パリで全く評価されなかった画家フィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)は、弟で画商のテオ(ルパート・フレンド)の援助を受け、南仏アルルへ向かう。パリで知り合ったゴーギャン(オスカー・アイザック)に心酔し共同生活をするもやがて破綻を迎える。精神を病みつつも画業に向かった彼の見る世界を描く。監督はジュリアン・シュナーベル。
 予告編で、フランス語と英語が入り混じていたのでどういう区別の仕方をしているのか気になっていた。主演のデフォーが英語圏の人だからということが前提条件だったのだろうが、ゴッホと「世間」とのやりとりはフランス語、近しい人とのやりとりや独白は英語という区別がされていたように思う。デフォーにとっての母語が内面に深く根差す言葉として使われており、俳優の能力的な制限が逆に演出として機能しているところが面白かった。デフォーのややぎこちない(と思われる)フランス語が、世の中とのコミュニケーションがうまくいかないゴッホの生き方を表しているように思えるのだ。
 本作、とにかく「ゴッホが見ている」世界を映しているので、ここはゴッホの幻想なの現実なの?というような曖昧な描写があるし、画面の下半分がおそらくゴッホの視界としてぼやけたままになっていたりと、不思議な所が多い。いわゆる伝記映画というわけではないのだ。ゴッホの主観の世界なので、悲しみも喜びもダイレクト。人の言葉、自分の言葉が何度もリフレインして彼の中で響き続けているような演出もある。彼の目で見た自然界は美しすぎ、きらめきすぎて体が、筆が止まらないという感じが濃厚だった。ゴッホが画材を持って野山をずんずん歩いていくシーンが度々あるのだが、前のめり感がある。気持ちが体よりも先に進んでしまう感じで、この感覚はちょっとわかる。風景が美しいと気分が高揚してきちゃうんだよな。
 マッツ・ミケルセン演じる神父との対話が印象に残った。神の意志について、ゴッホが元々神職希望(父親が神父)だという史実を踏まえており、彼が評価されないまま絵の制作に取り組み続けたことへの返答にもなっているように思う。彼の最期は近年の研究を踏まえたものになっているのかな?ゴッホの死の謎を追ったアニメーション映画『ゴッホ最期の手紙』でも同様の説を採用していた。

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