3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2008年06月

『イースタン・プロミス』

 病院に勤務する助産師アンナ(ナオミ・ワッツ)の元に、妊娠した少女が運び込まれてきたが、彼女は女の子を産み落とし死亡する。残された日記を見つけたアンナはロシア移民である伯父に翻訳を頼み、彼女の親族を見つけるため、名前が残されていたロシア料理店を訪ねる。その後、店の関係者らしいロシア人ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)がアンナに声をかけてくる。
 デヴィッド・クローネンバーグ監督の新作。前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』にはしびれまくったが、本作も素晴らしい。『ヒストリー~』の方が凄みがあったが、本作は脚本家の持ち味が出ているのか、娯楽性は高くなっているがタイトで冷やかな作品となっている。ストーリーの流れが性急、もしくは平坦すぎると見る向きもあるだろうが、暴力を描く上では、ストーリー自体はこのくらい淡々としている方がいいのではないかと思った。それにしても、『ヒストリ~』を見た時も思ったが、クローネンバーグがこんな抑制の効いた、同時にメロドラマ的(しかもプラトニックなんだぜ!)要素のある映画を作るようになるとは・・・。趣味色強い変態映画しか撮らない人かと思っていました(ひどい偏見だ)(しかしパンフレットのフィルモグラフィーをよく読んでみたら、次の仕事は「ザ・フライ」のオペラ版だって。それどんなオペラだよ!)。
 さて、『ヒストリ~』でも本作でも、映画はごく日常的な風景の中に突然出現する(もしくは出現が示唆される)ことから始まる。床屋の「事件」にしろ、ニコライの死体処理にしろ、サッカー場での「事件」にしろ、暴力の出現がさりげなく、同時に鮮やかで魅了された。銃撃戦が主だった前作に対して、本作では一度も拳銃は使用されない。暴力はほとんど無音である。
 また、主人公であるモーテンセンはどちらの作品でも身分を偽っている。さらに、『ヒストリー~』は日常の中に潜む暴力が描かれ、本作では暴力の中に潜むあるものが描かれる。2作は鏡合わせのような関係、セットとなった作品と言えるだろう。ただ、モーテンセンのベクトルの方向が反対なのだ。本作の方がより人間味がある、あるいはどんな人間かが多少わかるとも言えるかもしれない。『ヒストリー~』の後に本作が撮られたということに、少しほっとした。逆の順番だったらとてもどんよりとした気分になっただろう。光の中で闇を見据えるよりも、闇の中で光を探す方が、たとえ見失いそうな光であってもまだしも希望が持てる。
 キャスティングがすばらしい。主演のモーテンセンは『ヒストリー~』からの続投だが、よほどクローネンバーグのお気に召したのだろう。多分、監督が考えるところの暴力を、的確に表現できる俳優なのだと思う。この人を起用できたということでクローネンバーグの作風が大きく変わった、前作および本作が成立したという側面も多々あると思う。そのくらい作品と俳優とががっしりかみ合っているのだ。酷薄さと時折見せる優しさとの2面性に妙に説得力があり、彼の正体が明らかになってから、その2面性の意味合いががらりと変わって見える。また、話題になっている素っ裸での乱闘シーンだが、最近見たアクション映画の中でも特に痛そうだった。服・靴着用の相手と裸で戦うって恐ろしいなー。なお素っ裸はさておき、刺青入れさせているシーンがやたらとエロい。クローネンバーグのフェティシズムはこういうところにあるのかしら。
 また、ロシアンマフィアのボスの息子役のヴァンサン・カッセルが予想以上の好演だった。父親に対しても相棒であるニコライに対しても強いコンプレックスを持ち、いきがらずにはいられない。享楽的かつ粗暴だが、何かの拍子にふっと子供の顔になる。面倒だし、まあ駄目な奴なのだが、このバランスが悪いキャラクターをカッセルが演じると、どこか可愛げがあって憎めない。大人になりきれない悲哀みたいなものまで漂ってくる。カッセルに対して演技が達者というイメージがあまりなかったもので、ちょっと驚いた。ニコライに対する、ホモセクシャルな色合いを含んだ愛憎も、カッセルの妙なテンションの高さにより説得力が出ていたと思う。


 

