3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2008年05月

『シズコさん』

佐野洋子著
愛せなかった母親との関係を綴った随筆。読んでいて辛くなるところもあった。著者の母親(父親も)が相当大変な性格の人だということもあるのだが、母親(娘)に対して愛情をもてないしんどさが重い。母親が呆けて人が変わったようになってから、やっと愛せるようになったと言うのだ。で、母親は結構な高齢でなくなっているから著者もそこそこ高齢なわけです。その年になるまで親子関係で苦しまなくてはならないのかと思うと気が遠くなる・・・。著者にとっても、やっと母親について書けるようになったという心境だったのだろう。ただ、(作品内でも言及されているが)著者自身の健康にも問題があったそうで、本作も文章が重複している部分や、少々早書きだったのではと思われる部分が。心配です。


『靖国』

 上映するのしないので大騒ぎになった本作。なかなか見られないとなると見たくなるのが人情というものです。で、ほとぼり冷めたころを見計らってみてきました。タイトルの通り、靖国神社とそこに集まる人々、奉納される日本刀を作る刀鍛冶職人の姿を捉えた作品。
 ・・・上映規模が小さいのは、単純に客が入らなさそうだったからじゃないの。やっぱり、実際に見ないとだめですねー。いっそ真剣に自粛を検討しなければいけないくらいの危険物だったらよかったのに・・・。ウヨの皆様のブーイングが急に沈静化したのも、この程度なら騒ぐ必要なしと判断されたからではなかろうか。
 扱う素材自体は面白くなりそうなものなのに、アプローチがうまくいかなかった、問題作になり損ねたという印象を受けた。確かに面白い部分もある。8月15日の靖国神社境内がああもカオス状態だとは思わなかった。軍服姿の行進は、実用していたであろう年配世代はともかく、若者が着ていてはコスプレにしか見えない(カメラを向けるとちゃんとポーズを決めてくれる人もいるので、コスプレ感覚はあるのかもしれないが)。「小泉首相を支持します」PRを行っているアメリカ人男性や、彼に対して握手やサインを求める人たち(年配の方たちが普通に英語で話しかけているのが意外だった)、また「ヤンキーゴーホーム!」とばかりに突っかかっていくエキサイト気味のおじさん、そして屋台。客観的に見たらかなり変な光景である。
 監督の出自を考えると、靖国神社に対しては当然思うところがあるだろうと思うのだが、目の前の「面白さ」にもっていかれてしまったのではないだろうか。たぶん、こういうドキュメントにしようという骨組みはあったのだろうが、だんだんずれてきたのではないか。元々、あまり批評精神の強い人ではないんじゃないかなー。
 また、カメラの前で起きる状況をさばけきれていないように思った。そう思わせる要因のひとつは、編集のまずさにあるだろう(撮影の荒さについては、それほど気にならなかった)。妙に冗長なところと、なんでここで切っちゃうのと勿体無く感じさせるところとが混在していた。これ、編集だけうまい人にやり直させたら、もっと面白くなるんじゃないだろうか。
 なんとなく不消化な印象を残す最大の要因は、監督のインタビューが下手だということかもしれない。インタビュー場面はさほど多くはなく、刀鍛冶の老人との話がメインなのだが、相手の中に今一歩踏み込めていないように思った。ここであと一押し!というところで話の流れをぶったぎっていたりするので、残念。監督が日本語堪能とは言え独特のアクセントはあるので、お年寄りには聞き取りにくいというのも一因かもしれないが。しかしそれを差し引いても話の振りが唐突すぎる。


