3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2007年07月

『アヒルと鴨のコインロッカー』

 仙台の大学に進学し一人暮らしを始めた椎名(濱田岳)は、アパートの隣人・河崎(瑛太)に「本屋を襲撃しよう」と誘われる。同じくアパート住民のブータン人の為、『広辞苑』を強奪するというのだ。なりゆきで手を貸してしまう椎名。河崎は椎名に、ブータン人と彼の恋人との物語を語る。
 原作は伊坂幸太郎の同名小説。監督はなぜかホラー映画の仕事が多かった中村義広。原作にあくまで忠実に作った映画という印象を受けた(印象、としたのは原作の細部をもう忘れているからです)。なので、原作のキーとなっていた現在と過去を行き来する構成は概ね上手くいっている。また、原作には、どうやって映像化するのかしらというあるトリックが仕掛けられていたが、その点に関しては結構思い切って処理していた。ある意味ずるいが、こうするしかなかっただろうなぁ。
 かなり切ない物語ではあるのだが、個人的にはそこにあまり浸ることができない。原作を読んだ時にも思ったのだが、琴美の言動がうかつすぎるのだ。そこでよけいなこと言わなければいいのに!さっさと警察に届ければいいのに!やりかたが愚直すぎる。それじゃあそういう結果になるわなぁ・・・と思ってしまうのだ。
 ただ、琴美に限らず、登場人物は善人であれ悪人であれ、どこかしら愚かだ(善人に関して言えば、皆愚直だ)。琴美は「神様に見ないフリしてもらおうよ」と、ある人が神と仰ぐボブ・ディランのCDを戸棚に隠す。自分たちが愚かなのは分かっている、でも今は見逃してくれないか、という祈りにも似たものが漂う。まあ、そういうところが気恥ずかしくもあるんですが。
 椎名と河崎が駅で別れるシーンがいい。椎名は「彼らの物語に途中参加してきた」といわれる蚊帳の外の存在、一歩置いていかれている存在に見えていたが、実際にいつも置いていかれるのは河崎なのだ。これは切なかった。
 ボブ・ディランの「風に吹かれて」がやたらと流れる映画なのだが、文字に書かれているのではなく実際に音楽として聞いてみると、別にこの曲である必要はないかなぁ。曲の題名や歌詞等、文字の持つイメージが勝っていたのかもしれない。
 河崎役の瑛太が良かった。後半の迷演技?もかわいい。意外に美声なので、吹替え等の仕事もやってみてほしい。あと、ある役で松田龍平が出演しているのだが、この人はやっぱり妙な色気があると思う。
 

『帰りたくない!神楽坂坂下書店フーテン日記』

茶木則雄著
 今は無きミステリ専門書店「深夜プラス1」の店長だった著者のエッセイ。書店員であり書評家であるから当然本の話も出てくるのだが、それ以上に強烈なのがギャンブル話。というか「常にギャンブルで失敗している」という所しか記憶に残りませんでした。そんな、幼い息子から金を巻き上げて注ぎ込まんでもと思うが、よくやるなぁ。私はギャンブルには全く魅力を感じない質なので、このいかんともしがたい感じがあまりピンとこない。端から見ていると愉快だが、奥さんは大変だろう。エッセイ内でも奥さんに散々いじめられているが、全く同情する気にはなれないのだった。あんたが悪い(笑)!

