殺人の罪で13年間服役した三上(役所広司)は、身元引受人の庄司弁護士(橋爪功)の力を借りながら経済的に自立しようとしていた。ある日、TVの若手ディレクター津乃田(仲野太賀)とやり手ディレクターの吉澤(長澤まさみ)が近づいてい来る。三上が再起を目指す姿をドキュメンタリーにしたいというのだ。原作は佐木隆三の小説『身分帳』。監督・脚本は西川美和。
面白いのだが、私にとってはどこか捉えどころのない作品だった。これまでの西川監督作品よりも見得を切っている感じで、戯画的な見せ方が目立ったように思う。ラストは舞台演劇の幕引きのような味わいだった。また、三上とアパートの迷惑住人とのやりとりなどかなりコミカルに描かれている。三上の伝統的やくざとしての言動はあまりにアイコン的すぎて、今の世の中では時にギャグのように見えてしまう。三上と世間のずれを使ったコミカルな見せ方が多かったように思う。
そのずれに目をつけたのが吉野と津乃田ということになるのだろうが、津乃田は世間受けしそうな題材としてだけではなく、個人として三上という人間のことを知ろうとしていく。彼の真っすぐさは(それが常に正解というわけではないだろうが)ストーリー上のほのかな救いになっている。庄司夫妻やスーパーの店長・松本(六角精児)のようにわかりやすく「(やはり常に言動が正解なわけではないが)まあまあいい人」は出てくるのだが、津乃田は彼らよりももう一段人物造形に奥行があるように見える。
三上が世間に馴染めず苦戦する様について、吉澤は(三上を言いくるめる為ではあるが)社会構造によるものだと言う。失敗も「世間」からのはみだしも許されず空気を読み続けなければならない世の中は、三上のような存在を許容しない。一度はみ出ると再起が難しく、結局またはみ出てしまう。三上の兄弟分の現状を見ると、今の日本でのやくざ稼業は決して割のいいものではないのだが、そこしか行く場所がないからたどり着いてしまうという事情が垣間見える。また、津乃田は三上の暴力性や激しやすさは幼少時の体験によるものではと考える。
どちらもそれなりに正しいのだろうが、それと同時に、三上の中で修正しようがない性分のようなものも多分にあるのではないかと思わせる、多面的な見せ方だった。三上は自分を「一匹狼」といい生活保護を受けることに非常に抵抗を見せるが、その自負ははたから見ると根拠のない、不確かなものに見える。何かに頼ることは彼のプライドを損なうのだが、その自負と暴力団という組織のバックアップを受けて生活することとは矛盾しないのだろうかと。彼は「一匹狼」と自分を称するのだが、やくざはそもそも集団であって一匹狼ではないよな、等と思ってしまう。三上が生活保護担当職員に「孤立してはだめだ、社会と関わって生きていかないと」と諭されるシーンがあるが、この言葉はある程度的を得ているが皮肉。三上にとっては殺人を犯して服役することが、社会と関わるということだったのではとも思えたのだ。世間が求める関わり方に軌道修正したことで最後の顛末につながってしまったのではと。