『最高の人生の見つけ方』

  病院でたまたま同室となった、自動車整備工のカーター(モーガン・フリーマン)と大富豪の実業家エドワード(ジャック・ニコルソン)。何の共通点もない2人だったが、どちらも末期ガンで余命わずかということがわかり、「死ぬ前にやっておきたいことリスト(棺おけリスト)」を消化する為の旅に出る。
 見ていて気持ちの良い好作。大人の為のファンタジー(なにしろエドワードが超金持ちだし、抗がん剤治療による苦痛の描写はそこそこでスルーされている)という側面は強いものの、主演2人の貫禄で見ごたえがある。フリーマンはお得意な「良識派のちょっと知的なおじいちゃん」だし、ニコルソンは彼の本領というべき子供っぽさを残したワンマンタイプ。もっとも、フリーマン演じるカーターがまじめすぎて若干ビビリであったり(除くカーレース)、ニコルソン演じるエドワードが普段は自信たっぷりで傍若無人なのに、カーターのカテーテルが外れてうろたえちゃうあたりなど、なかなかかわいい面も見せているあたりがいい。
 さて、死を間近にした男の2人旅というと、私は『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』というドイツ映画(1997年、トーマス・ヤーン監督)を思い出す。これは、それまでまったく面識のなかった若い2人の男が、入院先で余命わずかと知り、病院を抜け出して海を目指すという話だった。話のパターン自体は本作と同じなのだ。
 しかし、実際に受ける印象はずいぶんと違うものだった。『ノッキン~』がドイツ映画、本作がハリウッド映画という違いはもちろんあるのだが、最大の違いは主人公2人の年齢だろう。『ノッキン~』の主人公は若者だが、本作は老人だ。悔しさや後悔の種類がちょっと違うのだ。若者だったら「あー、あれもこれもできるはずだったのに!」と思うところだが、老人だったら「あれもこれもできなかったなぁ」と思うのではないだろうか。
 また本作の場合、カーターは既婚者で子供や孫もいる(エドワードにも娘がいるが絶縁状態)というのがかなり大きい。カーターとエドワードの旅は、2人にとってはやり残したことをやるためのものだが、カーターの妻子にとっては、夫・父親との残された貴重な時間をエドワードが横取りしてしまったことに他ならない。実際、カーターの妻はエドワードを非難し「夫を帰して」となじる。実際はもっと泥沼化しそうなところだが、そのあたりは突っ込みすぎず、観客をいやな気持ちにさせないギリギリのラインをすり抜けていたように思う。
 実際、2人のやりとりはコミカルで楽しいのだが、最後の時間を家族ではなくまったくの他人と過ごすことを選択するというところには、なんとも言えないものを感じた。自分の死は自分の家族とであっても分け合えず、同じく死に直面している人とならかろうじて通ずるものがあるのだろうか。
 ちなみに、エンドロールにFrank CapraⅢという名前が載っていた(ファースト・アシスタント・ディレクターかな?)のだが、あのフランク・キャプラのご親戚か?・・・と思っていたら、お孫さんだそうです(米ウィキペディア情報)。
 


『ブレス』

 自殺未遂を繰りかえす死刑囚チャン(チャン・チェン)は喉を突いて声を失った。そのニュースをTVで見ていた主婦ヨン(パク・チア)は、思い立ってチャンが収容されている刑務所に行き、面会を求める。
 キム・ギドクらしく、なんとも不思議・珍妙な映画だった。ヨンが何故刑務所を訪れたのか、チャンとヨンが何故急に恋人同士だったような振る舞いをすることに対し何の説明もないし、ヨンが急に面会室で歌いだすのも奇妙だ(しかもあまりうまくない)。そういうことはどうでもいいのだろう。キム・ギドクのここ最近の作品では、世界は抽象化されていて、ある種書き割りのようだ。その書き割りに複数の人間を放り込み、どういう反応が生まれるか観察するという趣があったように思う。
 本作の場合、その「反応」を起こすのはチャンとヨンのカップルであるように見えるが、この2人がストーリーの中心かというとちょっと微妙だ。むしろ、2人が惹かれあっているという形を見せることによって、チャンと同房の囚人たちや、浮気中のヨンの夫の心が揺さぶられていくというところが中心にあるのではないかと思う。チャンとヨンというカップルの間の関係の深まりが重要なのではなく、結果としてチャン、ヨン各々と、それ以外の人とがもう一度向き合うことになるという所が重要なのではないだろうか。少なくとも、ヨンに関してはそうだと思う。彼女と夫との間は冷え切っているが、未練がないわけではない。現に、ヨンが面会室に貼ったポスターは、夫との思い出の風景のものだ。
 キム・ギドク自身も、刑務所の刑務課長役でちらりと出演している。独断でヨンとチャンの面会を許可したこの人物は、2人の様子をずっとモニターで眺めている。チャンとヨンを会わせることで何が起こるのか観察するように。とすれば、それは映画監督キム・ギドクの姿そのものとも言えるのではないだろうか。