『ボルベール <帰郷>』

 ペドロ・アルモドバル監督の新作。『オールアバウトマイマザー』『トークトゥハー』に続く、女性映画三部作の3作目となるそうだ。主演女優6人がカンヌで最優秀主演女優賞を受賞したことでも話題を呼んだ。
 空港で掃除や洗濯をして働くライムンダ(ペネロペ・クルス)は、失業したばかりの夫と15歳の娘パウラと暮らしている。ある日帰宅すると、パウラの様子がおかしい。何とキッチンには夫の死体が。父親にレイプされそうになったパウラが勢いあまって殺してしまったのだ。2人は死体を閉店したレストランの冷凍庫に隠して、何とか隠蔽を図る。一方、ライムンダの元には叔母が死んだという知らせが入っていた。葬儀のために帰郷したライムンダの姉ソーレは、火事で死んだ自分たちの母親の亡霊が、叔母の家に出たという噂を耳にする。
 墓参りのシーンから始まり、キッチンに死体が現れたと思ったら、何と死者が蘇ってくる。生者と死者とが入り混じりあい、めまぐるしく賑やかだ。死の気配が濃厚であるのに、3部作の中では最も生気に満ちていると思う。死とのコントラストによって、生がより鮮やかに見えるのだ。と同時に、生にも死にも大した違いはないような気になってくる。エネルギーに満ちたカオス状態のようだ。
 もっとも、この映画における「生者」には、男性は含まれないようだ。ライムンダの夫は早々に死体となってしまうし、閉店したレストランのオーナーもちょこっと出てくるだけ。ライムンダがケータリングすることになった映画撮影クルーの中には男性も多いが、ライムンダらと急接近する気配は見られない。あくまで女たち、母と娘の世界なのだ。女たちの結束が固く、男性客にとってはとっつきにくい映画かもしれない。
 予告編や宣伝からは、なにやら「感動作」と言った触れ込みだが、いわゆる泣ける感動作とはちょっと違うと思う。映画の中で明かされる「秘密」もヘビーだ。そしてその秘密に関わった人たちは、それなりの重荷を負わされている。しかしヘビーだが下手に深刻ぶったり涙にくれたりしないのが、アルモドバル監督が描く女たちのキュートなところ。また、母と娘が和解する話というより、ここから和解していけるのかもしれない、という気配を感じさせるに留めたところが良かった。
 それにしても、華やかなのに陰影が濃く、ラストにも死の香りが漂い不穏でもある。この余韻が不思議だ。エンドロールも美しい。色の組み合わせがユニークで、見た目にも鮮やかな映画だった。

『ラッキー・ユー』

 ラスベガスに暮らすポーカー専門のギャンブラー・ハック(エリック・バナ)は、実力はあるもののここぞという所でツキがなく、度々質屋のお世話になる生活をおくっていた。女性とは遊びでしか付き合わなかった彼は、売出し中の歌手ビリー(ドリュー・バリモア)と出会い、いつになく惹かれていく。2003年ポーカー世界選手権に出場することになったハックだが、同じテーブルには父親であるポーカーの名手L・C・チーバーの姿があった。
 殆ど宣伝されていない地味な作品だが(何と予告編を一度も見たことが無い!)、これがなかなかの良作だった。確かにキャッチーな要素には欠けるけど、もうちょっと宣伝してくださいよ配給会社さん!監督は『イン・ハー・シューズ』のカーティス・ハンソン。挿入歌のセレクト(ビリーの母親がカントリー好きだったという設定なので、ちょっと懐かしめの曲が多い)がよかったので、サントラもお勧め。
 さて、年齢的には大人になったものの人生は全く順風満帆とはいかないし自分がしっかりした、ちゃんとした大人になったとも思えない、ということはないだろうか。私いつもそうなんですが。ハンソン監督はこういった、大人のままならなさ、そのままならなさと直面して悪戦苦闘する人たちを描くのが上手いと思う。前作『イン・ハー・シューズ』では、そういった誰もが抱えるままならなさを清々しく描いてたが、本作はそれに比べると多少のんびりしているしユルい。
 主人公であるハックが、ポーカー以外に関しては、まあどちらかというとダメ男だという点もあるだろう。自宅は借金の抵当にとられ、友人にも金を借りまくり(多分返してない)、ポーカー大会の出場金にも事欠く。あろうことか、知り合ったばかりのビリーの小切手を勝手に持ち出してしまうのだ。普通に窃盗である。当然ビリーは激怒する。
 ハックの抱える問題は、他人から見たら大したことはないかもしれない。しかしその大したことない問題にこそ、人は振り回され一喜一憂するのかもしれない。だからこそ、金策に右往左往し、父親へのコンプレックスを拭えないハックに共感するのだろう。ゲームの最後でハックが下した判断は、ギャンブラー魂のない私には正しかったのかどうかはわからない。ただ、彼が父親を愛していたこと、父親にはヒーローでいてほしかった自分を受け入れたのは確かだと思うのだ。
 主演のエリック・バナは、最近渋い役ばかりだったが、本作では珍しく(笑)若々しい。また、売り出し中の歌手がドリュー・バリモアというのは年齢的にちときついのではないかという気がしなくもないが、ドリューを起用した監督は正しい。彼女以外の女優が演じたら、こういった真っ正直で真っ直ぐなキャラクターがうそ臭くなってしまったかもしれない。ドリューの人徳により立ち上がってくるキャラクターだったと思う。

