2008年に製作された『精神』に登場した山本昌知医師は、82歳を迎え引退することに決める。「病気ではなく人を看る」「本人の話に耳を傾ける」「人薬(ひとぐすり)」をモットーに、長年患者と対峙し続けてきた医師の引退に、戸惑い不安を示す患者たち。一方で山本医師には妻・芳子さんとの生活があった。監督は想田和弘。
 前作から12年後、。山本医師が引退を決めても不思議ではないが、どういう形で医師という仕事に幕引きをするのか難しい。患者たちには引退することは伝えてあり、引継ぎ先の医師も紹介しているが、患者側は不安と戸惑いが隠せない。医師と患者の関係が深く信頼が厚いほど他の医師への変更には抵抗があるだろう。2者の関係が長年続きがち(それこそ10年20年なんてざらだろう)、かつ信頼関係が治療に直結している精神科ではその傾向はより顕著なのでは。特に山本医師の患者は症状が重度かつ長期の通院をしている方が多いので、なおいっそうだと思う。山本医師の「病気ではなく人を看る」「本人の話に耳を傾ける」「人薬(ひとぐすり)」という診療方針は個人と個人として相手を尊重するものだが、それは山本医師という一個人と結びついている。同じような姿勢を持った医師であっても、患者にとっては替わりにならない。山本医師の診察でないとだめなのだ。医師も年を取っていつかは引退していく(だけでなく病気や事故等色々な都合があるだろうが)以上、個人の特性に結びつきすぎた医療は危ういのかもしれないが、個として行うからこそ上手くいくというジレンマがある。遠方でも通う、先生でないと困るという患者側の必死さが伝わってきた。これは、他の精神科医、日本の病院の精神科医療に対する不信感の表れかもしれないが。
 精神科医としての山本医師の店じまいが前半だとすると、後半は山本医師と妻である芳子さんとの関係にフォーカスしていく。これは最初からそのつもりで撮影されたわけではなく、お二人の状況の経緯上そうなっていったということなのだと思うが、正直なところ前半をもっと見てみたかった。作品の軸が大分揺らいでしまっている。ただ、その揺らぎが「観察映画」の持ち味でもあるだろう。今回は山本医師も患者も想田監督とは既知の関係であり、そのせいで撮影者も全くの観察者には徹しにくくなっている。話しかけられる頻度は高くなるし、自宅で一緒に寿司を食べようと言われたりするし、ここは踏み込むべきか引くべきかという監督の躊躇があったように思う。被写体が観察者を巻き込む度合いが高くなっているのだ。特に自宅で山本医師がお茶を出そうとするくだりや、墓参りのくだりなど、うっかり手を貸してしまいそうな危うさがある。過去作品を見ると想田監督は相当ハートが強いようだが、本作のようなシチュエーションで踏みとどまるにも別方向でのハートの強さが必要そう。
 山本夫妻の老々介護の生活には、自分の祖父母を思い出した。芳子さんが引き出しを探っていたりテーブルの上のものをいじってみたり、何かしようとする気持ちはあるが何をどうすればいいのか、点と点が繋がっていない感じは痴呆が進みつつあった時期の祖母の行動に重なり切ない。山本医師のゆっくりとした動きと息遣いは、晩年の祖父のものにとても似ていた(祖父は炊事に慣れていたが)。

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