3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2007年07月

『ダイ・ハード4.0』

 まさかのシリーズ4作目。3作目から12年もたつのになぜ今?!続編にありがちな駄作か(いや私はダイハードの2も3も大味さが結構好きですけど)と思っていたんですが、ごめんなさい!面白かった!伏線の巧みさは1作目には及ばないまでも、十分おなかいっぱいになりました。監督は『アンダーワールド』のレン・ワイズマン。当然シリーズ初参加だ。しかし『ダイ・ハード』から18年かよー。そりゃあウィリスの髪もなくなるさ・・・。
 もっとも、「ダイ・ハード」が当初持っていた持ち味とはだいぶ趣が変わってきている。1作目では舞台となる空間がビル内に限定されていたが、今回はとうとう州を越えてしまう。マクレーンの無敵度も大幅にUP。もう死にそうにない。また、奥さんとはとうとう離婚してしまったので夫婦の絆を再確認ということも最早ない。
 しかし、そういう「ダイ・ハード」としての枠にこだわりすぎないところが勝因だったのではないかと思う。脚本の良さでは多分1作目には及ばない、じゃあ別のところで勝負しよう!ということで本作に詰め込まれているのはアクション。最初のアパート爆破に始まり、カーチェイスに発電所での肉弾戦に果ては空中戦(?)と、息をつかせぬスピードで派手なアクションシーンが相次ぐ。うわもうバカなんじゃないの!というくらいのてんこもり。3で面白いと思った移動手段や経路も、本作ではさっくり割愛されていて、全くのアクション一点に見どころを絞っている。その思いきりの良さが、映画の間口を広げてもいると思う。なんといっても1から3まで全く知らなくても、アクション映画好きならとりあえず楽しめる(はず)。国のシステムネットワークを奪うという敵の能力がちょっと全能すぎる(これはいくらなんでも無理だろうというところもあったし)が、敵はでかい方が燃えるってものです。
 じゃあこの映画は別に「ダイ・ハード」シリーズでなくても(単発のアクション映画としてでも)よかったんじゃないかとも思えるが、やはりこれは「ダイ・ハード」なのだ。熱烈なファンでもない私が言うのもなんだが、ちゃんと「ダイ・ハード」っぽいんじゃないだろうか。愚痴るがへこたれず、自分にできることは「代わってくれる人がいないから」やる、そして弱い者を見捨てないというマクレーンのキャラクターが維持されている限り「ダイ・ハード」は「ダイ・ハード」なのかもしれない。正しいヒーローが映画の中にいなくなって久しいが、でもまだマクレーンがいるから大丈夫!と思えるのだ。加えて言うなら、マクレーンの娘のじゃじゃ馬っぷりがまたいい。「今日はマクレーンなの」なんて泣かせるじゃないですか。微妙に美人じゃないところがミソ。

 

『バン・マリーへの手紙』

堀江敏幸著
 日常のこと、文学のこと、そして翻訳のことなど幅広く触れた随筆集。物事を白黒に分けない、物事と物事の間に漂うAともBともつかないものを捉えようとする著者の嗜好は、ともすると優柔不断とも言われるかもしれないが、その慎重さ、中庸であろうとする姿勢にはむしろほっとする。ゴールへ一直線で向かうのよりも、ゴールの周囲をぐるぐるらせん状に回ってちょっとづつ近づくようなやりかたの方が、得るものが多い時もあるのでは。「飛ばないで飛ぶために」という章の中で、著者が学生に言った、また著者自身が昔先生に言われたという「きみの場合、それらは本にカウントしません」という言葉の意味にも、ちょっとそんなところがある。ゆっくりかみしめるように味わいたい一冊だった。文体がいい。

