普通、結婚映画(というジャンルがあるとして)は、あれやこれやがあったもののそれを乗り越えてクライマックスである結婚へ!と盛り上がっていくのが王道だろうが、本作の場合、結婚に向かうにつれて不穏さが増していく。しかし、結婚する当人同士の間には、目だったゴタゴタはないのだ。その不穏さはカップルの周囲の人間によりかもし出される。結婚は出来るかもしれないが、その後の火種となりそうな事柄がボロボロ出てくる。結婚前提にお付き合いしているカップルのデートムービーには到底お勧めできない。
 この人はこういう人なんです、この人とこの人はこういう関係なんですという見せ方が上手いなぁと思った。そんなにセリフの多い映画ではないが、ちょっとした動作や人の立ち居地の調節で、説明過剰にならずに伝わる。岩松が役者としてのキャリアも長いからなのか、役者の使い方が上手いと思った。オダギリジョーは監督の手腕によって役者としてのよさが大分左右されるタイプではないかと思うが、本作では彼の良さが出ていたように思う。また、大竹しのぶは、ザッツ大竹しのぶとでも言いたくなる「困った女キャラ」を怪演していた。特に、小林とのイタいカップルぶりは、小林のいい加減な持ち味(ほめてます)と相まって何とも気色悪い(だからほめてますって)。あと、冒頭に民男と伸男がデパートの屋上にいるシークエンスは、類型的ではあるが「父=モテ、息子=非モテ」を端的に表していて思わず笑ってしまった。衣装から何からばっちりすぎる。最初にこれを提示しておいて、徐々に父親はモテるがタラシではなく、あくまで息子優先である、息子はそれに対して無自覚というわけではないがあまり負担にも思っていないという関係が見えてきて、まさかのラストにつながる。
 さてそのラストだが、こんなのあり得ない!という人も少なからずいると思う。少なくとも、日本以外では通用しない(ギャグとしてすら理解されにくい)オチではないかと思う。ただ、私はすごく腑に落ちたし、その気持ちわからなくもない・・・としみじみとしてしまった。家族関係が良すぎると、結婚はどんどん面倒くさくなるのではないだろうか。何しろ親より付き合いの長い他人ていないもんね。



『ダルジールの死』

レジナルド・ヒル著、松下洋子訳
 なんとあのダルジール警視が爆破テロに巻き込まれ、意識不明の重態に!パスコーは単独捜査に走るが、テロリストの手は捜査本部内にも伸びていた。今回はパスコーが一人で奮闘するのだが、あせりすぎで空回り気味なところがイタかわいい。しっかしダルジール愛されるなー。それはさておき、9.11以降の世界を明らかに意識している内容は、ここ数作続いている。テロとの戦いとなるが、先方には先方の正義があって堂々めぐりになりかねない。また人の悲しみにつけこむやり口もあり、決して後味さわやかというわけにはいかない。復讐の連鎖は克服しうるのかという問題と、著者はしばらく格闘していくつもりなのでは。もちろんミステリとしては面白いので、シリーズのファンは必読。というかこのタイトルの時点で必読だよな・・・。



『フロスト気質 (上)(下)』

R.D.ウィングフィールド著、芹澤恵訳
 少年行方不明事件、小指切断死体発見、少女誘拐事件、正体不明の腐乱死体発見などなど、クリスマスだってのに事件山積みのデントン市警。われらがフロスト警部もマレット署長の嫌がらせをうけつつ、いきあたりばったり捜査に奔走する。シリーズの特色として、複数の事件が同時進行しフロスト警部が常に寝不足というパターンがあるのだが、今回は特に顕著。フロストって一見ぐうたらだけど絶対ワーカホリックだよな・・・。彼は下品で無精でセクハラ大王なのだが、実はやさしく部下思い(人使いは粗いが)だし、弱者を見放さない。部下に絶対汚れ仕事をさせないあたり、意外に上司としては理想的かも。そこがシリーズの人気の一因だろう。そして、これだけの事件を詰め込んでいるにも関わらず、しっかり伏線回収し同時期に各事件を解決する手腕はさすが。作者が亡くなられたのが残念でならない。フロストシリーズの未翻訳作品があと2作あるそうだが、必ず翻訳してくださいね訳者の方!でも全部翻訳されちゃったらそれはそれで寂しいんだろうなぁ。



『TOKYO!』

 ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという、少々アクの強い3人の監督による、東京を舞台にしたオムニバス映画。オムニバス映画は失敗しやすいという先入観があったのだが、本作はどれもそこそこ成功していたようには思う。

 「インテリア・デザイン」ミシェル・ゴンドリー監督
 上京してきた自主映画作家アキラ(加瀬亮)と恋人のヒロコ(藤谷文子)は、友人のアパートに転がり込む。部屋探しも職探しも上手くいかずヒロコは落ち込むが、アキラは意に介さない。加瀬亮が無邪気に人を傷つける青年にぴったりである。あーいるよねこういう自分大好きな人・・・。ゴンドリーの作品には往々にして、「相手のことを考えているようでいて実は自分の妄想の中に生きている」という男性が登場するが、彼もその一員だろう。今回は男性の職業が映画監督ということで、ゴンドリーの自己投影もされているのかしらと思ったが、そうすると、明らかに「イタい人」ととして演出されているのが興味深い。一応、こういうのはイタいってことはわかってるんだ・・・。それに自分が含まれているという自覚があるのかどうかはともかく(笑。多分自覚あると思いますが)。夢見がちな男を好きになって苦労する女という、割と月並みな話だなーと思っていたのだが、後半はいきなりファンタジーに突入し、さすがゴンドリーと思った。人間椅子かよ!でもこんな人が部屋にいたら嫌だなぁ・・・。これ結局、男女ともに相手のことなんて考えずに自己満足するのが一番いいってことか。

「メルド」レオス・カラックス監督
 いきなり「糞」とタイトルが出て吹いた(メルドはフランス語で「糞」)。下水道に潜む謎の怪人(ドゥニ・ラヴァン)が突如町に現れ、東京中を混乱に陥れていた。カラックス作品ということで色々とうがった見方も可能なのだろうが、某特撮映画のサントラを堂々と使用していることから伺えるように、一種の怪獣映画と見る方がいいのではないか。怪人が破壊行為にいそしむ前半は、単純に愉快だしね。しかし、怪人がとらわれてしまう後半は、同じ言語をしゃべる人との会話?がちょっと面白かった程度で、睡魔に負けそうになってしまった。というか軽く負けた。そういうあわけであまり記憶に残っていないので、感想は保留。まあ前半は楽しかったですよ。銀座観光としても。

「シェイキング東京」ポン・ジュノ監督
 ひきこもりの男(香川照之)がピザ配達人の女の子(蒼井優)に一目ぼれする。香川照之と蒼井優というキャストを押さえられた時点で勝ちだろう。ポン・ジュノはアクが強くブラックな持ち味のある監督というイメージを持っていたのだが、本作は予想外にロマンチック。しかも安定感がある。器用な監督だなー。実は作風の幅が広いんだろうか。そんなにひねったストーリーではないのだが、役者の良さをすごく引き出していると思う。特に香川の身体能力の高さが光った。体のコントロールがうまいというかね。ひきこもりという役柄が似合いすぎというのもありますが・・・。一方、本作の蒼井優はエロティックだと各所で評判だが、あんまりピンとこなかった。キュートではあるが、ガーター着用させるというベタさにむしろ退いた。あと、セットの作り方のセンスがいいなと思った。おしゃれとかクールとかいうセンスの良さではなく、フィクションとしてのデフォルメのさじ加減が的確。



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