1930年、8名の科学者・技術者らが西側諸国と結託しクーデターを企てたとして、モスクワで裁判にかけられた。被告らが所属したとされるグループ名にちなみ、いわゆる「産業党裁判」と呼ばれるものだが、実はスターリンによる見せしめ裁判だった。無実の被告ら、彼らを裁く権力側、そして熱狂する群衆の姿を記録したアーカイブ映像を再構築した記録映画。セルゲイ・ロスニツァ監督による「群衆」三部作のうちの1作。2018年の作品。
 裁判ってこんなに皆ペラペラしゃべるものだったか?というくらい被告も検察も流暢にしゃべる。まるで芝居のように仕上がったしゃべりなのだ。被告らが一様にすんなりと罪を認め、反省の言葉をとうとうと述べ始める様は、証言も反省への道筋も一様すぎてあまりに不自然だ。実際、この裁判自体が政府によるやらせであり、被告らは無実で、見せしめの為に虚偽の告発をされた。嘘のものがその通り嘘らしく見えているというわけなのだが、誰もそこを突っ込まない。その突っ込み不在さがうっすらと気持ち悪いのだ。
 本作は被告と検察・裁判官側とを映し続けるが、同時に裁判を傍聴している多数の人々(ご時世柄、密!密すぎる!と気になってしまった)、裁判を撮影する撮影スタッフたち、そして町に溢れる民衆の姿を映す。当時の映像アーカイブに保管されていた映像を編集したものなので、裁判の現場と、町で赤軍万歳とパレードに湧く民衆の姿は、直接的には関係はない。しかしこの裁判が生じた背景にはこの民衆の熱狂があるのだろう。この熱狂を起こす為の見世物としての裁判であり、一大見世物を受けて更に民衆は熱狂する。裁判を傍聴していた人々が、被告らの死刑が決まった瞬間に拍手喝采するのにはぞっとした。全くショーとして見ているのだなと。そこに被告ら個々の人生や振る舞いの不自然さは抜け落ちており、完成した見世物としてのみ捉えられているように思えた。
 見世物を見ている側は自分たちは安全圏にいると思っているのだろうけど、なぜそう思っていられるのか。熱狂は批判精神を失わせるということか。独立政権の確立され方の一面を提示している映像作品になっているが、これはロスニツァ監督の批判精神と編集力によって成立しているものだろう。


ソヴィエト旅行記 (光文社古典新訳文庫)
ジッド,アンドレ
光文社
2019-03-08