少年院で熱心なキリスト教徒となった20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は、前科者は聖職者になれないと知りつつも、神父になることを夢見ていた。仮釈放となり、田舎の製材所で働くことになったダニエルは、立ち寄った教会で新任の司教と勘違いされ、緊急入院した司祭の代理をすることになってしまう。村人たちは聖職者らしからぬダニエルに戸惑うが、徐々に彼の言葉に動かされ、信頼するようになる。監督はヤン・コマサ。
 元犯罪者が司祭になりすましたという実際の事件を元にしているそうだ。そもそも前科者は聖職者になれないという規定は、キリスト教の精神にのっとっているのか微妙なようにも思えるが…。ダニエルは非常に若いし見た目はチンピラだし、振る舞いも年齢相応でいまいち落ち着きがないので、村人は不審の眼で見る。また、信仰に熱心とはいえ説法も祭事も少年院内の礼拝で体験した知識しかないので、スマートフォンでやり方をいちいち検索する(時間が押しているから結構必死)のがおかしいやら心配になるやら。
 いつボロが出るかもわからない状態で、対応しないとならない問題が起きる度に早くとんずらすればいいのに!と思うし、ダニエル自身も最初は逃げようとする。が、その都度思いとどまったり引っ込みがつかなくなったりで、ずるずると居続けてしまう。彼がニセ司祭を辞められないのは自身の夢もあるだろうが、司祭という職業が地域社会内で尊敬されるもの、一目おかれるものだからという側面も大きいだろう。そこに根拠がなくても周囲からの承認や地域内で相応のポジションがあるというのは、おそらく居場所がなかった彼にとってはやみつきになる環境だったのでは。長くいればいるほどリスクは増すのにそこにしがみついてしまうダニエルの姿は、愚かしいと同時に切なくもある。
 ダニエルは交通事故の遺族たちを癒そうとあれこれ模索するが、参考にしているのが少年院内で行われるアンガーマネジメントや説教なので、傍から見ていると奇妙だ。これが不思議と遺族の悲しみにはまりはじめる。ダニエルのパフォーマンスの派手さと、この人は私の苦しみをわかってくれる!と思わせてしまう共感が合わさると、その信憑性とか知識教養の裏付けとは別問題として、説得力を持ってしまう。カルトの誕生みたいでちょっと気持ち悪かった。
 一方、ダニエルが交通事故加害者遺族のことも救済しようとし始めると、村人たちは一気に手のひらを反す。加害者遺族に対する被害者遺族の許せなさはわからなくはないが、執拗な村八分は理解し難い。そういうことをしていても、「この村の人たちは善良」「信仰が支え」と言い切ってしまうメンタリティが気持ち悪いのだ。元犯罪者がニセ聖職者に、と言う切り口のストーリーだが、村社会の閉塞感、ごく普通の人達の狭量さの負のインパクトの方が強烈に残る。

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