3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2007年08月

『インランド・エンパイア』

 『マルホランド・ドライブ』の発展形というか焼き直しというか・・・ともあれ、わけ分からなさは確実にUPしているデビッド・リンチの新作。なんと上映時間3時間。何の拷問だそれは。
 「いったい誰の夢なの?」という前作『マルホランド・ドライブ』と同じネタだが、映画そのものとしては前作よりも劣化していると思う。劣化しているのではないかと思う理由の一つは、単純に映像の画質があまりよくない所。今回はフィルムではなくデジタル撮影だそうだが、色合いの深みみたいなものが薄くなってしまった。ホームビデオで自主映画撮っているような、ショボい映像なのよね。この安っぽさは意図的なものなのかもしれないが、3時間延々と見せられるとちょっときつい。
 もう一つは、その3時間という上映時間。脚本ががっちりしているのならともかく、わけわからないまま3時間引き回されるというのはかなりきつかった。断片的にはメリハリがあっても、トータルで見るとずるずるした映画になってしまっている。デジタルカメラということで撮影・編集しやすくコストも抑えられるからか、ついつい撮りすぎてしまったのではないか。ここ本当に必要なのかなぁというシークエンスが多々あった。観客に対する嫌がらせかよー。イマジネーションのままに撮るといえば聞こえはいいが、それをそのまんま出してしまうのは監督として怠慢なのではないかと思う。
 もっとも、ぐっとくるシークエンスがあるのも確かで、これがあるからリンチを見捨てられないんだよなぁとも思う。得体の知れない恐ろしさとか、何かよくわからないけど怖い、気持ちが悪いというシチュエーションを作るのは実に上手いので、その部分はつい見てしまう。人の顔のアップだけなのになんでこんなに怖いのかしら。あまりよくない夢を延々と見ているような、漠然とした不安にかられる。
 あと、女優を美しく撮ろうという意思が全くみうけられないあたりがすごいなーと思った。主演のローラ・ダーンは、映画内では「美人」と称されているけどあんまり美人じゃないし、務めて醜悪な表情を撮ろうとしているように思う。娼婦の女の子たちが出てきたあたりでやっと華やかになったかなという程度。