『てるてるあした』

加納朋子著
 両親が夜逃げし、一人で田舎町「佐々良」にやってきた15歳の照代。遠い親戚だというおばあさん久代の家に居候することになるが、その家で女の子の幽霊を見てしまう。「ささらさや」の続編で、さやや久代を筆頭とする登場人物も出てくる。今回主人公である照代は、勉強は得意だが不美人で愛嬌がない。そんな彼女視線で描かれるさやとその周囲は、「ささら~」を読んでイラっとした読者の気持ちを代弁しているかのようだ。著者はそのへん自覚的に書いていたのね。2冊セットでバランスがとれる作品なのだろう。しかし照代自身も、傍目には少々イラっとさせる性格なのではないかと思うが(笑)。ミステリとしてはやはり薄味だが、少女の成長ものとして読みやすかった。ただ、照代が終盤に母親に向けた言葉にはひっかかった。それは子供であることを断念することに他ならない。庇護されてきた人が成長過程で自然とそうなるならともかく、こういう強制終了みたいなのはなぁ・・・。10代の少女にこれを言わせるのは酷だ。彼女が大人になった時、母親と同じようになったりしないの?と思ってしまう。一見さわやかだけど、そう思うと苦い。


『ささらさや』

加納朋子著
 キタキタキターっ!私がモロ苦手なタイプのヒロインが来ましたよ!赤ん坊を連れて田舎町に逃げてきたさやを、死んだ夫が幽霊となって見守る。幽霊を探偵役とした、著者お得意の「日常の謎」ものだが、ミステリとしてはかなり薄口だ。むしろ、弱弱しい女性だったさやが、親として成長していく物語としての側面が強いと思う。しかしすぐ泣くしキョドるし、あーっイライラするわ!「刀の鞘みたい」という言葉も取って付けたみたいでぜんぜん説得力がありません!その力、もっと早くに出しておくべき!3人の老女や一見派手なママ友達のキャラの濃さがなかったら、結構読むのがつらかったかも。


『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』

  いやー面白かった!こんなに傑作なのにゲットしたアカデミー賞が主演男優賞と撮影賞のみとは、PTAは死ぬほど悔しいだろう。間が悪かったよなー。昨年の公開だったらあるいは・・・。いやしかし傑作・そしておそらく渾身の一作であるということに違いはありません。ポール・トーマス・アンダーソン監督といえば「マグノリア」のようなトリッキーな群像劇という印象があったが、本作ではまるで古典作品のような(流れないエンドロールが象徴的)、今までの技法を投げ捨てた直球勝負を挑んでいる。
 石油採掘業者のダニエル・プレインビュー(ダニエル・ディ=ルイス)は一発当てる為、幼い息子を連れてアメリカ中を飛び回っていた。1人の青年から「うちの実家のあたりには石油が埋まっている」と聞いたダニエルは、早速土地を買占めに動く。
 主人公を演じるダニエル・ディ=ルイスがぎとぎと感あふれる大熱演である。本作はダニエル・プレインビューという男が成り上がっていく一代記であるのだが、「男の一代記」という印象を深めたのはディ=ルイスの存在感の濃さによるところが少なからずあると思う。これはアカデミー取るのも納得。ちょっとオーバーアクション気味なのがちょうどいいのだ。宣教師役で共演しているポール・ダノも相当うまいのだが、ディ=ルイスの得体の知れない迫力の前にはインパクトが薄れてしまったか。
 さて、プレインビューはひたすら富を追い求め、時に非情であるが、いわゆる悪人ではないし怪物的、悪魔的人物でもない。彼は彼なりに息子や仲間を愛する。興味深かったのは彼の愛のあり方だ。彼は息子をかわいがり仲間も結構大切にするが、自分の役に立たないと判断すると即刻切って捨てる。彼の周囲の人に対する愛は、使い慣れた道具を愛するような愛であるように思った。愛着のある道具だから壊れたら悲しいし捨てるのは惜しいが、替りがないということはない。そもそも道具を壊してしまったのは自分の責任でもある。自分に背を向ける息子を見送るプレインビューは、悲しいというよりむしろ悔しいのではないかと思った。
 自分に役立つものを愛し自分に背くもの・役に立たないものを切り捨てるという姿勢は一貫して変わらない。この一点では、プレインビューは実に筋が通っている。また、もう一点彼が実に筋が通っているのは、目に見えない・あいまいなものは信じないという点だ。だから彼にとって神は存在しない。物語は、一見、物欲の権化であるプレインビューと神の教えを(胡散臭いけど)説くイーライとの対決とも見えるが、そもそもプレインビューにとって神はいない。イーライと同じ土俵には乗っておらず、勝負になりようがないのだ。私は本作を見てやたらと感動したのだが、プレインビューのブレのなさに感動したのではないかと思う。
 もっとも、強欲という意味では、宣教師としての尊敬や名声を求め派手なパフォーマンスを行うイーライも似たり寄ったりだ。しかし尊敬も名声も目に見えない。あるシーンが反転されるラストの展開は、目に見えるものだけを追ったプレインビューの勝利宣言だろう。仲間も家族もなくし果てはあんなことになって彼は本当に幸せなのか?と問う人もいるだろうが、彼は幸せなのだと思う。あれ、全然転落じゃないよなー。すっきりした顔してるもんなー。重厚ではあるが、決して陰鬱な映画ではない。むしろひとつの道を邁進する男に対して喝采したくなる、爽快さがあった。

