アダム・オファロン・プライス著、青木純子訳
ニューヨーク州、キャッツキル山地にある「ホテル・ネヴァーシンク」。ポーランド系ユダヤ人のシコルスキー一家が大邸宅を買い取って開業し、やがて屈指のリゾートホテルに成長した。しかし幼い子供が行方不明になる事件が起き、決して沈まないと思われたホテルにも凋落の兆しが見え始めた。
ホテルの経営者一族、従業員、宿泊客ら等、ホテルに関係した様々な人たちの語りによってつながれていくゴシック・ミステリ。大型観光ホテルは日本でも一時期大盛況だったが、やがて下火になったし今ではそう人気もないだろう。アメリカでもそうだったのだろうか。移民のいちかばちかの賭けから始まり、商機をつかんでどんどん成長するがやがて衰退していくという、おもしろうてやがて哀しき、といった味わいが全編に満ちている。人の人生の奇妙さや真っ暗ではないが陰になっているような微妙な部分が立ち現れていく。
とは言え、ホテル誕生時に既に呪いがかけられているようなエピソードもあるのだが…。更に行方不明事件の謎がずっと解けないまま残り、ホテルに影を落とす。行方不明事件のせいで、ホテルそのものに不吉な場としての呪いがかかってしまったようでもあり、その謎の引っ張り方が、本作をミステリではなく「ゴシック・ミステリ」にしている。ホテルという場の力、そして過去への引き戻しの力が強いのだ。
語り手たちは子供の失踪事件やホテルそのものについて直接的に語るわけではない。彼らが語るのはあくまで自身の人生だ。しかしその背景にはホテルがあり、行方不明事件に関わる情報がちらちらと見え隠れする。ただ、それぞれ主観による語りなので、真相「らしきもの」という曖昧さが最後まで残る。そこもゴシック・ミステリぽい。