3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2008年08月

『三人目の幽霊』

大倉崇裕著
 落語雑誌の新米編集者とベテラン編集長が、奇妙な事件に挑む。いわゆる日常の謎もの。落語雑誌の編集者が主人公ということで、事件も噺を絡めたもの、落語界を舞台にしたものとなっている。しかし、ミステリ部分と噺の絡ませ方が少々強引で、これだったらわざわざ落語を引っ張り出してこなくてもいいんじゃないかなと思った。落語を題材にしたミステリというと、田中啓史の「笑酔亭梅寿シリーズ」があるが(こっちは噺家が探偵だけど)、こちらの方が落語の使い方、落語界の見せ方が上手くて小説としてこなれている。あと、本作は人間の陰湿な部分、生臭い部分を扱った話が多くて、期待していたのとちょっとちがったなーという気持ちも(それはこちらの都合で、作品の出来とはあまり関係ないけど)。



『ドラゴン・キングダム』

 カンフー映画おたくでいじめられっ子の少年ジェイソン(マイケル・アンガラーノ)は、骨董屋にあった伝説の如意棒と共に、異世界へ飛ばされてしまう。大昔の中国のようなその世界でさっそく憲兵に追われるジェイソンを助けてくれたのは、導師ルー・ヤン(ジャッキー・チェン)。ルー・ヤンは、ジェイドはこの国を支配するジェイド将軍に石化された孫悟空に如意棒を返す為、異なる世界から遣わされたのだと言う。如意棒を返すべくジェイド将軍の城を目指すが、一行の前に謎の僧侶(ジェット・リー)が現れ如意棒を奪ってしまう。
 本作最大の売りは言うまでもなく、ジャッキー・チェンとジェット・リーという2大カンフーアクションスターの共演だろう。話題先行という感がなくはないものの、お祭り的な華やかさと楽しさがある。また、私はあまりカンフー映画に詳しくないが、タイトルロールは往年のカンフー映画のポスターをコラージュしたものだし、主人公がカンフー映画おたくでレアビデオを発見して喜んでいたり、ジャッキーが酔拳を使っていたりと、カンフーファンへのくすぐりがいっぱい。サービス精神旺盛な作品ではないだろうか。
 ジャッキーとジェットの直接対決はあるが、この2人が主人公というわけではないので、もっと2人のバトルが見たかったという人はがっかりするかもしれないが、私は却ってよかったんじゃないかと思う。スター2人、しかも同じジャンルの人が主人公格となるとどちらも立てなくてはいけなくて、脚本つくりがえらい難航しそう。だったら、ストレートな少年成長ものにして、すげー師匠2人がサポートしてやればよくない?という作戦だったように思う。
 対してというか、だからこそというか、主人公の男の子はえらく地味だが、いじめられっ子という設定なのでそれでOKだろう。しかしアメリカでは、カンフー映画が好きなやつはナードってことになってるのかな~。ちなみに主人公、ちゃんと成長するが、成長しても強くなったように見えないところが筋金入りナードっぽくて好ましかったです。
 スター2人の力に頼るだけでなく、脇役、特に女性2人(敵の白髪の魔女と、ジェイソンに加勢するスパロウ)がしっかり活躍するところもいい。2人ともアクションの出来る女優さんらしく、動きのキレもよかった。ルックスがCA●COMあたりの格闘ゲームのキャラクターぽい、アニメとかマンガのキャラ的なかわいさがあった。背景美術のセンスも含め、アニメ・マンガやゲーム的な美的感覚がすっかり浸透したんだなーと実感 した。
 それほど期待していたなかったけど、予想外に手堅く、楽しんで作ったんじゃないかなという感じのする作品。何よりジャッキーとジェットがと楽しそうなのでよしとする。