『トランスフォーマー』

 車や戦闘機がロボットに変身していろいろ戦う。本当にそれだけの為に作られた映画と言っていい。清く正しい映画ファンが本作を褒めることはまずないと思うが、私は変形ロボットがドンパチやる話が大好きなので喜び勇んで見に行きました。結論から言うと、期待は裏切られなかった。生まれて初めて(そしてこの先二度とあるかどうかわからない)マイケル・ベイ監督に感謝した。今更のようにトランスフォーマー実写化してくれてありがとう(ご存知の方も多いだろうが、トランスフォーマーは元々玩具。後にアニメ化され日本でも大人気だった。結構歴史は長い。)!
 トランスフォーマー(映画内ではオートボットと称されていたと思うのだが、トランスフォーマーとして慣れ親しんでいるのでこれでいかせてもらう)たちの造形、動きには非常に力が入っていて、目玉であろう変形シーンは素晴らしい。こんなにたくさん間接があるのに全部きちんと動くんだよ!ちゃんと自動車が人型ロボットになるんだよ!特にスタースクリーム(戦闘機型トランスフォーマー。悪者。)が空中変形するシーンにはしびれた。砂漠に潜むスコルポノックのうねうねした動きもすばらしい!ちょろっとづつしか見えないところがまた質悪くてしくていーなー。メガトロン閣下あたりになるとジョイント多すぎてどうなってんのかよくわかんなかったけど・・・。ともあれなんか夢が一つ叶った感が。ハリウッド映画でロボットが変形して見えを切る姿を見ることができるとは。
 しかし何と言っても魅力的なのは主人公のガードマンであるバンブルビー。彼が喋れない(音声機能が故障しているので、ラジオを鳴らしてコミュニケーションを図る)という設定は秀逸だった。無言故にけなげさが増すというか、こうー、犬猫的な愛らしさがね、あるわけですよ。もうたまらんです。なんでうちにはトランスフォーマーの人が来ないのかな!と本気で思いました。一方、オプティマス・プライム(何故コンボイでないのか・・・!)を初めとする、他のトランスフォーマー達のキャラをあまり打ち出せていなかったのは残念。もっと一体一体のキャラを楽しみたかったのに。
 ただ、トランスフォーマー本体の見せ方に関してはちょっと問題もあって、クロースショットが多すぎる。全体的にどこがどう動いて変身するのかが見たいのに、ジョイント部分だけ映されてもなー。また、大きいもの同士のアクションシーンでは多少ロングで撮った方が、全体的な動きの面白さが分かるはず。もっと上手い見せ方があるはずなのに、非常にもったいない。
 また、撮影に関しては手ブレ風な演出が多用されているのも気になる。その場にいるような臨場感を出したいのだろうが、どうも惰性で使っちゃっている感があって、ここはやらんでいいだろ、と思う所も多々あった。クロースショットが多いのと同じく、何がどうなっているのかよくわからなくなっちゃうという弊害がある。臨場感とアクションの迫力とを履き違えているんじゃないかしら。ベイ監督は基本的に映画撮るの上手くないのかも・・・。
 上手くないと言えば、人間キャラクターを出しすぎたのも難点。軍と政府の秘密組織と、両方はいらなかったと思う。人数増えすぎてとっちらかっちゃった感が。しかもそれぞれに見せ場を作ろうとするので映画が無駄に長くなる。主人公の両親の造形は悪くなかったですが。活躍する人たちがほとんどナード、主人公が極めつけのボンクラというのもよかったです。つまりボンクラのナードが主に見に来ると思ってこの映画作ってんのか・・・。
 さて、アメリカ軍が活躍する映画ばっかり撮っている(本作にも米空軍が協力)ので、ベイを「このアメリカバンザイ野郎め!」と見なす向きもあるだろうが、この人は実際の所、アメリカを愛しているというよりも、軍事大国アメリカが持っている最先端の戦闘機やミサイルやその他もろもろの軍事設備を愛しているんじゃないかと思わなくもない(愛国者ではあると思うが、それほど濃くはないと思う)。新たな軍事大国が現れたら、案外あっさりとそっちに関心が移るかもしれない。
 ところで、トランスフォーマーたちによるコメディチックな部分がちょっとミスマッチという声を聞くが、ビーストウォーズを見てしまったおれらには屁でもないぜ!と思いました。悔しいのは日本語吹替え版の上映館が少ないこと。そして大人が見に行ける時間帯には吹替え版の上映がないことです。玄田先生ボイスのコンボイが見たいのにー!

『QED~flumen~九段坂の春』

高田崇史著
 春夏秋冬にわかれたシリーズ初の中編集。シリーズメインキャラクター達の過去(の一部)が今明らかに!そしてタタルは女の趣味が微妙だということも発覚!男子中学生に「眠れる美女」と「豊穣の海」と「トニオ・クレーゲル」を薦める女なんてうさんくさくてしょうがないぜ。ミステリとしては全体的にうっすらと悪意があって悪くなかった。そしてシリーズのラスボス出現の予感。