『ゾディアック』

 1969年のアメリカ独立記念日。ドライブ中のカップルがカリフォルニア州で射殺された。その後犯人と名乗る男から警察に電話があり、他の犯行もほのめかす。更に新聞社には暗号文が届けられ、それを紙面に載せないとまた人を殺すと言う。「ゾディアック」と呼ばれるようになった犯人の行動はエスカレートし、生放送のTV番組に出演までする。焦る警察だが、捜査は遅々として進まない。
 アメリカで実際にあった未解決殺人事件が題材になっている。監督は『セブン』のデヴィッド・フィンチャー。しかし公開当時センセーショナルである意味派手だった『セブン』や、オーソドックスな娯楽サスペンスだった『パニックルーム』に比べると、本作はかなり地味だ。物語はあくまで淡々とすすむ。題材となった事件はあくまで未解決なので、容疑者は示唆されるものの、あまりスポットは当てられない。中心となるのは右往左往する捜査陣と新聞記者だ。物証に乏しく捜査は進まず、全員いらだってくる。何年にもわたる捜査に疲れ果て、リタイアする者も出てくる。そして捜査を続ける者は、「まだやってるなんてちょっとおかしいんじゃないの」という目で見られるようになってくる。実際、担当刑事とスクープを狙う記者、そして記者の同僚であるイラストレーターは事件捜査に熱心というよりも事件に取り付かれたといった様子になって、生活も破たんしていく。特に記者は捜査に過剰にのめり込み、記者としての信用を失ってしまう。
 連続殺人犯が怖いというよりも、連続殺人事件が日常を侵食し、次第に取り付かれていく様が怖かった。いわゆるサスペンス映画とはちょっと雰囲気が違うと思う。恐ろしい存在に対してドキドキするのではなく、まともな人達がある時点で、ふっと違和感を見せる瞬間にひやりとした。不穏な群像劇といった雰囲気だ。当時の時代のにおいみたいなものも感じられて面白い。
 地味ーに上映時間が3時間近い作品なので、ともすれば途中で寝てしまうのではと心配だったのだが、意外に眠くならなかった。さすがフィンチャー監督というべきか。それでも3時間は長すぎるけど。また、当時の捜査は結構のんびりとしていて、あんまり逼迫感がない。携帯電話もパソコンもない時代だもんなー。

『パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド』

 行方不明のジャック・スパロウ(シジョニー・デップ)を探すウィル(オーランド・ブルーム)、エリザベス(キーラ・ナイトレイ)、バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)一行。一方東インド会社のベケット卿はデイヴィー・ジョーンズの心臓を手にいれ、彼の船だったフライング・ダッチマン号と乗組員を手ごまとしていた。東インド会社に対抗するため9人の伝説の海賊が召集されるが。
 とうとうシリーズ完結。2作目「デッドマンズチェスト」は壮大なコントのようなノリの作品だったが、本作ではコント度はやや下がっている。もっとも、デップの演技は相変わらずコントっぽく、むしろコントとしては絶好調。ジャックの脳内に「良いジャック」と「悪いジャック」が現れて言い合いしたり、ジャックが大量発生したりと、ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うくらいノリがいい。演じるデップも非常に楽しそうだ。
 ただ、映画としては豪華なのに薄味。それぞれのキャラクターの背景や相互関係がシリーズ進むにつれて増えたきた結果、いろいろ詰め込みすぎで消化しきれなくなっているという印象を受けた。呪いやら目的やら何やら、もっと絞り込んだ方がよかったんじゃないか。また、いろいろ詰め込んだ結果、ストーリー展開が非常に駆け足で目まぐるしかった。一つ一つの要素を楽しむヒマがない。お客さんがおなかいっぱいになるようにがんばったのに、全体的には薄味なのでちょっともったいない。今回せっかく新キャラとして登場したチョウ・ユンファも使い捨て状態。これだったら出演しなくてもよかったんじゃ・・・。上映時間3時間というのもきつかった。3時間息もつけないくらい面白いならいいのだが、残念ながら夢中になれるほどには密度が濃くない。せめて2時間に収めてほしかった。例によってエンドロール後にサービスがあるのだが、長いエンドロールが終了するまで待つのが苦痛だった。
 そういえばこのシリーズ、どのキャラも結構わがままというか、自分のことばっかり考えていたなー。特に本作では、バルボッサがちゃんとした大人に見えるくらい、ジャック・ウィル・エリザベスの3人がやりたい放題。特にジャックの子供っぽさが際立った。そんなジャックも最後の最後である決断に至る。もしかしてこの3部作、ジャックのモラトリアム卒業話だったの?・・・と思ったけど卒業していないですねこれは。
 

『図鑑に載っていない虫』

 フリーライターの俺(伊勢谷友介)は、美人編集長(水野美紀)に「“シニモドキ”を探して死後の世界をルポしろ」という無理難題をふっかけられる。しぶしぶ相棒エンドウ(松尾スズキ)とリストカットマニアの女サヨコ(菊池凛子)と、シニモドキ探しに出かけるが。
 『亀は意外と速く泳ぐ』、TVドラマ『時効警察』を手掛けた三木聡監督の新作映画。三木監督の強みは小ネタにある、というか映画がほぼ小ネタ、しかも相当くだらない小ネタのみで構成されていると言ってもいい。あらすじを書いてはみたものの、あまり意味なかったなぁ。映画の面白さが、ストーリーとはまた別のところにあるように思う。小ネタのひとつひとつにもほとんど脈絡はないのだが、トータルで見ると化学反応を起こして妙に面白い。映画としてはユルくてだらーっとしている(メリハリに欠けるので、うっかりすると眠くなる)のに、何か魅力的。なんなんだろうなーこれ。
 1時間枠のドラマならともかく、2時間の映画としては微妙なのに、見ている間も見た後もなんとなく幸福感があるのは、三木監督の作品には、基本的に人生に対するポジティブさが感じられるからかもしれない。『亀は意外と速く泳ぐ』でも同じように思ったのだが、奇妙であろうが平凡であろうが、日々の生活にはどこかしら愉快なところがあるのではないか。本作の「ぶちまけたイカの塩辛がニコラス・ケイジの顔に見える」というネタのように、くだらないささいなことだが笑える、そういうささいなことが人生を支えている、そしてそういうものを見つけられる人の方がしぶとく楽しく生きられるという一種の自信があるのではないかと思う・・・と言ったらかいかぶりすぎかしら。
 主演の伊勢谷がセクハラされまくっているような印象を受けるのはなぜなのだろうか。ノースリーブにネクタイという微妙なファッションのせいだろうか。共演の松尾はさすがの安定感。今回は少々自由度が高すぎる気も。また、菊池は眉毛がほとんどない状態だが妙にキュート。『バベル』よりかわいい。声はアニメ声だが。また、水野美紀がそれ何のプレイですかというようなことをいろいろやらされているのでファンは必見だ。

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