『ブリッジ』

 サンフランシスコの名所であるゴールデンゲートブリッジは、投身自殺の名所としても有名だ。1937年の建設以来、約1300人が自殺したといわれる。カメラを1年間据えこの橋を1年間撮影、更に自殺者遺族へのインタビューを行ったドキュメンタリー。監督は『アンジェラの灰』『救命士』などのプロデューサーだったエリック・スティール。
 戦場の報道写真などを見ていても思うのだが、カメラマンは対象を撮影するべきか助けるべきなのかという葛藤はないのだろうか。いや当然あるのだろうと思うが、倫理的な問題とどうやって折り合いを付けているのだろうか。本作も「撮影しているヒマがあったら助けるべき」と上映を拒否する映画館もあったそうだ。もっとも、撮影現場にスタッフがいた場合は、自殺(未遂)者を見たら通報していたそうですが。
 それにしても思った以上に自殺者が多い。撮影していた1年間で24人が自殺したそうだ。美しい橋を眺めていると、下の方でぼちゃっと水しぶきが上がる。えっ誰か飛び込んだ?と気付けばいいが、下手したら気付かないかも。自殺の映像を見ていることよりも、気付かないくらいさりげない、普通のこととして自殺が行われていることの方になにやらひやりとした。また、興味深かったのが、すぐ間近に自殺しようとしている人がいても、橋の上の通行人たちは案外気付かない・声を掛けないということ。欄干のりこえて景色を見ている観光客のすぐ足元にいるような自殺(未遂)者もいるのだが、実際こんなシチュエーションだったら却って気付かないかもしれない。また、自殺しようとしていた女性を助けた男性が「カメラ越し(この男性は橋の上から写真撮影をしていた)だと現実感がなくて、女性が自殺しようとしていると言う実感がなかった。投身する瞬間を待っていたのかも」という話は、冷たいようではあるが妙に説得力があった。基本的に、もう今にも身を投げそうというのでもない限り、声かけたりしないもんだなぁと。
 自殺者が何故自殺したのかというのは、死んだ本人にしかわからない。遺族はそのわからなさに深く傷つくのだと思う。同時に、分らなさゆえに、自殺した者へ悲しみより先に怒りが向かうのかもしれない。インタビューに応じた遺族からは、明言はしないまでも、自殺した人に対する苛立ちみたいなものが感じられた。また、自殺したいという相手を積極的には止めない、止められないという姿勢をとる人がいることも興味深かった。
 意欲的な題材ではあるが、いまひとつ物足りない。お行儀のいいドキュメンタリーに納まっちゃったなぁという感は否めない。遺族が抱えているものにもう一歩切り込んでほしかった。インタビュアーの力不足か。
 ちなみに、橋から身を投げたものの助かった青年(躁鬱がひどくなって自殺未遂)とその父親が出てくるのだが、父親との関係が良くないんだろうなぁという雰囲気がじわじわにじみ出ていて、余計なお世話ではあるがこの青年の将来が心配です。父親が、なんというか杓子定規な感じの人(話すことも教科書通りな感じ)なのだが、この人が変わらないと息子の症状も改善されないんじゃないかなーという気がした。

『事件屋稼業 チャンドラー短編全集2』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
マーロウは出てこない中編「ネヴァダ・ガス」が特によかった。ギャンブラーである主人公デルーズの、穏やかだが一種冷淡で、事件のさ中にいるのだが常に傍観者のような姿勢が、彼の愛人との対比もあって妙にやるせない。ラストは昔のハリウッド映画のようでぐっときた。そして何と言っても面白かったのが、小説ではなく過去の推理小説や名探偵シリーズにケンカを売りまくっている随筆「簡単な殺人法」。ばっさばっさと切りまくる辛辣さが笑えるのだが、著者が目指していた小説の方向性がよくわかる。また、訳者後書き内に出てくる著者の手紙(ファンからのマーロウに関する質問に答えたもの)の文面もさらっとイヤミでおかしい。結構皮肉屋だったのね。ブランドやスタイルにこれみよがしにこだわるのは厭だったみたい。所で、作品内にしばしば“ホテル探偵”なる職業が出てくるのだが、ホテル付きの探偵というのは当時はポピュラーだったのか?それとも用心棒的なもの?