『東京島』

桐野夏生著
漂流して無人島に流れ着いた日本人たち。彼らはどう変化していくのか。『ダーク』以降、著者は人間の変態していく様、とくに理性や常識・通念から自由になり、いわば動物化していく様に強い関心を持っているのだろうか。文明から隔絶した地でだんだんタガが外れていく過程が、コメディ的でもあり怖くもある。人間が壊れていく過程に対してすごくイマジネーション豊かな作家だなぁ(笑)。遭難者唯一の女性である清子を40代に設定したところが流石というか意地が悪いというか・・・。彼女が環境にどんどん順応するたくましさとふてぶてしさにたじろぎつつ、一気読み。しかし最初の1ページでいきなり無人島生活5年目になっているところに吹いた。あと地名のネーミングの確信犯的安っぽさ。いろいろと思い切りがよすぎる。


『JUNO/ジュノ』

  16歳のジュノ(エレン・ペイジ)は同級生のポーリーと興味本位でセックスし、妊娠してしまう。彼女は広告で養子を探している理想的な若夫婦を探し、出産してから養子に出すことにした。かくしてジュノの妊娠生活が始まる。
 監督はジェイソン・ライトマン、脚本はディアブロ・コディ。アカデミー賞脚本賞を受賞しただけあって、確かに面白い!特に会話のテンポのよさとひねりのきかせかたは軽妙で楽しかった。ユーモアのセンスがとてもいいと思う。これ、英語がわかったらもっと面白いんだろうなー。字幕ではすくいきれない面白さがあるんじゃないの?!と歯噛みしてしまった。
 主人公であるジュノのキャラクターが魅力的というのも勝因の一つだろう。70年代パンクロックとコミックへの造形が深くホラー映画好きでギターが趣味といういかにもな文系サブカル男子キラー(笑)。しかしひねくれた言動の割には、10代らしくこまっしゃくれてブーブー言ったりするものの、意外にスレていない。こういう「普通にそこそこ幸せな(主観的には色々ご不満もお持ちなんでしょうが)子」という設定は、最近のアメリカ映画のティーンエイジャーとしては少数派のように思う。特に、両親との関係がかなり良い点は例外的といってもいい。高校生が出産という一見とんがった設定ではあるが、価値観はわりとコンサバというか、とんがっていないのだ。その点が逆に新鮮だった。
 また、彼女の周囲の人たちもいい。親友のリアはいかにもいかにもなバービー人形的美少女で、ジュノとは趣味がぜんぜん違いそうなのだが、友情に厚い。しかもなぜかDBな数学教師に片思い中だ。赤ん坊の実の父親であるポーリーはぼんくら扱いされているが、実は本気でジュノのことが好き。実父は空調工事をしているエンジニアで、インテリではないが娘をばっちり愛しているし、ネイルサロン勤務の義母も、いざとなればジュノの為に啖呵を切る。ベタな設定になりそうなところ一ヶ所スっとはずす、キャラクター造形のさじ加減が巧みだ。特に両親の造形に好感が持てる。ジュノに妊娠したことを告げられた時の、ショックだが騒ぎはしない父親、驚くもののすぐ現実的なところに立ち返る義母のリアクションに、2人の性格が如実に現れていている。こういう愛情のあり方は見ていて安心する。
 「一人で産めるもん!」と言わんばかりだったJUNOだが、やはり10代の女の子なわけで、ここまでは大丈夫だがこれ以上は許容量オーバーになってしまうという部分もある。ストーリー作りにおいて、その線引きが結構冷静になされていたと思う。養子先のカップルの顛末を知ってショックを受けてしまうところでは、まだ結構子供だったんだなぁと(それまで大人と対等にやりとりしているだけに)実感させる。またこのエピソードから、彼女が家庭というものについてかなり良いイメージを持っていたんだなということも分かる。このへんも最近の青春映画としては結構めずらしいなーと思った。
 全般的に楽しく元気が出る映画なのだが、ちょっとイタい気持ちになる部分も。ジュノのティーンエイジャーらしいわがままと未熟さもその一つなのだが、最大のイタさの元は、養子縁組先のカップルだろう。妻は母性が過剰すぎて養子計画に暴走気味、それを許容しているように見える夫は、本当は親としての責任を負いたくない。自分が子供でいたいのだ。しかし妻は子供を持つという自分の夢に夢中で、夫の躊躇には気づかない。私、妻のいきすぎた母性は全く理解できないが、夫のまだ遊びたいんだよ!的な葛藤には共感してしまった。この夫、ギターコレクションしていてバンド経験あってホラー映画マニアでという、ある種の文系男性の典型みたいな人で苦笑いを誘うのだが、その気持ちわかるよ!と肩の一つもたたいてやりたくなる。若い女の子が自分の趣味に理解を示して話にノってくれたら、そりゃあその気になっちゃうよな!というショボい点も含め。