『フリーダム・ライターズ』

 アメリカに実在する高校での実話を元にした作品。主演のヒラリー・スワンクは製作総指揮も兼ねており、渾身の1作と言えるだろう。私、スワンクはさほど好きな女優ではなかったのだが、本作の彼女はよかったです。垢ぬけなさとタフそうな容貌がプラスに働いていた。監督はリチャード・ラグラヴェネーズ。
 ロス暴動後、1994年のアメリカ・ロサンゼルス。新任国語教師エリン(ヒラリー・スワンク)がウィルソン高校に赴任してきた。教育者としての理想に燃えるエリンだが、生徒たちは全く授業を聞こうとしない。生徒たちが抱える問題を目の当たりにしたエリンは、自腹で彼らにノートを買い与え、「何を書いてもいい、提出しなくてもいい」という条件で日記を書かせる。
 規格外の熱血教師がすさんだ子供達とぶつかり合い教育現場を変えていく、というあらすじの作品は、邦画洋画問わずたくさんある。最近ではやはり実話を元にしたアントニオ・バンデラス主演『レッスン!』が面白かった。ただ、生徒のキャラ立てをかなり意識していてコミックぽさがあった『レッスン!』に比べると、本作はもっとリアル志向でシリアス。何より、本作はロス暴動後ということで空気がピリピリしている。人種間の関係も現代より溝が深く一触即発な状態だ。「外は戦争よ!」という生徒の言葉は極端すぎるとも思ったが、実際に路上で銃撃戦などざらな状況だから的外れでもないわけだ。そして生徒たちの物(というかいわゆる学校教育で得る知識)の知らなさ加減も結構極端だ。度肝を抜かれたのは、彼らがホロコーストを知らなかったこと。マジですか。エリンも愕然とし、普通に授業をしてもダメだと決意する。
 エリンは捨て身で生徒たちと関わりあおうとするが、彼女がやるのはいきなり家庭環境を変えようとか成績を上げようとかいうことではなく、まず生徒の意識を変えること、世の中に対する関心を起こさせることだ。エリンは自腹で彼らをホロコースト博物館に連れて行ったり、ホテルで食事をさせたりする。生徒の方も、自分から徐々に日記を見せるようになってくる。やっぱり言いたいことがいっぱいあるのだ。彼らが置かれた環境が変わるわけではないし、エリンが変えるわけでもないが、書くことで彼らは変わっていく。やっぱり言いたいこといっぱいあるよね。
 非常に印象的だったのが、生徒の中でも特にスポットの当てられているエバという少女が、『アンネの日記』を読んでいく過程だ。エバは本の続きが気になってエリンに「どうなるの?」と度々聞く(読書に慣れていないので読むのに時間がかかる)。そして最後まで読むと、「アンネが死んじゃった!どうしてくれるの!」とエリンに詰め寄るのだ。こういう、主人公=自分となる、夢中で没入するような読書の仕方があったんだよなぁと懐かしく、少々切ない気持ちになった。この子は読書の面白さというのを初めて知ったんだろう(怒る彼女にクラスメイトが「でもアンネはすごいぜ。今でも皆が彼女のことを知ってる」とフォローするところもいい)。そういう、自分の周囲とはまた違った(しかし自分とどこかで繋がっている)外の世界を知ることは大切だと思うが、それを伝えるのが教育なのではないか。自分とその周囲だけだと、どうしても息苦しくて却って生き辛くなるんじゃないかと思う。
 さて、熱血教師が子供達と切磋琢磨していく美しい話ではあるのだが、なかなかシビアな面もきちんと、というと言い過ぎだがそれなりに示しているところは冷静だ。エリンは授業に夢中で家庭でも生徒たちの話ばかりし、夫はとうとう家を出て行く(エリンがファザコン気味というのも上手い)。彼女の夫は建築家志望だったがもう意欲は薄れている。しかしエリンには夢を諦めるということがわからない。夢を持てない人、または夢らしきものを持っていてもエリンほどにはひたむきに追えない人にとって、彼女の態度は残酷だ。エリンは「私を支えてほしいの」と夫に訴えるが、そういうことではないのよね。
 また、学校教育の一環として考えると、エリンを疎ましく思う学科長の考えにも一理ある。生徒に対してあまりにも全力なエリンのやり方では、毎年入学してくる生徒に同じようなカリキュラムを与えられるとは限らない(エリン自身もそれを認めている)。入学・卒業が繰り返される以上、ある程度ルーティン化していないと成り立たないだろう。
 ともあれ、こういう先生にめぐり合えた生徒は幸せだろうとは思う。ここまで捨て身で向き合ってくれる人はそうそういないだろう。無茶そうなことでも実現しちゃうんだもん。一見無茶なやり方で本気で世界を変えようとする人が往々にして出てくるところが、アメリカという国の面白いところ(美質と言ってもいい)なのかもしれない。

『逃亡くそたわけ』

絲山秋子著
 著者の作品は面白いときとそうでもないときとの落差が激しいと思うのは私だけか。この人の上手さがいまいちよくわからんのよ・・・。精神病院を抜け出した男女が九州を逃げ惑うロードノベル。「海の仙人」でも思ったのだが、著者はロードノベル要素を取り入れると、どうも構成がだらだらしてしまうように思う。多分、ロードムービーっぽい雰囲気を出したいんだろうなーと思うが、冗長になりがち。もっとカットしてもいいのになー。あ、でもそうしたら中篇通り越して短編になってしまうか・・・。ダラダラしている人たちの描写が面白い作品ってことにはなるのか。男女の恋愛以外の関係を(他作品でも)一貫して描こうとしているところは好感が持てるが。