『不完全なふたり』

 結婚して15年になるマリー(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)とニコラ(ブリュノ・トデスキーニ)は、友人の結婚式の為パリを訪れる。2人の仲は冷え切っており、離婚も時間の問題だった。監督は諏訪敦彦。日本人監督がフランス人キャストを使い、フランスで撮影した映画ということになる。
 諏訪監督は脚本を書かず、俳優と話し合いながら撮影を進めるというスタイルをとっているそうだが(オムニバス映画『パリ・ジュテーム』に参加した際には脚本を書いたそうだが、かえって難しかったとか)、俳優の技術の高さ、監督と俳優との間の信頼関係がないと、なかなか怖くて出来ない手法だと思う。それがちゃんと映画として成立していているのだから、これは凄いのではないかと思う。監督はもちろん、俳優の技量・役柄に対する理解度が問われるだろうが、テデスキもトデスキーニも名演だった。この2人は映画学校の同期生だったそうで、お互いに付き合いが長いということもプラスに働いたのかもしれない。
 ただ、こういう手法で撮影されてしまうと、映画における脚本とか演出とかって何なんだろうなぁとも考えさせられる。この映画、撮り始めるまでのディスカッションは相当綿密なのだろうが、撮り始めてからはほぼ撮りっぱなしな状態なのではないだろうか。撮影自体も、フォーカスが合っていないところもある、ラフさを感じさせるものだ。しかし、トータルで見ると全部びしっと決まっている。映画って不思議だわ。
 10数年連れ添った夫婦の生態が非常にリアルだった。私は実体験ないが、たぶんこんなふうになるだろうなぁという生々しさを感じたし、一緒に見に行った母曰く「なんとまあ」だそうだ。よくぞここまで(というかよくここまでやるよというか)、と感心させられるとのこと。非常に目のいい監督なのだろう。男女で不機嫌さの表出の形や、怒り方が違う所も実に上手い。女性は怒りやイラつきをバッと口にするが、男性は逆に黙り込む。で、黙り込む男性に対して女性が更に怒るという、「あーあるある」と深く頷きたくなるシチュエーションが上手い。またニコラが友人との会食の席で「別れるんだ」と漏らしてしまい、マリーがピリピリする等、男女での感じ方の違いの見せ方が上手い。もっともこの件、一番気の毒なのは同席した友人夫婦だと思うけど・・・いきなりそんなネタ振られたら困るよなぁ。気まずいことこの上ない。
 お互いにイラついていると同時に微妙に気を引こうとしているところとか、もういい加減別れるんじゃないかというところまできた男女のすれ違いが、色々と生々しく見ていていたたまれない。しかしだからこそ、最後の余韻が深く印象に残る。まあ、夫婦というのはこうしたものかもしれないなぁと思うのだ。

『傷だらけの男たち』

 ベテラン刑事のヘイ(トニー・レオン)と探偵のポン(金城武)は元は警察の上司と部下。恋人が自殺したことにショックを受け酒びたりになったポンは警察を辞めたのだ。一方ヘイは富豪チャンの娘スクツァンと結婚し、平穏な生活を送っていた。しかしチャウが惨殺される。容疑者は見つかったものの、不審に思うスクツァンはポンに調査を依頼する。監督は『インファイナルアフェア』のアンドリュー・ラウ。ちなみに本作も『インファイナル~』に引き続き、デレオナルド・ディカプリオ主演でハリウッドでのリメイクが決まっているとか。
 意外な真相へと至る筋は面白いのに、見せ方やストーリーの組み立て方で大分損をしているように思う。エピソードの並べ方が唐突なのだ。客に対する真相からの目くらましというより、単に構成が下手なように見えてしまった。特に過去のシーンが挿入されるタイミングや見せ方は、どうかなぁと思った。この人は悪いことしたんですよ!と最初にある程度明かしてしまうので、サプライズが減ってしまうのだ。またポンが殺人現場で犯人の動きを頭に描くシーンも、犯人の顔がしっかり見えてしまっているのは問題。この時点で、ポンは真犯人が誰だか知らないはずだ。
 また、ポンの恋人の悲劇についても、ポンが酒びたりになったというくらいであまり必要性を感じなかった(ポンが酒びたりである必要性もあまりない)。現在の事件のインパクトが強いので、過去のエピソードの印象が薄くなってしまったということもあるだろう。サービス精神旺盛に色々と盛りだくさんにしているのだが、やりすぎな感が。。これは私の好みの問題なのだが、気分が乗ってきたところでスっと次の展開に移るので、最後までいまひとつ波に乗り切れなかった。盛り上がるタイミングを逃したわ・・・。
 カメラがめまぐるしく動き、スローモーションも多様しており、絵的には結構派手だ。しかし目にうるさく、ゴチャゴチャした印象を受けた。かっこよくしようと思って却ってダサくなっちゃったなーという感じ。筋がそれなりに複雑(というか整理しきれなかったというか・・・)だから、映像は逆にストイックでもよかったと思う。あと、音楽はいまいち。冒頭で流れる「silent nighit」のアレンジ(というかボーカル)のダサさに脱力した。演歌かよ。アンドリュー・ラウと金城武の2ショットはかっこいいのになー。色々もったいない映画だった。