『コロッサル・ユース』

 ポルトガルはリスボン郊外のフォンタイーニャス地区。この地区には古くからアフリカ系移民が住んでいたが、地区再開発の為、新しい集合住宅へと強制移住させられていた。34年間この地区で暮らしてきたヴェントゥーラは、妻のクロチルドに家を出て行かれ、貧民街と団地とをさまよう。
 ペドロ・コスタ監督の前作『ヴァンダの部屋』を見たときには、インパクトに圧倒されつつもどう見ていいのか分からず戸惑った。本作もやはり、向き合うのに気力体力がいる作品だった。ずっと見ていると、映画と戦っているような感じがしてくる。サスペンスでもホラーでもないのに安心して見ていることが出来ない。しかし今回は、前作に増して美しい。光と影のメリハリが極端に付けられており、さらに画面に妙に奥行きがある構図でインパクトがある。また、前作よりも光が多く明るいシーンが増えた。フォンタイーニャス地区の室内が主な舞台だった前作と比べて、本作では新しい団地の室内のシーンが加わっているからだろう。なんと前作で自分の部屋を確保しようと必死だったヴァンダが暮らす新しい団地の部屋には光が溢れている。しかし同時に白々と、のっぺりとしている。廃墟のようなフォンタイーニャス地区の室内は荒れ、暗いが、陰影が深い。ヴェントゥーラが地区を離れることを嫌がるのも、団地の平坦さと均一化を忌避してのことだろうか。しかし彼も最後には地区を離れていく。地区のいたるところでは建物を取り壊す工事の音がし、一つの時代の終わりを感じさせる。
 しかしヴァンダが団地に住んでいたのには驚いた。しかも夫と幼い娘がいる。前作では意固地に地区にとどまっているのかと思っていたのに・・・。世代の断絶やら均一化やらを全く意に介さず、ともかく生活することだ!というたくましさを感じた。
 本作に出てくる人たちは皆素人で、実際にフォンタイーニャス地区や団地に住んでいる。しかし本作がノンフィクション、ドキュメンタリーかというと少々異なる。ヴェントゥーラはヴァンダを「娘」と言うがそれは大分怪しいし、繰り返される妻への手紙の言葉も詩的すぎる。また、撮影対象への光の当て方は過剰にドラマティックだ。これはフィクションとかノンフィクションとか、もうどちらでもいいのではないかと思う。


『ランドマーク』

吉田修一著
大宮に建築中の超高層ビル。その設計士・犬飼と鉄筋工・隼人。2人の日常にうっすらとした圧迫感を感じていた。犬飼パートと隼人パートが交互に現れる長編小説だが、2人の接点は同じビルの建築にかかわっているという点のみで面識はない。しかしビルが影響しているかのように、それぞれの形で現状の崩壊を望んでいるように見える。どちらもセックスを介した変容ではあるが、隼人の場合はそれが自分の体に向かい、犬飼の場合は妻との関係に向かっているというのが対照的。隼人の「自分があせらないことに焦る」という気分はちょっとわかる。このままずるずると落ちていっても平気なのだろうがそれでも自分は平気なのかもしれない、でも踏みとどまらないとダメなんじゃないかという圧迫感。踏みとどまる為にとる隼人の手段は風変わり、というより不器用に見える。でも彼は彼なりになんとかなろうとしているところがちょっとやりきれない。著者は人の不安感、あとちょっとでくずれそうな瞬間にすごく興味があるのではないだろうか。カウントダウンされていく章立が更に圧迫感をあおる。こういう細かいところが上手くて癪なんだよなー。あと浮気の描き方が毎度毎度上手い(笑)。


『女たちは二度遊ぶ』

吉田修一著
11人の女が登場する連作短編集。どうということない話でも上手いなー。実際にはこういう女性はいないかもしれなくても「あーいるいるそういう女!」って思っちゃう言動をさせるのだ。ちょっとした描写で登場人物のキャラクターがぶわっと広がる。しかし結構しぶとい女性ばかり出てくるような気が(笑)。シニカルだったり風変わりだったりする話が多い中、「最初の妻」はベタに痛切で異色だった。取り返しのつかないことには、後から気づくのかもしれない。


