ヤマザキマリ著
 新型コロナウイルスによるパンデミックで、世界中で社会が動きを止めた。世界のあちらこちらを移動する生活を続けてきた漫画家である著者も、イタリアの家族の元には戻れず、東京にとどまることに。家に閉じこもり自分や社会と向き合い続けた著者が、その中で新たに見えてきたことを記したエッセイ。
 今年(2020年)8月前に執筆され9月に出版された本著。残念ながら出版当時よりも感染拡大状況は悪化してしまった。世界中を旅してきた著者にとって在宅し続ける日々はもどかしいのではないかと思ったが、漫画家という職業にとっては家に留まって作業することが自然だから、そうでもなかったようだ(文筆業の人なども同じことを言っているので、個人の性格以上に普段の生活形態によって適応度合いが違うのかもなー)。日常だったものがいったん途切れることで、普段表面化してこなかった諸々の問題、社会的にも自分の中のものも、が表面化してきたというのが、今年の大きな動きだったのではと思う。
 著者は自分が体験したイタリアの文化と日本の文化とに照らし合わせて、自分たちが置かれた状況を分析していく。ヨーロッパにおけるペストの表象と日本における疫病の受容のされ方等、それぞれの文化の違いが窺えて面白い。また、現代のイタリアと中国の関係など、ちょっと聞いたことはあったが現地の肌感覚で説明されるとまたなるほどなと。イタリアの立地とそこから生じる歴史的な事情が大分大きいのだ。時間的な視野の距離・深さみたいなものが日本とは違うのかなと思った。
 漫画家である著者が政治や漫画以外の文化、時事問題について意見を表すことが叩かれることもあるそうだし、私もしばしばそういったネット上の意見を目にしたが、個人が一つのカテゴリーで括れるわけないのに大分お門違いな話だと思った。個人の背景にあるのは職業だけではなく様々な要素が並立している。漫画も専門だが、日本に暮らす市民としても専門とも言えるわけで、自分に深く関わりがあることに意見するのは自然だろう(『テルマエ・ロマエ』映画化の時のトラブルなど大分気の毒)。日本の、ミュージシャンや作家が政治や社会情勢に意見すると嫌がれる文化の土壌って何なんだろうなとつくづく思った。社会の中で生きる以上、政治に無関係な人なんていないはずなんだけど…。

たちどまって考える (中公新書ラクレ)
ヤマザキマリ
中央公論新社
2020-09-09


歩きながら考える
矢内原 伊作
みすず書房
1982-09T