『赤い風 チャンドラー短編全集1』

レイモンド・チャンドラー著、稲葉明雄訳
フィリップ・マーロウの原型とも言えるキャラクター(名前は当初はマロリーだったのね)が登場する「脅迫者は射たない」を含む中短編集。ハードボイルドというよりはアクション小説のようなものもあるのだが、序文を読むと、著者自身、この時期の作品には満足していない様子がうかがえて興味深い。正直、読むのがかったるい(頭に入ってこない)ところが多々あった。まだ作品としてこなれきっていない感じ。また、これは著者の作風だと思うが、キャラクターの特徴や相互関係、事件の流れをさらっと書くので印象に残らず、フックが弱いという所もあるかも。ただ、これは意図的に押さえてあるのだと思うが。盛り上げすぎるのは嫌いそうだ。

『退職刑事Ⅰ』

都筑道夫著
 元刑事の老人が、現役刑事の息子からさまざまな事件の話を聞き、真相を推理する。国内アームチェアディテクティブミステリの代表作。こういう話はワンパターンで型がかちっと決まっているのが却って楽しいのだが、シリーズ初期の作品だからか、何となく試行錯誤しているように思った。作品の出来にもバラつきがあるが、個人的に面白かったのは「理想的犯人像」。一番本格ミステリぽいと思う。

『充たされざる者』

カズオ・イシグロ著、古賀林幸訳
 ヨーロッパの小さな町に公演にやってきたピアニスト・ライダー。しかしスケジュールははっきりしないまま、町の人たちは一方的に彼に頼みごとをしていく。町は危機に瀕しているらしいが、その危機が何なのかも全くわからない。Aさんの話かと思ったらいつのまにかA´さんの話になり、更にA´´さんの話になっているらしいという、立っている地平がどんどんスライドしていくような眩暈を感じた。カフカの作品に似ていると評されているが、主人公の置かれている立場がわからない、主人公の言葉が周囲に通じないあたりは確かに似た雰囲気があるかもしれない。町の人たちのやたらと長い自分語りと自己弁護は『日の名残り』を思わせるし、酩酊感は『わたしたちが孤児だったころ』に近い。著者の作品におけるモチーフは一貫していると思う。特に人間の自己欺瞞、身勝手さに対する視線は辛辣だ。町人たちがライダーを一方的に救世主として祭り上げようとする様は、一種宗教的でもあり、新しい神探しを思わせる。しかし当のライダーは自分が置かれている立場がさっぱりわからず、自分が何者なのかもだんだん危うくなってくるという所がシニカルだ。

『囚人のジレンマ』

リチャード・パワーズ著、柴田元幸・前山佳朱彦訳
 「なぞなぞ」好きのエドワード・ホブソンと妻、4人の子供達が父親の病気に翻弄される1970年代のエピソードと、1939年にニューヨークの万国博覧会に夢中になるエディ少年のエピソードが平行して進行する。『舞踏会に向かう三人の農夫』は膨大なペダントリィに彩られた近現代史だったが、本作もそれに似た構造だった。相変わらずフィクション・ノンフィクション入り混じった構成が見事なのだが、現代史(についての)小説であると同時、いやそれ以上に、(訳者解説で触れられているように)優れた家族小説でもある。父親も子供達もユニークではあるが、そのユニークさ故に目前の問題から逃避し、ことの本質を見間違う。父親は子供達に常に「なぞなぞ」を投げかけ、率直な言葉は回避される。この父親の頭いいけどアホな感じが実に面白く、かつイライラさせられる。なんでそうややこしいことするかなー!彼がやっているのは過去の自分を隠蔽し再構築することだ(彼の元職が歴史教師であるというのは象徴的だ)。しかしそれは、家族から自分の姿を隠してしまうことでもある。そして家族は、自分たちの記憶によってもう一度父親の姿を再構築するのだ。最後、一個人と歴史とかふっとクロスする瞬間にはぐっときた。大変読み応えのある、面白い小説。しかしこの父親は本当に腹立たしかったですが(笑)!それでも関わりを切れない、やっかいかつ愛しい存在としての家族の描き方が実にうまい。多分今年読んだ本のベスト入りするだろう。
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