『パレード』

吉田修一著
2LDKのマンションをルームシェアしている4人の男女。他人ではないが友人でもない。薄い付き合い故に楽で、相手の本当の姿を知らないことで却ってお互いに優しい関係を作れる。だって他人の本当の姿なんてわからない。皆、この場にあった自分を演じているだけで、むしろこのくらいの関係の方が心地良い・・・と思いきや全部このラストの為の伏線かよ!本当の姿は誰も分からない・誰も見せないってこのことなの!川上弘美の解説(文庫版)にあるように、再読するとさらに怖いかも。いやー上手いな。人間のグレー(ブラック寄り)な部分をすごくよく観察していると思う。


『ヒューマン・ファクター』

グレアム・グリーン著、加賀山卓朗訳
 「わかりました―だったら裏切り者なんでしょう。誰を裏切ったんですか?」イギリス情報部の秘密事項がソ連に漏れた。年配職員カッスルは嫌疑を逃れるが、若い同僚デイヴィスに疑いが。裏切り者は誰なのか?誰にとって、何にとっての裏切りなのか、何に忠実であるのが本当に人間らしいといえるのか付きつける名作。1人のスパイが、人間らしい感情に忠実であろうとして転落していく様が痛切だった。どう見ても「出口なし」な状態なのに、いろいろな物を切り捨てられない姿はひどくもどかしいのだが、人間である以上しょうがないのか。では切り捨てていくことを強いる国や組織はなんなんだろうかと、どんよりとした気持ちになった。



『ぐるりのこと』

  『ハッシュ!』から6年ぶりとなる橋口亮輔監督の新作。法廷画家のカナオ(リリー・フランキー)と出版社に勤める翔子(木村多江)夫婦。翔子は初めて生んだ子供の死がきっかけで、精神のバランスを崩していく。
 1990年代初頭から2000年代へと、大きく変化してきた日本の社会を背景に、1組の夫婦の歩みを描く。ナカオの職業が法廷画家であることで、大きな事件には必ず言及することができ、これは上手い設定を考え付いたなと思った。また、裁判の場にはいるが傍観者であり、しかし1人の人間としては完全に傍観者と割り切ることは難しい(ナカオはある法廷の後、新聞記者に「こんなの(読者は)見たくないっすよ」と洩らす)というバランスがよかった。現代日本の10年史といった側面もありつつ、焦点はあくまでカナオと翔子という夫婦の生活にあたっている。
 この「傍観者である」という設定がカナオのキャラクターの一面を象徴していた。世間でやりきれない事件が起きる一方で、より小さな世界では、妻が鬱で苦しんでいる。カナオはどちらに対しても泣いたりわめいたり、感情を露わにすることはない。特に翔子が鬱を発病するまでは、翔子に対してもどこか踏み込まない部分があった。基本的には(経済的にも性格的にも)頼りない男なのだ(実際、翔子の家族はナカオとの結婚を快く思っていない)。しかし翔子が行動が危うさを増してくると、逆にナカオの懐の深さが際立ってくる。それが法廷画家として修羅場を目の当たりにしてきた経験からなのかどうなのかはともかく、明らかに冒頭のナカオとは変わってきている。抱擁力が上がっているというか、妻と一緒にいる覚悟ができたというか。パニックを起こす翔子を抱きしめ、鼻水だらけだ・・・とぼやくシーンはユーモラスだが実に美しい。演じるリリー・フランキーが初主演ながらも非常によかった。この人の持ち味のよさを、監督が引き出した感じがする。私、リリー・フランキーは男性としてまったく好みではないのだが、何故モテるのかがよーくわかった(笑)。すごくセクシーですね。そりゃもてるわ。
 一方、翔子役の木村多江は、元々薄幸そうな顔立ちなのに役柄としても色々痛めつけられている。まじめすぎて追い詰められてしまう人を熱演していた。これは、演じる側も相当きつかったのではないかと思う。き真面目で几帳面な努力家であることがエピソードの随所からわかるだけに、「ちゃんとしたいのにできない」という言葉が胸を打つ。また余談だが、兄嫁に「精神科にかかっている人が身内にいると息子の幼稚園受験に不利」とあっさり言われてしまうシーンが少々ショックだった。そうか、あの当時は(今でもかもしれないけど)そういう扱われ方なのか・・・。心療内科という言葉も定着してなかったんだもんな。
 カナオと翔子はある種対照的な夫婦なのだが、ぶつかり合いと支えあいによってなんとか問題を乗り切っていく。しみじみと、人は人との関係の中でしか回復し得ないのではと思った。夫婦のきつさ、そして醍醐味は維持していくというところにあるのかなとも。また、カナオ・翔子夫婦だけでなく翔子の家族の姿から、人間と人間が関わっていくこと、変化していくことの可能性に対して、橋口監督は前作よりも一歩踏み込んだなという印象を受けた。
 脇役の配置とキャスティングも非常にいい。特に裁判所職員役の柄本明が、なぜか見ていてなきそうになるくらいによかった。なお、裁判の被告役の俳優らが全員熱演していて異様な迫力があった。特に幼女誘拐殺人犯(劇中の役名は変えられているが、要するに宮崎勤)役の加瀬亮がえらいことになっている。背筋凍った。