『あの日の指輪を待つきみへ』

 アメリカの田舎町。長年連れ添った夫を亡くしたエレス・アン(シャーリー・マクレーン)は、「なぜ一緒に悲しんでくれないの」と娘に責められる。そんな時、アイルランドの青年ジミーから、彼女の名前と「ティディ」という名前が刻まれた指輪を見つけたと電話が入る。ティディとは、彼女が愛し続けた男性の名だった。監督はリチャード・アッテンボロー。脚本はピーターウッドワード。実話が元になったストーリーだそうだ。
 アッテンボロー監督にとっても、主演のマクレーンにとっても貧乏クジひいちゃったんじゃないかなー、という感がぬぐえない珍作。アメリカとアイルランド、現在と過去それぞれのエピソードが交互に挿入されるのだが、現在と過去はともかく何故にアイルランド。実話が元という縛りのせいなのかもしれないが、ストーリー上の必然性はあまりない。むしろ、脈絡なくIRAとか英軍とか出てきて混乱しそうに。アイルランド事情をわかっていないと、何でジミーが脅されてるの?ってことにもなるかもしれない。このあたりは脚本の難もあるのだろうが、ちょっと強引だなぁと思った。
 おそらく製作側、配給側としては「時を越えた純愛」みたいなことを売りにしたかったのだろうが、その純愛が、単にはた迷惑なものに見えた。エセル・アンは戦死した恋人をずっと思い続けているのだが、それじゃあ長年一緒に生きてきた夫や娘の立場はどうなるのだ。恋人のように愛せとは言わないが、せめて家族として愛せばいいのに彼女はそれすらしていないように見えた。しかもその事実を娘に言っちゃうのだ。ちょwwwおまwww思っていても言うなよ!大人のたしなみとして(笑)!娘かわいそうすぎる・・・。
 また、ティディの友人2人に対する頼みごとも、戦時中はわりとよくあった話とはいえ、人の人生勝手に決めるなよ!と突っ込みたくなる。もっといい物件(笑)が現れるかもしれないだろうが!彼がもっと早くにある伝言を伝えることができていればエセル・アンと家族の運命も変わっていたのだろうが、どちらにせよ、だったらそんな状況で結婚するなよと言いたくもなる。
 ともあれ、死人は死人なんだから、生きている人間は生きている人間のことを考えて大事にすればいいんじゃないの~。でないと周囲の人間に対して失礼なんじゃないかなー。



『ディスコ探偵水曜日 上・下』

舞城王太郎著
 迷子探しの専門探偵であるアメリカ人(日本語堪能)ディスコ・ウェンズデイが、少女連続昏睡事件、推理小説家殺人事件、そして時をかける少女の謎に挑む。まさかのミステリ小説(といってもメタにメタを重ねた感じになっていますが)復帰の舞城。系統としては『九十九十九』と同じなので、まずそちらと『世界は密室で出来ている』を読んでから本作を読むことをお勧めする。本格ミステリとは文脈を過剰に読み込む小説であり、本格ミステリにおける「真相」は名探偵が決定するものであった(これは近年例外頻出しているので過去形で)、つまり名探偵は文脈を無理やり作り出す存在だという仕組みをこれでもかといういうくらい駆使している。同じシチュエーションの中でどれだけ文脈を更新できるかというチャレンジ精神には度肝を抜かれたというか呆れたというか。文脈を読み変える=世界を作り変えるまでスケールを広げてしまう勇気にも恐れ入った。読み換えに次ぐ読み換えには、小説のきりのなさと同時に限界も感じて若干むなしくなったと感もあるが・・・。ロジックは絶対に破綻している(というか態をなしていない)と思うのに上手いこと言いくるめられた感じがします(笑)。色々なげっぱなしになっていても一点はパァーンと突き抜けているので読めちゃうんだと思う。



『インクレディブル・ハルク』

 実験中の事故で、心拍数が上がると緑色の怪物に変身してしまう体となった科学者ブルース(エドワード・ノートン)は、彼を軍事利用の為の研究材料にしようとするロス将軍(ウィリアム・ハート)から逃れてブラジルに身を隠していた。インターネット上でミスター・ブルーと名乗る科学者から体質治療の可能性があると教えられたブルースは、危険を冒してアメリカで帰国するが。
 アン・リー監督『ハルク』は原作ファンからは評判が悪く興行成績も散々だったらしいが、本作はそのリベンジとして作られたのだろうか。監督はルイ・レテリエ。脚本は主演のノートンがリライトしたとのこと。ノートン、ほんと多彩だよなー。予想以上に手堅く面白かった。冒頭、ハルク誕生までの経緯をうんと短縮してしまうことで(このへんの流れはアメリカではよく知られているのだろう)、展開がタイトになっている。なんでネットで知り合っただけの相手をそこまで信用しちゃうの?とか渡米の為の費用はどこから捻出したの?とか疑問は沸くものの、展開が速いのであまり気にならなかった。ストーリーを切る切らないの判断が結構思い切っているのでは。
 ブルースは物静かな性格で、見るからに優男だ(ノートンはなで肩で体格も華奢だし)。決してヒーローという柄ではなく、変身した姿とのギャップはエリック・バナ版ハルクよりも大きい。面白いことに、もう一人の「ハルク」となってしまう軍人エミル(ティム・ロス)も小柄な男だ。彼は体格には恵まれなかったものの戦いの才能がある。周囲の自分ほどには才能はない、しかし体格には恵まれた兵士に対する妬みと体格へのコンプレックスがあったろうことは容易に想像できる。だからこそ怪物化への憧れが生まれたのだろう。大してブルースは、そもそも肉体的な強さはさほど欲していない。彼が欲するのは体を元に戻すことであり、体質のコントロールだ。それはひたすらに肉体的な強さを求めるエミルから見ると許し難いことだろう。肉体のコントロールに対して逆向きのベクトルを持った2人が、ライバル関係になっているのだ。
 クライマックスはハルクともう1人の「ハルク」との戦いなのだが、基本的にどつきあいの肉弾戦で、大変楽しい。ちょっとめまぐるしすぎる感じもしたが、CG多用したアクションだと、これくらいのスピードがないと客は満足しないのだろうか。ハルクが必殺技を繰り出すときに技の名前を叫ぶのには驚きましたが。日本のヒーローものだけじゃなかったんだこのお約束・・・。
 しかし最も魅力的だった映像は、前半、リオデジャネイロのスラム街での、ブルースと軍との追いかけっこ。やっぱり生身感の強いアクションは楽しい。あと、ロケ地の力というのは侮れないなと思った。いいチョイスだった。立体的で猥雑な構造の街は、アクションには向いているのかも。なお、これから日本公開予定の『アイアンマン』を見るつもりの方は、本作も最後まで見ておくことをお勧めする。



