南北戦争時代のアメリカ。父親が北軍兵として戦地に赴いているマーチ家には、しっかり者のメグ(エマ・ワトソン)、わんぱくで作家志望のジョー(シアーシャ・ローナン)、内気で音楽好きのベス(エリザ・スカンレン)、絵を描くことが得意でおしゃまなエイミー(フローレンス・ピュー)の4姉妹と、優しい母(ローラ・ダーン)が暮らしていた。女性の働き口が限られていた時代、ジョーは作家になる夢を諦めずに突き進む。原作はルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』。監督はグレタ・ガーヴィグ。
 ニューヨークで作家を目指し下宿生活を始めたジョーが、家族と暮らした頃を折に触れて思い出すという、時制を行き来する構成。かつ、これが「書かれた」物語であるということが示唆される構成になっていく。邦題の評判がすこぶる悪かった本作だが、この構造が見えてくると案外的を得たものだったのかなと思えた。「わたしの」とはジョーの体験としての物語であり、彼女が記した物語ということでもある。一部メタ構造になっているのだ。 
 そして「わたし」には、原作者オルコットも含まれるのではないか。ジョーが出版社で言われる「ヒロインが結婚しないと作品は売れない(人気が出ない)」という言葉は、原作者であるオルコットが実際に言われたことだそうだ。オルコット自身は生涯独身だったが、作品を売る為に自作の中ではジョーを結婚させた。作家としては不本意だっただろう。彼女が本来望んでいたであろう展開を取り入れつついかに原作小説に添わせるか、というアクロバティックな構造なのだ。原作に忠実(実際、びっくりするくらい原作エピソードが盛り込まれている)でありつつ現代に即した作品になっており、ガーヴィグはこんなに腕のある人だったかと唸った。古典は古典として素晴らしいが、それを今作るのならどうやるか、ということをよくよく考えられている。
 自分で働き生計を立てることや資産を持つことが難しかった当時の女性にとって、結婚は自分や家族の生活を守る為の手段だった(現代でも未だその側面が強いというのがまた辛いが)。作中で言及されるようにまさに「結婚は経済」なのだ。マーチ伯母(メリル・ストリープ)がメグの結婚を祝福せずジョーを見込みなしとするのは、そういった社会背景がある。彼女自身は独身のままだったが、「お金があるからいいのよ」というわけだ。彼女はエイミーに資産家と結婚して家族を支えるのがあなたの役目だという。一家の命運を背負わされてしまうエイミーが気の毒だった。彼女の子供時代はあの瞬間に終わったのだなと。
 本作、4姉妹皆魅力的なのだが、特にエイミーの造形が新鮮だった。過去の映像作品では少々わがままでおしゃれでおしゃまなキャラクターとして描かれることが多かったと思うが、本作でもそれは踏襲されている。ただ、本作のエイミーは良くも悪くも普通の少女だ。メグのような美貌も、ジョーのような独立心と才能も、ベスのような天使の心も持ってはいない。可愛らしく聡明で絵の才能はあるが、どれもあくまで「ほどほど」。普通の女性に残されている道は経済の為の結婚である、というのはなんとも息苦しくやるせない。フローレンス・ピューが演じているというのも非常に効果的だった。貴婦人ぶりになんとなく、これはこの人の本分ではないのではという雰囲気が出るのだ。エイミーが後々ジョーやローリー(ティモシー・シャラメ)よりも大人びていくのは、年齢を重ねて大人になったというよりも、社会通念に自分を適応せざるをえなかったからだと思う。そういう形での子供時代の終わりはちょっと悲しいのだ。
 ジョーとローリーのじゃれあい、一緒に遊び回る姿は本当に幸福そうだ。男性/女性がまだ未分化な時代だから成立する幸福だったというのが寂しくもある。本来は分化した後も成立するはずのものだが、当時の(多分現代も)社会はそれを許さない。いつか失われる幸福だからこそより強烈に目に映るのか。

レディ・バード (字幕版)
ティモシー・シャラメ
2018-09-20


若草物語 1&2
ルイザ・メイ・オルコット
講談社
2019-12-12