夫のDVに耐えかね、2人の娘を連れて逃げ出したサンドラ(クレア・ダン)。福祉の支援を受けホテルで仮住まいをしているが、公営住宅への入居は長井順番待ち、民間のアパートは家賃が高すぎで、入居の見込みは立たないままだった。サンドラはインターネットでセルフビルドの設計図を見て、自分で小さい家を建てられないかと思いつく。監督はフィリダ・ロイド。主演のダンが原案と脚本(マルコム・キャンベルと共作)を兼ねている。
サンドラがDVのフラッシュバックを起こすシーンが度々あるのだが、これが真に迫ってきて結構つらかった。心身ともに虐げられていると、自分で恐怖やパニックをコントロールできなくなってくる。また、サンドラは自分が受けた被害や怪我の痛みについて、周囲に相談できない。相談できそうな相手もいないし、言語化すること自体が難しい、知られたくないという事情もあるだろう。夫婦間の問題については、「もっとよく話し合えば」とか「反省しているし許してあげれば」みたいな的外れな言葉も往々にしてあるだろうし、動揺している姿を見せると子供に対する責任能力を問われるという側面もあるだろう。DV問題の相談のしにくさが垣間見えた。
また、サンドラは(主に調停の場で)「DV被害について皆にわかるように話せ」「平静に話せ」ということを度々要求されるのだが、これはDV被害者にとってすごく難しい、酷なことだというのがよくわかる見せ方になっている。言語化できるようになるまでは時間がかかるのだ。そして、恐怖で考える力を奪いコントロールしたいという支配欲が、DV加害者の動機だということもよくわかるのだ。終盤のあんまりにもあんまりな展開も、相手を打ちのめしたい、希望を奪い無力化したいという欲望があるのだと端的に示すものだ。
サンドラが助けを求める相手が、さほど濃い付き合いではない人たちだという所が面白い。アドバイスを求める建設業者のエイドはホームセンターでたまたま会った人だし、娘の同級生の母親ともさほど話したことはない。元々サンドラの母親の雇い主だった清掃仕事先の雇い主も、サンドラ本人とはすごく親しいというわけではない。皆、薄目の好意と親切心で繋がっていくのだ。そういうものが最終的なセイフティネットになるのだとすると、助けを乞う側の人間力が問われすぎなのではと、少々暗澹たる気持ちになった。私にはできそうもない…。