配信で鑑賞。1968年、鹿安護で開かれた民主党全国大会の会場近くの公園に、ベトナム戦争に反対する大勢の市民・学生らが集まった。警察との間で激しい衝突が起き、デモの首謀者としてアビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、トム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら7人が起訴される。監督はアーロン・ソーキン。
ソーキンは実際の事件を元にした作品を得意としているが、本作は陪審員の買収・盗聴が相次ぎ悪名を残すことになった「シカゴ7裁判」をドラマ化したもの。勝ち目の薄い裁判で正義を問うというハードな題材だが、導入部分が結構ポップでテンポがいい。登場人物の氏名テロップが表示され、どの組織のどういう立場の人か初登場時にぱっと見せていくという親切設計だが、説明過剰ではなくさらっと処理していく。全体的に手さばきがいい、構成が整理された作品だ。公園で実際に誰が何をやってどういうことが起きたのか、という部分は終盤まで映像としては見せられず、関係者の証言から部分的に語られるのみだ。それが集約されて終盤で全体像が見えてくる。そこでつい失言したかに思えたヘイデンの言葉を、彼とはそりが合わず反発していたホフマンが正しく文脈を理解し読み解く。ライバルと書いて友と読む的な、少年漫画的シチュエーションも熱い。ストーリーの山の作り方が上手いのだ。
陪審員の構成を操作し、検察側の証言者は警官ばかりで客観的な証言とは言い難く、被告側の証人の証言は様々な理由をつけて却下され、そもそも判事が最初から実刑ありきで裁判に臨んでいるという、被告側にとっては非常に不利な裁判。法律はどういう立場の人にも等しく働くように作られているものだが、司法側にその気がなければ法の公正さは失われてしまう。力を持つものが自分の都合のいいように司法をコントロールしようとすると、司法のそもそもの土台が崩れてしまうという話で、今(というか2020年)のアメリカでこの話を映画化しなければ!という意志を感じた。「世界が見ている」という言葉が何度も出てくる。私たちが見ている、だから不正はするなということだろう。デモにはそもそもそういう(お前たちを見ているぞ、異議があるぞと知らせる)ものだと思うが、映画もまたそういうことができるのだと。