藤井光著
 アメリカという国家のアイデンティティーを伝統的に描いてきた「アメリカ文学」がどのように変容し、何を描こうとしているのか。翻訳者である著者が現代アメリカ文学をひもとく。
 先日読んだ『空とアメリカ文学』(石原剛編著)に引き続き、本著もターミナルから始まる。アメリカと航空というのは切っても切れない、アメリカといえば飛行機、という関係なのだろうか。航空機そのものというよりも、地上にしろ空にしろ移動する、移動して領域を確かめることが国民性というか、アイデンティティーのようになっているのだろうか。単純に国土が広いという側面もあるのだろうが…。指摘されるまで、いわゆるアメリカ文学がアメリカという国がどのようなものなのか向き合ってきたということに気付かなかったが、言われてみれば確かにそうだ。日本の文学と比較しても、この国は一体何なのか、という側面が強い。ただそういった意識は、現代文学では薄れてきているように思う。本著内でも言及されているように、アイデンティティがそもそも土地としてのアメリカにはない、外から流入してきた移民文化に軸足を置いた文学、国という部分に重きを置かない傾向が見えてくるのだ。個人のアイデンティティの置き所や問題意識の変化が垣間見られる。もっと個の文化圏や時代性に寄せてきている。だから現代の日本文学と局地的に似通った感性が見られるという、面白い現象が起きるのだろう。
 現代アメリカ文学の批評として面白いのだが、文章スタイルが凝りすぎで時にスベっている感じになってしまっている気がした。ちょっと勿体ない。


現代アメリカ文学ポップコーン大盛
吉田恭子
書肆侃侃房
2020-12-14