ブリュッセルのアパートで学生の息子と暮らしているジャンヌ(デルフィーヌ・セイリグ)。家の中を片付け、買い物に出かけ、料理をし、息子の帰りを待つ。毎日平凡な暮らしを繰り返す彼女の生活を映し続ける。監督・脚本はシャンタル・アケルマン。
 シャンタル・アケルマン映画祭にて鑑賞。アケルマン作品を見るのは初めてなのだが、世界に衝撃を与えたというのもわかる。200分という長尺なのだが凄みがあって目が離せない。定点カメラ的にアパートの中に複数カメラを設置して、固定カメラのまま全編撮影している。そのせいか、ジャンヌを観察しているという感じが濃厚で、対象との距離感、クールさを保っている。ただ、観察している=対象の内面が説明されることはないので、ちょっとした行動や身振りから内的な状況を推し量ることになり、日常のルーティンワークが繰り返されているだけなのに妙に不安・不穏なのだ。多分こうだろう、という鑑賞者の推測を拒むところがあるのだ。この時間帯は多分あれをやっているだろう、という思わせぶりな部分も、終盤でやっと明示され、一気にラストへなだれ込む。
 ジャンヌは毎朝定時に起きて、部屋の空気を入れ替え、コーヒーを淹れて朝食をとり、昼食の後に買い物に出かけて、帰ったら夕食を作り、食後は息子と一緒に散歩に行く。毎日同じルーティンで生活しており、ご近所との会話で1週間の夕食のメニューのルーティンも決まっている様子がわかる。基本的にイレギュラーなことはやろうとしないし得意ではないらしい。そんな彼女の行動に乱れが出ると、妙に気になる。コーヒーがなぜか不味い、ジャガイモのゆで方に失敗したなど些細な事ではあるが、何か不穏な予兆を感じてしまうのだ。ジャンヌの料理する様、室内を移動する様が毎日こういうことをこなしている人としてのもの、動きが身に染みついた感じのするもの(逆に赤子のあやし方は様になっていないので印象残る)なので、余計にそう思うのだろう。繰り返しとその中でのちょっとしたずれの積み重ねの果てにあるものがあれか!という最後の驚きを引き出すのだ。動きの積み重ねと長さが生む効果の計算が非常に上手いと思う。映画は時間の芸術だということを実感した。
 日常が日常のまま唐突にとんでもないことが起きるというのは、不条理劇のようでもあるが、よくあることだという気もする。人間、それぞれに自分の中の域値みたいなものがあって、たまっていくものがその値を超えると何が起きる自分でもわからないのだ。

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