『神様のパズル』

 ロッカー目指してなぜか寿司屋でバイトする基一(市原隼人)。双子の弟・喜一の身代わりとして大学のゼミに出た彼は、担当教授(石田ゆり子)から不登校の天才学生・穂瑞沙羅華(ホミズサラカ・谷村美月)を引っ張り出して来いと言いつけられる。彼女の自宅を訪ねた基一だが、話はさっぱりかみ合わない。しかし彼女は、基一が思いつきで口にした「宇宙は作れるのか?」という疑問に興味を示す。原作は機本伸司の同名小説、監督は三池崇史。エグセクティブ・プロデューサーは角川春樹。
 公開前から「三池と春樹が組んだらとんでもないことになるんじゃね?」とトンデモ映画最右翼とみなされていたらしい(『僕の彼女はサイボーグ』のインパクトの前に霞んでしまいましたが)本作。しかし、三池監督にしてはわりと普通寄りの映画になったのではないかと思う。主人公を「秀才の双子の弟がいる凡人」というややこしい設定(多分原作では、主人公も学生なんでしょうね)にして説明セリフを使いやすいように(主人公に対してまず説明しないとならないから)したり、田んぼでのアルバイトを挿入してミクロとマクロを対比させてみたり、谷村美月がジャージ+タンクトップ姿の僕っ娘となって半乳をこれでもかと披露してみたり(多分これが本作最大のキャッチーさであろう)、SF初心者や宇宙に興味のない人に対しても間口を広げようという努力の跡が見受けられる。実際、基一がセミでやっとこさやってのける宇宙誕生解説は、私はこの手のことにとんと疎いもので「ヘー」となかなか面白く見ることができた。映画見る面白さとはちょっと違うかもしれないが。
 ただ、ストーリーが破綻しているという批判は免れないだろう。というか、よく考えるとストーリーらしいストーリーがないんだよな・・・。宇宙誕生に関する解説と三池テイストの小ネタで構成されているといえばそうだし。また、何の為に出してきたのかわからない登場人物やら設定やらも多く、置くだけ置いてあと放りっぱなしな印象は否めなかった。特に沙羅華に批判的な先輩は、何で批判的なのか、そしてクライマックスで何の為にある行動に出るのかさっぱりわからなかった。さらに、宇宙作りが途中からどうでもよくなっている(笑)。
 ただ、割とそこが抜けた映画ではあるが、あまり悪い印象は受けなかった。青春映画としてのテイストはなんとなく保たれているのが好印象だったのかもしれない。三池はおそらく、SFではなく青春映画として撮っている。だから「宇宙作れなくても大丈夫!」というところに着地するのだろうし、それで正解だったと思う。あと、主演の市原の力も大きい。演技が特に上手いとは思わないが、オーバーアクションを臆せずやるキレと生きの良さがあって、青春一直線なアホの子役を好演していたと思う。それだけに、基一と沙羅華の関係を通り一遍に描いてしまったのは残念。ボーイミーツガールというより、似た背景を持つ(2人とも親からの承認が不確かで不安。このあたりをもっと突っ込んでも良かったのにと思う)2人の友情未満の感情といった淡さが悪くなかった。

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