配信試写で鑑賞。東京の医者一族に生まれ、何不自由なく育った華子(門脇麦)。結婚相手探しに奔走した結果、良家の生まれの弁護士・幸一郎(高良健吾)と縁ができる。一方、富山で生まれ大学進学に伴い上京した美紀(水原希子)は実家が経済難で退学。以来、東京で働き続けてきた。全く違う環境で生きてきた2人の人生が、ある一点で交錯する。原作は山内マリコの小説。監督は岨手由貴子。
 華子と美紀のキャスティングの妙があった。生まれながらの「いいおうち」の娘さんて実際こんな感じだよなという華子と、上京して洗練され華やかになっていく美紀の対比がくっきりしている。華子のような環境だと、華やかであることはあまり必要ないしさほど美点というわけでもないんだろうなと思わせる。対して「持ってない」美紀は自身の華やかさも使ってサバイブしないとならない。
 華子が年始をホテルの食事会で迎えるあたり、あーこういうおうちあるわ!という説得力だった。ちょっと戯画的すぎないかなという所もあるのだが、東京の「ある層」のニュアンスは出ているのでは。華子のような人々を美紀は「貴族」と呼ぶが、貴族の中にもヒエラルキーがある。幸一郎は華子よりも更に貴族。美紀が大人になったらクリスマスなんてやらないというのに対し、華子が信じられないと漏らすのだが、それをぽろっと口に出してしまうあたりが貴族ということか。
 美紀から見ると華子は非常に恵まれているように見える。しかし、彼女らが直面する困難や社会のしがらみはびっくりするほど似ている。華子の世界でも美紀の世界でも女性は結婚と出産を期待され、夫の不始末には「上手くやれ」と言われ、値踏みされ続ける。むしろ華子や幸一郎の方が「持っている」ものが多く捨てられないだけに、閉塞感は強いように見えた。日本の社会がそもそも持っている旧弊さ・閉塞感なのだ。美紀や友人は「持っていない」からこそそこから飛び出せる。階級の閉塞感から飛び出す為の手段がシスターフッドだという所にほのかな希望があった。そのシスターフッドは、かすかではあるが華子と美紀の間にもある。ただ、階層を越えた連帯というのはかなり成立しにくいんだろうなとも思わされたが…。同質の苦しみがあるが、それに対して取り得る手段が異なるというか。
 一方、幸一郎は自分が生まれた世界に骨を埋めるしかなさそうだ。ブラザーフッドとシスターフッドの決定的な違いを見た気がした。家父長制の中ではブラザーフッドはその強化の方向に働いてしまうのだろうか。男性の場合、同性同士でケアしあうという意識が希薄な気がする。

あのこは貴族 (集英社文庫)
山内マリコ
集英社
2020-07-03


パリ行ったことないの (集英社文庫)
山内 マリコ
集英社
2017-04-20