『クワイエットルームにようこそ』

松尾スズキ著
 オーバードーズで精神病院の閉鎖病棟に担ぎ込まれた明日香の14日間。明日香視線の地獄めぐりのようだ。しかし、自分はまともだ、他の患者とは違うと彼女は思っているが、外側から見ればたいして変わらないのかもしれない。患者たちとのほのかな絆が出来るものの、それをはっきりと否定していくところが面白い。場の力というか、瞬間的な連帯感の盛り上がりってあるよなーと。でもそういうつながりは大概長続きしないし、続かせない方がいいことも往々にしてある。全体的にエピソードの順番がきちんとしすぎていて、文章はこなれているのに面白みに欠ける。小説としては正直、ちょっと物足りないなぁ。色々説明しすぎなのだ。しかし逆に、登場人物がどういう状態で何をしているのかわかりやすいので、これを映像化したら面白いだろうなぁという印象を受けた。というわけで映画には期待する。

『青チョークの男』

フレッド・ヴァルガス著、田中千春訳
 独自の雰囲気をかもし出すフランスのミステリ。パリの路上で、青チョークで描かれた円の中にガラクタを置くというイタズラが続いていた。しかしある時、円の中に女の死体が。パリ警察署長アダムスベルグは捜査に乗り出す。アダムスベルグは決してハンサムではない(ということになっている)し切れ者という感じでもないのだが、直観力に優れ、妙に魅力的。こういうパーソナリティの主人公は、英米(いや英ならあるかな)のミステリではなかなか見ないように思う。また、彼の部下である5人の子持ちでやもめの刑事や、人間観察が趣味の女海洋学者、盲目の美青年等、キャラクターがユニーク。顔かたちや体型の描写に味がある。ミステリとしての筋書きそのものというより、そういった描写力を楽しんだ。訳文の雰囲気がいい。

『パーカー・パイン登場』

アガサ・クリスティ著、乾信一郎訳
 おれたちの日常に必要なのは名探偵ポワロでもミス・マープルでもない!「心の治療専門家」パーカー・パインだ!いやまじで。不幸せな人の悩みを解決することを商売としているパーカー・パインの「統計に基づく」あの手この手(たまに的確すぎて失敗するのもご愛嬌)が楽しめる短編集。クリスティのお茶目な面が垣間見られます。あと、当時イギリスではエジプトやギリシャに旅行するのが流行っていたのかしらという時代性も興味深い。クリスティってエジプト好きですよね。ポワロもエジプトに行ってるし。

『ファンタスティック・フォー 銀河の危機』

 特殊能力を持った「ファンタスティック・フォー」として地球の平和を守っているリード(ヨアン・グリフィズ)、スー(ジェシカ・アルバ)、ジョニー(クリス・エヴァンズ)、ベン(マイケル・チクリス)。ヒーローとしてメディアに注目されっぱなしな為、リードと普通の生活を送りたいスーは苛立ちを隠せない。そんな中、他の惑星からやってきたらしいシルバーサーファーが地球を破壊していた。かつての敵、Drドーゥムまで現れるが。
 アメコミ原作映画の中でも特にマンガっぽい(元々マンガだからマンガっぽいというのも変なんだけど)シリーズではないかと思う。最大の要因はリードの「体が伸びる」という特殊能力だろう。どんなにシリアスな場面でも奴の腕や足がぐにょーんと伸びると危機感ぶち壊しだ。ビジュアル的にはどう見てもギャグ。そんな妙に軽い所が面白くもあり、映画の弱点にもなっている。アクションシーンで、緊張させるべきところなのにリードがぐにょーんとなると脱力しちゃうのよね・・・。それがこのシリーズの持ち味なのかもしれないが。
 最近のアメコミヒーローは、バットマンにしてもスパイダーマンにしても悶々と己の存在について悩みがち(まあスパイダーマンは青少年の悩みという感じだけど)だが、ファンタスティックフォーの4人の悩みは妙に所帯じみている。あんまり世界平和については悩んでいない。特にスーは、リードが研究に夢中で結婚式は二の次にしているのが気に入らず、更に結婚式の度に事件が起こって毎回最後まで式を終えられないことが悩み。また、世間からはセレブ扱いなのでワイドショーでファッションチェックまでされてしまい(お約束通り「勘違いファッション!」とかとけなされているわけです)落ち込んでいる。ヒーローゆえの悩みというよりは有名人としての悩みだ。スーの弟であるジョニーは悩みどころか、嬉々としてナンパに勤しんでいるし、ユニフォームに企業のロゴを張り付けてスポンサーを募る始末。何かショボイい・・・いやいや親しみやすいヒーローなのだ。
 そんなお気楽なヒーローなので、映画自体も「マンガ映画」といった軽いノリ。強大な敵が迫っているにもかかわらずあまり切迫感はない。切迫してもリードがうにょーんと伸びるといきなりコメディぽくなるしな。シルヴバーサーファーのビジュアルは結構カッコイイと思うが、もしかして続編に登場する予定なのか?
 ところでリードが軍人に対して「お前は学生時代クォーターバックだったかもしれんが私は今現在世界で最も優秀な科学者の1人だ!」とタンカを切るシーンがあるのだが、オタク少年達の夢を体現したようなセリフだ。最近のアメリカ映画にはナードが活躍するものが多いけど、これもその一つなのかしら。あとジェシカ・アルバが相変わらずバービー人形のようにキュート(そして脱ぎっぷりがいい)。メガネ姿もイイ!

