1953年3月5日、スターリンの死がソビエト全土に報じられ、各地で大々的な追悼集会が執り行われた。国葬の様子を捉えた大量のアーカイヴ・フィルムから67年の時を越え構成した記録映画。監督はセルゲイ・ロズニツァ。
 ロズニツァ監督による「群衆」三部作のうちの一作。監督の作品は各映画祭で高い評価を得てきたそうだが、日本での劇場公開は初。本作が製作されたのは2019年だが、フィルムに映されているのは1953年当時の映像で、何だか不思議だ。現在の視点から当時の歴史的イベントを眺めるということになる。映画を見ている私たちはスターリンがどういうことをやった人で、歴史的にどのような位置づけ、評価をされたのか知っている(ただロズニツァ監督によると、ロシアでは現在でもスターリンの評価が定まっておらず、近年なぜかスターリンブームが再燃しているのだとか。謎だ…)。そういう視点で本作を見るとかなり不気味でもある。大粛清として多数の国民を死に追いやった独裁者がこのように追悼されるのか、追悼式に臨んだ国民は皆本気で悼み泣いているのだろうかと何とも言えない気になる。
 本作は「群衆三部作」であり、カメラは出席している当時の政府や海外の高官たち(あーこの後ほどなくして死ぬんだよなという人も…)も映すが、主眼はあくまで群衆、無数の国民たちに置かれる。スターリンの遺体が公開され大勢の国民がそれを「見に」来たという史実は知っていたが、ここまで大勢が押しかけていたとは…。そして当時様々な民族を配下に収めていたソ連の各地で同じようなイベントが一斉に行われていたというのも初めて知った。とにかく人、人、人!人の多さが暴力的な域に達している。私が人の顔を見続けるのが苦手というのもあるだろうが、数の暴力というものがあるんだなと実感する。そして、これだけの数の人間に各地で同じ行動をさせることができるというのが、独裁者の権力というものなんだろうと。量=ソ連という国家の一つの側面だったのかと実感する。
 そして、カメラが映しているのはあくまで見た目、情景だ。映し出される個々の人達が何を考え、どのような経緯をもってその場に臨んでいるのかはわからない。映像は表層的なものであるということを再確認する作品でもあった。内面がにじみ出ているショットとかついつい言ってしまうが、それは見る側(ないしは映像を編集した側)が勝手にそう解釈しているだけなんだよな。

スターリンの葬送狂騒曲(字幕版)
ジェイソン・アイザックス
2019-02-02