ベルナルド・アチャガ著、金子奈美訳
 1999年、カリフォルニアで死んだダビは、「アコーディオン弾きの息子」という回想録を書き残した。ダビの妻メアリー・アンは作家である「僕」ヨシェバにその本を渡す。故郷のバスク語で書かれたその本を、メアリー・アンは読むことができないのだ。ダビが家族にも読めない言語で語った過去とはどのようなものだったのか。幼馴染であるヨシェバとの間には何があったのか。
 バスクの田舎、オババに暮らしていたダビは、父親からアコーディオン奏者になることを期待され、上流階級の子供が通う学校に行かされるが、自分が心安らぎ馴染めるのは農夫や馬飼いたちの世界だった。野山の自然描写やその中での子供たちの生活が生き生きとしており、魅力がある。ただ、その美しい生活の背後には、スペイン内戦やフランコ政権の暗い記憶が控えているのだ。ダビの伯父は反体制派で、義理の弟であるダビの父とは折り合いが悪い。ダビは、父は軍に協力し殺人に関わったのではないかと疑い始める。ダビの疑いは彼自身にとっては劇的なもの、耐えがたいものなのだが、こういった疑惑はおそらく当時のバスクでは珍しいものではなかったのだろう。それくらい、生活と歴史の影の部分とが一体になっていることがわかる。ダビの著作は自分の子供時代、青春時代を回想するものであると同時に、自分たちの背後にあるそういった歴史、それに加わってしまったことへの痛みと自責を記録したものなのだ。だから故郷の母語で書かれなくてはならないし、妻子に読ませるつもりはないということなのだろう。
 そして「アコーディオン弾きの息子」はヨシェバの物語でもある。本著のいくつかの章はダビではなくヨシェバの手による「小説」だ。ダビの書いたものとヨシェバが書いたもの、両方により彼らにとっての真実が浮かび上がる。そしてダビが書いたものが、そう書かざるをえなかったものであったという苦しさも見えてくる。人はなぜ書くのか、なぜそのように書くのか、という部分にも迫った作品。