『河童のクゥと夏休み』

 冒頭10分で幼子の心にトラウマを植えつける驚愕の展開に痺れた。文化省推薦的に啓蒙も織り込み済みの牧歌的な和製メルヘンかと思ったらとんでもなかった。さすが原恵一監督。好作でした。ビジュアルが地味で倦厭されそうなのが実に惜しまれる。
 小学生の康一は、川原で奇妙な石を見つけた。実はその石は、江戸時代から土砂に埋まっていた河童の子供だった。康一は河童を「クゥ」と名付け一緒に暮らし始める。クゥの存在は康一一家だけの秘密だったが、マスコミにバレてしまう。
 数百年ぶりに地上に出たという設定なので、当然沼地が埋め立てられていたり、やたらと人だらけだったりで、クゥはショックを受ける。河童が生き残っていそうな所はどこにもない。というと環境破壊反対、エコロジーを!というテーマが打ち出されてきそうなものだが、意外なことにそうでもなかった。環境破壊についてはそれほど突っ込まないし、クゥにしても環境の変化を特に恨んでいる様子も見せない。人間と自然、という対峙の構図にはなっていないのだ。大いなる力らしきものは現れるものの、それがクゥを救ってくれるわけではない(クゥが一方的に「助けてくれた」解釈するのみ)。
 監督の関心は自然と人間というよりよりむしろ、人間同士、また自分とは異質の存在とどう付き合うかという、身近なコミュニケーションの問題にあるように思う。人間である康一一家と河童であるクゥとの関係だけでなく、康一のクラスでいじめられている少女・菊地との関係にもそれが垣間見られた。康一は菊地をいじめる側(好きだからいじめるという側面もなきにしもあらず)なのだが、「河童を飼っている」と噂になった康一がいじめられる側になったとき、声をかけてくれたのは菊地だった。康一はここで始めて菊地と普通に話すのだ。
 また、この映画の中には、子供向け映画と思って見ていると(そうでなくてもかもしれないけど)ショッキングであろう場面がいくつかある。ここまでやらんでもと思わなくも無いが、原監督はどのような形であれ、暴力や残酷さについて考えずにはいられないのではないかと思う。特に無意識・突発的に出てしまう暴力には、唐突であるだけにはっとさせられる。また、TVに出られることになった康一の浮かれっぷりや、マスコミの勝手な盛り上がりなど、人間の軽さというか、心変わりのしやすさによる残酷さみたいなものが印象に残った。
 親子や子供同士のやりとりの演出には定評のある監督だが、今回は特に康一の母親と妹の言動が実に上手い。河童を手にして母親の後をついて回る康一、逃げる母親というシーンにすごく説得力があった(小学生男児のいる家庭では絶対一度はこういう場面が繰り広げられたはずだ!)。幼稚園児である妹のしぐさやおしゃべりに関しても、いやーいるよこういう子供!と唸った。身近に子供がいるのかどうかはわからないが、実によく観察・リサーチしていると思う。映画監督、特にアニメーションを作る人にとっては人間をよく見るということが必須なのだということが良く分かる。観察力って大事だ。
 声の出演者も好演していた。原監督に縁のある声優がちょこっと出演しているのも見所。(藤原啓治があまりにも藤原らしい役で出ていたので吹いた)。あと「おっさん」にはひたすら泣かされた。いいところ全部持ってかれた。全般的によくできた映画だったと思うが、動画部分の色彩が少々ビビッドすぎた点が残念。もっと淡い色調の方が品良く見えたと思う。

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