1968年。『オズの魔法使い』以来、ミュージカルスターとして一世を風靡したジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、度重なる遅刻や失踪により仕事は途絶え、借金を抱えつつ巡業で生計を立てる日々を送っていた。幼い娘と息子と一緒に暮らす資金を手に入れる為、子供たちを元夫に預け、ロンドン公演へ向かう。監督はルパート・グールド。
 ガーランドは47歳で死去しているので、本作が描くのは彼女の晩年期と言ってもいいだろう。お酒と薬で心身ともにボロボロ、ステージにも支障をきたしかつて築いたスターとしての信用も失っていく彼女の姿は痛々しい。少女時代のエピソードが随所に挿入されるが、彼女が薬を手放せなくなったのは、ハードワークに耐えさせる為に周囲の大人たちから長年にわたり投与されていた為だとわかる。同時に、周囲の大人たちは彼女の若さと無知に付け込み、年齢相応に必要とされるケアは全くしてこなかったことが窺えるのだ。その状態のまま大人になったガーランドは、子供時代の自分が得られなかった愛情や庇護を受けようとするあまり、手近な愛(的なもの)に手を伸ばしてしまっているように見える。客観的にはいかにも脆そうなものを掴んでしまう様が痛々しくて辛い。
 ただ、男性運が悪かった彼女にとっても確かな愛、双方向に成立している愛はある。それはファン、ショーの観客との愛だ。遅刻魔でパフォーマンスも不安定な彼女には大失敗のステージも多く、大変なブーイングを浴びることもある。しかしひとたびスイッチが入って何かがかみ合った時、ステージの上と観客とが一体になった高揚感と深い共感(のように錯覚できるもの)が生まれる。その瞬間の為にガーランドはパフォーマンスするし、ファンもそれを待ち望み続ける。生の舞台の魔力がとてもよくわかるシーンだ。日常がパッとしない辛いものでも、その瞬間が生きる支えになってくる。ガーランドと彼女のファンであるゲイのカップルの交流は正にそれを表しているし、クライマックスのあの曲のシーンは、生きる支えを与え続けてくれたガーランドに対するファンの真心そのものだろう。とは言え、ファンがスターに出来ることはその程度であり、彼ら彼女らの実人生の幸せの担保にはなれないということでもあるのだが。
 エピソードの分量は多くはないが、ガーランドと子供たちの関係が深く刺さった。序盤、タクシーの中で見せる娘の表情(子役が上手い!)がすごい。この時点で、彼女らの家庭は今の状態に耐えきれないんだろうと悟らせる。そして終盤、電話をしている娘の表情もまたすごい。とどめを刺してくるのだ。ガーランドは子供たちをちゃんと愛しているし一緒にいたらとても楽しい母親なのだが、愛だけでは足りないのだ。子供にとって実の親の愛よりも必要なものがある。ガーランド当人は実の親の愛が足りない子供だったことを思うと何とも皮肉だ。


ジュディ・アット・カーネギー・ホール
ジュディ・ガーランド
ユニバーサル ミュージック
2020-03-04