エラリイ・クイーン著、越前敏弥訳
作家で探偵のエラリイ・クイーンは、パリで知り合った青年ハワードから相談を受ける。度々記憶喪失に襲われその間何をしているのかわからない、自分を見張ってくれないかというのだ。ハワードの頼みに応じ、彼の故郷であるライツヴィルに三度赴いたエラリイだが、ある秘密を打ち明けられ、脅迫事件に巻き込まれていく。
ライツヴィルシリーズ3作目にして、いわゆる「後期クイーン問題」の口火を切った作品と言われる本作。飯城勇三による解説でも言及されているが、本作を踏まえて『九尾の猫』を読むとより感慨深いと共に、本作を発展させたものが『九尾の猫』なんだなと改めて実感した。エラリイの人間としての不完全な姿、至らなさを描いた所も新機軸だったのだろう。また、当時心理学が流行っていた様子も垣間見える。
本作、ミステリの構造は非常に人工的(神の視点が作品の中に置かれてしまう)でザ・本格という感じなのだが、エラリイの脆さ、ハワードとサリーの未熟さ・視野の狭さは等身大のものだ。特にハワードとサリーがもう少し勇気があり、事態を自分で引き受ける覚悟をしていたら、本作の「犯罪」は成立しなかったろう。2人が直面した問題に何かと背を向けてしまう、本当のことを言えない様はものすごくありがちな人間の姿だ。その弱さを深く理解してこその「神」というわけか。
ライツヴィルシリーズは小さな町の出来事、クローズドな人間関係、愛憎渦巻く事件の背景といったあたりが横溝正史っぽいなーと思っていたのだが、悲劇を止められないあたり、本作ではいよいよエラリイの金田一耕助みが増している。