『地球人類最後の事件』

浦賀和宏著
えっ、まだ終わらないの?!ちょっとびっくりした!いよいよ八木出生の謎の全貌が明らかになりつつあるが、それ以上に八木様ご乱心で大変です。暴走しすぎ!対女子コミュニケーションの経験値があまりに低いために、無駄な誤解を繰り返し、一方で自分に都合のいい解釈を繰り広げる八木。その姿のイタイタしさは、全国の非モテ男子の心をぽっきり折ってしまいそうだ。しかしこの状況で八木の起死回生はありえるのか?ちゃんと完結するのか?



『堕ちた天使と金色の悪魔』

浦賀和宏著
 『世界でいちばん醜い子供』八木サイド。私、八木の顔がえらく醜いというのは八木主観で、実際はふつうにブサイクな程度なのではという説が捨てきれずにいたのですが、本作で完全に否定されました。八木、純奈、南部の出生の秘密が徐々に明かされてきたが、シリーズの落とし所が全く見えません!浦賀大丈夫なの?!真面目な話、謎の組織の陰謀という大きな物語の落とし所はどうとでもなるだろうが、八木個人の問題の落とし所は難しいと思う。純奈と結ばれればOKというわけではないということが見えてきてしまった。それにしても、八木の10代男子としてのダメな部分が全開になっていて、読んでいていたたまれない。



『世界でいちばん醜い子供』

浦賀和宏著
 八木シリーズで今まで描かれなかった純奈サイドの物語。・・・って八木!お前惜しかったんだよ!超惜しかったんだよ!んもー、あそこでもう一押ししておけば!と八木になり代わって悔しがってみました。純奈は意外と普通の女の子で、普通の女の子的に妄想ぐるぐるしていたのか。冷静に判断しているのに微妙にずれているのは八木同様(八木はあんまり冷静じゃないがな)ですが。しかしこの期に及んで一応本格ミステリ的な文脈を入れておこうとする浦賀の努力には頭が下がります。