『少女には向かない職業』

桜庭一樹著
 中学生少女を主人公にした作品ということで食わず嫌いをしていたのだが、面白かった。以前は鼻についていた少女という存在に対する過剰な思い入れとナルシズムが薄くなっているからだろうか。主人公は少女ではあるが、少女というよりも10代の子供が盛る社会的・肉体的・経験的な不自由さが重点になっている。子供の不自由さの描き方はうまいと思う。主人公が親から受ける仕打ち(親の方はぜんぜん仕打ちだとは思っていないのだが)に対して、読んでいて頭の芯のほうがチリチリしてくるくらいにはうまい。親もまた子供であるというところが痛々しい。こういうタイプの女性に対して何か恨みでもあるんですかね・・・。ミステリ小説のレーベルから出ている作品ではあるが、実際にコトを起こさなくても成立する話ではあると思う。コトを起こしたことで、妙にジャンクっぽくなってしまったような。それも作者の意図なのだろうか。ある古典ミステリの本歌取りになっている点だけど、ミステリとしてはOKなのでは。


『CSI:ニューヨーク 死の冬』

スチュアート・カミンスキー著、鎌田三平訳
 カミンスキー久々の新刊が!と思ったら、何とアメリカの人気ドラマのノベライズ。ノベライズといっても、CSIシリーズの場合、担当作家にお任せした完全オリジナルなのだそうだ。だからなのか、ドラマの華やかさが片鱗も窺えない、いつもカミンスキー節が炸裂している。渋いわー。相変わらず、中年と老年の描き方がうまい。妻を亡くした男が折に触れて彼女を思い出してたまらなくなるところとか、老犯罪者と子供の交流とか、ここぞというところで決め球投げてくるあたりさすがであります。カミンスキーファンにもドラマのファンにもお勧め。面白いです。


『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』

青柳いずみこ、川本三郎監修
 井伏鱒二を筆頭とする、阿佐ヶ谷とその周辺には文人が多く暮らしており、「阿佐ヶ谷会」なる会合を開いていた。主に将棋と酒盛りで、文学論などはあまり口には上らなかったと言う。その阿佐ヶ谷会の様子、それぞれの交流が窺える文人らの随筆などを収録した1冊。今では入手困難であろう作品もあるので、資料としては貴重かなと思う。井伏は人柄のいい人だったようで、彼がいたからこそ会としてのつながりが保たれていたのだろう。文人らが男の子のようにつるんで遊んでいる様子がほほえましかった。文人萌えの方はぜひ。しかし全員ど貧乏暮らしだったそうなので、奥さんはえらい大変だったと思うが。


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