ユマ(桂山明)は出生時に37秒間呼吸ができなかった為、脳性麻痺を患い、車椅子生活をしている。幼馴染の漫画家のゴーストライターをする傍ら、自分の作品をアダルト漫画専門誌に持ち込むが、リアルな体験がないと良い作品は描けないと編集長に言われてしまう。実際にセックスを体験しようと街に出たユマは、障碍者専門の娼婦・舞(渡辺真起子)やヘルパーの俊哉(大東駿介)と出会い世界を広げていく。しかし母・恭子(神野三鈴)は激怒する。監督・脚本はHIKARI。
 最初、ユマに対する恭子の接し方が、娘が身障者で介助が必要とは言え、22歳の人間相手にちょっと子ども扱いしすぎではないか?とひっかかったのだが、彼女の過保護さがこの後どんどん示されていく。ユマは実は時間がかかるけど一人で着替えはできるし、シャワーも浴びられるということが一方で提示されるのだ。彼女はおそらく、恭子が思っているよりもしっかりしているし自分の考えを持っている。漫画を描くためにセックスをしたいと即行動に移すユマの思い切りの良さ、舵の切り方の極端さにはハラハラするし、「私のことなんか誰も見ない」という彼女の言葉には、そういうことじゃないんだよ!(性的な側面以外からも加害する人はいるし事故だってある)と母親ならずとも言いたくもなる。
 とは言え大事なのは、ユマがしたいのであればセックスなりなんなりしてみていいし、身体的な問題を理由に選択肢を狭められる、世界を狭められる筋合いはないじゃないかということだ。そのために手助けを頼んだっていい。舞や俊哉のような人はそのためにいるのだから。もちろん難しいこともあるだろうけど、最初から無理だと言われるのはちょっと違うよなと。これは障碍だけでなく全ての人に言えることだろう。あなたはこのカテゴリーに入っているからこれをやるべきではない、という決めつけはおかしいのだ。「ためにならない」ことをやっても別にいいだろう。
 ユマは自分にもう一つの人生、障碍のない人生があったのではと思わざるを得ないし、その上で「私でよかった」と言うに至る。しかしもう一人の「彼女」にとっては、自分こそが選ばれなかった側、ある人から捨てられた側だという思いがあるのではないだろうか。もう一つの人生は、彼女にとっても思いを巡らさざるを得ないものだったのではないかと。
 なお作中、エンドロールでCHAIの楽曲が使用されているが、これは圧倒的に正しい!本作が目指すところが明示されている、いい選曲だと思った。