『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』

 平和を確認するためのショーとしての戦争が一般化した世界。戦争に出る兵士は「キルドレ」と呼ばれる、永遠に10代半ばで年を停めた少年少女たちだった。そのキルドレであるユーイチ(加瀬亮)は兎離州基地に配属されパイロットとなる。同僚のトキノ(谷原章介)はなぜかユーイチを知っているような素振りを見せる。やがてユーイチは基地指令のスイト(菊池凛子)のことが気になっていくが。
 押井守監督の新作は、森博嗣の同名小説の映画化。SF色が薄い作品は久々ではないだろうか。そのせいというわけでもないだろうが、押井作品としては異例の分かりやすさだ。撮影も(空中戦以外は)スタンダードな実写映画に近い印象を受けた。そして異例のセリフ長回しの少なさ。特に長いと思われるのは、終盤のスイトのセリフくらいではないだろうか。一般に向けた間口は広くなっているが、押井ファンには薄口で物足りないということになりそう。むしろ本作は、キャラクターデザインと作画監督をした西尾鉄也の作品としての側面が強い。彼の代表作になったといってもいいだろう。シンプルかつ無機質なデザインなのだが、動きの表情の付け方が繊細。この映画のエモーショナルな部分は脚本ではなく西尾の作画によるところが大きいと思う。子供(見た目が)が大人の言動をするという危うさ(ユーイチが水商売の女性と寝ているシーンとかそうとう危ういと思う)をヤバくなりすぎずに描けたのも、無機質な西尾絵ならではかと思う。また、押井作品としては例外的に「普通にかわいい少女(具体的にはスイトの妹)」が登場する。顔の表情の付け方というより、動作でかわいさを出すのが西尾の特徴ではないだろうか。
 キルドレは戦闘の中でしか死ねない。戦闘が終わってしまえば代わり映えのない日常が延々と続くのだ。往年の押井ファンなら、これは『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』と同じではないかとすぐに思い当たるだろう(女が無茶言って男を振り回すというのも同じといえば同じか)。ただ、『ビューティフルドリーマー』では「お祭りには終わりが来る」と受け入れて日常に戻るのだが、本作では「戻る」べき日常がない。戦闘中をお祭り、基地での代わり映えのしない日々を日常と呼ぶことはできるかもしれないが、その日常ですら永遠に終わらないという意味では非日常だ。この出口なし状態に彼らは倦んでいく。終盤でユーイチがつぶやく言葉、スイトの決意がわずかな突破口になるか。しかしこれを突破口と呼び、この結末を若者に向けて作ったというのでは、あまりに希望がないというか、むしろ地獄が延々と続くんだよ、「あちら側」にすら行けないないんだよと告げている気もする。
 空中戦シーンは3D、キャラクターと地上での生活は2D。それぞれきれいに作ってあるし、違和感は感じなかった。むしろ、機体とコクピットのキャラクターの絵の摺り合わせなどはかなり上手くいっていたのではないかと思う。飛行シーンは予想範疇内のきれいさ。ただ、夜間飛行には自分でも意外なくらいぐっときた。飛行シーンというと青空に白い雲!みたいなイメージが強かったけど、夜景もいい。
 また、基地周辺はイギリスの田舎のイメージか?と思ったらアイルランドがモデルだった。また中盤で出てくる町はポーランドがモデルだそうだが、映画世界内の公用語は英語らしい。イメージのいいとこ取りみたいな感じだが、ちょっとあからさまにいいところを組み合わせすぎたかなという感がなきにしもあらず。基地周辺の田舎の風景は本当にきれい(行ってみたくなる)し、路面電車が走る暗い町なども魅力的だ。でもやりすぎかなと。
 プロの声優ではなく俳優を起用したキャスティングは例によって賛否両論だろうが、私は全員よかったと思う。加瀬のとつとつとした感じは、感情をあえて抑えているユーイチにはまっていたし、舌ったらずな菊池の声もアンバランスでいい。一部ですごい拒否感をもたれているみたいだけど、なんでかなー。わからないわ。特に上手いと思ったのは谷原。あえて軽薄に振舞うトキノの空疎な感じまで出ていた。



『憐~Ren~』

 500年後の世界から刑罰として過去に送られた少女・朝槻憐(岡本玲)は、学校と自宅でしかその時代の人には認識されない。周囲の人たちの記憶は「時の意思」に操作され、設定された場を離れると彼女のことを忘れてしまうのだ。しかし同じクラスの鳴瀬玲人(馬場徹)は彼女が先日まで「いなかった」ことに気づく。
 監督は堀禎一。前作『妄想少女オタク系』が、どう見ても低予算作品なのにも関わらず、映画としてびしっと決まっている部分があったので、新作もちょっと期待していたのだ。しかし結論から言うと、奇跡起こらず。何でも製作期間がやたらと短かったらしいので、その弊害が出たのかもしれない。確かに突貫工事的な映画だった。
 本作には「未来からの島流し」というSF的な要素が組み込まれているのだが、これが上手く消化されていなかったように思う。憐の行動にはいろいろとルールが課されているらしいのだが、それが段々うやむやになってしまった。時のナイフって何?とか、記憶操作できるなら憐が予定外に接触した人を消去する必要ってのはあまりないんじゃない?とか、色々気になってしまった。
 また、SF云々以前に映画の脚本として、「この人なんで今こういうことを言い出すの?」というところが多すぎる。原作小説に沿った展開なのかもしれないが、文章上はあったであろう前後の脈絡が抜けているのではないだろうか。あまりに普通の田舎町が舞台なので、憐が単なる不思議ちゃんだというふうにも見えるくらいだ(そのへんは疑問の余地がないようにラストで細工していましたが)。
 ただ、普通の高校生としての少年少女を魅力的に撮る監督ではあるなぁと思った。男の子2人が夜中に自転車に乗っているところとか、公園でのバスケとかはかわいくていいシーンだと思う。あと、臆面もなくこっ恥ずかしい(夜空に向かって絶叫とか)シチュエーションを採用できるところは思い切りいいなと思った。



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